「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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世界に広がる「もったいない」
連載・やさしい仏教経済学(2)

安原和雄
 「いただきます」(いのちの尊重、その活用)、「もったいない」(人や物を大切に思うこころ)、「お陰様で」(共生、相互依存関係へ感謝)― この三つの仏教精神を日常生活の中でどう実践し、生かしていくかが大切なテーマとなってきた。ここでは「もったいない」を中心に考える。
 ケニアのワンガリ・マータイさん(ノーベル平和賞受賞)の「もったいない=MOTTAINAI」行脚が話題を集めている。日本語の「もったいない」を世界に広める運動を続け、「MOTTAINAI」は今では世界語にまで成長している。2回目の「やさしい仏教経済学」は〈世界に広がる「もったいない」〉。(2010年4月22日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 マータイさん(注)は2005年初来日したとき、毎日新聞社を訪ね、日本語の「もったいない」に出会って感動し、それ以来、国連など世界各地であらゆる機会を捉えて「もったいない=MOTTAINAI」の効用を訴えてきた。2010年2月、5度目の来日となり、広島市の原爆資料館を訪ね、京都では仏教者と対話を重ねた。

(注)1940年ケニア生まれ。71年にケニアのナイロビ大学で生物分析学の博士号を取得、77年から植林と女性の地位向上を目指す草の根運動「グリーンベルト運動」に取り組む。これまでに約8万人が参加し、4000万本植樹した。 ケニアの国会議員、環境副大臣などを歴任し、04年にノーベル平和賞を環境分野で、またアフリカの女性として初めて受賞した。MOTTAINAIキャンペーンの名誉会長、国連平和大使などとして地球規模で活躍を続けている。

▽ 「もったいない」(1) ― 環境と平和

 ここでマータイさんをはじめ、最近、「もったいない」がどういう文脈で使われているか、その語録をいくつか紹介したい。(毎日新聞・2010年1月3日、同年3月17日、同月20日付から)

*MOTTAINAIというすばらしいライフスタイルを世界に広げたい。(マータイさん、京都で)
*MOTTAINAIキャンペーンに代表されるように「環境と平和」に向けたメッセージを発信し続ける。2011年、ケニアのナイロビ大学キャンパスに設立するワンガリ・マータイ環境・平和研究所では日本文化やMOTTAINAI精神を学ぶことができるように「MOTTAINAI学科」を開講する。(マータイさん、コペンハーゲンで)
*戦争や紛争はすべて限りある資源を奪い合うことから生まれる。地球上の人々が資源を上手に分け合うことを学べば、こうした悲劇は起きない。具体的にはエネルギーを節約し、使い捨てをせず、使い終わった資源をリサイクルする社会を作ることであり、これまで低い価値しか与えられなかった森林や文化の価値を再評価すること。(同上)
*私はこれまでの訪日経験から、MOTTAINAI精神をはじめとする新たな文化を知った。頭を深々と下げる日本特有のお辞儀もいつの間にか身についてしまった。(同上)

*「もったいない」という言葉を聞いた時にとても魅力的だと感じたのは、無駄にしないという3R(Reduce=削減、Reuse=再使用、Recycle=リサイクル・再生利用)だけでなく、「尊重・尊敬する」(Respect)や「感謝」(Gratitude)の気持ちが含まれていたためである。キリスト教徒、とくにアフリカでは神様に「こんなモノを与えてください」とお祈りすることが習慣になっているが、実は水や食料、森、きれいな空気などはすでに存在している。私たちは「何かをください」と神に祈りを捧(ささ)げるのではなく、逆に今あるものに対して感謝を示すべきなのではないか。(マータイさん、京都で宗教学者の山折哲雄さんとの対談で)
*「もったいない」とともに、3Rの一つ、Reduceを表現した大和言葉「腹八分」も取り上げていただけたらと思う。「腹八分」は消費を抑制し、食欲・欲望をコントロールするということ。欲望を100%主張するのではなく、二分(にぶ)つまり20%は禁欲して、それを欲望、消費の抑制に役立てるとともに、できればその抑制したものを他の人に分け与えるという意味が含まれている。(山折さん、同上の対談で)

