「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
激増する歩道の自転車暴走事故
脱「クルマ依存社会」を提案

安原和雄
自転車による歩行者の事故が最近増えている。私はマイカーは持っていないし、自分で運転する気もない。どちらかというと、歩行派で、「歩け、歩け」の方である。だから自転車には、人一倍理解があるつもりだが、歩道での乱暴な自転車には黙っていられない。 どうするか。「歩道は歩行者の聖域」という観念を育てたい。そのためには道路づくりの改革を含めて脱「クルマ依存社会」に着手しなければならない。(07年1月24日掲載、同月25日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 最近、自転車通行についての批判、注文が相次いでいる。
 まず「自転車、法改正よりマナー徹底を」という新聞投書(07年1月23日付毎日新聞)が目についた。

 「自転車に乗る人たちのマナーの悪さが目立つ。(中略)狭い路地をわがもの顔で走る大人や2人乗り、携帯電話で話しながら自転車に乗る若者が多く、小さい子どもやお年寄りは安心して歩けない。道交法改正試案では〈児童・幼児が運転する場合など、場合により歩道通行を認める〉とあるが、一般の人たちの自転車運転時の交通ルールやマナーの習得を徹底すべきだと思う。(中略)社会の誰もが安全に自転車に乗り、安心して歩ける街でありたい」(会社員、44歳、東京・世田谷区)

▽歩道は歩行者の聖域である。だが、その現実は?

 さらに毎日新聞(07年1月21日付東京版)「発言席」に掲載された疋田智氏(自転車活用推進研究会理事)の「なぜ今〈自転車は歩道通行〉」という主張(要旨)を以下に紹介したい。

*自転車対歩行者の事故がこの10年間に4.6倍に激増した。それも歩道上の事故が増えており、自転車は「歩道上の凶器」となった。
*そもそも自転車は車道通行が当たり前だった。ところが30年前の1978年、道路交通法改正で条件付きの「歩道走行可能」に変えた。さらに06年11月警察庁の「自転車対策検討懇談会」がまとめた提言は実質上「自転車の車道締め出し」をめざしている。

*本来、自転車は環境に優しく、健康的で、渋滞を起こさない。自転車は自動車に代替してはじめて環境に貢献する。だから欧米各国はこぞって都市内交通を自転車に転換し、過度のクルマ依存社会から抜け出そうとしている。
*注目すべきは、それらの国々では例外なく自転車は必ず車道、もしくは車道側に作られた自転車レーンを走っていることだ。自転車の歩道通行が認められているのは、先進国では日本だけである。わが国でも車道に自転車レーンを整備するなど自転車にとって安全な走行空間にする必要がある。

*弱者優先の大原則がある以上、歩道は歩行者の聖域である。これからの高齢化社会ではどうしても歩道の安全が確保されなければならない。

 以上は、筋の通った主張であり、賛成したい。
 わが国の交通のあり方がかつての鉄道中心からクルマ(マイカー)中心に転換してからもう40年にもなる。「過度のクルマ依存社会」が定着してしまった。その裏でトヨタなど自動車メーカーの利益は膨らむ一方である。その挙げ句の果てが歩道の歩行者の安全度の顕著な低下である。

▽警鐘鳴らした著作『自動車の社会的費用』

 クルマ依存社会は弊害が多すぎる。宇沢弘文著『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)は「クルマ社会の弊害と社会的費用」について次のように論じた。

 「社会的費用、つまりがクルマが社会、公共機関などに転嫁しているコストは1台当たり年間約200万円で、具体的には巨額の道路整備費、交通事故、健康被害、犯罪、公害、環境破壊などの弊害として現れる。自動車の便益を受けるクルマ所有者がこの社会的費用のほとんどを負担しなくて済むメカニズムによってクルマの異常な普及を可能にした。その結果、市民の健康、安全などの基本的権利が著しく侵害されている。だから所有者は社会的費用を負担すべきだ」と。

