「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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健康な人をめざす高齢社会の設計
連載・やさしい仏教経済学(34)

安原和雄
健康とは何だろうか。一口には答えを出しにくい難問である。この世に生を享(う)けたからには健やかな人生を全うしたいと誰しも願うにちがいない。しかし思いのままにはならないのが現世の切なさ、もどかしさでもある。
 健康観も時代の推移とともに変化をつづけてきた。21世紀版健康とは何かと自問してみれば、ただの長寿では十分な答えにはならない。価値ある生き方、とでも言えるだろうか。その生き方も多様で、「知足とシンプルライフ」の実践もあれば、「変革を志すのが健康な人」というイメージも浮かび上がってくる。世界最長寿(女性)を長年維持しながら、決して健康とはいえない日本の社会状況下で健康な人をめざす高齢社会の設計について考える。(2011年3月1日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽ 日本人女性の平均寿命 ― 25年連続で世界1位

 以下の<問題>の数字は何を意味しているのか。頭の体操のつもりで取り組んでみたい。正解が分からないからといって落胆するほどのことではない。いずれも最近の新聞記事から選んだもので、高齢や健康に関するデータである。正解は<答えのヒント>にある。

<問題>
(イ)79.59歳 、86.44歳
(ロ)2944万人、23.1%、826万人
(ハ)4万4449人、208万人、10人に1人

<答えのヒント>
(イ)日本人の平均寿命(2009年。この年生まれのゼロ歳の子どもが何年生きられるかを予測した数値)は男性79.59歳、女性86.44歳でともに過去最高となった。女性は25年連続で世界1位の座を守り続けている。男性は前年の4位から5位となった。
 参考までにいえば、平均寿命に対し、「健康寿命」にも注目したい。国連世界保健機関(WHO)によると、日本人の平均健康寿命も世界一とされる。健康寿命とは、食事、入浴など日常生活を自力で行う能力があり、認知症でもなく、健康状態で暮らしている期間を指している。平均寿命に比べ、健康寿命の方が短いが、両者の差が小さいほど望ましい。そのためには生活習慣病や寝たきりなどをどう防止するかが課題となる。

(ロ)日本の65歳以上の高齢者人口(2010年9月「敬老の日」を前に総務省が推計)は2944万人、総人口に占める割合は23.1%で人口、割合とも過去最多となった。80歳以上の人口は826万人(男性282万人、女性545万人)で初めて800万人を越えた。高齢者世帯は960万9千世帯(全世帯の20%)、高齢者虐待は1万5千件超にもなる。

(ハ)日本の100歳以上の人口は、統計を取り始めた1963年の153人から2010年には290倍の4万4449人になった。一方、認知症のお年寄りは現在は推定208万人で、2030年には353万人に増え、65歳以上の10人に1人が認知症になる可能性がある。

▽ 「高齢社会・日本」の実像は ― 「病人大国・ニッポン」

長い人生の旅路では予想外の事態はやはり避けられないのだろうか。わたし自身の闘病歴をここで告白しておきたい。
 小中学生時代、病弱であった。半世紀以上も昔のことである。冬になると、小中学生には珍しいといわれる関節リュウマチに何度もかかって、身動きが不自由で、寝たきり同然となった。その都度一か月以上も学校を休み、自宅療養した。
 高校へ進学した春、病弱の体質をどうするかが課題となった。父親の一言が私の耳に今なお残っている。「冷水摩擦で鍛えたらどうか」と。「なるほど」と受け止めた私はその日から直ちに実行した。
 毎朝、上半身を裸にして、タオルを水で濡らし、しぼっての冷水摩擦である。昔の田舎の農家で、今日のような上水道はまだなく、井戸は戸外にあった。冬の雪の降る日でも、その雪を全身に浴びながら、欠かさなかった。屋内での乾布摩擦でもよかったかも知れないが、そういう発想はなかった。冷水摩擦にこだわった。お陰で高校3年間、風邪も引かず、病気で欠席することはなかった。
 それ以来関節リュウマチも再発することなく、わが体質の構造改革ができたと実感した。いまなお冷水摩擦は、毎朝の洗顔と同じ感覚で続けており、寝込むような大病にも罹(かか)らずに済んできた。

 ところが最近、ある日突然、足にしびれを感じ、歩行に支障をきたすようになった。冷水摩擦のお陰で病(やまい)には無縁になったという思いは、身勝手な自己診断でしかなかったのか。後期高齢者(75歳以上)の身となって、後ろから追いかけてきた病魔に鷲づかみに捕まったという印象である。専門医によると、病名は「腰部XXX狭窄症」で、これで苦しんでいる人は意外に多いようで、気長に付き合うほかないらしい。
 不思議なもので、この病のお陰で、これまで見えなかったものが観(み)えてきた。高齢者に限らず、杖をつきながら歩いている人、足を労(いたわ)るようにゆっくり歩を進める姿がいかに多いことか。「高齢社会・日本」の実像は「病人大国・ニッポン」であることを思い知らされた。こうしてわたし自身、後期高齢者の一人として、持論の健康・病気観を変えるほかない。病とともに生きる、と。しかも病との二人三脚で生き甲斐をどう発見していくのか、と。

