「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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ふたたび日本を滅ぼすのか
針路誤る安倍自民党丸の船出

 安原和雄
 自民党の新総裁選は06年9月20日行われ、安倍晋三氏が議員票、党員票共に全体の66%という高い得票率でポスト小泉の新総裁に選出された。安倍新総裁の常套句は「美しい国、日本をつくっていきたい」である。しかし「美しい国」という美辞麗句とは逆にその意図する方向に危険きわまりない国家主義―時代錯誤のナショナリズム―ともいえる臭いを感じる。
 有り体にいえば、「ふたたび日本を滅ぼすのか」という危惧の念を抑えきれない。安倍自民党丸はそもそも船出から針路を誤っているというほかない。こういう新政権が長期化するのを仮にも国民が許容するようなことになれば、それは心ならずも「世界の中で孤立への道」をたどることになるだろう。(06年9月21日掲載、同月22日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽戦前のような「孤立への道」を懸念する東京新聞

 まず安倍新総裁の誕生の意味と今後の展望について大手6紙の社説(9月21日付)がどのように評価しているかをみよう。各紙の社説の見出しは以下の通りである。

読売=「圧勝」を政権運営に生かせるか
朝日=不安いっぱいの船出
毎日=気負わず柔軟に若さ生かせーまず歴史認識を明確に
日経=安倍新総裁は首相主導で公約実行を
産経=国民守る国造りが使命ーぶれない政治姿勢を貫け 
東京=時計の針をどっちに回す

 懸念、批判、注文を表明した点に限って以下に紹介したい。最も強い懸念を示したのは東京新聞である。

<読売>=安倍氏の掲げた理念、政策が強い支持を得たとは必ずしも言えない。安倍政権がつまずき、人気に陰りが出るようなことがあれば、一気に「安倍離れ」し、政権が不安定化しかねない。
<朝日>=安倍氏が前面に掲げたのは、「戦後体制からの脱却」であり、祖父である岸信介元首相譲りの憲法改正だった。戦後生まれが戦後の歩みを否定するかのようなレトリックを駆使する。そのちぐはぐさに復古色がにじむ。
<毎日>=小泉首相は「賛同者は味方、反対者は敵」と国内を二分し、結果的にそれをあおってきたきらいがある。国家を重視する安倍氏だが、もっと複眼的な思考で、日本が偏狭なナショナリズムに陥ることのないようなかじ取りをしてもらいたい。
<日経>=外交面では日中、日韓関係の改善が急務だ。
<産経>=(批判よりも、「よいしょ」と持ち上げるのが主眼となっている)
<東京>=憲法でも、教育基本法でも、戦後日本人が積み重ねてきた議論をいともたやすくお蔵入りにして次へ進もうという、安倍スタイルに危うさを見る。もしや日本は戦前のように孤立へ向かって歩みを速めてはいまいか。

▽「美しい国」の眼目は平和憲法と教育基本法の改悪

見逃すことのできない大事なことは、安倍自民党丸が日本という国と我々国民をどこへどのように誘(いざな)おうとしているのかである。安倍氏の著書『美しい国へ』(文春新書)、総裁選用に発表した安倍政権構想「美しい国、日本。いま、新たな国づくりのとき。」、さらに記者会見などから拾い出してみよう。

 『美しい国へ』は実に奇妙な著作である。日本のどこがどういう風に美しいのかが全く書かれていないからである。想像するに、言いたいことは「自信と誇りのもてる日本へ」と進みたいということで、そういう日本こそ美しい国、という認識らしい。では「自信と誇りのもてる日本」とは具体的にどういう国なのか、ここが問題である。
 大まかにいえば、次の通りである。