 同書がクルマ社会に警鐘を鳴らしてからすでに30年以上も経った。しかし有効な打開策はとられず、現実はむしろ悪化している。都市では車道にはクルマがあふれ、車道から自転車が閉め出され、その自転車が歩道で暴走し、主人公であるはずの人間様が恐縮しながら歩いている。
 クルマによる事故死は若干減ってはいるが、負傷者を含めれば、わが国全体としてむしろ増えて、年間100万人を超えている。

▽脱「クルマ依存社会」をめざして―高率環境税導入を

 今こそ脱「クルマ依存社会」を本気でめざすときである。そのためには思い切った手を打つ以外にない。

(1)まず高率環境税をクルマ所有者に課すこと
 現行の道路特定財源の主役、揮発油(ガソリン)税(06年度予算額29,600億円)を一般財源化し、これを環境税に振り替えて、もっと税率を高くする。それによって車利用の抑制効果を期待する。

 交通手段の中でもクルマはエネルギー多消費型であることを理解したい。環境省のデータによると、旅客輸送の場合、1人を1キロ輸送するのに鉄道1、バス1.8に対し自家用車は6.0のエネルギーを浪費する。このようなエネルギー効率の悪い自家用車を乗り回す時代ではもはやない。

 自動車の排ガス(二酸化炭素・CO2)は、地球温暖化に伴う異常気象(大型台風による死者など被害の頻発)、感染症の拡大、さらに将来懸念される食料・水不足などの元凶でもある。無造作に自動車を乗り回すことは、実は自分のいのちと暮らしを無意識のうちに損ねていることに気づくときである。

(2)大都市中心部へのマイカー乗り入れを禁止すること
 東京、横浜、大阪など大都市では鉄道やバス網が発達しており、特に中心部ではマイカーに頼る必要はない。その代わり地下鉄やバスの運賃を割安にし、マイカーから公共交通機関への乗り換えを促進する。この方式はヨーロッパではすでに実施されている。

 私の住まいは東京郊外で、マイカーは持っていないが、それを不便と感じたことはない。
むしろ持つこと自体がわずらわしいと思っている。旅をするとき、私はまず鉄道で、その先はバスか徒歩で移動し、できるだけ他人様のマイカーのお世話にならないように心掛けている。

▽将来の石油枯渇に備えて、自転車、徒歩中心の道路づくりを

(3)歩道を整備し、車道に自転車専用路をつくること
 最近の石油高騰が示唆しているように、石油などエネルギー資源が枯渇し、車に自由に乗れなくなるときが来るのはそれほど遠い将来のことではない。そのときに備えて、今の自動車中心の道路づくりから自転車、歩行重視の道路づくりへの転換を急ぐ必要がある。

 地方都市では歩道もろくに整備されていないところが少なくない。安全な歩道の確保が急務である。一方、大都市では車道に自転車専用路を付設することに着手したい。それに自動車専用の高速道路に自転車専用路を併設することも検討できないか。そうすれば中長距離移動に自転車を楽しむことができる。この狭い国土で高速道路を自動車専用に閉じこめておくのは、国土の有効活用上、もったいない話である。

(4)地方都市でコミュニティ・バスを多用すること
 私は郷里(広島県)へ帰省すると、自転車で移動することが多いが、違和感を覚える。というのは地方都市ではクルマなしには生活できないクルマ依存型が定着しているからである。マイカーの洪水によって地方鉄道や民営バスが大幅に縮小された。だからますますマイカーに依存するという悪循環に陥っており、多くの人はそれに慣らされている。

 このクルマ依存型から抜け出すのは容易ではない。地方の実情に合わせて小回りの利くコミュニティ・バス(市営、町営)をもっと多用することから変化のきっかけをつかめないだろうか。さらに脱クルマへの模索と平行して、現在1時間に1~2便しかない地方鉄道便をもっと増やしていく努力も必要だろう。


(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
大事なのは想像力
「自転車暴走事故」のこの記事で注目したいのは、次の指摘です。

