「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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仏教による世界平和への貢献
仏教経済シンポジウム(ネパール)から

安原和雄
 テーマ「仏教は世界平和にどう貢献できるか」をめぐる第2回ネパール・日本国際仏教経済シンポジウムが06年12月4日、ネパールの首都カトマンズで、さらに同月6日、釈尊の生誕地、ルンビニで合わせて約200人(文化・観光大臣のほか、元国王侍従長、国会議員、ネパール駐在日本大使、元東京駐在ネパール大使、僧侶、研究者等を含む)の参加者を集めて開かれた。

 1回目(2000年12月ネパールで開催)に次ぐ今回のシンポジウムは日本ネパール国交50周年記念事業の一環として行われ、ネパールの首相から歓迎のメッセージが寄せられた。
 パネリストは日本側から安原和雄(仏教経済フォーラム副会長、足利工業大学名誉教授)のほか、辻井清吾(同フォーラム理事、元トリブヴァン大学=ネパール国立大=客員教授)、ネパール側からナレッシュ・マン・バジラチャラヤ(トリブヴァン大学教授)、トリ・ラトナ・ナマンドール(同大学講師)の各氏である。以下にシンポジウムでのスピーチと「ネパール宣言」の概要を報告する。(06年12月12日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 まず日本側代表団の寺下英明会長(仏教経済フォーラム会長)が開催挨拶で「釈尊の中道、知足、共生の3つの教えを利益優先の競争原理に基づく資本主義の中に組み込み、資本主義の暴走を制御する必要がある」―などを強調した。

 さて安原の「仏教は世界平和にどう貢献できるか」と題するスピーチ(全文)は以下の通り。

▽WCRP世界大会(8月)の「京都宣言」―既存の国家安全保障観は暴力を促進する

 2006年8月末、日本の京都で開かれた第8回世界宗教者平和会議(WCRP)世界大会の紹介から始めたい。テーマは「あらゆる暴力を乗り超え、共にいのちを守るために」で、この大会に世界の100か国以上から800名を超える宗教指導者が集まった。
 4日間の討議の末、採択された「京都宣言」は以下の諸点を強調している。

・私たちは人間社会やあらゆる被創造物に顕現された生命の価値を守ることを誓う。
・原爆の脅威にさらされた日本国の大会において、包括的な非核化と武器の不拡散に向けて一層の取り組みを誓う。
・今日私たちは、さまざまな形態の暴力に支配された世界に生きている。暴力の衝突は国内外を問わず、多くの人々を巻き込み、人命を奪い去り、共同体を破壊する。兵士がうける被害以上に民間人が被る被害は甚大であり、不均衡な損害は社会的弱者にのしかかっている。宗教共同体はあらゆる形態の暴力を阻止し解決するための中心的な役割を果たさねばならない。
・私たちは、戦争を止めさせ、より公正な社会を築くために戦い、正義と平和のための教育を大切にし、貧困を撲滅し、未来の世代のために持続可能な発展ができるように宗教共同体が共に働くことを決意する。

 さらに京都宣言は今日の世界における暴力が多様化し、その脅威が日常化していることについて次のような具体例を挙げている。

・大量殺戮、国家権力による抑圧、テロリズムさらにあらゆる形態の人権侵害は、国際法を侵害し、市民を標的にし、多くの共同体の安全を脅かしている。
・紛争と関連した病気、飢饉、強制退去、さらに環境の大惨事は、深刻な生命への脅威となる。
・経済的な不正義が原因となって極度の貧困や飢餓を生み出し、一日5万人もの生命を奪っている。
・多くの企業、特に多国籍企業は、持続可能な発展を促進させる価値観への関心なしに独自の企業利益を追求している。
・環境破壊や資源の枯渇は、生命を持続させる地球の力を脅かしている。

 京都宣言が強調しているもう一つの点は、以上のような多様かつ日常的な暴力に対し、既存の安全保障では適切な対応ができないということで、以下のように述べている。
・国家の安全保障は平和を約束するものではなく、実際には暴力を促進し、不安定な世界をつくり出す。