1)憲法改定と真の独立
 「戦後レジーム(体制)」から、新たな船出を。5年以内に現行平和憲法を改定し、自主憲法すなわち「21世紀の日本の国家像に相応しい新たな憲法」の制定をめざし、日本の真の独立を回復する。
2)日米安保=軍事同盟の強化
 日米安保条約は日本にとって死活的に重要な条約であり、それに基づく日米同盟はベストの選択である。「世界とアジアのための日米同盟」を強化させ、日米双方が「ともに汗をかく」体制を確立する。
3)集団的自衛権(注)の行使
 現行憲法の明文改憲の前にも解釈改憲によって行使できるようにする。

(注)集団的自衛権とは「軍事同盟関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないのに武力で阻止する権利」で、これを容認すれば、米軍の海外での武力行使に日本が協力して武力を行使することが可能になる。従来の政府見解によると、「集団的自衛権の行使は日本を防衛するための必要最小限度を超えるもので、憲法上許されない」とされている。

4)教育の抜本的改革=教育基本法の改定
・今日の豊かな日本は、太平洋戦争末期、米艦に向かって散っていった特攻隊の若者たちが捧げた尊い命のうえに成り立っている。
・自分のいのちは大切であるが、それをなげうっても守るべき価値が存在する。
・損得を超える価値、たとえば家族の絆、生まれ育った地域への愛着、国に対する想いを重視する。
・教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることにある。
・学校評価制度の導入=国の監査官が学力、学校の管理運営、生徒指導の状況などを評価する。ダメ教師には辞めていただく。

5)いわゆる歴史認識について
 「朝鮮、中国をはじめアジア諸国への日本の植民地支配と軍事的侵略」を明言せず、その判断を「歴史家にまかせる」として植民地支配と侵略について明確な反省もないまま、あいまいな姿勢を崩さない。

 以上は安倍氏の本音のうち日本の行く末にかかわる重大事を列挙したものである。眼目となるのは憲法改悪と教育基本法改悪であろう。これでは「美しい国」どころか、その逆に「危険そのものの日本」といわねばならない。なぜそういえるのか。以下に説明したい。

▽米国の先制攻撃論に同調する「集団的自衛権行使」の容認

 憲法改悪(特に9条2項の「軍備と交戦権の否認」を削除し、自衛軍の保持を明記すること)も日米安保=軍事同盟の強化も小泉政権下ですでに打ち出されている。安倍氏の主張が小泉政権と異なり、大きく踏み出しているのは、集団的自衛権の行使に積極的な姿勢をみせている点である。「現行憲法の明文改憲の前にも解釈改憲によって行使できるようにする」がそれである。

 集団的自衛権の行使はここ数年来米国が機会あるごとに強く日本に迫ってきていた。「対テロ戦争などで地球規模で日米共に戦おう」というのが米国の要請である。安倍氏が「日米共に汗をかく体制の確立」を強調しているのも、その真意は、この集団的自衛権の行使にあるとみたい。
 小泉政権時代には「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」という従来の政府見解を飛び越えようとはしなかった。しかし安倍政権になると、とりあえず解釈改憲という安易な手法に頼って軽々と従来の制約を捨て去ろうとしている。これが意味するものは何か。

 それは米国の身勝手な先制攻撃戦略や予防攻撃戦略(注)に立つ対テロ戦争などの名目に同調して「世界各地での米国主導の戦争に参加し、武力を行使する国」に日本がなり果てることを意味する。
 なぜ「世界各地での戦争」となるのか。なぜなら日米同盟は「世界とアジアのための日米同盟」という世界に視野を広げた同盟へすでに変質しているからである。「日米同盟はベストの選択」と言いきる安倍氏にとっては日米同盟の変質を前提にした集団的自衛権の行使が念頭にあると受け取っていいだろう。

(注)先制攻撃戦略は、相手側に自国を攻撃する意図がある場合、現実に攻撃される前に相手を攻撃する戦法であり、予防攻撃戦略は、相手側に自国を攻撃する意図がなくても、将来、その可能性があると判断した場合、相手を予防的に叩く戦法。米国のイラク攻撃は予防攻撃論に相当するといえる。

