「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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「反戦の思い」に導かれて
〈折々のつぶやき〉22

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉22回目。(06年9月15日掲載)

 実母が96歳で現世に別れを告げてから半年、今度は叔母(父の妹)が95歳でこれまた天寿を全うしてこの世を去った。私は立て続けに喪主として2人を送ったことになる。
 2人には教えられ、導かれることが多かった。ここでは06年8月末に「創価学会の友人葬」として行われた叔母のお別れ会(広島県福山市にて)で述べた私の挨拶(趣旨)を以下に紹介したい。

 皆様のご参列に心から厚く御礼申し上げます。ここ数年、養護施設でお世話になり、寝たきりになることもなく、元気でした。「急性心不全」でした。

 私がここへ駆けつけるのにいささか手間取り、ご迷惑をお掛けしました。お許し下さい。
 実は4日間の日程で京都で開かれている「世界宗教者平和会議の第8回世界大会」に参加していました。
 この大会には仏教はもちろん、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など世界各国のさまざまな宗教のリーダーたちを含む約2000人が集まり、討議しています。テーマは「平和のために集う諸宗教―あらゆる暴力をのり超え、共にすべてのいのちを守るために」です。開会式に小泉首相も参加し、歓迎のことばを述べました。

 私は4日間の日程すべてに参加するつもりでしたが、2日目の夜「叔母急逝」の報が届き、3日目早朝の「のぞみ」でいったん東京の自宅に帰り、折り返しここへ駆けつけたような次第です。

 また私はちょうど今頃海外へ行っていて、日本にはいない可能性もありました。というのは国民の幸福度が世界一高いという評判のデンマーク(ヨーロッパ)を訪問する話が持ち上がり、最初は参加するつもりになっていたからです。
 しかしそのうちどうも気が進まなくなり、京都大会の参加へと切り替えました。今にして思うに叔母が「ヨーロッパには行くなー、行くなー」と耳もとでささやいていたためではないかという気がしています。デンマークを訪ねていれば、ここで皆様にご挨拶する機会はなかったわけです。

 さて叔母の生涯について若干お話しする時間をお許し下さい。あの戦争が61年前に終わったとき、私は小学5年生でした。その頃から叔母のことはよく知っております。戦後何年経っても、叔母の人生は幸せではなかったと思います。
 夫が戦地のフィリピンで戦死したためです。こころおだやかではなく、笑顔をみることもほとんどありませんでした。

いうまでもなく叔母はあの戦争の犠牲者の1人なのです。私は悲しみに暮れる叔母の姿をみながら、無数の人々を悲劇のどん底に突き落とす戦争は2度と絶対に起こしてはならないと考えるようになりました。その反戦の思いはやがてひとつの信念となり、それに導かれながら今日に至っております。

 その叔母も人生の後半には様変わりに変化したように思います。それは信心、信仰のゆえです。こころ安らかになり、笑顔も増えました。他人様にささやかながら施しをすることに喜びを感じるようにもなったと思います。これもひとえに生前叔母をご支援いただいた皆様のお陰によるものです。本人ともども、ここに深く感謝申し上げます。

 以上が挨拶の概要である。
 挨拶例集に載っているような型どおりの挨拶は私の好みに合わない。今にしてやっと叔母には無言のうちに大切なことを教えられ、導かれていたことに気づくところがある。
 「あの世の極楽でも笑顔を絶やさないようにして下さい」―とこころより祈らずにはいられない。
 わが家は宗派でいえば、真言宗なので、父母の墓に叔母の遺骨を納めることもままならず、いずれ学会創設の納骨堂に納めたいと考えている。
南無妙法蓮華経


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コメント
この記事へのコメント
そうでしたか・・・、安原先生の非暴力、反戦の強い信念はここにあったのですね。
「われ以外皆な師」という言葉がありますが、功成り名を遂げた、言わば強者に学ぶより、過去に辛い目に遭ったり、身体に障害をきたしたりした、言わば弱者に学ぶ方が、強い信念に導かれることに改めて気付かされました。
万難を排して駆けつけ、素晴らしいお礼の挨拶をしてくれた甥に、きっと喜んでおられたことでしょう。
母上様、叔母様のご冥福をお祈りいたします。

私の母は、59歳で交通事故によりこの世を去りました。おっかさんのお尻の面倒は勿論、何のお返しが出来なかったことに、今でも悔いております。おっかさんとはそういうものなのですね。
もっとも、おとっちゃんにそれがないのはちょっと寂しい気もしますが・・・。
2006/09/16(土) 06:54:27 | URL | h.y. #-[ 編集]
先生の平和思想のルーツを知ることができてうれしく思います。やはり理論だけではなく、深く心揺るがされるような個人的内的経験が、人を行動に駆り立てるのだなあ、とあらためて感じました。

誰の人生にも、ターニング・ポイントとなった重要な事件が何かしらあることでしょう。たとえ客観的には大きな出来事でなくても、価値観の根本を揺るがしたり、考え方の方向転換を迫る重要な出来事が。

同じ出来事を経験しても、そこで何を感じて、何を行動に移していくかは人それぞれ。私も安原先生のように、自分の経験から学んだことを実際の行動にひとつでも多く移していかなくては、と考えさせられました。
2006/09/16(土) 21:22:16 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
反戦への信念
h.y.さん、そしてmarujunさん、適切なコメントに感謝します。
私もあの戦争中は小学生ながら軍国少年らしく振る舞っていたように思います。

こういう記憶があります。あの山本五十六連合艦隊司令長官が戦死したときは、「これで日本は負ける」と心ひそかに残念がり、その後アメリカのルーズベルト大統領が病死したときには一転して、「日本は勝つぞ」と期待したりしたものです。

小学校での毎朝の朝礼では校長先生が「我が軍は昨日の戦闘で敵機OO機撃墜、さらに敵艦XX隻撃沈」と威勢のいい話をしていました。みんな黙って聞いていましたが、これが後に真っ赤なウソとわかる「大本営発表」です。

言論や教育が国家統制下に置かれると、いかに真実をゆがめ、国の進路を誤らせるかを、大学へ進むに従って考えるようになりました。
それと叔母の悲しみに暮れる姿とが重なって、この国を挙げての悲劇は2度と繰り返してはならないと思い、そして今の私があるような気がしています。

近隣の町に、敵艦に突っ込み自爆するあの特攻隊員を志願した人もおり、首に白いスカーフを巻いたその姿にほのかな魅力を感じた記憶もあります。
だからもし私の年齢が5歳も年上であったら、あるいは、特攻隊員を志願し、太平洋の藻くずと消え去っていたかもしれません。

人生は本当にわかりませんね。偶然の連続ともいえます。その偶然を生かして、いのちあるかぎり何をなすべきか。
靖国神社に参拝することではなく、名もなき庶民の一人ひとりが幸せな暮らしをどう築いていくか、そういう日本社会をどうつくっていくか。少しでも私なりにお役に立てれば、という心境です。
2006/09/18(月) 11:32:25 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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