「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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持続的発展を平和憲法に盛り込む
連載・やさしい仏教経済学(26)

安原和雄
 これまで仏教経済学の八つのキーワード<いのち尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性>のほか競争、貨幣を取り上げてきた。今回から八つのキーワードを生かしながら、どのような変革構想を提案できるかを考えたい。
 21世紀は、地球環境保全を優先する地球環境時代であり、八つのキーワードの一つ、持続性、つまり持続的発展(=持続可能な発展)を基調とする社会を創ること、同時に非暴力の世界を構築していくことも緊急の課題となっている。この持続性と非暴力を具体化させるためには何が求められるか。その有力な方策として「持続的発展」という文言を日本国平和憲法に新たに盛り込むことを提案したい。憲法の平和(=非暴力)理念は世界に冠たる素晴らしいものだが、9条(戦争放棄、非武装、交戦権の否認)をはじめ多くの理念が空洞化している。その理念の再生と活性化のためには「持続的発展」を憲法の追加条項として導入することが不可欠といえよう。(2010年12月25日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ 「持続的発展」の新規導入(1)― 憲法9条と25条に

 変革構想に生かす平和憲法の理念と条文は、以下を指している。
*憲法前文の平和的生存権
*9条「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」
*13条「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」
*18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」
*25条「生存権、国の生存権保障義務」
*27条「労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止」

 前文には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。恐怖とは戦争という暴力であり、欠乏とは貧困、飢餓などの暴力である。
 前文でうたわれている平和的生存権と9条の理念を生かすためには世界の核兵器廃絶はいうまでもなく、日本の非武装、さらに日米安保体制(=軍事・経済同盟)解体を視野に入れておく必要がある。

 もう一つ、平和憲法に新たに「持続的発展」(=持続可能な発展)条項を導入する必要がある。『新・世界環境保全戦略』(世界自然保護基金などが1991年、国連主催の第一回地球サミットに先立って発表した提言)は「政府は憲法その他、国政の基本となる文書において持続可能な社会の規範を明記すべきである」と各国政府に対し、憲法への条項追加論を提起している。
 それにヒントを得たのが日本国憲法への追加条項で、具体案(私案)は次の通り。
*9条に「日本国及び日本国民は、世界の平和と持続的発展のために、世界の核を含む大量破壊兵器の廃絶と通常軍事力の顕著な削減または撤廃に向けて努力する」という趣旨を追加する。
*25条に「日本国、企業、各種団体及び日本国民は生産、流通、消費及び廃棄のすべての経済及び生活の分野において、地球の自然環境と共生できる範囲内で持続的発展に努める」という趣旨を新たに盛り込む。

▽ 「持続的発展」の新規導入(2)― 憲法理念の活性化をめざして

周知のように9条は次のように定めている。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 しかしこれまた周知のように日米安保体制下で日本は自衛隊という名の強大な軍事力を保有し、9条は骨抜きになっている。追加条項は、この骨抜きの現状を変革するために、日本国と国民は「世界の平和と持続的発展」のために「世界の核を含む軍事力の削減、撤廃に努力する」という趣旨である。この条項の新規導入によって、空洞化がすすんでいる9条の平和理念の再生と活性化をめざそうというものである。

 一方、25条(生存権、国の生存権保障義務)は次のように定めてある。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

この生存権の規定は、いわゆる社会権的基本権の保障を意味しており、しかも「環境権」も、この25条を根拠の一つとして主張されている。だから25条に「地球の自然環境と共生できる範囲内で持続的発展に努める」という趣旨を新たに加えることは場違いとはいえないだろう。
 しかも現実にはこの国の生存権保障義務が蔑(ないがし)ろにされている。貧困、格差の拡大、病気の増大、医療の質量の低下、社会保障費の事実上の削減 、税・保険料負担の増大― などによって生活の根幹が脅かされているからである。この現実をどう変革するかは緊急の大きな課題である。ここでも9条と同じように「持続的発展」の新規導入によって生存権保障の活性化にも寄与できることを期待している。

▽ 憲法理念の空洞化に歯止めを(1)― 奴隷たちよ、共に決起しよう!

