「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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松川事件はまだ終わっていない
その真犯人は何者なのか?

 安原和雄
 「国民学校一年生の会」(世話人代表・井上ひさし、滝いく子、橋本左内の各氏)主催の「福島のつどい―いま、松川に学ぶ」が2006年5月28、29の両日、松川事件の現場を中心に開かれ、無罪を勝ち取った事件の元被告等と交流を深めた。事件の関係者が異口同音に唱えた合い言葉は「松川事件はまだ終わっていない」であり、その思いは「真犯人は一体何者なのか」という真相究明への今後の努力につながっていく。
 「国民学校一年生の会」は、太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年に国民学校一年生に入学し、すでに古稀を過ぎた人々が侵略戦争の反省に立って、「戦争と平和」を学ぶ集まりである。今回の福島のつどいに約60名が全国から馳せ参じ、私(安原)も会員の一人として参加した。以下は現地で観て、聴いて、感じた松川事件の近況報告である。(06年5月31日掲載、6月1日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「松川の塔」に刻まれた広津和郎氏の碑文(全文)

 事件現場の近くに建立(被告たちの全員無罪が最終的に確定してから1年後の1964年9月)された「松川の塔」に、作家の広津和郎氏(注)が起草した碑文が刻まれている。この碑文の一部はあちこちに引用されているが、松川事件の概要とその本質を理解するためにも、この機会に全文(原文のまま)を以下に紹介したい。
(注)広津和郎氏(ひろつ・かずお、1891~1968年)は松川事件の裁判記録などを丹念に調べ、被告たちは無罪であることを実証的に追求した。雑誌『中央公論』などに発表されたその文章は膨大な量にのぼり、被告たちの救援運動に大きく貢献した。

松 川 の 塔

 1949年8月17日午前3時9分、この西方200米の地点で、突如、旅客列車が脱線顛覆し、乗務員3名が殉職した事件が起った。
 何者かが人為的にひき起した事故であることが明瞭であった。
 どうしてかかる事件が起ったか。
 朝鮮戦争がはじめられようとしていたとき、この国はアメリカの占領下にあって吉田内閣は、二次に亘って合計9万7千名という国鉄労働者の大量馘首を強行した。かかる大量馘首に対して、国鉄労組は反対闘争に立上がった。
 その機先を制するように、何者の陰謀か、下山事件、三鷹事件及びこの松川列車顛覆事件が相次いで起り、それらが皆労働組合の犯行であるかのように巧みに新聞、ラジオで宣伝されたため、労働者は出ばなを挫かれ、労働組合は終に遺憾ながら十分なる反対闘争を展開することが出来なかった。
 この列車顛覆の真犯人を、官憲は捜査しないのみか、国労福島支部の労組員10名、当時同じく馘首反対闘争中であった東芝松川工場の労働者10名、合わせて20名の労働者を逮捕し、裁判にかけ、彼等を犯人にしたて、死刑無期を含む重刑を宣告した。この官憲の理不尽な暴圧に対して、俄然人民は怒りを勃発し、階層を超え、思想を超え、真実と正義のために結束し、全国津々浦々に至るまで、松川被告を救えという救援運動に立上がったのである。この人民結束の規模の大きさは、日本ばかりでなく、世界の歴史に未曾有のことであった。救援は海外からも寄せられた。
 かくして14年の闘争と5回の裁判とを経て、終に1963年9月12日全員無罪の完全勝利をかちとったのである。
 人民が力を結集すると如何に強力になるかということの、これは人民勝利の記念塔である。

  以上の碑文(全文)から分かるように「松川の塔」は「人民勝利の記念塔」でもある。最近、地元の小学校で子どもたちに「松川で将来に残したいもの」について希望を聞いたところ、多くの子どもたちがこの「松川の塔」をあげた。真実に生きようと努力を重ねた大人たちの行為の結晶がこの「松川の塔」であろう。そのことを子ども心に誇りに感じているのではないか。そこに郷土愛、隣人愛も自然に育っていく。
 政府・自民党与党は教育基本法を改悪し、「愛国心教育」なるものを上から強制しようと目論んでいるが、見当違いの愚策というべきである。

 なお碑文に出てくる「下山事件、三鷹事件」について以下に補足しておく。
 松川事件発生の前月(1949年7月)の5日に下山事件が発生した。これは下山定則国鉄総裁が行方不明になった後、常磐線で轢断死体となって発見された事件で、10万人近い国鉄大量首切りの第1次通告の翌日のことである。このため首切り反対闘争が腰砕けとなった。他殺か、自殺かをめぐって話題となったが、自殺として処理された。
 三鷹事件は7月15日、中央線三鷹駅で無人電車が暴走、乗降客・市民ら6人が死亡した事件で、ここでも国鉄大量首切りの第2次通告の翌日、事件発生となった。逮捕された労働組合員10人のうち1人だけが単独犯行として死刑(後に病気で獄死)、残りの9人は証拠不十分で無罪の判決となった。やはり首切り反対闘争は挫折し、10万人近い国鉄首切りが7月中にほぼ完遂される結果となった。

