「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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貪欲? それとも貧欲?
〈折々のつぶやき〉15

 安原和雄
 世の中に「うっかりミス」は珍しくない。プロの分野も例外ではない。最近の事例を取り上げたい。有力経済誌『日経ビジネス』(06年4月3日号)表紙に載った特集の題名が「貧欲社会から解脱せよ―稲盛和夫 京セラ名誉会長」となっている。
 一見して、このどこがおかしいのか、お気づきだろうか。今回の〈折々のつぶやき〉は15回目。(2006年5月2日掲載)

 私は最初、「貧欲社会から解脱せよ」という見出しをみたとき、皮肉めいた題名をつけたな、と思った。ところがページをめくって、稲盛会長とのインタビュー記事を読むと、つぎのような大きな活字が躍っている。
「貪欲社会からの解脱 心のブレーキを踏め」
「意欲で勝ち、貪欲に負ける 成功者が押す破滅のスイッチ」
「ホリエモンは戦後教育の産物」
「今だからできる戦後からの解脱 22世紀、世界の素封家たれ」など

 これらの見出しをみただけでも、傾聴に値するインタビュー記事であることが分かる内容である。これはあえて付けた皮肉な見出しではなく、うっかりミスの類だと気づいた。どこがミスなのか。そう、「貪欲社会から解脱せよ」とすべきところが、「貧欲社会から解脱せよ」となっているのである。「貪」(どん)が正しく、「貧」(ひん)はおかしい。

 うっかりミスを責めているのではない。この種のミスは生じやすい。貪と貧を混同するミスには私はこれまで何度も出会っている。ここではなぜこういうミスが生じるのか、ミスを免れるには何に気をつけたらよいのかを考えて、いや、つぶやいてみたい。

 実は私は昨(05年)春まで講じていた経済学(足利工業大学の教養科目)では仏教経済学(私が名づけた別称=知足の経済学)と現代経済学(同=貪欲の経済学)を比較することも一つの柱であり、その中で貪と貧の違いをつぎのように説明していた。

 漢字の意味を理解するには、その漢字を分解してみるのも有力である。
 貪は「今」と「貝」に分解できる。貝はその昔、貨幣として使われたこともあるくらいで、カネ、財を意味している。今は「一瞬一瞬」、「常に」と理解できる。なぜなら人生とは常に一瞬一瞬の今の連続でもあるからである。
 だから今と貝の結合語である貪は今という一瞬一瞬を「カネ、カネ」、「財、財」と思い暮らしていることになる。これが「貪」であり、貪欲はむさぼりを意味し、犯罪や戦争にも通じる。良い意味では使われないことが多い。

 一方、貧は「分」と「貝」に分解できる。これはカネあるいは財を他に分け与えることを意味しており、カネや財を分けた結果、自分は貧となるが、清貧という言葉があるように貧は良い意味でも使われる。
 以上のように理解していれば、貪と貧を混同することも避けることができるだろう。

 ついでにいえば、「忙しい、忙しい」と言い暮らしているサラリーマンが企業社会では少なくない。今日のように競争の激しい企業社会では「忙しい」という心情はよく理解できるが、だからといってこの言葉は軽々に使わない方がよい。
 なぜなら「忙」という漢字は左の立心偏と右の亡に分解でき、立心偏は心を指してもいるから、忙は「心を亡くす」という意味になる。「忙しい」、すなわち「自分は心を亡くし、自分自身を見失ってウロウロしている」とわざわざ説明しながら、歩く必要はないだろう。君たちもサラリーマンになったら、心して欲しい――と。

 大学では以上のように講義したものである。うっかりミスのお陰で講義を想いだし、改めて勉強させていただいた。これは皮肉ではなく、感謝している。


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コメント
この記事へのコメント
プロの分野でも例外ではないといううっかりミス、貪と貧との違い大変勉強になりました。
芸術的とも言える漢字、そしてこれを織りまぜた日本の詩歌など、日本人として日本文化を大切にしていきたいと思います。
ところで、日本語の危機が叫ばれてから久しい。そこには、テレビの普及による読書離れ、読む力の低下があり、パソコンや仏教経済塾でも問題提起された携帯電話の普及による書く力の低下があります。
近時、大学生の日本語力が中学生並みだといわれていますが、確かに、一見間違い易い「貪」と「貧」のようなうっかりミスではなく、どうみても間違えようのない眼を覆うような、まさに日本語力の低下によるミスを見かけることが多くなったような気がします。
これは、ゆとり教育や時代の流れだけでは済まされない多くの問題を内包しているように思います。
そういう私も、パソコンに頼り手で書くことから遠ざかって、書く力の低下を実感したり、漢字変換といううっかりミスに反省する昨今です。
“品良く”コメントするつもりが“貧良く”ないコメントとなりました。
2006/05/03(水) 14:02:19 | URL | h.y. #-[ 編集]
貪欲の源はシステム
〈折々のつぶやき〉15を読み、早速、角川漢和中辞典を参照してみました。「貧(ひん)」は筆者の言う通り。「貪(どん)」には、「独り占めをする」と言う意もあるとの説明があり、いかにも現代の競争社会における奪い合いにぴったりする言葉のようです。
この「貪」の源は、「個人」の倫理観にもあるとは思いますが、それにもまして、投下した資本を元に利益を上げ、さらに資本を増やそうとすることを目的とする企業など「システム」の仕組み、あるいは、それを成り立たせている社会のルール、即ち、市場主義経済システムこそがもっと中心的な源であるように感じます。例えば、個人的には清貧な生き方をしている人が社長職に就いている企業の経営方針が実に貪欲な例をよく見かけます。
この貪欲さを許している現状のシステムからの脱皮が本塾の目的だと、私は認識しています。
ただし、芸術の世界での美の追求や、スポーツの世界での自己の能力向上への「個人」の貪欲さは失いたくないですね。
2006/05/04(木) 08:31:41 | URL | 入江泰平 #-[ 編集]
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