「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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デンマーク訪問記の紹介
「人間らしい生活」とは

安原和雄
 音楽教育者、早乙女直枝さんの「デンマークを訪ねて」と題する小冊子を最近読む機会があった。これは06年8月下旬から9月初めにかけて、作家、早乙女勝元さんを団長とする訪問団の一員として訪ね、その印象や分析をつづった作品で、「人間らしい生活とは」が中心テーマとなっている。
 実は私(安原)も参加する予定だったが、事情があって断念したいきさつ(この「仏教経済塾」に06年9月15日掲載の〈「反戦の思い」に導かれて〉参照)がある。そこで小冊子の内容をほんの一部にすぎないが、以下に安原のコメントつきで紹介したい。(07年1月15日掲載)

 デンマークはドイツと国境を接して北側に位置する小国(人口は約540万人、面積は北海道の半分くらい)である。小国とはいえ、シェークスピアの四大悲劇の一つ、ハムレット(デンマーク王子)の舞台、クロンボー城のほか、19世紀の童話作家・詩人として著名なアンデルセン―など世界的話題に事欠かない。
 それよりもここでは国民の幸福度が世界一高いという評判の実態に関心がある。早乙女さんの作品から印象記(要旨)を拾い出してみたい。

▽自転車王国のすごいところ

 自転車レーンを自転車が一列になってビュンビュン走る。競輪選手のように走るわけだからすごい。(中略)自転車はガスも出さないから、きれいでいい。そのうえ最近は工夫して、広告つき、スポンサーつき自転車もはじまり、誰でも無料で借りられるようになったらしい。自動車、自転車、歩道と、しっかり分かれている道路がすごくいい。

〈コメント〉
 日本との違いは何か。日本はあくまでも自動車中心の道路づくりになっていることである。大都市では最近歩道の整備が進みつつあるが、レーンが3つに分かれている道路づくりがお目見えするのはいつのことか。地方都市では歩道らしい歩道もなく、人間様が小さくなって歩いている姿も珍しくない。自動車メーカーが何兆円もの年間利益を稼いでも、それを疑問視しない風潮が変わらないかぎり、日本の道路づくりも変わらないのではないか。

▽「老人の家」、「障害者の家」などを訪ねて

 デンマークでは最近、老人の建物を施設とは呼ばないそうで、各自の部屋は1人で生活できるように1人ずつの「家」になっている。その家のドアーを出ると廊下があり、廊下の角にキッチンつきの居間(たまり場)があり、みんなと会いたいときそこへ集まってくる。この老人の家には美容院も歯医者さんも揃っている。

 知的障害者の建物も老人の家と同じように1人ずつの家になっている。ここには日本のように収容してやるというという考えはない。だから暖かい楽しいお家という感じである。
 だからこそこの国の人たちは約50%の所得税を払っている。高い税金も、教育、保育、老人、医療を死ぬまで保障するためなのだ。税金を払っても、何に使うか分からない日本の国とは違うのだ。だから子供たちも安心して、18歳になると親から離れて、独立していけるのだ。

〈コメント〉
 デンマークや北欧3国では国民の税負担率が高いことは日本でも知られているが、問題はその税金が誰のためにどのように使われているか、いいかえれば国民を幸せにするためなのか、それとも踏みつけにするためなのかである。税金の負担のあり方と使われ方について最近の新聞投書(07年1月14日付毎日新聞)を紹介しよう。

 「まずは企業が潤うことで、将来は家計にも恩恵が行き渡る」という不確かな理由をつけて、企業側は減税、庶民は増税。「税制を変える!! お前たちは『おこぼれ』を待っていろ」とは、国民も甘く見られたものだ。(中略)
 タウンミーティング、外務省のワイン購入、天下り官僚の退職金、ちょっと思い出しただけでも税金を湯水のように使っている。老人や障害者福祉を切り捨てても使われなければならない税金とは思えない。(中略)何としてでも増税を押し通そうとしている。
 誰のための「美しい日本」で、誰のために増税が必要なのか理解できない。貧富の差が広がり、多くの国民が生きるのにカスカスの時代に国家の発展などありえない。これでもか、これでもかと、国民を踏みつけにする政策はもうやめてほしい。
(主婦、59歳、静岡市)

 こういう新聞投書をデンマークの人が見たら、どういう感想をもらすだろうか。「日本は経済大国だと聞いていたから、豊かな国、つまり国民が幸せな国だと思っていたが、私たちの勘違いだったのかしら」ではないだろうか。

▽ビンを道路に捨てる人がいない

 デンマークではお店に入っても、袋は自分ので、店のは使わない。売ってるものは無添加、無農薬、有機栽培野菜、洗剤類も地球にやさしいもの。害になるものは売っていない、市民がそういうものは買わない。
 市内のゴミ処理場がとてもきれいだった。家庭のゴミもすべて、明け方5時~8時半ころまでに車で各地区の集積している中庭へ来て、持っていく。中庭なので道路に出さないし、カラスも来ない。街はきれいなのだ。
 それに自販機もない。もともと缶のものはあまりなくて、ビンが中心で、そのビンも1本10円くらいで引き取ってくれるから道路に捨てる人はいない。

