「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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破壊型くるま社会から脱出する道
連載・やさしい仏教経済学(35)

安原和雄
 車(くるま)社会をどう変えていくかは、避けて通れない大きな課題となってきた。車社会は、毎年多数の事故犠牲者を出し、人命破壊型であるだけではない。鉄道やバスに比べると、大量の排出ガスによる地球環境の汚染・破壊型でもある。破壊型くるま社会から脱出する道はあるのか。
 その道はマイカー(自家用乗用車)中心から鉄道、バスなど公共交通中心への交通体系の構造転換である。これを促進させるためには交通負担のあり方を変革し、自動車よりも公共交通の負担を一段と割安にする必要がある。また健康重視のためにも、自動車を捨てて、自転車や徒歩による移動をできるだけ心掛けたい。そのためには高速道路ではなく、自転車道、歩道の整備が欠かせない。この分野の公共投資促進こそが重要なテーマとなってきた。(2011年3月8日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽ 30年後の未来の高速道路は? ― マラソンの風景も

 あなたは自動車は便利な文明の利器だといまなお信じてはいないだろうか。本当に便利なのだろうかと疑問に思い始めたとき、日本変革への第一歩を踏み出すことになる。いきなり30年後の未来へ飛翔してみよう。そこで次の問題を考えたい。

<問い1>30年後の日本の高速道路で果たしてマイカーは走っているだろうか?
<答え> いまどういう改革に取り組むか、その結果にかかわっており、しかもかなり先の未来予測なので、正解は見通しにくい。しかし可能性を考えてみると、マイカーは恐らく走っていないのではないだろうか。環境破壊とエネルギー浪費型の元凶であるマイカーがなお走っているようでは、人間が生存していく基本条件である自然を含む環境が相当破壊されていることになる。マイカーは健在だが、肝心の人間様が息も絶え絶えという状態では落語のネタにはなっても、様(さま)にならない。高速道路では高速バスが主体になっている可能性が高い。そのバスも太陽光(熱)をエネルギーとするソーラーカーであるだろう。
 日曜日など休祭日には車を通行止めにして人間がマラソンで汗を流しているかもしれない。あるいは緑の豊かな山間地の高速道路のあちこちで「歩け歩け大会」を盛大に催しているだろう。瀬戸大橋が開通する前日、多くの人々が「翌日からはもはや歩けない」という思いで、一斉に歩いて渡った事実がある。本来は、人間の歩行が禁止されている高速道路である。だからこそ、そこで歩いたり、走ったりすることは、人間性回復への試みであり、さらに自然環境保全にとどまらず、破壊された環境を再生させ、新たに創造していく営為でもある。

▽ 交通体系の転換を ― マイカー中心から公共交通中心へ

マイカーを主役とする現在の車社会は弊害が多すぎる。
 まず人命破壊型である。わが国での交通事故の死者総数は6000人近くにのぼる。ただ事故から24時間以内に亡くなった犠牲者に限れば、約5000人(09年)であり、負傷者は100万人を超える。
 次に排出ガスによる環境の汚染・破壊型である。例えば二酸化炭素(CO2)は地球温暖化を促進させる。地球温暖化は異常気象による災害の増大、食糧生産の低下と飢饉の増大、生態系への悪影響、健康被害(熱波による死亡者の急増など)、海面上昇による沿岸地域の水没など多面的な悪影響をもたらし、人間や動植物の生存基盤を破壊していく。
さらに環境省のデータによると、1人が同じ距離を移動する場合、マイカーは、鉄道に比べ約6倍、バスに比べ約2倍の化石エネルギーを浪費し、それだけ地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)を大量に排出する。

 このことは車社会が地球環境にやさしい持続的発展と矛盾対立するものであり、これ以上、車社会を推進することは大いなる疑問であり、車社会の構造変革が不可欠である。その具体策はなにか。次の諸点を挙げたい。
* 現在のマイカー中心から鉄道、バス(路線バス、コミュニティ・バス)、路面電車など大量輸送の公共交通中心の交通体系へ転換すると同時に、自転車、徒歩も重視すること。
* 政策手段として高率環境税(炭素税)を導入し、マイカー利用者の負担を増やす一方、公共交通機関である鉄道、バスの実質的な料金引き下げを図ること。例えば通勤利用者には通勤特別割引制度を実施し、その負担を軽くし、鉄道、バスへの乗り換えを促進する。
* 自転車道と歩道を全国的に整備し、自転車利用と歩くことを奨励すること。これは良い社会資本の整備につながる。
* マイカー削減の代替策として地方自治体が地域で小回りの利くコミュニティ・バスの積極的な活用を進め、高齢者など住民の足を確保すること。
*都市での路面電車を普及させること。欧米で普及しつつあるLRT(Light Rail Transit=低床型で高齢者などが利用しやすく、しかもエネルギー節約、環境保全にもプラスの新型路面電車)が熊本市、富山市内などですでに運行している。多様な路面電車の普及は従来とはひと味異なった楽しい街の散策も可能にしてくれるにちがいない。
*カーシェアリング(車の共同利用)を広げていくこと。車を所有していなくても必要なときに好きな車種を選んで乗ることができるわけで、高額のマイカー維持費から解放されるし、駐車スペースを家庭菜園や花壇に作り替えるというプラス面もある。

 以上の個々の改革策はヨーロッパをはじめ、先進各国で進行中であり、日本でも例えばコミュニティ・バスの導入に取り組む地方自治体も増えつつある。重要なことは持続的発展に反する車社会を改革するための明確なビジョンを掲げて国を挙げて取り組む姿勢を打ち出すことである。