▽被告団長だった鈴木氏が心境を俳句に託して

 事件の首謀者とみなされ、被告団長でもあった鈴木信氏から、死刑囚として独房に閉じこめられた体験を含め、生々しい証言を聞いた。事件当時29歳の若さであった同氏もいまでは86歳で、間もなく米寿を迎える高齢に達している。しかし老いを感じさせない。真実に生きてきた楽観主義によるものだろうか。
 2004年暮れから親しむようになった俳句に託して逮捕から無罪に至るまでの体験を語るという趣向であった。そのいくつかを紹介したい。

*すぐ帰る 夏シャツ一枚 家あとに
 1949年9月22日未明、自宅で寝ているところを8人ほどの警察官に急襲され、事件容疑者として逮捕された。身に覚えがないため、夏シャツ一枚という気楽な格好で警察官に連行された。

*知らぬ間に 犯人の名で 電波上
 警察に着いても閉じこめられたまま、取り調べもない。何が何だかわからない。しかし自分が首謀者として新聞、ラジオは一斉に報じていたことを後で知る。

*特高に 陽のあたる時 きたと薄笑い
 特高(特別高等警察の略で思想・社会運動を取り締まった警察。1945年の敗戦によって廃止)出身の警視が取り調べた。「労働運動から手を引け。そうすれば新しいポストを用意する」と転向を促すだけで、事件のことは何も聞こうとしない。おまけに「特高が廃止になってひどい目にあった。これからはそうはいかない」などとうそぶく態度だった。
 鈴木氏は事件当時、国鉄労組福島支部福島分会委員長であった。

*判決文 読む声ふるえ またどちり
 1950年12月の第一審死刑判決文を読むときの裁判長のぶざまな姿勢をうたった句で、裁判長本人が自分で書いた判決文ではない、とピンと来たという。

*殉職の 遺族もともに 真実の輪に
 この句に込められた心情を理解するには背景説明が必要である。「松川の塔」の碑文にあるように機関士ら乗務員3人が犠牲になった。その1人は松川の住人で近隣の人が現場にかけつけたときは虫の息とはいえ、まだ生存しており、わが幼子の名を呼びながら息絶えたという。
 同じ松川から犠牲者と被告が出る結果となり、それが住民同士の亀裂と反目を深めた。警察が松川の全世帯を調べ、捜査報告書をつくるという異例の捜査ぶりもこれに拍車をかけ、お互いに疑心暗鬼となり、自由にしゃべる雰囲気はなくなった。
 被告も犠牲者も「同じ被害者だ」という認識を共有できるようになったのは最近のことで、松川事件の真相を知るための本格的な報告会が2005年7月に開かれ、収容人員150人の会場が約300人の人波であふれた。句に詠まれている「遺族もともに真実の輪に」は実感がこもっている。

*隊列に 無罪つたわり どよめきの帯
*広瀬川 よろこび溢れ 青葉ゆれ
 2つの句はともに1961(昭和36)年8月の仙台高裁差戻し審判決で全被告に無罪が言い渡されたときの喜びをうたっている。

▽元被告らが「国家権力犯罪」として国を告発

 仙台高裁の差戻し審判決で被告全員に無罪を言い渡した門田実裁判長は無罪の理由として次のように述べた。「当裁判所は、あらゆる審理をつくし、真実の探求・発見に全力を傾倒した結果、(中略)珠玉の真実を発見することができた」と。
 この後、検察側の上告、最高裁の「上告を棄却」(1963年9月)を経て全員無罪が確定した。ここで注意を要するのは、被告らは「証拠不十分で無罪」となったのではなく、「事件とは無関係、つまり正真正銘の無実」という結論が出たという点である。いいかえれば、被告たちは官憲当局の事実無根のでっち上げ、つまり国家権力犯罪による被害者と認定されたも同然であった。

 元被告やその家族がこの権力犯罪を告発し、国家賠償を請求する「松川事件国家賠償裁判」に移る。東京地裁は「原告は無実、捜査・起訴・裁判継続は違法」という判断(1969年4月)を下した。国側が控訴し、東京高裁は「起訴は過失による違法性がある」(1970年8月)として、国に損害賠償を命令した。これに対し国側は上告をせず、国側の違法性と国家賠償が確定した。これは国家権力犯罪が司法の場で公的に認定されたことを意味する。

