「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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憲法理念を地方行政に生かす
「足立モデル」構想の活用を

 東京・足立区長選(2007年6月3日投票)は私(安原)が選挙団体「ナイスfullハート!足立の会」会長として支援した宮崎わかこ候補(無所属新)が対立候補の近藤弥生候補(自民・民主・公明3党の推薦)に対し、善戦及ばず、の結末(その詳細は「仏教経済塾」に6月4日掲載の「宮崎わかこさん、善戦及ばず」参照)となったが、勝利した場合、「足立モデル」構想を発表すべく用意していた。これは従来のマニフェストや公約とは異質で、憲法理念を地方行政に生かすことを基本に据えて、区民に約束した公約の実現をめざすものである。
 区長選に勝利しなかったといえ、「足立モデル」構想を捨てて、幻(まぼろし)の「足立モデル」に終わらせるのは「もったいない」ので、ここに公表する。できることなら足立区をはじめ各地域の地方行政に活用していただきたいと考える。(安原和雄 07年6月8日掲載、9日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「足立モデル」構想とその基本理念

 「足立モデル」は本文の《「足立モデル」の構想とその実現をめざして》と構想を説明した《付属説明資料》の2本柱からなっている。その内容は以下の通り。

《「足立モデル」の構想とその実現をめざして》
 2007年6月3日

1)基本理念
日本国憲法の改悪を阻止し、憲法の以下の理念を足立区政に生かし、その実現を図る
イ) 9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)
ロ)13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)
ハ)25条(生存権、国の生存権保障義務)
ニ)92条(地方自治の基本原則)
ホ)99条(公務員の憲法尊重擁護義務)

2)「足立モデル」とは
上記の憲法条項の理念を土台に据えて、それをどう生かすかを縦軸、横軸によって示す
〈縦軸〉=いのちと平和
〈横軸〉=自由・人権、民主主義、公正な社会、地球(自然)環境、地方自治(住民の参加・参画)

3)当面の具体策
「ナースの3大改革宣言(公約)」の実現をめざして
(詳細は07年5月28日「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の「宮崎わかこ候補の3大改革宣言」参照)
イ)64万人の区民の代表をめざす
不正や汚職を許さない
ロ)地域密着型施設をつくる
  駅前豪華開発から転換する
ハ)家計の負担を軽くする
  保育料・介護保険料・国保料の値下げをめざす


《付属説明資料》

*なぜ日本国憲法の理念を区政に生かす必要があるのか。
 「世界の宝」とも評価される日本国憲法であるにもかかわらず、その憲法理念は軽視され、日本の現状は政治、経済、社会の分野で乱脈を極めている。
 いのちは軽んじられ、平和であるべき日常生活は脅かされている。地方自治の面でも住民の参加・参画(自己決定権を含む)が十分に機能しているとは言い難い。地球(自然)環境の汚染・破壊が果てしなく広がりつつあり、それをどう防ぎ止めるか、国レベルの対策とは別に地域住民の緊急にして適切な行動が求められる。
 9条を中心に憲法の改悪が行われ、戦争のできる国になれば、いのちと平和が大きな脅威にさらされ、自由・人権、民主主義、地方自治などが損なわれるだけではない。国民(地域住民)の税、保険料などの負担が増大し、社会の公正さが失われる。これに歯止めを掛けるためには憲法改悪を阻止することが地方自治体にとっても当面の緊急にして不可欠の課題となる。
 以上のような多様な課題に対応するためには憲法理念の原点に立ち戻り、その理念を生かし、そこから地域や国レベルの変革への道を開拓していくほかない。

*「足立モデル」の意味
 足立区として憲法理念を生かし、地域改革の一つの模範をつくることをめざし、それが東京に限らず、全国へと広がっていくことを期待する。

*「足立モデル」の縦軸と横軸について
 縦軸の「いのちと平和」が目標であり、横軸(自由・人権、民主主義、地方自治など)が目標実現のための方策と位置づけれるが、それに限定されるものではない。
 例えばいのちの尊重は、縦軸の平和のほかに、横軸の人権、地球(自然)環境などと密接な相互依存関係にある。なぜならいのちの尊重は、平和や人権が保障され、地球環境の汚染・破壊の防止によって初めて実現されるからである。