▽「もったいない」(2) ― 「いのち」というファミリーの絆 

*これから世界各国で不足になる資源は清潔な飲料水だろう。すでに多くの地域で緊張が生じている。私はヒマラヤの氷河が解けている実態をこの目で見てきた。アフリカのキリマンジャロや北極圏の氷も解けだしている。このままでいけば近い将来、水を奪い合う時代が到来する。日本とアフリカは地理的には距離があるけれど、実はこういった意味で強くつながっている。環境問題を理解することは、お互いのつながり、関連性を十分に理解すること。私たちは「いのち」という一つのファミリーの絆で結ばれている。(マータイさん、東京で開かれたシンポジウム「21世紀の環境と平和を語る~いま、私たちに何ができるか」で)
*仏教に由来する「もったいない」(勿体無い)は物の持つ本来の価値を無にしてしまうことが惜しいという意味だ。「戦争をすることこそ、本当にもったいない」。唯一の被爆国、日本の「もったいない」が世界平和の役割を担うことは、単なる偶然ではない。それは私たち日本人の使命だと思う(毎日新聞・MOTTAINAIキャンペーン 事務局長・真田和義さん)

〈安原の感想〉 地球規模の視点で「もったいない」の再定義を
「もったいない」(勿体ない)の本来の意味は、モノの価値を無駄にしないように使いこなす、ということである。だから使い切らないで捨てるのはもったいない、という感覚である。このように我々日本人の「もったいない」観は個人レベルの視点に閉じこめている印象さえある。
 ところがマータイさんの手に掛かると、視点が一挙に地球規模に広がっていく。〈MOTTAINAIを世界に広げたい〉、〈「環境と平和」に向けたメッセージ〉、〈森林や文化の価値を再評価すること〉、〈(地球上の)「いのち」という一つのファミリーの絆〉などの視点にそれが表れている。
毎日新聞・キャンペーン事務局長の〈「戦争をすることこそ、本当にもったいない」〉もマータイさんに負けず劣らず斬新な視点となっている。戦争こそが人命だけでなく、環境、資源、エネルギーを浪費し、破壊するからである。こうして「もったいない」の視点を地球規模に広げる再定義が進みつつある。もっと進めたい。

▽ 知足・共生と仏教経済学

 ここで下野新聞(05年3月20日付)掲載の〈学問のススメ ― 仏教経済学〉と〈「もったいない」を心に〉と題する私(安原)の記事(大要)を二つの小見出しとともに紹介する。当時私は足利工業大学で経済学を講じていた。その縁で同じ栃木県の地元紙、下野新聞に寄稿したこの記事はマータイさんが05年2月に初来日したことにも触れている。

 知足と共生と
 仏教経済学は仏教を経済に活かすことをめざす新しい考え方である。仏教のキーワードに知足(ちそく=足るを知ること)がある。これは「もうこれで十分」と考えて、簡素のなかに充実した生き方を求める知恵である。
 仏教経済学は、仏教の知足や共生の知恵を活かしながら、現実の経済社会をどう改革するかを模索する学問ともいえる。身近な例を挙げれば、「もったいない」というモノやいのちを大切にする心を生活や経済のなかで実践することである。これが地球環境の保全にもつながっていく。
 2月に来日したケニアの環境保護活動家でノーベル平和賞受賞者、マータイ女史は「日本文化に根ざした〈もったいない〉という言葉を世界語にしたい」と繰り返し語った。有難いことに彼女は仏教経済学の伝道者として行脚(あんぎゃ)していただいたことになる。

 貪欲を超えて
 このように仏教経済学は単なる研究のための学問ではない。「世のため人のため」に貢献する実践学であるから、これほど挑戦に値する分野もそう多くはないだろう。
かつての私の経済記者時代を振り返ると、「カネ、カネ」、「もっと経済成長を」という貪欲(どんよく)、つまり「もっともっと欲しい」という欲望肥大症にかかった喧騒の巷(ちまた)をうろついていた自分を発見する。仏教経済学に挑戦するからには、そういう過去からきれいに卒業しなければならない。私自身の貪欲から知足への転換のすすめである。
 囲碁を趣味とする者として、最近囲碁と仏教とは深くかかわっているような気がしている。囲碁を楽しむためには知足と和と平和共存の精神が欠かせない。貪欲に闘争一本槍の気構えで相手を叩き伏せようとすれば、作戦は破綻(はたん)する。しかし平和共存の構えで、ほんの少しだけ勝てば十分という知足の心で向き合えば、勝率は高いし、お互いに愉快なひとときを味わえる。(以上、引用)

 マータイさんは初来日以来、地球規模で「MOTTAINAI」精神の普及のための行脚を続けている。「もったいない」精神の本家本元は日本だから、本来なら日本人である我々が普及運動を進めるべきである。マータイさんには深く感謝しなければならないだろう。


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コメント
この記事へのコメント
日常で、「もったいない」と感じるのは、水や紙に関してですが、何れも、資源からのものです。資源が無限でないです。この認識が薄いと思います。
2010/04/22(木) 21:11:11 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
「もったいない」への提案
「もったいない」というテーマで朝日新聞(2010年2月23日付)「声」欄に掲載された投書(大要)を紹介したい。(投書者の氏名は省略)

