「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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「緑の政治」がめざす変革構想
仏教経済学とみどりの思想

 安原和雄
 「みどりのテーブル」(環境・平和の「緑の政党」結成をめざす組織で、共同代表は小林一朗、稲村和美の両氏)主催の政策研究会(2006年7月22日東京都内で開催)で私(安原)は「仏教経済学とみどりの思想」というテーマで講話の機会をもった。出席者は市民派活動家、弁護士、大学院生ら「みどりのテーブル」会員が中心であった。
 私は仏教経済学の立場から「みどりのテーブル」、すなわち「緑の政治」がめざすべき構造変革と未来設計について次の3分野に絞って提案した。
 (1)脱「経済成長」下での雇用とワークシェアリング、(2)車社会の構造改革と健康づくり、(3)「いのちの安全保障」をめざして―非武装の「地球救援隊」(仮称))をつくろう―で、3つとも小泉改革とは180度異質の変革構想である。(06年7月24日掲載、同月25日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽仏教経済学のキーワード―いのち、知足、簡素、非暴力など八つの柱

 まず現代経済学(注1)と対比しながら、仏教経済学の特質にふれたい。仏教経済学の八つのキーワード―いのちの尊重、知足、簡素、非暴力(=平和)、多様性、共生、利他、持続性(=持続可能な発展)―を中心に概略説明したい。(仏教経済塾に7月19日更新の「仏教経済学と八つのキーワード」参照)

(注1)現代経済学は大学経済学部で教えられている主流派経済学で、ケインズ経済学(注2)、いわゆる小泉改革の経済学的裏付けとなっている自由市場原理主義などが含まれる。
(注2)イギリスの経済学者ジョン・M・ケインズ(1883~1946年)は、主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』で財政支出拡大などによる不況克服策を唱えた。

*いのちの尊重
 仏教経済学の第一のキーワードは、いのちの尊重である。このいのちは人間に限らず、自然の動植物のいのちも視野に入れる。人間と自然との関係では、人間は自然の一員にすぎず、すべてのいのちは平等、対等と考える。これに対し、現代経済学にはいのちの尊重という思想はない。いのちを無視している。しかも人間は万物の霊長で、一段と上位にあり、自然を征服、支配、破壊しても当然とさえ考える。

*知足、簡素と非暴力(=平和)
 仏教経済学は欲望について知足(足るを知ること)、簡素を旨とし、「足るを知る経済」すなわち脱「石油浪費経済」(=脱「経済成長」)の構築をめざす。だから別称「知足の経済学」ともいえる。
 知足と簡素は非暴力(=平和)の土台となる。
非暴力すなわち平和とは、単にテロ、紛争、戦争がない状態を指しているだけではない。多様な自然、資源、エネルギーに対する収奪、浪費さらに人間性の否定とは無縁の行為、状態でもあることを仏教は教えている。ここでは平和すなわち非暴力の基礎は「簡素な経済」(シンプルエコノミー)であることを強調したい。

 これに対し現代経済学は貪欲すなわち「もっともっと欲しい」という欲望の肥大化を是認する。貪欲は浪費、暴力(=戦争)を求める。それは同時に石油浪費経済(=「経済成長至上主義」)につながる。
 ケインズは貪欲のすすめを説いており、「地震や戦争も富の増進に役立ち得る」とさえ述べている。地震は新たな復興需要をもたらし、戦争は兵器生産などを通して軍需景気を促し、それが生産増大、経済成長を可能にするだろうと言いたいのである。だから現代経済学を別称「貪欲の経済学」と呼んでも決して誇張ではない。

*多様性と共生
 仏教経済学は多様性と共生とを重視する。人間も自然も本来多様性そのものである。だからこそそれぞれに存在価値がある。そこから共生が生まれてくる。人間同士だけでなく、人間と自然との共生も重視する。
 これに反し、現代経済学には多様性、共生という感覚は欠落している。人間はそれぞれが孤立・分断された個人にすぎない。また人間と自然とは切り離された状態にある。

▽利他主義という人間観と持続性

*利他主義という人間観
 人間観も大きく異なっている。現代経済学は利己主義、すなわち個人や企業の自己利益を優先させる人間観を前提にして理論をつくりあげている。たしかに自分さえよければそれでよいという、身勝手な人の群れがあふれている。これは犯罪に走り勝ちな拝金主義にもつながっている。昨今、世の乱れは目を覆うものがあるが、その一半の責任は現代経済学の利己主義にあることを強調したい。
 これに対し仏教経済学は「世のため、人のため」を重視する利他主義という人間観を前提に構想する。仏教では「自利利他の調和」(浄土真宗の開祖、親鸞)、すなわち利他主義が結局、自利、すなわち自分の活力、安心をもたらすと説く。