▽教育基本法の改悪がめざすもの―「国家のために死ぬ愛国心」

 改憲と並んでもうひとつの眼目である教育基本法改悪がめざすものは何か。軽視できないのは安倍氏の次のような認識、主張である。
 「今日の豊かな日本は、彼ら(太平洋戦争末期、米艦に向かって散っていった特攻隊の若者たち)が捧げた尊い命のうえに成り立っている。国家のためにすすんで身を投じた人たちに対し、尊崇の念をあらわしてきただろうか。自分のいのちは大切である。しかし時にはそれをなげうっても守るべき価値が存在する」(『美しい国へ』から)

 では守るべき価値とは何か。それは「国家の独立、つまり国家主権」(『美しい国へ』から)だという。ここには「国家のために死ぬ愛国心」を讃える国家主義的思想が浮き出ている。あの変人、小泉純一郎氏もここまで言いきることはなかった。安倍氏はそれをいとも軽々と言ってのけている。
 国家主義的思想とは、いのちの尊重、個人の尊厳、平和、非武装=非戦、人権、自由、民主主義、主権在民など現行の平和憲法と教育基本法に盛り込まれた理念、原理を否定する国家中心の思想で、安倍氏の唱える脱「戦後体制」である。これは明治憲法下の戦前・戦争体制への回帰、復古と表現しても間違いではないだろう。

明治憲法下の日本帝国は世界の中で孤立し、61年前の敗戦とともに滅亡した。その反省に立って平和憲法、教育基本法を土台にして戦後体制を築いてきた。これが歴史の失敗に学ぶまっとうな歴史認識だと考える。しかし安倍氏は侵略と植民地支配の事実を反省しようとはしない。
 もちろん21世紀に相応しい改革は必要だが、それは戦前体制への回帰、復古を意味しない。安倍氏が描く21世紀の国家像は望ましい国のかたちから180度ねじ曲がっている。これでは再び世界の中で孤立し、滅びゆく道をたどる懸念を拭いきれない。

 さて安倍氏の思考と認識には誤解、錯覚が少なくない。そういう安倍氏の思考の特殊性を以下の3つの事例で考えてみたい。
1)損得が価値判断の重要な基準となったのはなぜか
2)今日の豊かな日本は、だれのお陰なのか
3)「地球市民」は世界から信用されないか

▽損得が価値判断の重要な基準となったのはなぜか

 「自由民主党の目標は高度成長による経済力の回復と自主憲法の制定であった。前者の目標は見事に達成したが、後者はいまなお実現していない。その結果、弊害も現れた。損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家族の絆、生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが軽視されるようになった」(『美しい国へ』から)

 これはご都合主義的な錯覚というほかない。
 損得重視は経済成長重視の成れの果てであり、自主憲法制定問題とは関係ない。経済成長を計る物差しとして使われ、かなり常識化したGNP(国民総生産)、GDP(国内総生産)という経済概念は、貨幣価値しか対象にしない。家族の絆など損得を超える非貨幣価値が経済成長重視の社会環境の中で薄らいでゆくのは必然であったといえよう。
 しかも政治をカネまみれの金権化させたのは自民党政治ではなかったのか。小泉構造改革にみる利益第一の市場原理主義、弱肉強食(一握りの勝ち組、多数の負け組の区分け)路線が損得重視の考え方を増幅した。ライブドアのホリエモンはその象徴といえよう。

▽今日の豊かな日本は、だれのお陰なのか

 「今日の豊かな日本は、太平洋戦争末期、米艦に向かって散っていった特攻隊の若者たちが捧げた尊い命のうえに成り立っている」(同上)

 戦前体制と戦後体制が連続しているととらえるか、それとも絶縁していると考えるかで今日の日本のとらえ方がまるで変わってくる。安倍氏は連続説に立っている。だから特攻隊員らの犠牲の上に今日の日本が成り立っていると考える。これは「国家のために死ぬ愛国心」を持ち上げる思考につながる。もちろん兵士に限らず、あの大戦の犠牲者への慰霊は不可欠だが、今日、「国家のために死ぬ」ことは、実は日米安保=軍事同盟下では「同盟国・アメリカのために死ぬ」ことにもなることを自覚しておく必要があるだろう。