 以上、憲法9条と25条の理念が事実上、空洞化していることを指摘したが、憲法理念の空洞化はこれにとどまらない。以下、変革構想に生かす憲法理念のうち、13条、18条、27条について概観し、その空洞化の歯止めはどうあるべきか考えたい。

 13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)は次のように定めてある。
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 上記の規定にもかかわらず、現実には「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」は空文化している。ここでの「個人の尊重、自由」とは、やりたい放題のことにエネルギーを浪費することを意味しない。若者たちの間にみられる「私の勝手でしょ」という姿勢は間違っている。人間としての誇りと謙虚さをもって正面を向いて生きることである。そうでなければ「生命・自由・幸福追求の権利」を生かすことはむずかしい。

 18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)は以下の規定になっている。
 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。また犯罪による処罰を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

 本条は「奴隷制または自由意思によらない苦役」を禁止するアメリカ合衆国憲法修正条項をモデルとして制定されたとされる。ここでの「奴隷的拘束」とは、「自由な人格を否定する程度に人間の身体的自由を束縛すること」を、「苦役」とは、「強制労働のように苦痛を伴う労役」を意味している。
 特に「奴隷的拘束」という文言を憲法に明記したこの条項をどれだけの人が自覚して認識しているだろうか。 サラリーマンの場合、企業内で自由な批判的意見を表明することは歓迎されない現実がある。しかも年次休暇消化率が半分程度というお粗末さで、これでは精神的、身体的自由が抑圧、束縛されているといえよう。
 この18条を熟読玩味して、「奴隷的拘束からの自由」を実践しなければ、何よりもわが身を守ることができないだろう。このような不自由な現状では21世紀版「奴隷解放宣言」が必要ともいえるのではないか。「我らが友、奴隷たちよ、共に決起しよう!」というスローガンが街のあちこちに張り出される日が近いことを期待したい。

 27条(勤労の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止)はつぎの通り。
 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
③児童は、これを酷使してはならない。

1980年代から続いてきた新自由主義(=市場原理主義)路線の下では長時間労働、サービス残業で酷使され、一方新自由主義の破綻に伴う不況、経済低迷とともに、大量の解雇者、非正規労働者らがあふれている。にもかかわらず適正な労働の機会を国や企業が保障しないのは、「労働は権利、義務」という憲法の理念に違反している。

▽ 憲法理念の空洞化に歯止めを(2) ― 前文にも「持続的発展」の導入へ

 さて以上のような憲法理念の空洞化に歯止めをかけ、再生を図るために具体策として憲法前文にも「持続的発展」の文言を導入することを提案したい。一案として前文の「日本国民は(中略)われらの安全と生存を保持しようと決意した」に続いて「持続的発展が世界に広く定着していくことを願う」という趣旨を書き加えてはどうか。
憲法擁護派の存在は大変貴重だが、憲法改悪を懸念する余り、憲法に前向きの新たな条項を書き加えること自体にも抵抗感があるらしい。ただ単に「憲法を守れ」を繰り返すだけの固定観念からぼつぼつ卒業したらいかがだろうか。

 日本における「変革」とは、以上のような憲法理念を実現するために未来を見据えて自ら努力することである。遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)の迷いはこの際返上して、堂々と「いのち、人間としての叫び」を響かせよう!

<参考資料>
・持続的発展と仏教思想との関連については<持続性と発展と地球環境時代 連載・やさしい仏教経済学(22)>を参照
・安原和雄「持続可能な発展と仏教思想 ― 日本型モデルをどう創るか」(駒澤大学仏教経済研究所編『仏教経済研究』第三十一号、平成十四年)
・同「持続可能な発展と憲法改正 ― 地球環境時代のキーワード」(足利工業大学研究誌『東洋文化』第19号、平成十二年)

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コメント
この記事へのコメント
年末年始休みについて、会社の同僚ですが、公休が余っていたこともあり、30日から3日まで休むように、本社から言われました。これに関し、「ボーナスも出ず、金もないので、休んでもやることがない。」と言っていました。どう考えても、人間的な生活とは、程遠く、他にもこうした社員は多いと思われます。
何だか、何のための人生か分からなく、なってきました。
2010/12/25(土) 20:54:57 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
日米安保と「主人とドレイ」
12月26日付で「リベラル21」(護憲・軍縮・共生がキーワード)に掲載された半澤健市さんの<「主人とドレイ」の関係は深化すべきか―ドキュメンタリー映画『ANPO』を観て>は優れた記事です。『ANPO』は日米安保のことです。安原のこのブログのLINKSにある「リベラル21」をクリックすると、アクセスできます。その記事に寄せた私(安原)のコメントを以下に紹介します。外部へのコメントを自分のブログに転載するのは初めての試みです。

