「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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根深いセンセーション・シーキング病
ほくそ笑むのは米日軍産複合体か

安原和雄
 「センセーション・シーキング」病という名の現代病が広がりつつあるのをご存じだろうか。いつもハラハラ緊張し、死と隣り合わせのところに自分を追い込まないと、生きている実感がわかない、という新しい病(やまい)で、今年のアカデミー作品賞など多くの賞を獲得した映画「ハート・ロッカー」がその実像に迫っている。
 問題はこの種の現代病を歓迎し、ほくそ笑んでいるのは一体誰か、である。平穏無事の日常生活を望んでいる一般の市民や庶民であるはずはないだろう。それは戦争で荒稼ぎをもくろむ戦争勢力ともいうべき米日軍産複合体の存在以外には考えにくい。新型現代病の根深い底流に着目したい。(2010年4月8日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ 日米共通の現代病 ― 死と隣り合わせに自分を追い込む

 海原純子さん(心療内科医)の「緊張でしか生きられない」という見出しのコラム(毎日新聞「日曜くらぶ」=2010年4月4日付=掲載の「一日一粒・心のサプリ」から)を読んで考えさせられた。まずその記事(大要)を紹介する。

 今年のアカデミー作品賞を獲得した映画「ハート・ロッカー」は、ハーバード大の研究室で話題になっていた。なにが話題だったかというと、映画の主人公の性格傾向だ。
戦争映画や残酷な場面のある映画は絶対に見ないが、「見て感想を聞かせてよ」と言われたこともあり、自分の専門分野である性格傾向のことでもあり、意を決して見てきた。イラクで爆弾を処理する兵士が主人公。彼は死を恐れず、あえて危険な場面に自分を追い込んでいく。

 戦場で驚異的な数の爆弾を処理する有能な兵士だが、部下との関係はよいとはいえない。そして、問題となる彼の性格傾向だ。なるほどと思ったのは、彼の性格が、アメリカで最近問題となっている「センセーション・シーキング」という傾向だということだ。
この傾向は、絶えずハラハラ緊張していないといられない、ゆったり過ごすことができず、車を暴走させたり、酒やドラッグ(麻薬)におぼれ、死と隣り合わせのところに自分を追い込まないと生きている実感がわかない、というものだ。事故や犯罪につながることも多いので、「センセーション・シーキングで死に向かうのはやめよう」というキャンペーンがテレビ放送されているほどだ。

 映画の主人公は、まさしくこれに当てはまる。戦場にいないとき、彼はゆったりと過ごせない。戦場でも現場が終わると、大音量で音楽を聴き、たばこをふかし、部下と殴り合いをしないではいられない。
一般社会では問題児のはずの彼が戦場では英雄。戦争でしか彼は生きた実感を味わえないのだろうか。アメリカ社会の心のひずみを描いている。戦争というゆがみが結果主義の国の生んだ心のゆがみと共存する皮肉が痛い。ゆったりと時を過ごせない若者は、日本でも増えている。問題は根深い。(以上は引用)

 ここに出てくる「センセーション・シーキング」は専門用語では「性格傾向」なのだろうが、普通の感覚で翻訳すれば、明らかに「現代病」である。しかも死と隣り合わせのところに自分を追い込んでいくという病(やまい)である
 コラム末尾の「一般社会では問題児のはずの彼が戦場では英雄。戦争でしか彼は生きた実感を味わえない。(中略)戦争というゆがみが結果主義の国の生んだ心のゆがみと共存する。ゆったりと時を過ごせない若者は、日本でも増えている」という指摘は、この深刻な現代病が日米共通のものになってきていることを示唆している。たしかに「問題は根深い」といえる。