 これに対し、私は絶縁説に立っており、連続説には賛成できない。戦後の日本は、いのちの無視、人権軽視、自由と民主主義の抑圧によって成り立つていた戦前・戦争体制と絶縁して再出発したからこそ今日がある。今日の日本を支え続けるのが平和憲法、教育基本法であり、その理念、精神を活かした日常的な実践である。
 偏狭なナショナリズムによる愛国心が今後の日本を支えてくれるのでは決してない。「日本の平和憲法こそが世界の宝」という評価、認識が世界に広がりつつある事実をもっと大事にしたい。

▽「地球市民」は世界から信用されないか

 「自分の帰属する場所は、自らの国をおいてほかにはない。はじめて出会う外国人に〈あなたはどちらから来ましたか〉と聞かれて、〈私は地球市民〉と答えて信用されるだろうか。地球市民は、事実上空想の世界でしかない」(同上)

 安倍氏は国家を重視するあまり、地球的視点が欠落しているらしい。「地球市民」は新しく広がりつつある概念であり、地球環境問題が重大な課題になるなど、このグローバル化の時代には必然の成り行きともいえる。地球市民といっても、各国別の国益、利害よりも広い地球規模の視野を大事にしようというもので、決して国の存在を否定するわけではない。
 むしろ地球市民の視点に立たなければ、地球温暖化がもたらす異常気象、食料・水不足、感染症、貧困、飢餓など軍事力では解決できない世界の多様な21世紀型脅威に目が届かない。軍事力を振り回す単独行動主義、覇権主義の米国がその具体例である。そういう米国に追随し続ければ、日米共に世界で孤立するほかないだろう。

▽父、安倍晋太郎外相との軍拡エピソード

 亡父の安倍晋太郎氏が外相だった頃(中曽根政権時代の1982~86年まで外相)のエピソードを紹介したい。
 私は当時、毎日新聞論説委員として、中曽根政権の軍備拡張路線を批判する社説を書いていた。大手紙では朝日、毎日、東京が軍拡批判の論陣を張り、一方、読売、日経、産経が軍拡推進の立場であった。

 あるパーティの席で外相と私の2人だけの空間ができたときに、「最近の毎日新聞などの軍拡批判の論調をどう思いますか」と率直に聞いてみた。意外な返事であった。「いや、感謝しているよ」と。これには内心驚いた。「もう少しお手柔らかに願いたいな」とでも言われるのかと思っていたからである。

 その時の安倍外相の説明はこうであった。「アメリカからの防衛予算をもっと増やせ、という要求が厳しい。要求通りにはなかなかいかない、と主張するときに頼りになるのが新聞論調だ。新聞はこのように批判している。これは国民の世論でもある」と。
 こちらは中曽根政権の軍拡を批判しているつもりなのに、それが一面においてはからずも中曽根政権を支援する役回りとなっているのかと、一瞬狐につままれたような気分にもなった。政治家としての懐が広かったということだろうか。

 それに引き比べて子息、晋三氏はどうか。
 「幼い頃から私の目には、首相として日米安保条約改定に取り組んだ祖父、岸信介は、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、誇らしく思うようになっていった」(『美しい国へ』から)

 晋三氏はどうやら父よりも祖父の政治的DNA(遺伝子)を受け継いでいるらしい。だからこそ「闘う政治家」すなわち、「ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず、行動する政治家」を標榜しているのだろう。懐の深さよりも歴史観の乏しい一直線の単純思考をうかがわせる。そういう単純思考によって再び滅亡の淵へと集団連行される国民の悲劇を思いやる想像力が果たしてあるのかどうか。


(寸評、提案を歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です)

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