*「足立モデル」を支える憲法条項について
●9条=日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●13条=すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
●25条=すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 ②国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
●92条=地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

〈参考〉地方自治法2条(地方自治行政の基本原則)=地方公共団体は、その事務を処理するに当たっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。

●99条=天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

 以上が「足立モデル」の内容であるが、ここで以下に補足的説明を加えたい。

▽なぜ「足立モデル」と呼ぶのか

 地方行政としての区政に新しい風を巻き起こすためには、追求すべき政策目標が魅力的な理念に支えられたものであることが望ましい。しかも最近流行のマニフェストも公約も魅力的な名称とはいいにくい。そこから登場してきたのが新しい「足立モデル」という呼称である。

 私(安原)は「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」(略称・「コスタリカに学ぶ会」)の世話人のひとりとしてコスタリカの動向に注目している。その中米の小国コスタリカの国是が、①軍隊の廃止(1949年の憲法改正)・非武装中立と積極的平和外交、②人権・平和教育の重視、③自然環境保全の積極的推進―の3本柱である。私はこれを「コスタリカ・モデル」と呼んでいる。

 特に注目に値するのは、日本国憲法9条(戦争放棄、非武装)が、自衛隊という名の強大な軍事力を保有することによって事実上空洞化しているのに対し、コスタリカは1949年以来一貫して非武装を貫いてきていることである。日本国憲法9条の理念をコスタリカが実践しているともいえよう。だからこそこの「コスタリカ・モデル」は今や世界の大きな関心を集めつつある。
 そういう「コスタリカ・モデル」から日本の地域モデルとして「足立モデル」という呼称を連想したとしても不思議ではないだろう。

▽なぜ憲法改悪を阻止し、憲法理念を地方行政に生かすのか

 宮崎わかこ候補が区民一人ひとりとの対話の中で訴えたキーワードは、ほかならぬ「いのちと平和」である。私もこれには全面的に賛成である。対立候補との最大の相違点はこの「いのちと平和」といっても過言ではない。宮崎候補の「足立区長選挙 法定ビラ1号」(選挙団体「ナイスfullハート!足立の会」発行)は両候補の特色に関する比較表の中で憲法について次のように書いた。

宮崎候補=いのちと平和を大事にする愛憲派
近藤候補=改憲を進める自民党元都議

 要するに宮崎候補は「いのちと平和」のために憲法を守り、生かす愛憲派であり、対立候補は「戦争のできる国・日本」へと誘う改憲派である。改憲派は同時に新自由主義路線の推進派でもあり、改憲と新自由主義とが連結していることに着目したい。

 ここでの新自由主義とはなにか。米国から導入され、1980年代の中曽根政権時代から始まり、小泉=安倍政権で本格化してきたわが国の新自由主義は、新保守主義、自由市場原理主義ともいわれる。自由化、民営化の名の下に企業利益追求至上主義と弱肉強食の競争をすすめるほか、行政改革・小さな政府による行政サービス低下、福祉削減、その一方で税・保険料などの国民(住民)負担の増大を図る、いわば「市民・庶民いじめ」の路線を指している。
 対立候補の陣営が選挙期間中に声高く叫びつづけたのが「行政改革・小さな政府の推進」であり、一方、宮崎候補の「介護・福祉の充実」の主張に「ばらまき」という想像力、構想力ともに欠如した決まり文句を連呼しながら非難した。肝腎の「いのちと平和」については一言も語ろうとはしなかった。

 こうみると、両候補の対立軸は明確であり、改憲派は「安心・安全で生きがいのある暮らし」を堀崩し、破壊することはあっても、それを実現し、保障することはできない。だからこそ憲法改悪を阻止し、現行憲法の理念を地方行政に生かすことが不可欠の課題となってくる。