 NHKテレビの朝のドラマ「純情きらり」の次のセリフが記憶に残っている。これは「自利利他の調和」の一例であろう。
 「自分が幸せになりたいと思っても幸せになれるわけではない。他人を幸せにしてあげることによって自分も幸せになれる」(06年6月15日放映)

*持続性(=持続可能な発展)―環境保全と質の充実と平和と
 持続可能な発展(Sustainable Development)は、国連主催の第1回地球サミット(1992年ブラジルのリオで開催)が打ち出して以来、広く世界で知られてきた概念、思想で、そのポイントは次の3点に集約できる。

①生活の質的改善を、生態系など自然環境の収容能力・自浄能力の限度内で生活しつつ、達成すること=量の拡大(経済成長至上主義=石油浪費経済)から質の充実(脱「経済成長主義」=脱「石油浪費経済」)への転換
②動植物、人間すべてのいのちからなる生命共同体を尊重すること=21世紀の平和観
③「戦争は、持続可能な発展を破壊する性格を有する。平和、発展および環境保全は相互依存的であり、切り離せないこと」(リオ宣言)=戦争、テロなど一切の暴力を拒否

 具体的には長寿・健康・教育さらに政治的自由、人権保障、生産・消費の抑制と廃棄物の削減(=脱「石油浪費経済」)、失業の解消、所得格差の是正、軍事支出の削減、軍事同盟の解消―などが「持続可能な発展」という概念に含まれる。

 以上のような仏教経済学のキーワードは、「みどりのテーブル」(注)がめざす「緑の政治」の五つのキーワード―環境、非暴力・平和、社会の公正、草の根民主主義、持続可能な社会―と重なり合っている。
 従って仏教経済思想の視点も加味しながら、「緑の政治」がめざすべき構造変革と未来設計はどう構想したらよいだろうか。

(注)「みどりのテーブル」は、中村敦夫・前参議院議員らの「みどりの会議」を引き継ぐ新しい草の根民主主義の組織で、平和・環境の「緑の政党」結成をめざしており、07年夏の参議院選挙に10名の立候補者を予定している。06年7月22日現在の会員数は393人で、このうち県議、市議ら地方議員は50余名を数える。

▽「いただきます」「もったいない」などを日常の暮らしに復活・普及させよう

*「いただきます」について
・動植物のいのちをいただくという意味である。
 多くの人は「食事をいただく」と理解しているが、それは正しくない。人間は動植物のいのちをいただいて自分のいのちをつないでいる。それを毎日実感することは「いのち尊重」の心を育て、そこに感謝の気持ちが生じる。
・食べ残しは、いのちを粗末にすること
 大量の食べ残しはいのちをゴミと同じ感覚で捨てることを意味するから、ひいては人間のいのちをも粗末に扱うことになる。戦後の高度経済成長と使い捨ての時代になって以降、「いただきます」の意味を理解した上で食事を摂っている人が少なくなった。
・いのちを生かすこと
 もう一つ大事なことは、折角いただいたいのちをどう活かすかである。もちろん「世のため、人のため」に活かすことであり、これが利他主義の原点となる。

 以上のような「いただきます」の含意を正しく理解することは、いのちの尊重、節約の心、さらにモラルの再生のためにも不可欠である。

*「もったいない」(勿体ない)について
・大切に使う心。節約し、無駄をなくすこと。
・滋賀県知事に当選した嘉田 由紀子さんのスローガンが「もったいない」。「もったいない」が当選したも同然で、その意義はきわめて大きい。
・ノーベル化学賞受賞の島津製作所の田中耕一さんの座右銘も「もったいない」。
・毎日新聞社の招きで、05年2月に来日したケニアの環境保護活動家でノーベル平和賞(04年)を受賞したワンガリ・マータイ女史は東京、名古屋、京都を訪ね、「日本語の〈もったいない〉という言葉を世界語にしたい」と繰り返し説いた。国連本部など世界の各地でも説いている。
 地球環境保護のために資源・エネルギーを節約するには、日本文化に根づいた〈もったいない〉ほど簡潔にして適切な言葉はない、という認識からである。06年2月にも来日した。