▽ 仏教経済学の今日的応用―貪欲から知足への転換を

 ではどうすれば、この地球上の多様な暴力を克服し、いのちを守ること、すなわち平和をつくることができるだろうか。私は釈尊の教えに基づく仏教経済学の視点から以下の提案を試みたい。
(1)仏教経済学の基本思想の今日的応用について
・貪欲から知足への転換を図る。貪欲は暴力につながり、知足は非暴力を求める。
・不殺生戒(ふせっしょうかい)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)の教えを生かして、平和をつくっていく。
・浪費のない簡素な経済、すなわち平和経済を構築する。

 釈尊だけでなく、中国の哲学者、老子も貪欲を否定し、知足、すなわち「足るを知る者は富めり」と説いた。
 注目したいのは、米国ワールドウオッチ研究所編『地球白書・2004年』が、「消費者が生活の質を高めるためには、老子の知足の教えに学ばなければならない」と指摘していることである。いまや知足の思想は米国でも関心がもたれつつある。
 さらに老子は「戦争の惨禍の原因は支配者が貪欲であるためだ」とも説いた。この教えに一番学んで欲しい支配者は、ブッシュ米大統領であろう。貪欲そのものの姿勢がイラクへの攻撃と占領のような軍事力行使に駆り立てているからである。

 いのちを奪ってはならないという不殺生戒、モノを奪ってはならないという 不偸盗戒が今日もつ意味はなにか。
 不殺生戒は人間に限らず、動植物も含めたいのち、自然環境の大切さを、さらに人間と自然との共生の重要性をも強調している。だから不殺生戒は軍事力行使を含む多様な暴力を拒否する。
 不偸盗戒は単にモノを奪うことを戒めるだけではない。貪欲な経済成長を追求し、資源エネルギーの収奪と浪費を招くことは不偸盗戒に反する。また軍備は巨大な浪費そのものであり、軍事力の保有自体が不偸盗戒に反する。企業における失業は、人間の尊厳を侵し、労働の権利と機会を奪うのだから、これも不偸盗戒に反する。

 簡素な経済とは、貪欲とは異質の知足の経済であり、不殺生戒、 不偸盗戒の教えを生かす経済である。つまり石油を浪費しない経済であり、戦争を求めない経済である。
 仏教経済学を提唱したドイツの経済思想家、E.F.シューマッハーは著書『スモール イズ ビューティフル』の中で「簡素と非暴力は深く関連している。物的資源には限りがあるのだから、自分の必要をわずかな資源で満たす人たちは、これを大量に使う人たちよりも相争うことが少ないのは理の当然である。同じように、地域社会の中で高度に知足の暮らしをしている人たちは、世界各国との貿易に頼って生活している人たちよりも、戦争などに巻き込まれることがまれである」と指摘している。

▽釈尊が現存していれば、「平和憲法9条(非武装)を生かせ」と説くだろう

(2)仏教経済思想の実践とそのグローバル化について
・世界の核廃絶と軍縮をすすめ、軍事同盟を解体する。
・日本が率先して自衛隊を根本的に改組し、グローバルに活躍する非武装の「地球救援隊」を創設する。
・特に日米は「石油浪費型経済」から脱「石油浪費型経済」への転換をめざす。

日本国憲法は、第9条で日本の戦争放棄、非武装、交戦権否認をうたっている。第9条は「人類の至宝」として多くの日本人は誇りに思っている。
 仮に釈尊がこの世に生存していれば、「今こそ第9条の非武装の理念のグローバル化をすすめるために精進を重ねよ。これなしに慈悲、利他はあり得ない」と説くに違いないと信じる。

 世界には米英仏露中の5大核保有国を中心に約3万発の核弾頭がすでに存在している。これら核兵器の全面的な廃絶こそが平和への大きな保障となるだろう。
 軍事力の存在そのものが財政負担の増大、国民生活の悪化、資源エネルギーの膨大な浪費をもたらしているだけではない。軍事同盟というものは、世界平和の名の下に軍事行動に走る傾向がある。
 さらに軍事力は、今日人類が直面している巨大な脅威と暴力―例えば、地球温暖化に伴う異常気象と大規模自然災害のほか、地球規模の自然環境破壊、疾病、貧困、飢餓など―に対してはもはや無力である。今や軍事力は「百害あって一利なし」というべきである。
 そこでグローバルな非軍事的脅威に対応するためにこそ、上述の非武装「地球救援隊」が活躍することに大きな望みを託したい。