▽ 浮かび上がってくる米日軍産複合体 ― 「軍事同盟」を軸に

 さてこの記事を読んで何を連想するか。「センセーション・シーキング」病をつくり出している存在は何か、この現代病の陰でほくそ笑んでいるのは一体誰か、である。私(安原)は直ちに米日軍産複合体の存在が脳裏に浮かんできた。
 「一般社会では問題児だが、戦場では英雄であり、しかも戦争でしか生きた実感を味わえない」という人間像を歓迎するのは、一般の市民や庶民ではない。それは戦争推進勢力以外には考えにくい。ズバリ言えば、米日軍産複合体という存在である。

 ここで「アイクの警告」を思い出したい。半世紀も昔のことだが、1961年1月、アイクこと軍人出身のアイゼンハワー米大統領がその任期を全うして、ホワイトハウスを去るにあたって全国向けテレビ放送を通じて有名な告別演説を行った。
 その趣旨は「アメリカ民主主義は新しい巨大で陰険な勢力によって脅威を受けている。それは〈軍産複合体・Military Industrial Complex〉とでも称すべき脅威であり、その影響力は全米の都市、州議会、連邦政府の各機関にまで浸透している。これは祖国がいまだかつて直面したこともない重大な脅威である」と。

それまで闇に包まれていた「巨大で陰険な勢力」の存在がにわかに浮上してきた。軍部と産業との結合体である「軍産複合体」の構成メンバーは、今日ではホワイトハウスのほか、ペンタゴン(国防総省)と軍部、国務省、CIA(中央情報局)、兵器・エレクトロニクス・エネルギー・化学などの大企業、保守的な学者・研究者・メディアを一体化した「軍産官学情報複合体」とでも称すべき巨大複合体として影響力を行使している。
 ブッシュ前米大統領の「イラン、イラク、北朝鮮は悪の枢軸」という悪名高い言を借用すれば、「悪の枢軸・軍産複合体」と名づけることもできよう。

 これが特にブッシュ前米政権下で覇権主義に基づく身勝手な単独行動主義を操り、「テロとの戦争」を口実にアフガニスタン、イラクへの侵略戦争を行うなど、世界に大災厄をもたらしてきた元凶といっても過言ではない。
 オバマ米大統領はイラクからは米軍を撤退させるが、アフガニスタンへはむしろ米軍を増派している。このような「終わりなき戦争」の持続は、戦争ビジネスを拡大し、国家財政を食い物にしようとする軍産複合体との妥協の産物というほかない。オバマ大統領が唱える「核兵器の廃絶」の成否も、大統領自身が軍産複合体とどこまで戦うのか、にかかっている。
 一方、地球上の発展途上国で多発している内戦(政府軍と反政府軍との戦争)は、米国主導の侵略戦争とは異質であるが、米国の軍産複合体が兵器輸出によってその内戦を煽っている側面もあることを軽視するわけにはいかない。ここでは兵器輸出という名の戦争ビジネスがかかわっている。

 米国版軍産複合体という権力集団に追随しているのが日本版軍産複合体である。米国ほど巨大ではないが、その構成メンバーは、首相官邸、国防族議員、防衛省と自衛隊、外務省、エレクトロニクスを含む多様な兵器メーカー、保守的な科学者・研究者、さらに大手新聞・テレビを含むメディア ― などである。
 一口にいえば、日米安保体制=軍事同盟容認・推進派のグループである。しかも日米安保体制=軍事同盟を軸に日米両国の軍産複合体が一体化しているところに特色がある。

▽ 民主党政権下の日本版軍産複合体(1) ― 骨抜きの非核3原則

民主党政権の誕生によって、日本版軍産複合体に変化がみられるだろうか。有り体にいって答えは「否」というほかない。自民・公明政権時代に比べると、民主党政権内に多少の意見の食い違い、迷いはみられるものの、大筋では大差ないと診断できる。その根本原因は民主党政権も日本版軍産複合体の存立基盤となっている日米安保体制そのものに改変のメスを入れようとする姿勢はうかがえないからである。

