「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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新聞投書にみる心温まる話題
〈折々のつぶやき〉52

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること ― などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は52回目。題して「新聞投書にみる心温まる話題」です。(2010年3月27日掲載。公共空間「ちきゅう座」に転載)

 以下は、朝日新聞・「声」欄、毎日新聞・「みんなの広場」に掲載された読者の投書(2010年1月~3月)です。投書はそれぞれが昨今の世相を反映していて、うなづいたり、感心したり、教えられたり、することが多いのですが、ここで紹介するのは、心温まる話題の一部にすぎません。なお投書者名は省略させていただきました。

のどに飴玉、坊や救った運転士 (川崎市 主婦 75歳)
 川崎市営バスに母親が5、6歳の男児と3歳くらいの女児を連れて乗っていました。突然、坊やの方が、死んでしまうかと思うくらい急に苦しがりだしたのです。車内は騒然となり、バスの運転士が「どうしましたか」と声をかけながら停車し、客席に駆け寄ってきました。一瞬でした。運転士は、ものすごい勢いで坊やを左腕に抱え上げたかと思うと、その背中にドスッとすごい一撃を加えたのです。すると、飴玉(あめだま)がポロリ、床に落ちました。私は思わず、音を立てずに拍手しました。
 運転士は「訓練してますから」と乗客一同に告げると、大声で泣き出した坊やに「痛かったね、ごめんね、こめんね」と謝りました。
 何とも鮮やかで、勇気と優しさにあふれた運転士さんの行動に、私はいたく感心しました。(朝日新聞1月25日付)
〈感想〉「痛かったね、ごめんね、こめんね」と謝ったところがなかなか真似のできないところで、たしかにここには勇気と優しさがうかがえます。

忘れた財布、機転で持ち主へ (東京都八王子市 会社員・女性 52歳)
 駅でドアが開いたとき、おしゃべりに夢中だった4、5人の女子高校生が「あ、ここじゃないの」。慌てて降りたあとの座席に財布が一つ。「あの子たちの・・・」と気づいた女性が言ったとき、ドアが閉まりました。
 手遅れと思ったら、ドア近くにいた30代の男性がすかさず窓を押し下げて開け、「これ、君のでしょ」。「あっ」と言いながら少女が駆け寄った時、電車は無情にも発車、2、3㍍進み、だれもが駄目かと思ったとき、男性は機転を利かせて財布を窓からホームに投げました。財布を手にした少女が見え、「よかったね」の声。拍手する人も。皆がほほ笑みました。
 毎朝の通勤電車では、押し合いへし合いで殺伐としていて不愉快なことばかりです。乗客同士のけんか、優先席では寝たふりと自分勝手な人が目立ちます。でも、今回は温かい気持ちになりました。(朝日新聞1月28日付)
〈感想〉 自分勝手が横行する世相の中で、一瞬の機転を利かせた人物は、ひょっとすると、剣道の達人かも知れません。

今も心に残る妊婦への気遣い (奈良市 主婦 48歳)
 妊娠9カ月まで事務の仕事をしていた私にとって、電車通勤は過酷でした。満員電車を避けるため、普段利用する急行ではなく、各駅停車に乗っていましたが、なかなか座ることができませんでした。大きなおなかでつり革につかまっていても、目をつぶって寝たふりをしている方など、ほとんどが見て見ぬふりという様子でした。
 ところがあるとき、「どうぞ」と席を譲ってくれた若者がいました。顔を見ると髪を真っ赤に染め、耳や鼻にピアスを沢山していました。私は少し目を丸くしながらも「ありがとう」と言って座らせていただきました。
 人を見た目で判断してはいけないと実感した体験だったと同時に、その気遣いが今も心に残っています。電車の揺れは妊婦には危険です。お気付きになったときは席を譲ってあげてほしいと思います。(毎日新聞1月31日付)
〈感想〉以前、バスの中で乗り合わせた茶髪の若者におもしろ半分に「茶髪だと、恋人をつくりやすいの?」と聞いたら、「関係ありません」という真面目な答えに「先入観は禁物」と気づいた経験があります。

