「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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竜安寺と石庭と吾唯知足と
〈折々のつぶやき〉19

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。お盆のため田舎へ消息不明となっていて、このほど帰京した。〈折々のつぶやき〉19回目。(06年8月22日掲載)

 京都の竜安寺(臨済宗妙心寺派)といえば、石庭があまりにも有名である。このブログ「仏教経済塾」のトップページの絵柄がその石庭である。なぜ竜安寺の石庭なのか。

 ブログの題字「安原和雄の仏教経済塾」の下に次の文言がみえる。
 ―「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から「足るを知る」知足の経済へ。あと10年で日本はどこまで幸せをとりもどせるか、考え、提言し、みなさんと語り合いたい―と。
 なぜ竜安寺と知足なのか。

 たしかに竜安寺といえば、だれしも名物、石庭を思い浮かべる。竜安寺を訪ねて、その石庭に向かって対座しない者はいないだろう。私も竜安寺は何度も訪れ、その都度石庭の前で足を留める。しばらく腰をおろしもする。

 しかし私の本当の狙いはもう一つの名物の方にある。裏庭に据えてあるつくばい(手水鉢)である。それには禅の格言、「吾唯知足」(われ、ただ足ることを知る)の文言を図形にして刻んである。「知足」の心構えをうたい込んでいるのである。

 このつくばいは水戸の黄門様で知られる水戸光圀が寄進したものとされているが、正確にいえば、注釈が必要である。
 実は観光客が目にするこのつくばいは、本物ではない。本物は別途保管されていることになっている。私は一人の観光客として「本物がみたい」と申し込んだことがあるが、にべもなく断られた。「本当に本物は保管してあるのかな」とも想ったが、そこは信じることにしよう。

 ちょっと脱線したが、私には「竜安寺と石庭」よりも「竜安寺と吾唯知足」の方に関心がある。私にとっては竜安寺といえば、知足なのである。仏教経済学の別称として「知足の経済学」と名づけるのも、こうした想いとかかわっている。

 もう一度脇道にそれると、吾唯知足を図形にしてあしらった手水鉢は全国のあちこちの寺にある。中国地方のある寺で見つけて、住職に「だれの寄進によるものか」と聞いたら、「いやなに、町の石工屋さんに頼んでつくってもらった」という返事に「なんだ、江戸時代の作ではないのか」とがっかりした思い出がある。

 あまり舞台裏を探ることに貪欲にならないで、ここでも知足の精神が最上の策? ということらしい。飽くなき貪欲の先に待っているものは、やはり失望、ということなのか。


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コメント
この記事へのコメント
納得
前から気には掛かっていたのですが、竜安寺石庭の絵柄を採用された意味がやっと判りました。私も件のつくばいを修学旅行で訪れた際に見た覚えがあります。
それにしても、地球上に暮らす何億種という生物の中で、「足るを知らない欲望」を持つ生き物はただ一つ人間ではないでしょうか。私たちにそのような特異な性質があるということを、学校などで教えていませんね。そのような欲望に引きずられて戦争を起こすのでしょうから、この人間の特異な性質を教えることを義務教育のカリキュラムに取り入れるべきではないでしょうか。
2006/08/24(木) 09:06:43 | URL | S.O. #-[ 編集]
吾唯知足
S.O.さんの提案にはハッとしました。言われてみれば、なるほど、ですね。

「足るを知らない欲望」を持つ生き物はただ一つ人間であり、それを教えることを義務教育のカリキュラムに組み込むべきだ、というご指摘にも同感です。

戦争は、知足をあざ笑う貪欲のなれの果てといえます。
米国主導のイラク攻撃がその典型ではないでしょうか。米国の石油浪費経済は、貪欲そのものですが、その貪欲な経済構造を頑迷に維持するためには石油の確保が不可欠です。
イラク攻撃の狙いの一つに産油国イラクの石油の支配と確保があることは、今や常識となっています。

貪欲をどう克服するか、そして知足に無上の価値を見出すことができるかどうか。
これに失敗すれば、人類も地球も滅びるほかないだろうというのが仏教経済学の主張です。

それにしても「鉄は熱いうちに打て」ではありませんが、小学生、中学生の義務教育の重要性を見直す必要があります。
教育基本法を改悪して、国家主義的な「愛国心」を子どもたちに植え付ける、などという見当違いは捨てなければなりません。
大切なのは「いのち、人間、地球そして知足」です。
2006/08/24(木) 10:21:16 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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