「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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笑顔にまさる化粧なし
〈折々のつぶやき〉28

安原和雄
 「笑顔にまさる化粧なし」という趣旨の一文を隣組の評判高い寿司屋さんでお土産としていただいた。今回のお土産話は第7話。〈折々のつぶやき〉28回目。(07年3月11日掲載)

 以下のように日常の平凡な言動の中に感動があり、幸せが潜んでいることを、この一文は示してくれる。平凡なこととはいえ、これを実行するのはなかなかむずかしい。できることなら本日ただ今からその気になってみたいですね。

笑顔・感動の輪を広げよう

 わたしが笑えば、あなたも笑う
 わたしが怒れば、あなたも怒る
 わたし自身が変わらなければ
 あなたを変えることは出来ない

 気にくわないだろうが
 そのふくれ顔がまわりを暗くする

「笑顔に まさる 化粧なし」
心のゆたかさは感動する心から生まれる

考えない、感じない
考えることは上手だが
感じることは下手
そんな人が多い世の中です
物事に感じないようでは
心のゆたかな人にはなれません

手を合わせる、それは花のつぼみのよう
あなたの人生は、合掌で花ひらく

人生は感激の絵巻である


〈安原のコメント〉笑顔こそお布施の実践

 「わたし自身が変わらなければ、あなたを変えることは出来ない」。たしかにそうです。ところが現実には「あなたが変わらなければ、わたしも変わらない」と人任せにする考え方、あるいは自分の非を人のせいにする怠惰な思いが横行しています。これではいつまでも「笑顔にまさる化粧なし」という境地には手が届きません。

 ここでちょっと考えてみたいのは仏教のお布施(ふせ)のことです。お布施には大別して法施(法=真理の施し)、財施(モノ、カネの施し)、無畏施(むいせ=人に安心を与えたり、不安や恐怖を取り除く施し)の3つがあります。
 しかし現実には寺への財施のことしか念頭にない場合が多いでしょう。これはとんでもない誤解です。まずお坊さんたちがもっと法施を説かなければなりません。残念ながら手抜きをしているお坊さんが少なくありません。

 多くの人の感覚にないのが無畏施です。この無畏施を広く理解すれば、電車の中で座席を譲るのも無畏施のひとつです。「お陰様で」、「有り難う」、「済みません」という日常用語もそうです。なによりも笑顔こそ無畏施の実践です。
 財施は貨幣価値(=市場価値)重視のお布施であり、拝金主義につながります。しかし無畏施はお金では買えない非貨幣価値(=非市場価値)です。笑顔を振りまいて「お金を寄こせ」という人はいないでしょう。だからこそ笑顔には無上の価値があり、「笑顔にまさる化粧なし」といえるのでしょう。


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コメント
この記事へのコメント
ピカピカした素敵な笑顔に出会うと、心が暖かくなりますね。

自分から笑顔になる、自分から人に優しく明るい言葉をかける、いつもそういう人でいたいな、と思います。
2007/03/14(水) 20:07:49 | URL | Rose #-[ 編集]
素敵な笑顔
Rose さん、コメント有り難う。

自分自身が笑顔の発信元でいたい、という生き方のすすめですね。

あなた様の素敵な笑顔が想像できるようです。ご縁がありましたら、今後いつでもアクセスしてください。
2007/03/16(金) 16:18:35 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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