乗り越し受験生送った駅長 (千葉県君津市 高校教員・男性 53歳)
 本校の入試の日、約160人の受験生の登校を準備万端整えて待っていました。その時。最寄りのJR久留里駅から電話があり、1人が乗り越してしまったらしいとのこと。
 列車の運行は1時間に1本程度のローカル線で、たとえ次の駅で下車しても折り返しの列車までかなり待つことになり、試験には遅刻してしまいます。また、あいにく次の駅は無人駅で、駅前にはタクシーもバスもありません。
 どうしたものかと考えていると、電話から次のような温かい声が聞こえました。「駅長が自動車で次の駅へ向かいました。学校まで間違いなく送り届けますから、安心してください」
 受験生は無事間に合いましたが、乗り越しに気づいてから次の駅までの間、どれほど不安な時間を過ごしたことでしょう。機転を利かせて下さった駅長さん、本当にありがとうございました。学校が地域の方々に見守られていることを誇りに思い、この町がますます好きになりました。(朝日新聞2月11日付)
〈感想〉ここでも「機転の物語」となっていて、関係者の安堵感が伝わってきますが、さて肝心の受験生はしっかり「感謝」したのでしょうか。

親切な靴屋さんに感激 (長野県高森町 農業・女性 80歳)
 久しぶりに旅行に出かけることになったので、毎日のようにはいているくたびれた靴が気になり、この際、一足新調しようと懇意の靴屋さんに出かけました。歩きやすそうな靴を探していると、店員の方がその靴ならまだまだ大丈夫、もちますよといって靴ずみをつけて磨いてくれました。10年前の牛革がピカピカに光って柔らかくきれいになりました。靴ずみだけ買って帰りました。
この靴はあちこち旅行して私の足にぴったりとなじみ、本当に歩きやすい靴でした。だが、もう寿命で廃棄しようとしていた私でしたが、親切な靴屋さんのおかげで楽しい旅ができました。
 買うときは少々高くても、いいものを大切に使いましょうということを教えられました。安かろう悪かろうの品が出回っている今日ですが、こんな親切な靴屋さんに感激しました。(毎日新聞2月17日付)
〈感想〉貪欲な私利私欲に走って、破綻はしたものの、今、復活を画策している市場原理主義者たちよ、靴屋さんの「お客様第一」の商法に見習ってはどうか、と言いたいですね。

バスの中での出来事に感動 (長崎市 女子中学生 13歳)
 バスに乗って帰宅する途中、お姉さんらしい少女と足が不自由な弟らしき幼児が乗ってきた。席が全部埋まっていたので2人が立っていたら、それを見た人が席を譲ってあげていた。
 少女は運賃を支払うために両替をしようとしたが、うまくいかなかった。すると近くにいた人が「私がやってあげようか」と声をかけ、代わりに両替をした。2人は笑顔で「ありがとうございます」と言った。
 私はとても感動した。たとえ他人でも、人は支え合って生きているのだと思った。支え合って生きる必要などない、という人もいるだろう。しかしバスの中の席の譲り合いなどで助けてもらった人は、やはりうれしいと思う。支え合いは必要ないという人が、困っているとき他人に助けてもらったらどう思うのだろうか。
 私は今回の体験を生かして、いつか困っている人に出会ったら迷うことなく助けてあげられる人になりたいと思っている。(毎日新聞2月18日付)
〈感想〉多くの人がなかなか気づこうとしない「人は支え合って生きている」という真理を感得した女子中学生に心から大きな拍手を送りたいと思います。