▽ 低負担型高齢社会の設計(1) ― 新しい健康観を身につけよう

 わが国の高齢社会の行方に関する有力なシナリオは、高齢者がもっと増えて、本格的な高齢社会が定着するコースで、高負担型にならざるをえないと多くの人は受け止めている。本当にそうだろうか。思い込みではないのか。そういう呪縛から脱出をめざすときである。高齢社会を高負担型から低負担型へと転換させるためには、その大前提として新しい健康観の創造が不可欠である。これが仏教経済学に立つ発想である。
 健康の定義は、国連世界保健機関によると、「単に病気が存在しないだけではなくて、身体的、精神的、社会的に十分良好な状態」とされている。この健康の定義を活用して、21世紀にふさわしい新しい健康観を創造していく必要がある。以下、それを考えてみたい。
 
(イ)身体的な健康 ― 現代版『養生訓』
 まず個人レベルでの身体的な健康づくりの心得として次の<健康十訓>はどうか。
* 少肉多菜=肉を少なく野菜を多く
* 少塩多酢=塩類を少なく酢を多く
* 少糖多果=砂糖を少なく果物を多く
* 少食多歯=少なく食べてよく噛む
* 少衣多浴=なるべく薄着でよく風呂に入る
* 少言多行=おしゃべりを慎んで多くを実行する
* 少欲多施=欲望をひかえ施しを多く
* 少憂多眠=くよくよせずよく眠る
* 少車多歩=車に乗らずよく歩く
* 少憤多笑=あまり怒らずよく笑う

これは江戸時代では珍しく85歳の長寿を全(まっと)うした貝原益軒(1630~1714、江戸前期の儒者)の『養生訓』(講談社学術文庫)現代版といっていい。『養生訓』は次のように述べている。「世間の人々をみれば、50歳未満の短命の人が多い。なぜこのように短いのだろうか。みな養生の術がないからである。短命の人は生まれつきそうであるのではない。10人のうち9人までは、みずからの不養生で身体を害している」と。

(ロ)精神的な健康 ― 80歳の人にも青春を
 精神的に良好な状態を保ち、さわやかに生きていく上で、肝心なことは前向きに生きる意欲を持つことである。アメリカの詩人サムエル・ウルマン(1840~1924)の『青春』と題した詩の一節を紹介したい。(宇野収ほか著『青春という名の詩』産業能率大学出版部)
 青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ち方のことである。
 たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
 ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
 年を重ねただけでは人は老いない。
 理想を失うとき初めて老いる。

 たしかに精神的に健康であるかどうかは年齢には左右されない。ただこの詩は一世紀も昔の作品なので、「60歳の人に青春」を今の時代にふさわしく「80歳の人に青春」と書き直したい。
 ただし精神的な健康を持続させるには次の二つの条件が必要である。一つは個人の「自由時間活用能力」、もう一つは社会に「共生・連帯の精神」が健在であること。しかし残念ながら市場原理主義(=新自由主義)に立つ悪しき小泉改革の後遺症として、自由時間活用能力も共生・連帯の精神も衰退している。この負の遺産を今後克服していくことが必須条件である。

(ハ)社会的な健康 ― 変革を志すことこそが健康
上述の身体的健康、精神的健康の大切さは容易に納得できるが、社会的健康という視点は今後の課題である。具体例として、以下のような社会的広がりをもつイメージを挙げることができる。特に世界規模での変革の時代、21世紀にふさわしい社会的健康として「知足とシンプルライフ」の実践、「変革を志すことこそが健康」などの新しい健康観に着目したい。

* 個人の健康と自然環境の健全性の両立
* 知足(「もう十分」と足るを知ること)とシンプルライフ(簡素な暮らし)の実践
* ゆとり(日本国憲法25条の生存権を保障するだけの所得のほか、時間、空間、精神などのゆとり)のある社会
* 大量生産ー大量流通ー大量消費ー大量廃棄という現在の経済構造に組み込まれた食べ物の危険な社会システム(農薬、食品添加物、遺伝子組み換え作物、遠方からの大量輸送など)の変革
* 社会変革を志すことこそが健康な人間(日野秀逸著『憲法がめざす幸せの条件』新日本出版社)

▽ 低負担型高齢社会の設計(2) ― 健康な人を育てる健康奨励策

日本は今後とも長寿国として名誉ある地位を持続できるだろうか。病人を減らし、健康な人を育てるには従来の薬・検査漬けの治療型医療から食事・暮らしのあり方の改善を含む予防型医療への転換が急務である。

 そこで以下の健康奨励策(素案)を提案したい。
・一年間に一度も医者にかからなかった者は、健康奨励賞として健康保険料の一部返還請求の権利を行使できる制度を新設する。「健康に努力した者が報われる社会」づくりの多様な政策のひとつの柱として位置づける。
・「いのちと食と健康」の密接な相互関連について小学校から教育する。この健康教育は、いのちの尊重はもちろん、食品に添加物を使わないこと、国産の季節ごとの「旬産旬消」の味を大切にすること ― など安心・安全な食のあり方を含む「健康のすすめ学」としたい。教育担当者として定年退職者、大病体験者、ボランティアなどを積極的に活用する。

 以上のような健康奨励策に取り組めば、病人、医療費の削減も可能である。そうなれば高齢社会対策としての消費税引き上げは根拠を失うだろう。
 高齢社会になれば、病人が増えて高負担型にならざるをえないという思い込みは、高血圧、糖尿病など生活習慣病(=現代文明病)が蔓延している現状をそのまま無批判に肯定し、容認する悪しき現実主義にほかならない。つまり病気になったら病院に駆け込めばいいという「病人歓迎村」の囚人の発想とでもいえようか。これに対し仏教経済学の立場は「あらゆる常識、固定観念を疑え。想像力さらに創造力を働かせ」が一つのテーゼとなっている。発想を転換すれば変革のきっかけをつかむ余地はいくらでもある。

(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
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