「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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「おかげさまで」と暮らしたい
〈折々のつぶやき〉20

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉20回目。(06年9月1日掲載)

 近隣の繁盛しているお寿司屋さんで手に入れたA4判大の紙片に「おかげさまで」と題した次のような文言が記してある。「どうぞ自由にお持ち帰りを」とお客さんにすすめている一風変わったおみやげである。

   おかげさまで

夏が来ると冬がいいと言い、冬になると夏がいいと言う
太るとやせたいと言い、やせると太りたいと言う
忙しいと暇になりたいと言い、暇になると忙しい方がいいと言う

自分に都合のいい人は善い人だとほめ
自分に都合が悪くなると悪い人だとけなす

衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満に明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり

親のおかげ、友のおかげ
お客様のおかげ、会社のおかげ

おれが、おれがを捨てて
おかげさまで、おかげさまでと暮らしたい

以上の言葉一つひとつは平凡だが、この俗世の日常の真理をついている。ああ、その通りだ、これまでの自分が恥ずかしいと思う人は、ハッと気づいたわけで、心の安らかさへ大きく近づいている。そういう人には希望と未来がある。
 明日はまた元の木阿弥になるかもしれないが、それはそれでいいではないか。まあ、お互い、その繰り返しだからね。

 私は近頃「いただきます」、「もったいない」と並んで、この「おかげさまで」を日常生活のなかに復活・普及させることができないものだろうかと、つらつら考えている。
 おかげさまで忙しい毎日である。しかし忙しいから暇になりたいとも、暇になると忙しい方がいいとも思わない。忙しいのもおもしろいし、暇は暇でまたおもしろい。楽しいというよりおもしろいのである。

さて「楽しい」と「おもしろい」とはどう違うの? これはまた別の機会に。


(寸評、提案を歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です)
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コメント
この記事へのコメント
近隣にあるいいお寿司屋さんでの、地域の人達とのふれあいもいいですね。おかげさまで、いつも仏教経済塾には教えられています。
実は、会社人間だった私が地域に戻り感じたことは、地域のことは家内任せで、居場所となる地域のことも、地域の人も殆ど知らない、ということでした。
そこで、地域に戻ったおやじ達を集め、「楽しく、人と人との繋がりを」と、囲炉裏端でビール片手にワイワイガヤガヤ、“おやじの広場”を立ち上げました。
「仏教経済塾」のファンのおかげで、いのち、知足、非暴力、利他、持続性・・・そして「いただきます」「もったいない」「おかげさまで」等々を、格好の話題とさせて頂き、これがおやじ達の共感を得て、今では地域のために何かを、とボランティア活動にまで発展してきました。
最近では、“団塊の世代”2007年問題を抱えた行政からも、支援の手を差し伸べられるようになり、「楽しく」をキーワードで始めた“おやじの広場”が、「おもしろく」なってきたような気がします。『「楽しい」と「おもしろい」はどう違うの?』の、仏教経済塾を楽しみにしています。
2006/09/03(日) 10:31:27 | URL | h.y. #-[ 編集]
「おかげさまで」と地域
h.y.さん、大変興味深い感想に感謝します。
ご指摘のように会社人間は身近な地域の人々とはたしかに断絶しています。私自身もそうであったように思います。
しかしそれでは人と人とのつながりも、社会の改革も前に進みません。

「おやじの広場」とは言い得て妙なふれ合いの場ですね。ますますのご発展を祈っております。
「おかげさまで」などを語り合う広場が日本列島上のあちこちに誕生すると、楽しい? あるいはおもしろい?ですね。

小泉改革の負の遺産はいろいろありますが、その一つが地域の疲弊です。「おやじの広場」が地域の再生に貢献できるとは、たしかに楽しくもあり、おもしろくもあります。

いずれ「楽しい」と「おもしろい」はどう違うのかについて私見をつぶやきます。
実は仏教経済塾に掲載の記事の中でかなり前に言及したことがあります。まあ同じことを何度でも書くことも必要だと思いますので、そのうちに。
2006/09/03(日) 11:31:03 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
素敵な「おみやげ」をご紹介くださってありがとうございます。

私の場合、すべてのものに対して自然に心の底から感謝の心が湧いてくるようになったのは30代になってからだったかもしれません。それ以前にもアタマではわかっているつもりでしたが、今思えば底が浅いものでした。

何もない大自然の中に出かけて行ったり、畑作に手を染めたり、海に潜ったり・・・強大で美しい自然の力に直接触れることが、本物の「おかげさまで」という思いに至らせてくれたように思います。

おかげさまで生きることの真髄に触れられたことを幸運だなあ、と思っています。
2006/09/05(火) 19:29:23 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
「お陰様で」と感謝
marujunさん、「おみやげ」に対する素敵な返信に感謝します。
ひとくちに「感謝」といってもなかなか素直になれないのが、俗人の悲しさでしょうか。

「おれが、おれが」、あるいは「自分が、自分が」が先立ち、おれ、自分をなかなか捨てられない。
ついつい自分中心の小我にこだわり、引きづられるのも、これまたわれわれ凡人の常ということでしょうか。

「おかげさまで」と一日にせめて三度くらいは、口には出さなくても、心で唱えてみることにしましょう。
2006/09/06(水) 17:49:31 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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