「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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「世間」という名の呪縛(つづき)
<折々のつぶやき>10

 安原和雄
 <折々のつぶやき>8で<「世間」という名の呪縛>を書いたところ、多様なコメント、そして貴重な示唆をいただき、感謝しています。この10回目ではコメントを読みながら私なりに考えたことをつぶやいて? みます。(06年3月12日掲載)

▽寄せられたコメントを私なりのコメントつきでを紹介すると―、
*「思わずきてしまいました」(紗江さん)で、そのままお帰りになっ たようですが、今度はぜひ台所の方までどんとお入り下さい。お待ちしています。

*夏目漱石の小説『草枕』は、「世間との折り合いが悪く、不満だらけの主人公である<余>を借りて、いかに世の中を住みやすくするか、の提言」(h.y.さん)ということですと、漱石は世間に風穴をあけようと苦心した先駆者といえますね。

*「思い切って風穴をあけてみれば、その風の心地よさに共感する人は意外にたくさんいるものだ」(marujunさん)は、その心情において漱石につながるのではないでしょうか。

*「阿部謹也氏の世間論は、日本人の嫌がるところを鋭く衝いたのが先駆的すぎる」(KHさん)。たしかにそうですが、だれかが先駆者にならなければ、ことは動かないのも事実で、むずかしいテーマです。ねこの首にどのねずみが鈴をつけるか、に似ています。

*「文化として根づいた<世間の呪縛>だから、解消には1000年かかる」(S.O.さん)とすれば、まず日本人のせっかち根性からたたき直さねばなりません。

*「世間にloyalになろうとしなかったことが僕がサラリーマン出世街道から放り出された原因」(T.T.さん)で、今は「田舎で隠遁生活を送っている」との由。折角ですから、その体験を活かして「田舎生活」という名の新しい世間をつくることはできませんか?

▽「空気」としての世間は変えられないか?
 やはり世間への関心がいかに大きいか、ということでしょうか。これだけの関心が寄せられたということは、「空気」としての世間をそのまま是認するのではなく、できることならそれを変えたい、変えるためにはどうするか―に多くの人々が思案をめぐらせているためなのでしょう。
 果たして変えることができるのか、それとも変えるのにやはり1000年もかかる日本文化なので、変革は事実上不可能なのか、そこが問題、ですね。

 私は「空気」と思われている、この「世間」を改革することが、真の構造改革だと考えています。この変革事業は根気がいくらあっても足りないテーマですが、おもしろい事業でもあります。小銭稼ぎを念頭においた昨今流行の起業などはしょせん「たかが起業」(好ましい起業が少なくないことは承知のうえです)の話とはいえないでしょうか。そこには利はあっても、義が前面に出てくることはあまりありません。反論があれば、どうぞ!

▽君子と小人の違い―利から義へ
 こういう風に書いてくると、つい孔子様の論語の次のことばを思い浮かべます。
 「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」

 これは明治、大正時代の財界の大御所、渋沢栄一が座右の銘としましたが、その大意は「君子、つまり立派な人物は、なにが正しいか、道義に合っているかを基準に行動するが、小人、つまりつまらない人間は損得を基準にして行動する」というものです。なにも君子面する必要はありませんが、かといって小人がウヨウヨ、ウロウロの日本社会は褒めた話ではありません。
 しかし残念ながら小人がわが世間を動かしているのも否定できない現実なのでしょう。

 なぜ世間の改革はそれほどむずかしいのでしょうか。世間論の問題提起者、阿部謹也氏は次のように述べています。
 「戦後一応個人が解放されたといわれる。しかし実際には日本の個人はまだ<世間>の前で自己を主張できない存在である」と。

 最高法規である日本国憲法は「個人の尊重」、「思想および良心の自由」、そしてなによりも「表現の自由」を保障しています。にもかかわらず世間の前で自己主張ができないとなると、世間の方が憲法よりも上位に鎮座していることになります。戦力不保持の憲法9条にかぎらず、ここにも憲法の空洞化がみられます。多くのものが世間という怪しき集団的呪縛のなかに埋没しているわけです。

▽誇り高き少数派の持続力を
 たしかに多数派の世間とは異質の少数派による自己主張のないところに世間を突き破ることは期待できないですね。どうするか。なにが突破口になるのか。この多数派対少数派の構図の中で少数派であり続けることに「誇り」をもてるかどうかがカギになるような気がします。必要なのは誇り高き少数派の持続力でしょうか。

 ところが我々日本人にはどうも誇りという感覚が日常化しにくいように思います。それは一個人として毅然と生きる生き方を身につけるよう教育されていないし、それに目先の利を追うことに忙しいからではないでしょうか。

 私はそこに「GDP(国内総生産)の量的拡大こそ望ましい」という第2次世界大戦後の日本経済を支配してきたGDP信仰の巨大な負の側面をみてとりたいと思います。GDPという経済学の概念は、市場価値=貨幣価値のみを対象にしています。いいかえれば、誇りはマーケットでは買うことができない非市場価値=非貨幣価値ですが、その価値を認めないという風潮が根強いのは、まさにGDP信仰のマイナス効果です。
 小泉改革のスローガンは「改革なくして成長なし」です。この経済成長主義はGDP信仰そのもので、改革を唱えながら、実際には改革への道筋はうかがえません。

