「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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リーダー不在の集団行動
<折々のつぶやき>13

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。<折々のつぶやき>13回目。(06年4月9日掲載)

 今春、雪山登山での遭難が相次いだ。なぜこういう悲劇が生じたのかをめぐって登山仲間からメールがいくつも寄せられた。これを読みながら、私はかねてから感じている「リーダー不在の集団行動」の落とし穴を改めて考えてみたい。

 最初に断っておきたいが、私の登山レベルは、山歩き程度で、雪山を踏破するための技量は身につけていない。だから雪山に登ったこともないし、登りたいと思ったこともない。私の関心事は登山に限らず、さまざまな集団行動のあり方である。

 さて集団行動にともなう落とし穴にすべり落ちるのを防ぎ、難事、悲劇を避けるためにはなにを心掛けたらよいだろうか。日頃、心掛けるべきことについて自分の頭や心で想定問答を繰りかえしていることが必要だが、その要点をいくつかあげたい。

▽自己責任感覚
 最近、たとえば交差点で赤信号を無視して渡る若者が多い。交通事故に遭えば、それは自己責任というものである。趣味の範囲を出ない登山も、自由意思で実行しているのだから自己責任原則が基本である。登山による遭難を美化する風潮もあったが、それは過去の話である。悲劇を乗り越えることができるかどうかは自己責任であることを多くの人は忘れてはいないだろうか。

▽ベテランの失敗
 山での遭難には、それなりの登山技術を身につけた経験豊かなベテランが意外に多い。周囲の人は「あのベテランがなぜ・・・」という疑問の声をあげる。しかしあえていえば、ベテランだからこそ失敗したのではないか。
 「おれはプロだ」と慢心しているとすれば、その人は限りなく、悲劇に近づいている。ベテラン、プロの最低必要条件は絶えざる自己鍛錬、いいかえれば自分との競争である。「自分との競争」にはこれで十分、という限界はない。自然を甘く見てはいけない。自然は本来畏敬すべき対象である。

▽「饒舌こそ金」
 「沈黙は金」はもはやカビが生えている。独りよがりの勝手主義とは異質のいい意味での自己主張、問題提起、具体的な提案が集団行動には不可欠である。私はこれを「饒舌(じょうぜつ)こそ金」と呼びたい。自慢にもならない苦い体験を1つ披露しよう。
 かつて30名ほどの寄り合い集団行動に参加したことがある。みなさん、立派なサラリーマンたちである。企業内ではおそらく優秀な人材なのだろう。ところが企業外での集団行動となると、途端に物言わぬ「烏合の衆」(もっとも本物のカラスたちは騒々しいですが)となる。ウロウロしていて定刻を大幅に過ぎてやっと目的地に到着する、また相手との約束時間に遅れそうになる―などが重なり、我慢強い私もついに「饒舌は金」を実践する羽目となった。山中ではなく、都市でのことである。
 連絡係としての幹事はいたが、司令塔としてのリーダーが不在であったために生じた不手際であり、舵を失った船のように蛇行を繰りかえした。残念ながらこの種の集団行動が後を絶たないのは日本社会の特色の一つである。

▽思い込みはいのち取り
 数年前の夏のこと、たしか神奈川県下の河原でキャンプ中の親子たち約10名が夜中の増水のため、「気づいたときは、時すでに遅し」で川岸に戻れず、犠牲になった事故がある。前夜の雨のため増水の危険があるとの警告が出されたにもかかわらず、彼らは「私たちは毎年来ており、事情はよく分かっている」と言って避難しなかったと、当時報道された。
 「これまでは大丈夫だった」という成功体験、だから「今回も大丈夫」という根拠なき思い込みが悲劇の原因であろう。気象条件を含む多様な状況のちょっとした変化に敏感になること―思い込みや成功体験を捨てることは自己否定を意味するから、現実にはむずかしいとしても―微妙な変化を察知することは、わが身の安全を守るためには必要不可欠である。

▽自覚なきリーダーたち
 リーダーでありながら、その自覚をもてない名目だけのリーダーが多すぎるのではないか。「まあまあ・・・」、「なんとかなる」式の発想で、想像力・危機意識を欠いた馴れ合い型集団行動から抜け出せず、いざという大事、危険に直面しても有効打を放てず、悲劇を招く。
 今春の雪山遭難例の1つ、ベテラン揃いの9人のパーティのうち最後尾にいた女2人組が取り残されたが、その前の男7人はそれに気づかず、先へ進んでしまったのが女2人が凍死した悲劇の原因らしい。前方組にいたリーダーは折々になぜ振り向かなかったのか。視界不良だったらしいが、それならなおさら振りかえり、待つ、あるいは戻って隊列を組み直す配慮が必要なことは素人でもわかる道理である。

▽夏目漱石の警句
 明治の文豪、夏目漱石は「専門家は自分の専門以外のことはなにも知らない。針の先で井戸を掘るようなことをしている。深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い」と言った。いいかえれば専門家と専門バカ(一分野だけの専門家であるために視野が狭いこと)との差は紙一重でもある。
 私はこの漱石の警句を「小さな専門家よりも大きな素人をめざせ」と読み替えている。想像力豊かな全天候型で、しかも「人の和」をつくることができる「大きな素人」こそリーダーの必要条件― 十分条件ではないとしても ―ではないかと考える。もっとも「小さな素人」では困りますね。