 知足(日本語の「足るを知ること」)、すなわち簡素は非暴力を保障するが、貪欲は暴力につながる。米国のイラク攻撃と占領はその典型例である。その狙いは、世界第2位の石油埋蔵量をもつイラクの石油を支配下に置くことである。日本がイラクに自衛隊を派遣したのも中東地域の石油の安定的確保が狙いの一つである。
 いずれも石油浪費型経済の貪欲な持続が念頭にある。戦争や暴力から平和への転換を図るためには石油浪費型経済から脱「石油浪費型経済」への構造変革が不可欠である。

私は、釈尊の教え、すなわち貪欲ではなく、知足、簡素こそが世界の平和と非暴力に至る最良の道であることを信じて疑わない。以上

▽平和憲法9条の理念をめぐる質疑応答

 私(安原)の以上のようなスピーチに対し、参加者の中から「日本国憲法9条の理念は現実には生かされてはいない。この現実をどう理解したらよいのか」という趣旨の質問が出された。これに対し私はまず9条の全文(以下の英文)を読み上げ、紹介した。

Renunciation of War
Article 9
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

 さらに次のように答えた。
 「たしかに9条の理念は実現していない。しかし今日の世界の多様な脅威―地球温暖化による大災害の増大など―は軍事力では対応できない。軍事力では対応できない脅威こそが脅威の主流となっている。いいかえれば、いまや軍事力は〈百害あって一利なし〉というべきである。だからこそ今日、9条の戦争放棄、非武装の理念をどう生かしていくかに努力することが不可欠である」と。

▽釈尊が説いた平和の理念、そしてスリランカ大統領の演説

 日本側のもう一人のパネリスト、辻井清吾氏は、歴史的観点から仏教と平和を論じ、その中で法句経にある釈尊の次の言葉の今日的意義に言及した。この文言はスリランカの大統領がサンフランシスコ対日講和会議(1951年)で対日賠償請求の放棄を宣言した演説に引用したことで知られる。
 「この世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」と。

〈安原のコメント〉
 この釈尊の言葉は「人類は非暴力によってのみ暴力から脱出しなければならない。憎悪は愛によってのみ克服される」(マハトマ・ガンジー)という言葉と共通している。
 上記の言葉は、鎌倉大仏脇の庭園にあるスリランカの大統領の顕彰碑に日本語と英語で刻まれている。私は米国での「9.11テロ」(2001年の同時多発テロ)とそれにつづくアフガニスタンへの米国のいわゆる報復戦争が始まった直後、顕彰碑を訪ねたことがある。しかし付近にいた沢山の日本人観光客は顕彰碑にだれ一人関心を示さなかった。お仕着せの観光ルートに乗って、大仏の周囲で記念写真を撮って駆け足で去っていった。

▽兵器、アルコール、麻薬、たばこの生産が平和を脅かす

 一方、ネパール側のパネリスト、マナンドール講師は「仏教思想に基づく経済発展と平和」と題して、次のような問題提起(要旨)を行った。

*釈尊は、人々それぞれの能力にふさわしい就業の機会を保障することは国家の重要な責務であると説いた。就業機会がなくなると、社会を損なう悪行に失業者を追い込むからである。だから就業機会の保障は人々を幸せにするだけでなく、社会に平和をもたらすのである。

*様々な人々の健康と富が、いわゆる経済活動という名の兵器、アルコール類、麻薬、たばこなどの生産によって損なわれている。そこで世界がさらに大きな被害を受けないようにするためには倫理的価値の導入が不可欠であり、そのとき初めて人々は平和と繁栄を享受する生活を送ることができる。
 平和を伴わない繁栄は無意味である。この文脈で釈尊は義務感、清廉、高潔と並んで物質的価値と精神的価値との間のバランスをとるよう努力することを説いた。

*今日先進諸国は現代的な精密兵器を生産し、世界への支配権を確立しようと図っている。これら先進国の経済は発展途上国への兵器輸出によって潤い、兵器を土台とする経済が一般的になってきたが、そういう「兵器経済」(weapon based economy)が世界を恐怖に陥れている。

*倫理的価値を伴わない経済発展は国民の大多数にとって重荷となるほかない。だからこそ倫理的価値を経済活動に導入する必要がある。それは経済学と仏教思想を融合させることによって可能となるだろう。