 松川事件にみる国家権力犯罪はどのようにして仕組まれたのか。地元で事件に取り組んできた大学一(はじめ)・弁護士や伊部正之・福島大学経済経営学類教授(松川資料室担当)らは次の諸点を指摘している。
①犯行を仕立てるための自白の強要(被告8人が自白)、ニセ証人(偽証)の動員、ニセ調書の作成
②ニセの犯行用道具(列車を脱線転覆させるためにレールを外すのに使うバール、自在スパナなど)、被告らの無実を証明できる証拠の破壊と隠匿
③アリバイ証拠の隠匿(共同謀議、実行行為をでっち上げるために)
 以上のやり口は元被告団長だった鈴木信氏の証言にもあるように戦争中の特高の出身者までを動員した意図的なでっち上げであった。  

▽真犯人は何者なのか―その追及のゆくへは?

 松川事件の被告たちが無実である以上、真犯人は一体何者なのか、が焦点として浮かび上がってくる。これは当然の成り行きであろう。どこかの闇に潜んで深く反省しているのか、それとも逃げおおせて薄ら笑いを浮かべているのか、そこは不明だが、事件の時効は発生から15年後の1964年8月17日午前零時にすでに成立している。

 21世紀の今の時点ではもはや法律上、真犯人を追及し、裁くことはむずかしいが、それでも真犯人が特定できれば、国家権力犯罪の全貌を知る上で計り知れない価値がある。松川事件の捜査・起訴・裁判継続が官憲のでっち上げという国家権力犯罪であることがはっきりしている以上、その陰で操り、真の実行犯をそそのかした巨悪が存在していたであろうことは、十分推理できる。
 「事件発生によって誰が一番大きな利益を受けるか」―これを追及するのが捜査の常道とされているが、捜査当局は真犯人を突き止めようとした形跡は全然ない。一体誰が松川事件によって利益を受けたのか。

 「松川の塔」の碑文からも大体のことは推察できるが、推理を働かせるために改めて歴史年表を繰ってみよう。松川事件発生(1949年8月)当時は、平和憲法の施行(1947年5月3日)後に動き出した非武装(戦力不保持)、人権尊重、民主化の理念が早くも崩れはじめ、日本の政治、経済、社会が右旋回していく時期と一致している。

 国鉄、東芝の大量首切り旋風(1949年7月)、トルーマン米大統領がソ連の原爆所有を発表(同年9月)、中華人民共和国成立(同年10月)、朝鮮戦争勃発(1950年6月)、職場などから左翼を追放するレッドパージ開始(同年7月)、占領軍総司令官のマッカーサー元帥が年頭声明で日本再武装の必要を説く(1951年1月)、講和条約・日米安保条約調印(同年9月)、陸・海・空の自衛隊発足(1954年7月)―などがその具体例である。
 米ソ間の冷戦開始とともに米国の対日占領政策が180度転換し、日本列島がアメリカの反共的世界戦略の最前線基地として位置づけられた。

▽右旋回を推進する勢力が意図するもの

 当時、右旋回を推進する勢力にとって強力な労働運動が大きな阻害要因と映ったことは想像できる。労働運動の拠点となっていた国鉄労祖福島支部、東芝松川工場労組から各10名ずつの逮捕者が出ているところから、事件を仕組んだ狙いがこの両拠点つぶしにあったことは明らかであろう。事実、大量首切りは難なく実行されるなど労働組合の抵抗力は大きくそがれた。

 松川事件発生の翌日、政府は増田甲子七官房長官の次のような趣旨の談話を発表したのも推理力、想像力をかき立てさせるものがある。
 「今回の事件は、いままでにない凶悪犯罪である。三鷹事件をはじめ、その他の各種事件と思想的底流においては同じものである」と。
 この談話を当時の新聞は大きく報道した。犯人が逮捕されていない時点で政府がこういう予断に立った談話をいち早く発表するのは、「左翼勢力の犯罪」を世間に印象づけようとする明確な意図があるわけで、奇怪というほかない。

 真犯人をめぐる推理はさまざまだが、ここではその一つを紹介したい。福島大学松川資料室の伊部正之教授は次のような説を唱えている。
 「資料を調べるほどに事件は連合軍総司令部(GHQ)と戦前戦中、中国で暗躍していた日本の特務機関関係者の仕業、と考えるのが自然ではないかと思えてくる」と。(地方紙『福島民友』2006年1月9日付「特集・松川事件 1949年」から)