「最近の石油高騰が示唆しているように、石油などエネルギー資源が枯渇し、車に自由に乗れなくなるときが来るのはそれほど遠い将来のことではない。そのときに備えて、今の自動車中心の道路づくりから自転車、歩行重視の道路づくりへの転換を急ぐ必要がある」と。

この指摘の通りでしょう。ただこの将来像をそれなりに理解するには、想像力が不可欠です。将来への想像力なしには、目先の利便性にとらわれて、その先のことは一歩先も二歩先も観ることは出来ないでしょう。

しかし考えてみると、車は便利なようで、実はそうとも言えない事態になってきています。
何よりも交通事故です。事故死は減りつつあるとはいえ、なお年間7000人程度は発生しています。
年末の新聞で今年の犠牲者は次の通り、と全氏名の一覧表でも掲載してはどうですか。迫力ある紙面作りになると思いますけど。
他人事のように聞き捨てにしないで、お互い「明日はわが身」という感覚をもう少し取り戻したいですね。

携帯電話でおしゃべりしながら、しかも「銜(くわ)えタバコ」、当然片手運転になりますが、そういう輩(やから)が少なくありません。万一の時はどう対応するんですかねー。そんなことは夢にも考えない、要するに想像力がゼロ、いやマイナスなんでしょう。

しかし世の中は捨てたものではないようで、想像力を取り戻しつつある
動きもあります。
米国の話ですが、米国大企業10社(世界多国籍企業のゼネラル・エレクトリック=GE、石油大手のBPアメリカなど)と環境団体が地球温暖化をもたらす二酸化炭素(CO2)などの削減対策が必要との提言を最近発表しました。
これまで削減の必要はないという姿勢から転換したわけで、その方が長期的には利益になるとソロバンをはじいたのでしょう。
この話は当然、CO2を吐きだし、
地球温暖化を助長している車社会の改革にもつながるのではありませんか。
2007/01/29(月) 12:17:24 | URL | WA. #-[ 編集]
記事を読んで感じたこと
仰っている事には賛成ですが、自動車産業により生計を立てている人が多い中で、政府はどのような政策を立ててれば良いのでしょうか。大変難しい問題だと思います。素人考えではありますが、私が思いつくことは、自動車産業に従事している人を農業事業に組み入れる仕組みを作ることも一つのアイデアだと思います。自動車産業の振り替わりになるとは、とても思えませんが・・・。これにより食物の自給率が改善されるのではないでしょうか。さらに言うならば、今のような過剰生産、過剰消費を止め、生産数制限規制などをして、メンテナンス事業を拡大させるようなこともありなのでは、と思ったりもします。過剰生産されたものは、使い捨てされやすく、修理してまでも大切に使用しようという感情を消費者に与えにくいと思いますので。大切に長く使用させようと思うのであれば、根本的に製品の設計思想を変えなければならないと思います。本当は必要もないのに購入意欲を湧かせる過剰な宣伝も問題なのですが、生産物が欲しいと思っている全ての消費者に行き渡る必要性はどこにもないはずです(但し、医療、福祉に関するものは別です)。行き渡らないことで、生産物の価値も上がるのではないでしょうか。「壊れたら、まず修理をする」という感覚が根付くことが大切だと思います。自転車の利用率を上げるためには、まず、居住空間が自転車で通勤できるぐらいの距離に存在しない限りは無理なので、オフィス街に十分な人が居住できるように都市空間を整備することが先決だと思います。この様にすれば、通勤という無駄な時間、労力を消費しなくてすむはずです。さらに、余暇時間も増えるわけですし。エネルギー、資源、労働力の節約にもなると思います。以上、私の思いつきを一方的に書き連ねましたが、今、根本的に問題なのは、利己的な人があまりにも多くなりすぎていることだと思います。このことを考えるとき、基礎教育がいかに大切であるかと言うことが分かります。「教育」という文字を漢和辞典で詳しく調べれば、学ぶべきところ多くあると思いますが、私が教育の中で一番大切だと思うところは、「自分としっかりと向き合う目を自らの中に育て上げる」こと、所謂、「内観」をし「今の自分との摺り合わせ」をすることです。これが身に付いていなければ「大人」にはなれないし、というか、「大人」ではないし、このままでは、勝ち組、負け組という考えが横行闊歩し、ますます生きづらい世の中になっていくのではないでしょうか。
個々人が生活を営んでいくうえで、大義名分として「人類の善き行く末を願う心」が備われば良いのですが。
2007/01/31(水) 11:42:43 | URL | にこん #-[ 編集]
脱「車社会」への道筋
にこんさん、大変興味深いコメントに感謝します。クルマ依存社会をどう打開するかに心を砕いている方々がいらっしゃることを知って心強く思っております。