 例えば「日米核密約」についてはどうか。先に公表された外務省有識者委員会の「密約」報告書などで、その実態がかなり明らかになってはいるが、すべてが白日の下にさらけ出されたわけではない。重要なことは自民党政権以来の日本政府の非核3原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)をどこまで貫くことができるかである。
 特に「持ち込ませず」、すなわち核兵器搭載の米艦船の日本への寄港・通過を拒否するのかが焦点だが、実態としてはそれを黙認し、「持ち込ませず」が骨抜きになっている。これでは非核3原則に抜け穴があるわけで、非核3原則が「国是」である以上、本来なら法制化して厳守すべきであるが、民主党政権にも自民党政権と同様にそういう意欲はみられない。

 もう一つは沖縄の米軍普天間基地の移設問題である。民主党の先の衆院選挙マニフェスト(政権公約)では「県外・国外移設」をうたっていたが、周知のように沖縄県内案も浮上して迷走している。日米安保体制を容認する立場を変えない限り、このように迷走することは分かっていたことではないのか。いくつもの案が次々と提案されているだけではない。この基地建設には巨額のカネが動くだけに利権にうごめく構図も見え隠れしている。多様な意見を競い合う「百家争鳴」というよりも、私利第一に執着する「百鬼夜行」の観さえある。

▽ 民主党政権下の日本版軍産複合体(2) ― 権力と馴れ合う大手メディア

 さらに見逃せないのは、昨今の大手メディアの論調である。日米安保体制を根本から批判する大手メディアは今や皆無に近い。その意味では「<国家権力=日米安保>と馴れ合う大手メディア」と表現するほかない。多くのメディアは日本版軍産複合体の有力な一角を占めるに至っている。だから単純な「軍産複合体」ではなく、情報分野なども抱え込む「軍産官学情報複合体」と捉えなければ、その正体はつかめない。

 例えば大手メディア、A紙は今年元旦の社説で「同盟という安定装置」という小見出し付きで次のように書いた。
 「いざというときに日本を一緒に守る安保と、憲法9条とを巧みに組み合わせる選択は、国民に安心感を与え続けてきた」と。

ここでは4つの疑問点を指摘したい。
 まず「日本を一緒に守る安保」について。
 かつての米軍のベトナム侵攻、今のイラク、アフガンでの軍事力行使は在日米軍基地が侵攻のための基地として利用されてきたし、目下利用されている。この現状をどう捉えるのか。これは日本を守るためなのか。今日イラク、アフガンが日本を攻撃するのを阻止するために米軍が出動しているとでも認識しているのか。そういう話は寡聞(かぶん)にして知らない。
 つぎに「憲法9条とを巧みに組み合わせる選択」について。
 ここでの憲法9条は本来の9条の理念(非武装、交戦権の否認)が事実上骨抜きになっていることをどう考えているのか。骨抜きになっている9条でなければ、軍事同盟としての安保とは両立できないだろう。

 もう一つ「国民に安心感を与え続けてきた」について。
 安心感とは不可解な感覚である。憲法9条本来の理念をよみがえらせたいと願う「憲法9条の会」が全国で何千と結成されており、しかも米軍基地周辺の住民がどれだけ犠牲になり、苦痛を強いられているか、を考えたことはないのか。一体どこに「国民にとっての安心感」があるというのだろうか。
 安心感を抱くグループがあるとすれば、それは米国仕込みの軍事的安全保障観を身につけた日米安保容認・推進グループだろう。

 それに「同盟という安定装置」の表現も理解に苦しむ。「同盟」を仲良しクラブとでも思っているのだろうか。戦争のための軍事同盟である以上、「不安定装置」あるいは「暴力装置」と捉えるべきではないか。
 昭和10年代の日独伊3国軍事同盟を想起したい。当時の朝日、毎日などの大手紙は、3国同盟を擁護し、戦争を煽った。昭和20(1945)年の敗戦とともに新聞はその過ちを反省し、再出発した経緯がある。その初心はどこへ捨てたのか、いま再び軍事同盟を容認する姿勢を打ち出しているとは情けない。