孫に手を振り返した運転士 (群馬県玉村町 公務員・男性 60歳)
 2歳の孫は走る電車と踏み切りが大好きです。(中略)踏切の警報機が鳴ると、それっと孫を抱いて線路脇に駆け寄ります。電車が迫ると孫の鼓動が高まります。
 先月もいつものように、孫は飽きもせず、疾走してくる電車に「わーっ」と両手を懸命に振っていました。すると、電車の運転士が手を振り返してくれたのです。一瞬でしたが、真っ白な手袋の右手が小さく左右に振られるのがはっきり見えました。こんなことは初めてでした。
 孫は電車が小さくなってしまうまで「バイ、バーイ」と手を振り続けています。私も何だか温かいものがこみ上げてきました。
 規則には抵触することかもしれません。しかし、こういった優しさがかっこ良さなのではないでしょうか。皆に慕われる運転士ではないかと思いました。これからも安全運転を続けてくれるでしょう。(朝日新聞3月8日付)
〈感想〉さり気ない手振りによる「いのち」と「いのち」の一瞬のふれ合いがもたらしてくれる感動でしょうか。

礼儀正しい中学生と先生に感心 (神戸市 主婦 70歳)
 バス停に行くと、制服姿の10人余りの中学生がベンチに腰掛けて待っていました。バスが来ると、引率の先生から「どうぞ」とうながされ、私たちが先に乗りました。部活動でもあるのか、生徒たちは大きなバッグを手に提げていました。そして後部座席に座り、がやがやと話をすることもなく、乗っていることを忘れてしまうほど静かにしていました。
 やがて目的地のバス停に着きました。すると、先生は「早く」と小声で指示して生徒たちを降ろした後、最後に「失礼しました」と乗客に一礼して降りていかれたのです。
 近ごろは、辺り構わず友達のように会話をする先生と生徒の姿をしばしば見かけます。私はこのようにマナーをわきまえた生徒と、先生の行き届いた指導に感心し、さわやかで心温まる思いがしました。このような立派な先生が一人でも多くおられ、未来を背負う子どもたちをしっかりと教育してほしいと願っています。(毎日新聞3月23日付)
〈感想〉そういえば、マナーの廃(すた)れた日本社会、という印象が強まっていますが、日本社会もまだ捨てたモノではないという希望が湧いてきます。

さて今、気づきましたが、紹介しました投書8編のうち、なんと6編が女性からの投書です。意図して女性優先の選択をしたわけではありません。結果としてそうなっただけです。ただ私(安原)は数年来、「21世紀は女性の時代」という印象を抱いています。図らずもここにもその事実が表れているようです。男性の一人として喜ぶべきことなのか、それとも・・・、このコメントは遠慮しておきましょう。


(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
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コメント
この記事へのコメント
心が暖まりました。

昨日、高松の琴電に乗ったところ、泣いている小学生くらいの少女がいました。どうしたのかと思っていたら、どうやら、ドアが閉まり降りられなかったようです。
声を掛けようとした時、次の駅に着き、降りて行きました。
地方でも声を掛けない人が多くなっていることを実感しました。
2010/03/28(日) 20:30:45 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
燃えるような恋を
赤坂亭風月さん、コメントありがとう。いい旅だったようですね。
さて以下のような投書文(要旨)の追加があります。投書者名は省略します。

*燃えるような恋がしたい (大分市 主婦 76歳)
 あと幾日、私に残された日があるだろう。神のみぞ知る年齢となり、不遜(ふそん)にもこの平穏無事な日々に時折いら立つ。(中略)不満を言ったら罰が当たる。だけど自分の人生に何かやり残したことがあるような気がする。
 そうだ。燃えるような恋をしていない。夫とは手を握ることもなく、映画館や喫茶店に入ることもなく結婚。そんな時代だった。死ぬ前に燃えるような恋をしたい。若き日に戻って。ドラマの龍馬のような人がいい。そして幸せに終わってはいけない。悲恋に終わり、思いっきり泣くのがいい。泣いて泣いて泣き明かして、夫に出会いたい。(朝日新聞3月27日付)

 新聞投書はよく読む方ですが、こういう投書は珍しいですね。朝日新聞の見識(?)の一端ということでしょうか。投書者にとって心温まる話題、というよりは、読む側が熱くなるような一文です。精神的に若々しい方とお見受けしました。くれぐれもご自愛専一になされて、末永いご多幸を心よりお祈り申し上げます。安原拝
2010/03/29(月) 17:24:49 | URL | 仏教経済塾亭主 #-[ 編集]
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