「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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辻井喬の「入亜脱従属」論を読んで
カギは平和憲法理念の活用にこそ

安原和雄
 詩人、作家の辻井 喬の「入亜脱従属」論が示唆に富む。アジアの大国・中国と日米安保体制下の同盟国・アメリカ、この両大国と日本は今後どう付き合っていくのが望ましいかがテーマとなっている。「入亜脱従属」論が示唆するところは、日本の進むべき道として、中国との交流を深めながら、一方、日米安保体制からどう離脱を図っていくかである。
 実現のカギとなるのがわが国平和憲法の理念をどう活用するかである。そのためには「日米安保体制があるから安心という時代は終わり、わが国は独立国としてどのような判断と政策を持つべきか」が重要と問いかけている。(2012年9月8日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

(1)辻井 喬の<「入亜脱従属」の構想>

 論壇月刊誌『世界』(2012年10月号・岩波書店刊)の特集「日中国交回復40年 ― 対立を越えるために」の一つ、辻井喬(注1)論文<新世紀の日中関係への展望―「入亜脱従属」の構想>に注目したい。
(注1)つじい・たかし=詩人、作家。1927年東京生まれ。日本芸術院賞などを受賞。日本文藝家協会副理事長、日本中国文化交流協会会長など。

<「入亜脱従属」の構想>の要点を、以下紹介する。
 政治体制はそのままに、新しく市場主義を導入することに成功した中国の経済は、新世紀に入って大いに躍進している。
 一方、世界の旧来の自由市場経済は、グローバリズムの負の影響もあって行き詰まっている。第二次世界大戦後の″秩序″と考えられてきた、アメリカを唯一の超大国とし、アメリカ通貨を世界の基軸通貨とする体制の矛盾は、アジア諸国の経済発展、イスラム諸国の民主化などの結果、大きく変わる必要が唱えられるようになった。
 世界はいま、「戦争と革命の世紀」と呼ばれる百年の後で、新しい秩序を模索していると言っていいのかもしれない。
 その中で中国が採用している社会主義市場経済の成功は、世界の指導者の強い関心の的になっている。
(中略)
 中国経済の大躍進は、経済のみならず日中関係の外交、産業、個別政策、文化交流等の分野に大きな影響を及ぼす時代に入っていることが分かる。アメリカとの間に安全保障条約があるから安心であるとしていた時代は終わり、わが国は独立国としてどのような判断と政策を持っていなければならないかが問われる時代に入ったと考えるべきではないか。
 その際、経済大国として平和憲法を持っているのはわが国だけということが、諸種の判断の大きな砦であることを強調しておきたい。この平和憲法の下にあってこそ、わが国がもう一度アジアのなかのひとつの国として参入することが可能になると言っていい。
 それをスローガン的に言えば、「入亜脱従属」の時代に入った。逆の方向から言えばアジアのなかの一員になりながら、平和的な独立性を持った国となるためにこそ、現在の平和憲法は有用であるということであるだろうか。

(2)堤 清二の構想<″市民の国家″に改造を>

 毎日新聞経済部編『揺らぐ日本株式会社 政官財50人の証言』(1975年毎日新聞社刊)にはわが国政官財の有力者50人とのインタビュー記事が掲載されている。今から40年近くも前のインタビューは、当時毎日新聞経済記者だった私(安原)が主として担当した。証言者の一人として堤 清二(注2)が登場している。
(注2)つつみ・せいじ=インタビュー当時、西武百貨店社長、西友ストアー会長など西部流通グループの代表。当時の若手財界人の中では体制内反逆者ともいえる特異な存在として知られていた。

 堤発言の要点は以下の通り。
 このインタビュー記事はかなり長文であり、記事中の小見出しも「″市民の国家″に改造を」、「経済界は没落の一途」、「自己の陣営に厳しく」となっている。ここでは市民国家論の骨子を、安原との一問一答形式で紹介する。

安原:企業の社会的責任が経営者の基本的行動様式の基準になり得なかったとあなたは指摘している。それは日本産業風土の特殊性によるものか、それとも資本主義体制の本質的欠陥が出てきたものと考えるか。
堤:それに答えるのは、実はこわい。資本主義が社会的有用性を持っていたころはプラスの役割を果たした。しかし現在、資本主義の社会的な役割は一段階を終えたのではないかというイヤな予感がする。新しい時代の資本主義に関するビジョンが生まれない限り、今日みられるデメリット(欠陥)が出続ける危険性がある。公害、インフレ、資源問題などがそのデメリットで、これはケインズ経済学の破産にもつながっていく問題だ。