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コメント
この記事へのコメント
たまにならいいですが、普段は基本的には集団行動はとりません。仕事のプロジェクトチームでも旅でも、何をするにも基本は一人、または選び抜かれた人材での少人数が快適です。

一人ならもう少ししっかりしているはずの大の大人たちが、大人数になると突然考えることを放棄して依存的になったり烏合の衆と化したりするのが、なんだかうんざりしてしまうのです。そんな中でリーダーをやるのもあまり気が進みません。

それが1年に一度のお花見とか、忘年会とか、そういうのならまだかまわないのですが(大勢で集まる楽しさっていうのもありますからね)、毎日続く仕事とか、数日続く旅行だったりすると・・・うーん、やっぱり私はパスです。

ところで、「小さな専門家よりも大きな素人をめざせ」・・・本能的なバランス感覚がある人は素敵です。

私自身は向こう見ずで衝動的なところがあり、日々反省ばかり、時々大失敗をしてしまいます。私の友人で、向上心があり努力家であり、いろいろなことを次々達成していきながらも常に慎重で節度があり、「ああ、この人は絶対事故を起こさないだろうな」と思える人がいます。行く時は行くけれど、引く時は引く。勇気があって、潔く、賢いなあ、いつも見ていて感心します。その絶妙なバランス感覚は、まるで野生動物のようです。

臆病だったり怠惰だったりして何事にも挑戦しない人は問題外ですが、この友人が最近の私の目標です。
2006/04/09(日) 08:39:01 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
リーダーの要否
雪山登山での遭難に触発されて書かれた「リーダー不在の集団行動」の落とし穴についての筆者の考察には、誠に教えられるところ大でした。
▽自己責任感覚
▽ベテランの失敗
▽「饒舌こそ金」
▽思い込みはいのち取り
▽自覚なきリーダーたち
▽夏目漱石の警句
これらは、すべて、リーダーになる人は肝に銘ずべきことですね。
実は、学生時代にわずか1年間山岳部に属したことがあり、その時に、登山におけるリーダーの役割について、次のようなことを先輩から教えられました。
リーダーは登山パーティーの最後尾を歩き、全員の疲れの状況を常に把握して、先頭のサブリーダーに歩調を上げたり、下げたりの指示や休憩の指示を出すのだそうです。サブリーダーはルートの選択をしたり、傾斜や岩石の状況に応じて歩調の基本的な調節をします。そして、パーティー中の誰かが落伍しそうな気配を感知すれば、リーダーは荷物の分担の再調整までさせて、一人も落伍者を出さずに登山の目的を達することが役目だと言うのです。もちろん、一人でも登山中に犠牲者を出したりしたら、険しい山に登頂できたとしても、その登山は失敗だと厳しく言い聞かされました。
そういうリーダー像を記憶していると、最近、企業において、大規模なリストラで社員の首を切ることにより業績を回復させた経営者が「優秀なリーダー」として誉めそやされているのを見ると、ちょっと違うんじゃないかと思うしだいです。
集団行動と言うことで、私が不思議に感じていることに、渡り鳥たちの行動があります。暖かい季節が来て、彼らが群をなして北国に戻って行く飛行の様子を見ていると、一羽一羽の鳥は
懸命に羽ばたいて、しかも、群は全体の形を柔軟に変えながらもばらばらになることなく、北を目指して飛んで行くのです。どの群を見ても、その群の中で
「右へ行け、こんどは左だぞ」などと号令をかけているようなリーダーのような鳥は見えないのです。彼らにリーダーは居ないのでしょうか。あのような集団行動を見ると「いいなー」とつい憧れてしまうのです。
2006/04/10(月) 10:25:38 | URL | 入江泰平 #-[ 編集]
「リーダー不在の集団行動」の落とし穴を防ぐ要点、私も若い頃に山に憧れ、ビバークの経験を持つ一人として同感です。これは、私のこれからの人生にも「戒め」としていきたいと思います。
それにしてもこの問題、まさに山中でなく都市、政財界の問題でもあります。
永田町では、「思い込みは命取り」を実践してしまった、民主党永田議員の偽メール事件があります。
(集団としての)民主党のリーダー前原代表や小沢議員を含む幹部は、これを永田議員個人の問題として、事件の初動段階においても、真の観察でなく、責任を避けるためのいわば様子見に終始し、状況判断を見誤り、その結果、最悪の遭難という危機に陥れたように思います。
新しい代表に選ばれた小沢さん曰く、「私も変わらなければならない」 小泉さん曰く、「人間はそう簡単には変われない」
バランス感覚に欠ける小澤さん、既に内紛の様相をも呈した民主党の「人の和」をつくる「大きな素人」になり得るか。野党第一党のリーダーとして頑張って頂きたいものですね。
2006/04/10(月) 11:46:34 | URL | h.y. #-[ 編集]
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