〈安原のコメント〉
 今日の世界が直面している多様な脅威のうち、見逃せないのは、就業の機会に恵まれない失業者の増大であり、一方、兵器生産増大による資源浪費である。特に兵器生産への傾斜は、経済を「兵器経済」化させ、それが世界を恐怖に追い込んでいる。
 ではどうしたらよいのか。打開策は何か。倫理的価値を経済活動に組み入れることが不可欠であり、その実現のためには釈尊の仏教思想と融合した経済学、すなわち新しい仏教経済理論によってのみ可能だ―という指摘は示唆に富む。

▽仏教の縁起説に立って世界平和をつくる

 ネパール側のもう一人のパネリスト、バジラチャラヤ教授は「仏教の縁起説に立って世界平和を読み解く」と題して、以下のように指摘(要旨)した。

*仏教の見解によると、あらゆる存在は―生物、非生物を問わず―他の存在との依存関係によって生成が可能であり、同様にその消滅は、他の存在の消滅によって生ずる。いいかえれば、あるものの存在が他の存在の原因となり、同様にあるものの消滅が他の消滅の原因となる。

*このような仏教の縁起説(the Law of Dependent Origination)は以下の事実を明らかにしている。
・なにものもそれ自体では完全ではありえない。
・なにものも最高絶対の力の保持者ではありえない。
・すべてのものはそれぞれ、それ自体の価値と重要性をもっている。
・共生こそがこの世の存在の究極の真理である。
・それ故に何人も他者を無視したり、軽視したりはできないし、またすべきでもない。
・人々は他者の存在に敬意を払わなければならない。
・相互の尊敬こそがこの世の持続性を確かなものにする。

*上記の諸点は「相互に尊敬し合うことこそが平和をもたらすが、これに反しお互いに軽視し合うことは対立につながる」ことを示している。このことはネパールの政治の歴史をみても明白である。
 これまで各政党はお互いに無視したり、軽視したりして、政治的解決が不可能で、平和とは縁遠い状況にあった。しかし最近になって各政党はお互いの存在を認めるようになり、その結果、2006年11月21日、国民的和平協定が調印された。

*世界レベルでみても同じで、現在ごくわずかな国が戦争や核実験等を通して優越性を誇示しようとしており、それが平和を求める諸国に不満と混乱をもたらしている。

〈安原のコメント〉
 バジラチャラヤ教授はさらにこうも指摘した。
 「釈尊によって発見された縁起説は宗教哲学、信仰というよりもむしろ科学的事実である。政治家たる者たちは、世界平和のためにこの縁起説という科学的事実に目覚めなければならない」と。100%同感である。
 ネパールでは政府側と野党の毛沢東主義派(武装勢力)との間で10年来、武装闘争が繰り返され、1万3000人が犠牲になったとされる。その双方の間で今回、和平協定が結ばれ、07年6月新しい制憲議会選挙が行われる。そのいきさつを縁起説を援用して分析したところがユニークである。

 わが国では「縁起が良い、悪い」などの表現が使われるが、これは転用であり、本来の正しい縁起説は仏教の根本教理の一つで、別名「空(くう)観」ともいわれる。それは①諸行無常=万物流転(すべてはつねに変化し、移り変わること)、②諸法無我=相対依存(独自に存在しているものはなく、すべては他との相互依存関係にあること)―の2本柱からなっている。
この縁起説が科学である以上、社会科学としての仏教経済学も当然、縁起説を土台に据えなければならない。

▽ネパール宣言―世界平和のために縁起説に立つ共生感を

 「仏教の世界平和への貢献」に関するシンポジウムの結果、採択された「ネパール宣言」(骨子)は以下の通り。

*戦争は大義もなければ、平和への打開策にもなり得ない。相互の尊重は平和をもたらすが、相互の軽視は対立を招く。釈尊は真理を述べている―「憎しみは憎しみによってはやまない。やさしい愛によってのみ憎しみは消える」と。

*生物と非生物とを問わず、あらゆる存在の共生は、仏教の中心概念となっている。縁起説を土台とする共生感(feelings of co-existence)は世界平和の確立のために発展させなければならない。

*人類は経済活動なしには生存できないとはいえ、様々な不公正な経済活動が行われ、それが多くの問題を招いている。釈尊の教え、すなわち仏教経済学に導かれる経済活動こそが、広範囲に及ぶ不公正な経済活動に歯止めをかけるだろう。