▽GDP信仰を捨てて、シンプルライフへ!
 最近、景気上昇(=GDPの量的拡大)しているのかどうかが、一つの焦点になっています。今日のような地球環境時代、すなわち地球環境の汚染・破壊によって人類のみならず、地球上の生きとし生けるものすべてのいのちの存続が危機に瀕しているときに、汚染・破壊を招く経済成長主義に執着するのは時代感覚が大きくずれています。
 
 ところが相変わらずの懲りない面々による成長待望論です。生産・消費の拡大、株価の上昇、つまり貨幣価値=市場価値の増大待望論であり、その過大評価と拝金主義の横行です。小泉改革がもたらす「勝ち組」、「負け組」の区分けも要はカネ(ゼニ)をどれだけ多く稼ぐかが価値基準になっています。論語風にいえば、小人たちの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)、平たくいえば、のさばることを、折にふれしかめっ面をみせながらも、大勢としては歓迎するわけです。

 そういう空気の中で、それでもなお少数派としての誇りをもって毅然としてGDP信仰を捨てること、いいかえればシンプルライフ(簡素にして「もったいない」のこころで生きる生き方)を新しい豊かさとして実践し、実感すること―これができるかどうかが世間に風穴をあけるカギになるような気がします。いかがでしょうか。
これから後、5年もすれば、シンプルライフという名の新しい世間が新たな呪縛として自由を奪うことになるかもしれませんよ! いや、これは蛇足です。

 どうも長めになってしまいました。これも私なりのつぶやき方です。ここまで読んで下さった方々には腰を90度に曲げて(最近テレビでよく見かけるお偉いさんたちの陳謝の光景ですが、私の場合は・・・)感謝し、御礼申し上げます。


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コメント
この記事へのコメント
GDP信仰
「少数派としての誇りをもって毅然としてGDP信仰を捨てもったいないの心で,シンプルライフを新しい豊かさとして実践し、実感している」日本人は数こそ少ないが、結構居るはずです。問題はその生き方に誇りを待っているからこそ、世間をそのように変えようとはしない、経済成長主義信奉者を蔑んでいることにあるような気がします。僕もその一人として反省していますが、かと言って世間をそのように変えてゆく能力も気力もないというのが正直な話。
2006/03/14(火) 19:08:24 | URL | Tom #-[ 編集]
折々のつぶやき第10話
仏教経済塾の塾生から先生へのコメントに対し、先生から一言頂戴するという手法は面白い。今後も塾生コメントが沢山寄せられた「つぶやき」には実施してください。
2006/03/14(火) 19:16:10 | URL | 1塾生 #-[ 編集]
Tomさんがコメントされていること、重要なご指摘だと思います。孤高で偏屈(笑)にシンプルライフを送っている素敵な方はたくさんいらっしゃいますが、周りを変えていくのは簡単なことではありませんよね。説教ばーさん(じーさん)と思われ疎んじられるのが関の山・・・。

私が他人を巻き込むためにしていることはたとえば・・・

★買い物をするときは、「あ、そのままでけっこうです(袋はいりません!)」とさりげなく大きめな声で言って(なんとなく他のお客さんもマネしてくれるといいなー、と思いつつ)、その場で自分のバッグに買ったものを入れるようにする。

★買った商品のパッケージ、ボトルなど、使用後引き取ってリユースしてくれるのかどうか、やはり大きめな声で聞いてみる。(引き取ってくれない場合がほとんどだけど、聞き続けていれば、いつか引き取る気になってくれるかも)

★「足るを知る」どころではない企業のサービスや商品のあり方については、企業にメールを送る。いいところを挙げて褒めながらだと、けっこう真剣に読んでくれるはず(笑)。

★買ったものを人にプレゼントをするときにはオーガニックの食べ物や、フェアトレード商品などにする。ただし、説教くさくなく。

★他人の「足るを知る」行為を目にしたらとにかく褒めちぎる。

★お金を使わない楽しみに他人を巻き込む。

昔、旅先で、部屋を出るときにも電気を付けっぱなしにしたがる友達に「消そうよ」と言ってしまい、それがきっかけで相手を激怒させてしまったことがあります。彼女曰く、アメリカでは電気を消して出かけると犯罪に巻き込まれやすく危険なのだ、と。(って、そこは日本の田舎だったのですが。)

自分の生き方に誇りを持っているからこそ、他人を巻き込むのは常に難しさがつきまといます。自分が正しいとどこかで信じているがために、つい価値観の押しつけになってしまうから・・・。
2006/03/15(水) 14:22:37 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
根気が必要
ごぶさたしました。世間が変わるのに1000年はかかると私が書いたのは、その位かかっても変わる可能性があり、且つ、変える努力をする価値はあると思いつつ書いたのです。気がついた人々皆があきらめずに努力を始めれば、意外に早く変わるかもしれませんよ。世間を変えると言う行為は、自分の周囲の人々に態度を変えてもらうように、一人づつ働きかけることから始まるわけですから、とても根気が必要です。このような行いを楽しいと思えたらしめたものです。
2006/04/08(土) 20:03:39 | URL | S.O. #-[ 編集]
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