もっとも軍事同盟の容認・推進派のメディアといえども、建前は「平和のため」であり、単純な戦争賛美に直結しているわけではない。またセンセーション・シーキング病を積極的に歓迎する視点も目下のところ希薄であるだろう。しかし指摘する必要があるのは、軍事同盟の容認・推進派に、センセーション・シーキング病でゆがめられた人間像を批判し、克服する視点を期待するのは、しょせん無理だろうということである。批判力を失った姿勢が行き着く先は、悪しき現状の追認となるほかない。そういう既成事実の積み重ねが望ましい歴史的選択を誤らせてきたことを歴史は教えている。


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コメント
この記事へのコメント
確かに、批判力がなくなっている気はします。
メディアに限らず、大学でも同様な感じがするのはどうしてでしょうか。
1992年3月の母校における卒業式で、総長が「先の戦争で大学は過ちを犯した。それを反省し、間違った方向に時代が進むようなら声を上げていく。」という趣旨のことを言っていました。それが、今の母校を見ると、新自由主義的発想の大学になってしまいました。大学のブランド力を高めるべく、学生の自由な発言を認めず、学生が大学に管理され、違和感を覚えます。
2010/04/08(木) 21:35:43 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
ハラハラしたけりゃ組合活動すればいいのに(笑)
政官財報労米民。
政治家も官僚も財界もマスコミもダラ幹もヤンキーも民衆さえ癒着して既得権益を貪ってます。
9条守れといってもアンポに触れないようではダメだね。
2010/04/09(金) 21:50:04 | URL | 宮坂亨 #-[ 編集]
モンスター
日米安保体制を続け、軍事力増強路線を歩ませる正体は「軍産複合体」どころか「軍産官学情報複合体」と言う安原さんの指摘にまったく同感です。私もこの巨大複合体の一員である「産(企業)」に勤めたことがありましたが、社会的責任は建前でしかなく、実際の経営は「金儲け第一主義」でした。メディアまでそちら側だとすれば、「軍産官学情報複合体」の動きにブレーキをかけるとすれば一体どうすればよいのでしょうか。私に思い浮かぶのは、自覚した市民によるミニコミくらいです。
2010/04/14(水) 20:56:51 | URL | 並野一民 #-[ 編集]
ハート・ロッカーへの感想
赤坂亭さん、宮坂さん、並野さん、それぞれユニークなコメントを頂戴しました。

映画「ハート・ロッカー」の感想を述べます。
この映画には次のような米紙(誌)掲載の賛辞が並んでいます。
・素晴らしい映画としか言いようがない
・完璧に近い映画。最高傑作
・文句なしの作品
・見事な手法
・他に類のない偉業
・20年後にも研究されるだろう緊迫、恐怖、勇気を描いた傑作
・本能を揺さぶるサスペンスとサプライズの力作―などなど。

たしかに見応えのある作品といえます。主役は戦場での爆弾処理兵で、地中に埋め込まれ、あるいは車に仕掛けられている強烈な爆弾をひたすら処理していく。文字通り命懸けの活躍を描写しています。
しかし観ているうちに何のための戦争なのか、疑問が湧いてきました。そこには大義も正義もありません。米兵が中東へ侵略しているからこそ、爆弾が仕掛けられていることが分かってきます。お互いが敵であり、敵ががそこにいるから、ただ殺し合う。味方を誤射するシーンもあります。戦争の残忍さと空しさだけが印象に残ります。

映画の見方は人それぞれです。この映画は何を描こうとしているのでしょうか。私は一人ひとりの兵士たちにとっては「戦場が職場」、いいかえれば日常生活の延長なのだと気づきました。「戦争サラリーマン」といってもいいような気がします。それを陰で操っているのが、例の軍産複合体、今日風にいえば、軍産官学情報複合体であることは間違いないところです。しかしこの複合体は映画の中では闇に潜んでいて、その影さえ見せようとはしません。だからこそかえって「戦争サラリーマン」たちの哀れさが浮き上がってきます。
2010/04/15(木) 12:54:37 | URL | 仏教経済塾亭主 #-[ 編集]
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