*殺戮(さつりく)用兵器、アルコール類、麻薬などの商取引は、全人類の健康、富そして道徳性を大きく損なうものであり、悪しき商取引といわなければならない。世界平和を促進するためには、このような不正な経済活動を国際レベルで防止しなければならない。

*基本的な仏教の教えは、世界の指導者たちにとって国や世界を平和のために運営する政策を立案するのに役立つだろう。「正当な政治的ビジョン」は世界平和の土台となるが、「悪しき政治的ビジョン」は災厄の根源であるというほかない。

〈安原のコメント〉
 ネパール宣言でも縁起説が根底に据えられており、その上に共生の重要性が強調されている。さらにいかなる名目の戦争にも大義はなく、それは平和への道程を意味しないことを明記している。
 今回のシンポジウムでは、何よりも縁起説が信仰ではなく、科学的事実であることにそれなりの共通認識を持つことができたことは、今後、仏教経済学を普及させていく上で大きな前進となるだろう。

 以上のスピーチとネパール宣言はいずれも英語で行われたが、その日本語訳の責任は安原にある。


上記の記事のうち「ネパール宣言」と安原のスピーチ(英文全文)をBuddhism and World Peace(Ⅰ)として別途掲載した(12月15日)。
そのほかのスピーチの英文(全文または要約)もBuddhism and World Peace(Ⅱ)として掲載した(12月18日)。

(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
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コメント
この記事へのコメント
非常に興味深く読ませていただきました。

仏教では縁起説、ヨガではカルマ論・・・たしかにそこで言われていることは、物理学の成果そのものです。すべてはビッグバンに端を発する因果の連鎖。すべてはつながっている、という真理。

そう考えれば、先進国のふるまいの多くがいかに非科学的であり、先住民族らの古からの智慧がいかに科学的であるかに驚かされます。

卑近な例を挙げれば、トイレ、浴室、キッチンなどからの家庭排水は、浄化槽で微生物が分解してくれるからこそ私たちの環境が保たれるのですが、油を流したり、漂白剤やカビ取り剤を多用したりすれば浄化槽内の微生物は死に、川や海が汚染され、生態系が脅かされます。今、そんなふうになっている浄化槽が非常に多いそうです。

縁起に思い至れない想像力の欠如は、自分の家の中さえピカピカならいい、というエゴイスティックな発想でもあります。つまりそれは他への暴力に他ならないわけですが、その暴力は巡り巡って、必ず自分のところに帰ってきます。

だから、本気でエゴを究めれば、エコにならざるをえないと思うのですよね。未来の自分が本当に幸せでいたいなら、足るを知る、という結論になるはずです。
2006/12/14(木) 10:32:26 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
科学としての縁起説
marujunさん、的確なコメントに感謝します。
わが国ではとかく「今日は朝から縁起がいい」なんていう使い方が多いわけで、その縁起が実は科学だ、といわれてもにわかにはピンと来ないかもしれませんね。それは仏教の思想、教理が正しく理解されていないためなのでしょう。

ネパールの仏教経済学者が今回のシンポジウムで最近の国内和平協定の締結を、縁起説から説き起こすのを聴きながら、正直なところ「ネパールは仏教経済学の先進国」という印象を受けました。

実は私も2003年に〈「空」の経済思想を遊ぶ―その今日的実践〉(駒澤大学仏教経済研究所編『仏教経済研究』第32号所収)という小論を書いたことがあります。
上述の報告記事本文でも言及しましたが、縁起説の2本柱は万物流転(=諸行無常)と相対依存(=諸法無我)―です。

私は最近、平和をつくっていくためには日米安保=軍事同盟の解体が不可欠だと主張していますが、その論拠のひとつが、この縁起説です。
万物流転、いいかえればこの世に永久不滅のものはあり得ないということです。
多くの人がとても突き崩せないと思いこんで、タブー視している強固な制度、システムもやがて腐朽し、消滅していく運命にあるという認識に立てば、頑迷な思い込みから抜け出して、新しい視野が開けてきます。

この縁起説は、「空(くう)観」ともいわれており、これがまた誤解の種になっています。
空すなわち空虚で、虚(むな)しい―というとらえ方が専門家の間にもあるのが実状です。これでは勘違い、思い込みから自らを解放できないし、真実をつかむこともできないわけで、たしかに虚しいですね。
2006/12/14(木) 12:12:36 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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