▽憲法9条と25条を守り、生かすことが最大の課題

 「足立モデル」を支える憲法条項として9条、13条、25条、92条さらに99条を挙げているが、特に重要なのは9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)さらに25条(生存権、国の生存権保障義務)で、これらの条項を守り、生かすことが大切である。
 前者の9条は外交、安全保障上の「いのちと平和」、後者の25条は国民の日常生活上の「いのちと平和」にそれぞれつながっている。9条と25条とは「いのちと平和」を守り、生かすために表裏一体の関係にあるととらえたい。

 その含蓄は次のようである。
9条が改悪されて、「戦争へと進む国」になれば、どういう事態が起こってくるか。
 例えば中国や北朝鮮の脅威を口実にして、目下、日米共同作戦で急いで進めつつあるミサイル防衛(MD)システム(米国向けに発射された弾道弾ミサイルを途中の段階で撃ち落とすことをめざすもので、技術的には欠陥システムといわれる)の配備は1兆円を超える戦争ビジネス(=兵器ビジネス)でもあり、その膨大なコストは結局国民の肩へ耐え難い増税などの負担となってはね返ってくる。
 これでは生存権が大きく損なわれるほかないだろう。9条の改悪はそのまま25条の空洞化を招くのである。

 一方、25条の生存権をしっかり守り、一人ひとりが「健康で文化的な最低限度の生活を営む」こと、いいかえれば人間らしく誇りを持って生きることができれば、そのことが改憲―「戦争のできる国」を阻み、防衛費など戦争ビジネスの財源を大きく削減させ、戦争ビジネスという名の利権グループを追いつめていく。これは9条の理念を生かす道にもつながる。

 限られた財源(国民の税金)を多数の国民の生存権を生かすために有効利用し、「いのちと平和」を守るのか、それとも一握りの利権グループのために悪用し、「いのちと平和」を破壊するのか、そのどちらを選択するのか、が突きつけられていることを承知しておきたい。



《医療福祉に関する補足資料》
以下はコメント欄に出てくるデンマークの医療福祉モデルなどに関する補足説明である。

増子忠道
 「デンマークの医療福祉モデル」について若干の説明を加えたい。

 1)デンマークでは1960年代から開始された福祉制度の進歩(特に保育所と介護施設)によって、女性労働が全面的に社会化されてきた。
 興味深いのはpleijemというデンマーク語は、一般的には日本の場合、特養と翻訳されるが、実は保育所という意味もある。したがってデンマークでは子供のためのpleijemと高齢者のためのpleijemという使い分けをする。pleijemは全室個室が原則で、30室前後を一施設としており、全国各地にほどよく設置されている。日本との違いは、一旦入居すると、一生そこで過ごすことが原則で、障害が重度になろうが、認知症になろうが、最後までいられるのである。
 こうした施設で働く人の配置は、その施設に入居しているひとの必要介護の程度によって柔軟に、適時に決定されている。
 ちなみにデンマークではpleijemに働くひとは公務員で、短時間でも公務員労働者となる。(短時間労働者と位置づけられ、権利は全く同等である)

 2)その後80年代後半から、入居したくない人々の希望から在宅ケアがはじめられた。その後次第に普及し、ついには入居者と同等のケアが保障されるべきであるとの理念から24時間巡回型在宅ケア(ナースとヘルパーのペアリングで)の試みが全国的に展開され、その効率性・QOL改善の効果などから国全体の制度となり、ついにはpleijemを全面的に解体して、すべてを在宅ケアに転換してしまった。 
 もちろん病院は残っており、施設もあるが、今では「高齢者住宅」と位置づけされて、その居宅に訪問するシステムとなっている。
 医療制度は、病院と開業医で構成されている。病院はすべて公立で、医療費は原則無料、外来は家庭医制度によって実施されている。往診も必要によって随時行われている。
 もうひとつ特徴的なことは、補助器具(日本では福祉機器と公称されているが、われわれはあえて補助器具と命名している)センターの役割が大きいことである。