*外食の付け合わせ選ばせて (山梨県富士河口湖町 主婦 37歳)
ファミリーレストランでいつも気になるのが先客の食べ残し皿。肉料理の付け合わせのパセリやフライドポテト、半分も食べていないライスを目にする。何てもったいない。
そこで提案。付け合わせの野菜類を好みで選べるようにしてほしい。パセリが苦手なら、キュウリのスライスといった具合にだ。ライスには大盛りがあるのだからハーフサイズも設ければよい。
これだけでも食品の廃棄は随分と減らせるだろう。客も食べ物を残す罪悪感がなく、完食の満足感を味わうことができる。

*「あったらもん」の心大切に (富山市 無職 女性 72歳)
私は生まれ育った富山県東部では、もったいないは「あったらもん」という。お釜やおひつにこびりついたご飯粒を一粒でも残して食べなかったら「あったらもんなことをするもんでない」。私も親からしつけられたものだ。
働いていたころの私は忙しさにかまけて物を最後まで使い切らず、あったらもんの生活を営んできたことが悔やまれる。
「あたら」は「もったいない。惜しまれる」などと辞書にある。天から授かったあたら生命を粗末にせず、天命の尽きるまで生かしていく。あったらもんには、森羅万象をいとおしむ心が潜んでいるような気がしてならない。

*雨水をためて花木に水やり (埼玉県深谷市 無職 男性 74歳)
私は花などの植物が好きだ。鉢数は150近くに増えた。水も余計に使う。しかも飲み水を使っていることに気が引けていた。
父が趣味で収集した大がめ(高さ70㌢、口は直径50㌢)のものを古里の佐渡島から4個自宅へ送った。それにといからの雨水を導いた。少しの雨でもかめの水はあふれ、バケツでほかのかめに移す作業は忙しいが、満足感はある。下水に流れない花木への水やりでも、水道水を使えば下水道料金がかかる。だから下水道料金の節約につながる。
日本は険しい地形が多く、雨水は一気に海へ流れ出る。戦前生まれには、これを使わないのはもったいないのだ。

*家電は機能より丈夫さ望む (愛媛県四国中央市 無職 男性 65歳)
わが家では3年ほど前から家電製品の故障が続いている。いずれも修理をすれば十分使えるし、何より資源を考えると処分するのはもったいない。
メーカーは安価かつ迅速な修理態勢を考えて頂きたい。
昔の家電製品はもっと強かった。最近はなぜこんなにも早く壊れるのだろう。早めの買い替えを促すため部品の質を落としているのではと、うがった見方さえしてしまう。消費者としては新機能を競うより故障しにくい製品をお願いしたい。私は資源の無駄はなくすべきだと思うし、買った製品は愛着を持って長く使いたい。

〈感想〉もっと若い人にこそ「もったいない」感を
4人の投書者のうち30代は一人だけで、あとの3人は高齢者である。「もったいない」感を育んでほしいのは、もっと若い人たちである。資源やエネルギーの無駄や浪費を重ねていると、先行き困るのは若者たち自身である。地球や自然の汚染・破壊が進行すると、それによる災厄は今の若者たちに降りかかって来るだろうから。
2010/04/26(月) 18:40:12 | URL | 仏教経済塾亭主 #-[ 編集]
過剰蓄積への対策?
「足るを知らぬ欲→資源の浪費→資源の奪い合い→戦争」という進行に対して「もったいない精神」で浪費を防ぎ、戦争を防ぐことができるということは今回の講義でよく解りました。しかし、「足るを知らぬ欲→生きるのに必要以上の富の溜め込み→富の分配の不平等→富の奪い合い→戦争」という経路に対しては、どうすればストップをかけられるか、私にはまだ良い案が浮かびません。安原さんが、次回以降、いつか、この点に触れて下さることを希望します。
2010/04/30(金) 11:12:18 | URL | 並野一民 #-[ 編集]
貪欲を抑えるには
並野さん、貴重な示唆をいただきました。戦争にまでつながる飽くなき欲望、つまり貪欲をどうすれば、現実に抑え込むことができるか、という問題提起と受け止めました。
沖縄の米軍普天間基地の「国外、県外移設」問題が迷走していますが、これなども戦争のための軍事基地に固執する貪欲勢力をどう封じ込めるかが問題の核心です。その肝心の点を覆い隠したまま、単なる場所探しに終始している「哲学・発想の貧困」が迷走の背景にあります。こういう悪しき現状をどう打開していくかというテーマでもあります。

適切な宿題をいただきました。「連載・やさしい仏教経済学」でもいずれ取り上げたいと考えています。
2010/04/30(金) 13:28:32 | URL | 仏教経済塾亭主 #-[ 編集]
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