「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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つもり違い十ヶ条
〈折々のつぶやき〉26

安原和雄
 近隣の味で評判の寿司屋さんからお土産として貰った一枚の紙片に「つもり違い十ヶ条」と題して、以下のようなことが記してある。読みながら、「うん、うん」と感心した。こういう感覚で自らの心の内を折々にのぞいてみるのも、無駄ではないだろう。
 今回はお土産話第4話「子供を悪く育てたい14ヶ条―和尚のひとりごと」(06年10月23日掲載)につづく第5話。〈折々のつぶやき〉26回目。(06年11月29日掲載)

 以前に芭蕉の名句、「閑(しづか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」で知られる山寺(山形市にある立石寺の通称)を訪ねた折に同じ「十ヶ条」をみたように記憶している。この手のものはあちこちにあるのだろう。(かっこ内は安原のコメント)

一、高いつもりで低いのが教養
(高い低いをいう前にそもそも教養ってなんですかねえ。ただの物知りではいただけない。「行動力をともなった見識」と理解すれば、そういう人物は、どこを探せば、見つかるのでしょうか)

二、低いつもりで高いのが気位
(そういえば「気位の低い人」という言葉はあまり聞きません。もっとも昨今は「気位」という感覚自体がどこかへ吹っ飛んでいるような印象もあります)

三、深いつもりで浅いのが知識
(深いつもりでいることこそが、浅知恵でしょうか。ただし知識と知恵は質が違います。知恵〈仏教では「智慧」と書く〉には道理と美と実践力が伴います。例えば食事前の「いただきます」の含蓄、つまり「動植物のいのちをいただき、自らのいのちをつなぐ」の意を理解し、そのいのちを日常の中でどう生かすかに思いをめぐらせること)

四、浅いつもりで深いのが欲の皮
(これが貪欲という質の悪い欲望であって、だからこそ知足=足るを知る=への自覚が求められるのです)

五、厚いつもりで薄いのが人情
(昨今「厚いつもり」の人情を自覚し、実践している人が果たしてどれくらいいるのでしょうか)

六、薄いつもりで厚いのが面の皮
(弱肉強食、成果主義の激浪の中で人を足蹴にして、沈ませながら、自分は何とか浮いていて勝ち残った気分に浸っている、ごく一握りの連中の別称、それとも蔑称? 「お陰様で」という感謝の心を無くした輩たちの先に待っているのは、やはり「高い塀の中」でしょうか)

七、強いつもりで弱いのが根性
(とくに若者の根性がもっと強くならないと、社会の土台が大きく揺らぎます。世間を騒がせている「いじめ」に敢然と向き合うためにも)

八、弱いつもりで強いのが我
(「俺が、俺が」と小我を張っていると、人生の幅が狭くなります。こういう人は本当は弱虫なのかもしれません)

九、多いつもりで少ないのが分別
(学力重視の教育では判断力を意味する分別は身につきません。もっとも仏教では小我にとらわれた分別は、望ましい知恵にほど遠く、評価しませんが・・・)

十、少ないつもりで多いのが無駄
(身の回りの無駄から生産・消費に伴う膨大な廃棄物に至るまで無駄があふれています。安倍政権は「経済成長」の旗を振っていますが、これは別名「無駄のすすめ」にほかなりません。やはり「もったいない」精神の普及が急務でしょうか)


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コメント
この記事へのコメント
私もコレ、昔どこかで読んだことがあります。ひとつひとつ、なるほどな、と思わされ、思わず苦笑してしまいます。

自分のダメさを目の当たりにしてガッカリしたときにいつも思い出すのは、たぶん中学か高校のときに読んだ親鸞の話です。親鸞がいつも自分のことを卑しい欲で真っ黒な人間のように言っていたこと・・・。あんなえらいヒトですらそうなんだから、私がそうなのは当たり前なんだ、メゲずにがんばろう、と思います。
2006/11/29(水) 19:13:38 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
なるほど、なるほど
marujunさん、コメント拝見しました。この手のものは、読んでみると、自分自身にも思い当たるところが多くて、「なるほど、なるほど」と感心しないわけにはゆきませんね。

こういう心構えで生きていれば、少しはましな人間になれるかもしれません。
ただこの手の格言めいたものに感心するタイプの人間は、今話題のいじめとの関連でいえば、いじめられるのか、いじめる側にいるのか、それともいじめなどには超然と構えていられるのか、あるいは双方の和解のために奔走するのか、そこが問題です。

それにしても気になるのは、安倍首相の直属機関、教育再生会議なるものが11月29日にまとめた「いじめ問題への緊急提言」です。
噴飯モノは「いじめを放置・助長した教員への懲戒処分」です。これでは教員たちは毎日いじめ問題で頭がいっぱいで、学力向上どころではないでしょう。

どうも再生会議のメンバーはいじめられたことも、いじめた経験もないのでしょうか。検事や裁判官気取りなのかな。
自分たちの提言が殺伐とした「教員いじめ」になり得ることに気づいていないようですね。もっともこの程度のいじめで腰が引けるような教員では情けないというべきでしょう。

「つもり違い十ヶ条」にもう一つつけ加える必要があります。
「プロのつもりでど素人なのが教育再生会議」と。
2006/11/30(木) 12:22:06 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
自分の姿が一番見えない
十か条に限らず、自分の姿ほど見え難いものはないですね。特に、鏡に写したり、写真を誰かに撮ってもらって見える外観ならともかく、自分の生き方とか考え方などはどうすれば客観的に見ることができるのでしょうか。最近、気がついたのですが、自分のことを良く見てくれている人との率直なコミュニケーションが、これに役に立つのかな、と思います。
2006/12/06(水) 15:19:27 | URL | 並野一民 #-[ 編集]
自分の過大評価
並野一民様、ご感想に感謝します。実は去る3日からネパールを訪ね、10日(日)に1週間ぶりに帰国しました。ネパール・日本の仏教経済シンポジウム(テーマは「仏教の世界平和への貢献」)に参加するためでした。

ご指摘のように自分の姿ほど見えがたいものはありませんね。
世間には他人の言動にとやかくケチをつける人は掃いて捨てるほど沢山いますが、さて自分のこととなると、どうでしょうか。
不言実行ではなく、無責任な有言不実行が多すぎるのではないでしょうか。

ネパールの首都、カトマンズから車で1時間ほどのところにある素敵なリゾートで遅いランチを摂りました。
天にも届きそうな広大な段々畑(日本でいう棚田ですか)の向こうに超8000㍍級のヒマラヤ連峰を遠望しながら、その遙か彼方に存在する日本列島の姿を想像していました。
2006/12/11(月) 13:16:43 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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