安原:公取委の大企業分割論など独禁法強化の動きに対し、経済界は「今の自由主義経済にとって自殺行為」と反対している。独禁法強化は日本資本主義の延命策であるはずだが、経済界の目にはそうではないと映るらしい。これでは経済界はかつての公害問題で犯したのと同じ愚を繰り返すのではないか。
堤:まさにその通りだ。資本主義の役割が一段階終わったとすると、次の資本主義は混合経済だろう。公経済の分野がひろがって、それと私経済との混合による新しい資本主義になっているのに、日本の経営者はいまなおアダム・スミス当時の自由主義経済を頭に描いている。財界だけがタイム・カプセルに入って凍結されていたわけだ。
しかしアダム・スミスを読み直してみると、スミスさえ、自由競争には限界があるとして、企業家の自己抑制などの必要を強調している。日本のえらい方は自己流にスミスを読み違えているとしか思えない。とにかく自由にやらせるのが自由主義経済だといっていたのでは大衆から見放される。

安原:公経済の分野が広がっているということだが、どの程度の公権力の介入ならよいと考えるか。
堤:いまの国家は、市民社会のための装置だ、という認識をもつべきだ。市民社会のための政府であれば、介入も市民社会のための介入になるので、企業にとっても歓迎すべき介入になるはずだ。介入が是か非かではなく、介入する国家の体質が市民社会のためになっているかどうかが問題だ。しかしいまの政府が現実にそうなっているとは思えないので、市民社会のための国家に改造していく必要がある。そして介入の仕方、分野、度合いについて介入を認める立場で注文をつけていく。

<安原の感想> 「入亜脱従属」のカギは平和憲法の活用
 辻井 喬に続いてなぜ堤 清二が登場してくるのか。ご存知の方には蛇足とも言えるが、両者は同一人物で、本名・堤のペンネームが辻井である。同一人物というだけではない。辻井の最新の<「入亜脱従属」の構想>は、実は堤の40年も前の「市民国家論」をさらに発展させたものとも評価できるからである。
 かつて堤が説いた市民国家論は「市民のための国家」であり、言い換えれば、「資本主義のための国家」ではない。また資本主義を担う「企業家たちのための国家」でもない。そういう含意の市民国家論が21世紀の今、<「入亜脱従属」の構想>として発展した姿形でよみがえってきたと受け止めたい。

 しかも<「入亜脱従属」の構想>は「アメリカとの間に安全保障条約があるから安心であるとしていた時代は終わり、わが国は独立国としてどのような判断と政策を持つかが問われる時代に入った」という、まさに今日的な新しい状況認識に立って打ち出されている点に着目したい。
 その<「入亜脱従属」の構想>の具体的な柱として次の諸点を挙げることができる。
・経済大国として平和憲法を持っているのはわが国だけということ。
・それが諸種の判断の大きな砦であること。
・平和憲法の下でこそ、わが国がもう一度アジアのなかのひとつの国として参入することが可能になること。
・平和的な独立性を持った国となるためにこそ、平和憲法は有用であること。

 以上から読み取れるのは、反戦・平和を目指すわが国平和憲法の存在価値を高く評価すると同時に「入亜脱従属」のカギは平和憲法の活用にかかっていることを力説し、さらに脱「日米安保体制」をも示唆していることである。これらの諸点を見逃すことはできない。


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コメント
この記事へのコメント
今の社会は、誰のためのものか正直、分かりません。
長時間働いても、普通に暮らせるほどの給料を貰える人は少なく、企業維持のための社会という感じです。
社会を支える人のことは忘れられ、何のために生きているのか分からなくなっています。
2012/09/08(土) 23:28:32 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
誰のためのものか
今の社会は、誰のためのものか正直、分かりません―という指摘は、多くの人が感じている疑問ではないでしょうか。企業維持のための社会―という疑問も同感です。
社会は本来、広く国民のためのものであるはずですが、それが「社会のため」というよりも「会社のため」のものになっています。一口に会社(=企業)といっても、大企業もあれば、同時に中小企業も多いわけですが、現実は<「会社のため」=「大企業のため」>という印象があります。
単純化していえば、1990年代から続いている例の新自由主義(=市場原理主義)路線がその背景にあるといえないでしょうか。非正規労働、貧困、格差の拡大は、まさに大企業優位の新自由主義路線が生み出したものです。この悪しき路線をどう変革していくか、最大の課題と言えます。(安原和雄)
2012/09/14(金) 18:17:30 | URL | 仏教経済塾亭主 #-[ 編集]
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