▽ 地方のくるま社会の行方 ― 公共交通の復活を

 私自身はクルマを持っていないし、だからといって東京での暮らしに不便を感じることはない。地下鉄、バスなど公共交通の利用派である。しかも出来るだけ歩くよう努めている。そこで感じるのは最近の自転車の乱暴運転である。
 自転車による歩行者への事故は全国で2934件(09年)で、10年間で4倍近くに増えた。死者も出ている。道路交通法では自転車は、原則として車道の左側を走ることになっている。ところが歩道でケータイ電話を見ながら走る無謀運転が目立つ。わたし自身、歩道を歩いていて何度もひやりとさせられた。自転車や徒歩を新しい交通手段の推奨銘柄と評価する者としていささか残念に思う。
 時折帰省する郷里の田舎でも自転車か徒歩であることが多い。ただ遠出の際は車に依存することになる。ここでまた疑問、問題を考えたい。

<問い2> 「東京や大阪のような大都市ならともかく、地方では車がなければ、生活そのものが成り立たない」という疑問が出される。これをどう考えるか?
<答え> たしかに田舎や地方都市では鉄道やバスは乗客が減少し、次第に削減、廃止されていく運命に追い込まれてきたところも少なくない。だから自動車が必要なのだという言い分は一応もっとものように見える。
しかしこういう思考方法は自動車が交通機関の主役になっている現状はどうにも変えがたいという思い込みによる。歴史的にみれば、いまのような混雑を極める「くるま社会」は精々40年程度の歴史しかない。地方の自動車道路を整備し、マイカーが増えたから、鉄道、バスが押されてきたのである。ただもはや原油供給の先細りは避けがたいし、石油価格高騰とともにマイカー利用の負担は重くならざるを得ない。一方、公共交通(鉄道、バス)、自転車に優遇策を講ずれば、マイカー依存度が低下し、公共交通、自転車などが復活していくにちがいない。

 大切なことは、現在のマイカー中心の社会構造をどう変革していくか、その意志があるのかどうか、適切な政策手段を断行するかどうかである。
 以上のようにやり方次第で現実はいくらでも変革できる。くるま社会にマイナスが多いからにはマイカーに主役の座を降りて貰う以外に打開策はない。

▽ マイカー依存度を低める文化を ― 自動車文明を反省するとき

自動車を大幅に減らさないかぎり、人命尊重・環境保全・エネルギー節約型社会の形成はそもそも無理なのである。マイカーの特性であるスピード、便利、密室性といった近代工業文明の所産に酔いしれているときではあるまい。この際自動車文明を根本から反省するときではないだろうか。その具体策は何か。

 まず一人ひとりのライフスタイルを変えてみようではないか。
 とにかくできるだけ歩くことである。歩くことは省エネ・無公害型の基本的交通手段であり、これは自転車も同じである。 どちらも健康によい。車に乗り慣れて足を弱くし、急速に老いていく人たちがいかに多いことか。
 歩いていれば、頭脳が活発になり、眠ることもできない。会議をだらだらと無為に続けないためには、座らないで立って行うのも一法といわれるのはここからきている。その昔のまた昔、二本足で歩くことによって猿から人間へと進化した。歩く努力をしないことは人間であることを止めることにもつながる。
 フランスの名言に「才子は馬車に乗り、天才は歩く」(木村尚三郎ほか著『続・名言の内側』日本経済新聞社)がある。18世紀のパリでの話で、新交通機関として登場した馬車に乗ることがステイタス・シンボルとなり、田舎出の才子たちは、争って馬車に乗り、カッコよく振る舞った。しかし天才(見識のある人)は悠然と歩くことを好んだというのである。

 さて「トラベル・スマート」(TravelSmart)という新語が登場してきた。「クルマへの依存度を低めることを目指す文化的変革」『地球白書』(2010-2011)を指しており、その「脱マイカー」がコミュニティを基盤にした家庭主導で展開される、という新しい動きである。オーストラリア、ヨーロッパ(特にイギリス)の都市で広まり、アメリカの6大都市で試みられている。
 この試みに参加した人々は、成果、効果について次のように指摘している。
・脱マイカーが自身の健康、地球環境の保全と修復にとっていかに有益であるかが分かる。
・地域内を「歩くこと」、「自転車で移動すること」、特に徒歩や自転車での通学を奨励する。
・身体を動かして移動することは、若齢者の土地感覚やコミュニティへの帰属意識を育むために重要であり、同時に肥満症の有効な予防策となる。
・この試みが実施されたコミュニティでは、マイカーでの移動キロ数が12~14%減っている。
・この試みに関わった人々は次のように語っている。
「マイカーのハンドルを握っているよりは、自転車、徒歩、バスで行く方がいかに爽快であるかを感じる」
「マイカー利用よりも金銭的な節約になるし、地球温暖化の緩和や石油の消費抑制にも、いささかの貢献をした実感が得られる」

日本社会ではマイカーについて文化という認識は希薄である。しかしいまやマイカーを中心とする車社会を変革していく、その望ましいあり方を文化として捉えるのが、世界の新動向である。こういう潮流に乗り遅れないようにしたい。

<参考資料>
・ワールドウオツチ研究所『地球白書』2010‐11「特集 持続可能な文化」(ワールドウオツチジャパン、2010年12月)

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