 3)こうしたシステムを全体としてデンマーク方式と呼称している。
 同じようなシステムがスウェーデンやノルウェイ、フィンランドでも行われているが、少しずつ違いがある。その中でも24時間巡回型在宅ケアは、デンマーク発祥である。一方グループホームはスウェーデン由来とされている。

 4)このようなシステムに1988年遭遇した私たちは、大変刺激され、日本全体に実現させようとして、まず手始めに東京都足立区柳原・千住地域で全面的に展開した。92年に東京都第一号の北千住訪問看護ステーションを開設し、柳原病院付属補助器具センターも開設している。94年11月より巡回型在宅ケアを開始し、その後システムを充実させて現在ではほぼデンマーク・システムを実現し、柳原足立方式(健和会方式)と呼称している。
 現在この地域には 基幹病院としての柳原病院、老人保健施設、柳原リハビリテーション病院、往診診療所としてのかもん宿診療所と柳原ホームケア診療所(24時間往診体制)、3つの訪問看護ステーション、2つの訪問介護事業所―これの連携による24時間巡回型在宅ケア=看護婦とヘルパーのペアリング、補助器具センター、デイサービス(認知症デイも含めて)グループホーム等々がそろっている。
 近々、高齢者住宅も建設予定である。

 こうした試みを全国的に広げようとして様々な活動を展開してきた。厚生労働省からの評価も高いのはそのためであると思う。
  

(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
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コメント
この記事へのコメント
「足立モデル」と「もったいない」
なるほど、こういう発想もありますか。折角の「足立モデル」構想を選挙に勝利できなかったとはいえ、捨ててしまうのは、「もったいない」とは、仏教経済塾らしいですね。

記事を読むと、宮崎わかこさんは、「いのちと平和を大事にする愛憲派」だそうで、パソコンで「あいけん」を漢字に転換すると、「愛犬」と出てきますが、「愛憲」にはなかなか転換できません。「愛犬」は「愛憲」に通じる―なんてダジャレを言っているときではないですね。

「護憲」という既成言語にこだわるよりも「愛憲」の方がはるかに「ナイスfullハート」を感じさせてくれます。心を込めてやさしく憲法を大事にしていく、という心情が伝わってきます。
こういうやさしさがなぜ足立区民にもっと理解されないのでしょうか。

相手候補は宮崎候補の「介護・福祉の充実」に向かって「ばらまき」という陳腐な非難用語を投げ返したそうですが、福祉充実が嫌いな候補がなぜ歓迎されるのか、謎の一つです。
「福祉軽視」の先にあるのは、やがてわが身が人間らしく大事にはされないで、冷たくあしらわれる、足蹴にされる―ということではないでしょうか。
人間様と呼ばれながら、痛い目に合わないと、なかなか気づかない、その程度の生き物なのでしょうか?

といっても泣きの涙で暮らしている多数の人々の陰でほくそ笑む少数の人がのさばっているのがこの世の常ですが、こういう不公正な社会の構図をぼつぼつ返上するためにこそ民主的選挙というものがあるはずです。
2007/06/10(日) 13:01:30 | URL | WA. #-[ 編集]
賢者と愚者
本文の記事はもちろんのことですが、WA.さんのコメントを興味深く読みました。「自分が痛い目に遭うことにどうして気づかないのだろう」という趣旨のように読みました。自分自身の反省も含めて全く同感です。

たしかプロイセン時代のドイツの鉄血宰相(19世紀)として知られるビスマルクの言だったと思います(間違っていたらどなたか訂正して下さい)が、こう言っています。
「賢者は他人の失敗に学び、愚者は自らの失敗で初めて気づく」と。
他人の失敗に常に学ぶことができれば、自分は失敗しなくて済む、だから賢者だ。ただこういう賢者はごく少数者に限られる。多くの人は自分が痛い目にあってやっと気づく。これでは「後の祭り」であることが多く、たしかに「後悔先に立たず」であろう。この程度の人間は愚者だ、と言いたいのでしょう。