*「お陰様で」について
・われわれ一人ひとりは、誰のお世話にもならず、独力で生きていると考えている人が多いが、それは錯覚である。独力ではなく、地球、自然、社会、他人様によって生かされていること、つまり相互依存関係の中で生かされているという客観的な真理をつかみ、それに感謝する心を表現する言葉である。

 以上の3つの仏教に根ざした日本文化ともいうべきこころと言葉を日常生活の中に復活させ、普及させることが緊急の課題となってきた。これは一人ひとりの意識改革、自らのライフスタイルの変革を意味しており、これを抜きにしては、以下に述べるシステム、制度上の構造変革も魂のこもった生きた構造変革にはならないだろう。

▽「緑の政治」がめざすべき構造変革と未来設計

(1)脱「経済成長」下での雇用とワークシェアリング
 もはや「経済成長=雇用増」は成り立たない。
 21世紀は脱「経済成長」の時代であり、かりに一時的な景気回復によって経済成長がありえても、現状では雇用の増加にはつながらない。なぜなら利益至上主義の企業経営にとってはコスト削減、人減らしあるいは雇用増の抑制による利益確保が中心課題となっているからである。

 そこで失業解消の決め手としてワークシェアリング(労働時間短縮と仕事の分かち合いによる就労機会の確保)の導入が浮かび上がってくる。
 「オランダモデル」がよく知られている。パートタイム雇用を増やし、時短を進める方式で、フルタイム労働者とパートタイム労働者の賃金、社会保障面の差別を撤廃し、国全体の実質賃金水準は維持する。これによって失業率は大幅に削減された。
 新しい「日本モデル」として、労働時間短縮による自由時間のゆとり享受、選択的な定年の大幅延長(高齢化・少子化対策)、労働差別(男女別、正規・非正規別)の廃止、全体の実質賃金水準の維持―などが考えられる。

 自由市場経済下で失業、格差拡大、労働時間の増大など多様な「負の効果」をもたらした政府、企業はその改善策実施に責任をもたねばならない。
 まず政府は、増えている労働時間の思い切った短縮―週35時間労働(1日7時間、週休2日制)などの法制化に取り組むべきである。労働時間短縮の法制化が先行しなければ、日本版ワークシェアリングも絵に描いた餅に終わるだろう。
 さらに強調したいのは、企業は、その社会的責任(CSR・Corporate Social Responsibility、企業市民としての責任=株主重視からの転換)としてワークシェアリングに取り組むことである。環境保全と並んで、そういう努力を重ねる企業こそ、優良企業という折り紙をつける社会的評価基準を導入する必要がある。

(2)車社会の構造改革と健康づくり
 車社会の構造改革と健康づくりを結びつけて総合的にとらえる視点が必要になってきた。自動車への依存症が環境汚染・破壊をもたらし、しかも運動不足による糖尿病など生活習慣病を招いていること―を考えると、双方の同時解決策を工夫する必要がある。
 そのための望ましい制度改革、政策はなにか。具体策は以下の通り。

*現行のマイカー中心型(いのち・環境破壊型)の交通体系から公共交通(鉄道、バス、路面電車など)中心型(いのち尊重と環境保全型)への大転換
*高率環境税(汚染税)の導入と消費税の廃止
*新型の道路づくり(自転車道の併設など)、料金体系の改革(マイカーに比べ鉄道運賃を割安にし、鉄道利用者を増やす)、地域でのコミュニティ・バスの積極的活用、自転車と徒歩による「さわやか交通」の重視
*「医療改革」の改革=従来の治療モデル(負担増が中心)から予防モデル(健康づくりに重点)への転換と健康奨励策の導入
・年間一度も健康保険を使わなかった者は健康保険料の一部返還請求権をもつ
・小学校時代からの食育(地産地消、旬産旬消の学校給食の全国化、防腐剤など食品添加物の全廃)のすすめ

*21世紀版「養生訓」を実践すること
 貝原益軒著『養生訓』(注)は、身体とこころの養生を以下のように説いた。要するに今日版「養生訓」の実践は、病気になってから病院に駆け込むのではなく、予防第一を心掛けること、そのためには「走る車文明」から「歩く文化」への転換、つまりできるだけ車を捨てて、大いに歩くことにほかならない。
(注)貝原益軒(1630~1714年)は、江戸時代には珍しい85歳という長寿を全うした。医者ではなく、儒者として執筆したのが、83歳の時で、その高齢で虫歯が一本もなかったといわれる。