にこんさんの主張点を私なりにまとめてみると、以下のようでしょうか。
1)自動車産業に従事している人を農業に組み入れる仕組みを作ること。これによって食料自給率の改善にも寄与する。
2)自転車の利用率を上げるには、居住空間と職場空間が近距離にあって、自転車で通勤できるように都市空間を整備すること。これによって無駄な通勤時間を省き、一方、余暇時間も増える。
3)根本的な問題は、利己的人間が多すぎること。この対策として「人類の善き行く末を願う心」を身につけた「大人」になるための教育が大切である。

1)について。私はかねてから自動車産業はかつての石炭産業の二の舞になる可能性があるかもしれないと考えています。石炭の隆盛時代に、やがて衰微する運命を誰が予測したでしょうか。石油のために石炭が滅んで、そしてやがて石油も永遠ではないと決まっています。
産業の構造転換は、その当事者がどこまで自覚するかにかかっています。「農業に組み入れる仕組みを作る」のは、示唆に富むアイデアですが、日本農業の再生には多角的な方策が必要な気がします。

2)について。居住空間と職場空間の近距離内での融合というテーマは、1980年代にいろんな構想が検討されたと記憶しています。それがバブルの崩壊、さらに今流行の企業の効率・利益第一主義の自由市場原理主義(新保守主義)の横行によって、生活空間の質的充実という発想が消え失せました。
このテーマを余暇(自由)時間の増大も含めてどう取り戻すか、ご指摘のように重要な課題です。

3)について。これまた大問題ですね。「人類の善き行く末を願う心」とは、いいかえれば利他的人間像と受け止めます。小泉政権につづく安倍政権が進めている自由市場原理主義は、それこそ利己的人間の大量生産の勧めにほかなりません。
利他的人間像の育成を目指すからには、この自由市場原理主義を向こうに回して四つに取り組まねばならないように感じています。
2007/02/02(金) 11:06:16 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
「自転車運転免許証」が無ければ乗車禁止に
最近の自転車は機能がアップして、スピードは速く、音も無く後ろから近づき脇を通り過ぎて行きビックリさせられます。
身の危険を感じるだけでなく、もし通りすがる寸前に私が進行を突然変更し自転車に接触して、車道側に自転車をはじき出してしまったら、タイミングが悪ければその自転車は自動車に跳ね飛ばされているかもしれません。
自転車の交通法規無視が多く見られます。いや交通法規を知らないのかもしれません。
歩行者も自転車も事故を少なくするためには、「交通マナーの教育」というよりも、「交通法規の教育」が必要と思われます。
2007/02/09(金) 00:23:20 | URL | おはわ てつたろう #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
道路交通法道路交通法(どうろこうつうほう。1960年|昭和35年〔1960年〕6月25日法律第105号)は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする(同法1条)日本の法律である。.wikilis{font-size:1
2007/02/13(火) 08:10:03 | 法律便覧(日本編)
比較的軽微で定型的な交通違反につき、違反行為を行ったと判断された者が、一定期日までに法律に定める反則金を納めて事案を終わらせるか、反則金を納付せずに刑事裁判を受けるかを選択できる制度。通常の刑事事件のように 検挙(取締を受ける)→検察庁(起訴)→裁判所
2007/03/06(火) 22:26:43 | 自動車とか
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。