こういう人間の区分の仕方そのものが鉄血宰相らしいということでしょうか。「ドイツ問題を解決するのはただ鉄と血だけである」(つまり軍備の大拡張による戦争と議会を無視する弾圧政策を実施)と述べたことから鉄血宰相と呼ばれるようになったのですから、人間の把握の仕方も「賢者と愚者」という単純な二分法です。
この二分法の善悪は別にして、あえて借用すれば、「自分が痛い目に遭っているのに、そのことに気づかない」人が案外多いのではないでしょうか。「愚者」にも「失敗して気づく者」と「失敗しても気づかない者」の二つのタイプがあるということです。

目下放映中のNHKテレビの朝のドラマ「どんど晴れ」の一つのキーワードが「気づきと自己責任」と読み取っています。だからおもしろく観ています。
さて他人のことはともかく、肝心の自分自身はどの部類に入るのか。今晩、夢の中で考えてみましょう。
2007/06/12(火) 11:32:03 | URL | 高岡 雄 #-[ 編集]
社会を変えるのは私たち自身
足立区長選は残念な結果でしたね。しかし,このような「足立モデル」という果実が残ったことはよかったですね。こんな考えが世に広まるとよいのですが…。
政治的無関心や無感動,アキラメは,結果的に「民衆の希望しない施策」を支持してしまうことになる,とつくづく思います。平和で環境のよい地域や国を,私たちは求めているに決まっているはずなのに…。そうした当たり前の声を,国政に関しても地域政府の施策についてもどんどん上げていこうと思ったことでした。
2007/06/15(金) 16:34:58 | URL | 元C型肝炎患者 #-[ 編集]
「足立モデル」について
WA.さん、高岡雄さん、元C型肝炎患者様、コメント頂き、感謝します。特に元C型肝炎患者様は初めてのように思います。3人の方にまとめて御礼申し上げることをお許し下さい。

仏教の考え方では賢者、愚者という二分法、色分けを超えたところに「大愚」という人物が存在します。
欲得を超えて人間離れした悟りに近い存在ですが、普通の修行ではなかなか到達できない境地なのでしょう。
目指すべき境地だとは思いますが、自由、人権、民主、いのち、平和、自然環境などには関心ないよ、となっては困ります。

元患者様の<政治的無関心や無感動、アキラメは、結果的に「民衆の希望しない施策」を支持してしまうことになる>という主張には同意したいと思います。その通りです。だから「当たり前の声をどんどん上げていこう」という提案にも賛成です。「足立モデル」も当たり前のことを地域行政で実践しようという提案です。
これをご縁に今後ともよろしくご指導下さい。
2007/06/16(土) 11:22:28 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
「足立モデル」について
安原さんのホームページを読ませていただきました。
大変意義のある論説と思います。
「足立モデル」という発想には大変共感いたします

われわれは、20年前からDenmarkの医療福祉のモデルを柳原千住モデルまたは健和会モデルとして展開してきました。今日では医療界・福祉の業界では 高い評価を得ています。
また吉田万三・足立区政誕生のおりには足立方式として全国に先駆け、在宅の24時間モデルを実践してきました。そうした運動も足立モデル創出のひとつとして構想して参りました。
今後ともよろしくご指導ください。

増子忠道

(増子忠道さん=東都保健医療福祉協議会議長=から寄せられたこのコメントに出てくるデンマークの医療福祉モデルなどの詳しい説明は、このブログの本文「憲法理念を地方行政に生かす―〈足立モデル〉構想の活用を」の末尾に《医療福祉に関する補足資料》として掲載されています)
2007/06/21(木) 10:17:31 | URL | 増子忠道 #-[ 編集]
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