・「食事は腹八分がよくて、腹いっぱい食べてはいけない」と「腹八分」をすすめた。
・「養生の根本は発病する前に予防すること」と予防第一を主張した。
・「畏(おそ)れを実践すれば、生命を長くたもって病むことはない。(中略)畏れるということは、身を守る心の法である。(中略)人間の欲望を畏れ慎んで我慢することである」と「養生は畏れの一字」であることを力説した。
・「毎日少しずつ身体を動かして運動するのがよい」と運動のすすめを説いた。

(3)「いのちの安全保障」をめざして―非武装「地球救援隊」をつくろう
 世界を底知れぬ脅威と収奪と破壊に追い込む「軍事力中心の安全保障」はすでに時代錯誤と化している。21世紀の時代が求めているのは「いのちの安全保障」、すなわち武力を捨てて、地球の生命共同体としてのいのちをいかに生かすかを中心課題とする新しい安全保障観であり、そこから登場してくるのが非武装の地球救援隊構想である。
 これは平和憲法9条の非武装理念を活かし、自衛隊を全面改組し、新たに創設しようというものである。

そのための必要条件として次の3つを挙げたい。
*資源エネルギー(石油など)貪欲・浪費型の世界規模の経済(暴力=戦争志向型)から知足・簡素型の地域重視の経済(非暴力=平和追求型)への転換
 すでに指摘したように「知足(足るを知ること)と簡素は非暴力(=平和)の土台となる」という仏教経済学の基本テーゼを改めて強調したい。逆に「貪欲と浪費は暴力(=戦争)をそそのかす」のである。石油浪費経済を追求する米国と日本が石油確保を狙いの一つとして産油国・イラクを攻撃する上で共同戦線を張ったのは、その具体例といえる。

*日米安保体制=日米軍事同盟の解体、防衛庁の廃止と平和省の創設
 日米安保=軍事同盟は、「世界の中の安保」を掲げて、軍事的脅威を演出し、武力行使を辞さない危険な軍事的根拠地となっている。「いのちの安全保障」実現のためには日米安保の解体、平和省の創設が不可避となってきた。

*東アジア平和同盟(軍事同盟の解体、核兵器の廃絶、通常兵力の顕著な軍縮)の結成
 第一回東アジアサミット(=首脳会議、05年12月マレーシアのクアラルンプールで開催)が平和共存を旗印として「東アジア共同体」結成へ向けて歴史的な第一歩を踏み出したことを評価したい。これが将来の東アジア平和同盟の結成へと発展していくことを期待したい。

 さて地球救援隊構想の概要は以下の通りである。
*地球救援隊の目的は軍事的脅威に対応するものではなく、地球規模の非軍事的な脅威(大規模災害、感染症などの疾病、不衛生、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的救助・支援さらに復興・再生をめざすこと。
*地球救援隊の積極的な活用によって、国と国、人と人の間の対立と不和を除去し、信頼感を高め、軍事的脅威の顕著な削減を実現させること。
*活動範囲は内外を問わず、地球規模であること。

*自衛隊の全面改組を前提とする構想だから、自衛隊の装備、予算、人員、訓練、教育などの根本的な質の改革を進めること。
具体的には次のようである。
 装備は兵器を廃止し、人道救助・支援に必要なヘリコプター、輸送航空機、輸送船、食料、医薬品、建設資材・機械類などに切り替える。特に台風、地震、津波など大規模災害では陸路交通網が寸断されるため、空路による救助・支援が不可欠となる。それに備えて非武装の「人道ヘリコプター」を大量保有する。
 防衛予算(現在年間約5兆円)、自衛隊員(現在定員約25万人)を大幅に削減し、地球救援隊のために組み替える。訓練は戦闘訓練ではなく、救助・支援・復興のための訓練に切り替える。
 特に教育は大切で、いのちの尊重、利他精神の涵養、人権感覚の錬磨に重点を置き、「いのちの安全保障」を誇りをもって担える人材を育成する。

*必要な新立法を行うこと。例えば現行の自衛隊法は自衛隊の主な行動として防衛出動、治安出動、災害派遣の3つを定めているが、このうち災害派遣を継承発展させる方向で新立法を行う。従来の自衛隊法、有事関連諸法は廃止すること。


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