 ゴミ処理場では生ゴミなどを燃やしてお湯を沸かして市内に配る。おまけに少し前に原子力発電は国民投票でなくしている。その代わり風車で電力をつくる努力をしている。この地球を大切にしていくにはどうしたらいいか、国中で取り組んでいるところがいい。私たちも少し不便だけれど、これからは見習っていかないといけない。

〈コメント〉
 こういう訪問記の一節に触れると、私自身は訪問の機会を逸したが、実際に訪問してきたような気分にもなってくる。早乙女さんは次のようにも感想をつづっている。

 「幸せの国」に関する調査では世界178か国の中で、デンマークが1位、日本は90位だった。日本では毎年自殺者が3万人を超えている。日本国憲法25条の「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」はいつになったら守られるのだろうか、と。

 多くの国民はそういう疑問を抱いているはずである。しかし軍事力を振り回す米政権と利益追求重視主義の大企業とチームを組む政府が続き、国民がそれを許すかぎり、憲法25条の精神、いいかえればこの訪問記のテーマ、「人間らしい生活」の実現は夢のまた夢にはならないだろうか。

▽なぜ? デンマークに民主主義が根づいているのか

 日本では「民主主義ってなあに?」と質問すると、「多数決のことかな?」と返ってくるけど、この国の人は、「自分で決めて、責任をとること」と答える。民主主義の根は深く、太い。例えば人事異動の時なども、上司の辞令で異動させられることは絶対にない。

 なぜこういう国になったのか。19世紀の後半にデンマークはドイツ軍などとの戦争に敗れている。国土の3分の1を失い、人口もがくんと減った。その際、「剣によって失ったものを鋤で取り戻そう」という国民運動によって荒地を開拓、農地へと切りかえた。
 それが今日の畜農産物の輸出大国の基礎になったといえる。日本の食糧自給率は、カロリーベースで40%だが、デンマークは300%だ。1世紀余も前に「転んでもタダでは起きぬ」と、内政へ国民生活へと目を向けたことが生活を豊かにして民主主義の土壌になったのではないか。

 同時代の日本は、明治の「富国強兵」策から、(中略)文字通りの「外征」が太平洋まで拡大し、国民は戦争資源の「民草」で雑草並みでしかなかった。他民族を人間扱いしなかった国が自国民の人権を尊重できるはずがない。それが戦後まで尾を引いて、現在もなお政治やすべてに「民」が欠落しているではないか。「幸せの国」1位と90位の開きは、民主主義の成熟度と無関係ではなさそうだ。

〈コメント〉
 上記の分析と見解には100%賛同したい。この問題は日本には民主主義は結局のところ育たないのか、というテーマでもある。この訪問記に次のような指摘もある。

 「この国では、自分で決めたこと考えたことは、赤ちゃんの時から大切にしている」、また「今、日本では日の丸、君が代いやです、といっても、無理やり口をこじ開けて歌わせられる。これって何だろうか?と思ってしまう。もともとヨーロッパにはおおぜいで一斉に何かをするという風習はなさそうだ」と。

 このことは、誤解を恐れずにいえば、赤ちゃんの時から「自分で決めて、責任をとる」ように育てるという含意であろう。常に「世間様のこと」が気になって、自分自身はどこかに浮遊している―そういう自分を自覚できない日本人の多くには、デンマーク型のこういう芸当は理解しにくい。

 だからこそ企業の経営トップたちが不始末をしでかしてテレビに、すなわち世間様に向かって一斉に頭を下げるという珍風景が多発する。それを見ながらただ舌打ちしているだけでは民主主義も「多数決のルール」としか理解できず、深く太くは育たないだろうし、「人間らしい生活」にもなかなか手が届きにくいのではないか。


(訪問記の紹介も、その文責は安原にあることをお断りしておきたい)
(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
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コメント
この記事へのコメント
もうちょっと、簡潔にまとめてください
2007/01/15(月) 20:00:15 | URL | #-[ 編集]
>日本では「民主主義ってなあに?」と質問すると、「多数決のことかな?」と返ってくるけど、この国の人は、「自分で決めて、責任をとること」と答える。

このくだりに打ちのめされました。主体性の欠落。少し前に日本の若者に大流行した「自分探し」という言葉を思い出しました。まるで「ウインドーショッピング」のように軽やかに使われるこの言葉を聞くたびに、いつも妙な違和感に鳥肌が立つ思いでした。

自分で決めて、責任をとる。この当たり前の人生のルールを、私たちは大急ぎで学び直さなくてはなりません。教育基本法、防衛省・・・自分で決めてもいないし、責任のとりようもないものをこれ以上増やさないために。
2007/01/18(木) 23:01:25 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
自分で決めて、責任をとる
marujunさん、コメントに感謝。
次のような課題を学生に与えたら、どういうレポート(作文)が提出されるか、興味深いと思います。

課題=以下の用語を必要なかぎり織り込んで自分の考えるところを自由に述べなさい。
:民主主義、多数決、自己決定権、責任、主体性、自分探し、教育基本法、防衛省

まずどの用語を選ぶかで、その学生の日常的なセンス、問題意識、時代感覚が分かります。
次に批判力、構想力、構成力です。さらに文章の表現力です。

私は15年間学生と共に過ごしてきましたが、テストはつねにレポート提出でした。人文・社会科学の場合、記憶力を試すようなテストはあまり意味がないだろうという考えからです。コメントを読みながら、そのことを思い出しました。

2007/01/20(土) 14:57:51 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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