<「主人とドレイ」の関係は深化すべきか・・・>の結びの次の文章(大要)は、きわめて適切にして重要です。 
 日米関係を「娼婦とヒモ」の関係にたとえている。しかし日米関係は「主人とドレイ」の関係に近似している。しかもそのことを日本人は自覚していない。いま日本の二大政党は何をやっているのか。日米関係の深化を政策の中心にしている。いま日本のメディアは何をやっているのか。米空母ジョージ・ワシントンへ自衛隊ヘリが着艦する画面を批判もなく流している。自衛隊の指揮権は誰が行使しているのか。日米韓軍事協力は日独伊三国同盟とどこがちがうのか。

 ここで指摘されていることは、日米安保を国民の多数意思によって破棄・解体(安保条約10条=有効期間=は一方的破棄が可能な規定となっています)しない限り、いつまでも最大のテーマであり続けると思います。
*<日米関係は「主人とドレイ」の関係>について
 私もこの認識には賛成です。<そのことを日本人は自覚していない>についても少なからぬ日本人に自覚が足りない点は残念ながら事実でしょう。「日米安保によって守られている」という錯覚からいつ脱却できるのか、が問題です。しかも二大政党もメディアもそういう錯覚を助長しているところに不甲斐なさが表れています。
 ここで日本国憲法18条(奴隷的拘束からの自由)「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」に注目したいと思います。これは憲法制定時の米国の助言による条項とされていますが、今や日本が米国の奴隷になっているとは、歴史の皮肉というほかありません。
*<自衛隊の指揮権>について
 安保体制下では指揮権を握っているのは米国であり、特に「日米同盟:未来のための変革と再編」(2005年日米両政府で合意)以来、その傾向は強まっています。
*<日米韓軍事協力と日独伊三国同盟>について
 その違いをどう認識するかはむずかしいテーマと思いますが、むしろ類似性は何かに関心があります。その答えは軍事協力も軍事同盟も「敵」が必要であり、それを意図的に作り出すという点だと思います。日本海や黄海付近での米空母を軸にした軍事演習自体がすでに挑発行動です。仮に中国や北朝鮮がハワイ沖で軍事演習を敢行したら、果たして米軍部は寛容な姿勢をつづけるでしょうか。
2010/12/28(火) 11:03:14 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
時期尚早
安原さんは、「持続的発展」という地球環境保全を目指す文言を、現平和憲法に追加しようと提言されています。私は、追加する内容自体には大賛成なのですが、今すぐにそれを実行に移そうと提案することには危惧の念を持たざるを得ません。そのわけは、現時点でも憲法違反(と私は思います)である自衛隊の存在を肯定してしまう国民が多い状況で、いかなる目的であろうと「憲法改正」の手続きが始まれば、自衛隊が、明確に合憲であるような文言に憲法9条が書き換えられてしまう可能性が高いからです。
2010/12/28(火) 16:44:10 | URL | 並野一民 #-[ 編集]
短期的視点と長期的視点
「何のための人生か分からなくなってきました」という赤坂亭さんの心情も分かるような気がします。しかし「カネもない、やることもない」というタイプのサラリーマンが今や増えつつあるのでしょう。その苦境も理解できます。
ただ自分の人生をどうするのか。憲法18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)を読んでみて、目先の短期的視点にこだわらないで、自分の人生のありようを考え直して欲しいですね。

並野一民さん、懇切なコメントを頂戴しました。たしかにご指摘の「危惧の念」も当然かも知れません。ただ私の説明不足の点を補いたいと思います。
まず現下の菅民主党政権への目先の提言ではありません。管政権には「持続的発展」を憲法に導入しようという発想はないと思います。
持続的発展を憲法に新たに導入するためには何よりも日米安保体制を解体することが前提となります。この安保体制こそが持続的発展と矛盾しているからです。持続的発展という概念には多様な意味が含まれており、その一つに「軍事同盟の解消」が挙げられています。

あくまでも長期的視点に立つ日本の政治経済再生のキーワードとして持続的発展の憲法への導入を提言しています。その実現がいつ頃になるのか、その展望はまだ見出せないように思います。しかし現代史は急変の可能性もありますので、案外早いかも知れません。
2010/12/28(火) 17:53:36 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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