▽「松川事件は再び起こり得る」という想像力を

 たしかに松川事件はまだ終わっていない。その通りだが、私はあえて言いたい。「国家権力犯罪としての松川事件は再び起こり得る」という想像力が必要なときである、と。これこそが松川事件はまだ終わっていないことのもう一つの含意であり、「いま、松川に学ぶ」べきことの核心ではないかと考える。
 いまも地元で松川事件に深くかかわっている大学一・弁護士は次のように語った。「私はいま松川事件と共謀罪というテーマに関心がある。共謀罪法案がもし成立すれば、松川事件のようなでっち上げは簡単にできるようになるのではないか」と。

 今国会で審議中の共謀罪新設法案は、犯罪行為がなくとも相談しただけで罪になり、戦前の治安維持法(注)の再現にもなりかねない悪法である。
(注)治安維持法は1925(大正14)年、天皇を中心とする国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする組織や運動を禁止した治安立法。後に刑罰に死刑を加え、さらに太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年には予防拘禁制を採用するなど侵略戦争遂行のための法的手段として悪用された。敗戦の1945(昭和20)年の10月廃止された。

 政治、経済、社会状況が右旋回していく中で松川事件という国家権力犯罪は引き起こされた。それから半世紀以上も経たいま、右旋回への動きが加速しつつあり、その仕上げの局面を迎えているのではないかと危惧する。
 市場原理主義による競争激化と弱者・格差の拡大、それに伴う民意の分断、教育現場での国旗・国歌の強制、教育基本法の改悪、在日米軍の再編による日米軍事力の一体化と実戦能力の向上(米軍再編は実戦訓練のさらなる強化によって実戦能力を高めることをめざしている点を軽視してはならない)、さらに平和憲法9条(戦力不保持)の改悪と「世界の中の安保」への改悪―などの動きがその具体例である。

 歴史の大道に反する右旋回の動きに立ちはだかる勢力としては、いまでは労働組合よりも多様な民衆・市民運動であろう。
 松川事件のときには「松川を守る会」が全国に1300つくられ、無罪を導き出す原動力にもなった。そしていま「憲法9条を守る会」は全国規模で4700を超えている。「9条を守る会」はもう一つのスローガンとして「松川事件を繰り返すな!」を掲げるときとはいえないか。そういう理念と想像力を共有し、新たな国家権力犯罪を拒否する視点に立つこと―、それが自由、民主主義、人権さらに憲法9条を守り、生かして、戦争への道を阻止するためにも求められている。


参考資料:「松川裁判と広津和郎―生涯をつらぬく文学的戦い」(1999年12月刊『大正文学5』所収)、『松川事件―しくまれた事件、その裁判と運動』(松川運動記念会・福島県松川運動記念会編、1999年4月刊)、福島県の地方紙『福島民友』2006年1月9日付「特集・松川事件―1949年」など

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コメント
この記事へのコメント
松川事件は終わっていない
現地からの松川事件の近況報告は大変興味深く読みました。作家、広津和郎氏の裁判批判の文章を当時、熱心に読んだ者の一人です。
「被告たちの目が澄んでいる。そういう人たちが犯罪を犯したとは信じがたい」と言ったのもたしか広津氏ではなかったかと思います。いかにも作家らしい真実のとらえ方だな、と感心した記憶があります。

全員無罪となったのが、1963年ですから、あれから40年以上の歳月が流れ去ったわけですね。もうすっかり過去の歴史のひとこまと化した、と多くの人は何気なく思い、記憶を閉じこめようとしているこの時に、「いやまだ終わっていない」という指摘は、眠っている心をはっとさせるものがあります。
それだけでなく、松川事件のような国家権力犯罪はこれからも、いやむしろこれからこそ起こり得る、という想像力と洞察には、言われてみれば、なるほどとうなずかざるを得ません。 

今日の「憲法9条を守る会」と同じように当時も「松川を守る会」があったんですね。ひょっとしたら「松川を守る会」が今日の「守る会」のモデルになっているのでしょうか。

見逃せないのは、「松川を守る会」は1300であったのに「9条を守る会」はすでに4700を超えているという事実です。これをどう評価したらよいのでしょうか。
虚偽と不正義、さらに国家権力犯罪を許さないという人々の強固な意志が当時に比べて格段に広がり、定着しているといえるのかどうか。そこが問題のような気もします。

「松川の塔」に刻まれた碑文の全文も現地に行かない者にとっては大変参考になります。
元被告団長の鈴木さんがすでに86歳であるにもかかわらず、老いを感じさせない生き方には安堵しました。死刑から無罪へという生死の境をさまよった体験を俳句で綴るという趣向は、「ああ、よかった」と読む者の微笑を誘わずにはおかないところがあります。
ともかく示唆深い報告で、「松川事件を繰り返すな!」には同感です。
2006/06/03(土) 15:45:35 | URL | wa. #-[ 編集]
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2006/06/18(日) 01:30:01 | URL | sagami #JalddpaA[ 編集]
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