「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
囲碁本因坊戦を観て想うこと
〈折々のつぶやき〉51

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること ― などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は51回目。題して「囲碁本因坊戦を観て想うこと」です。(09年7月17日掲載、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽当たるも八卦、当たらぬも八卦

 毎日新聞(09年7月17日付)朝刊につぎのような見出しの大きな活字が踊っている。
羽根本因坊 初防衛
4勝2敗 高尾九段を降す

 つぎのような記事が続いている。
 第64期本因坊決定戦七番勝負の第6局は16日午後8時、276手で羽根直樹本因坊(32)が挑戦者の高尾紳路九段(32)に先番5目半勝ちし、4勝2敗で防衛した ― と。
 要するに本因坊が勝って、本因坊の地位を守り、一方、挑戦者が敗れたというニュースである。囲碁ファンにとっては大きなニュースである。

 実は私(安原)は前日の新聞(16日付)が伝える中盤戦の模様をみて、この第6局は、挑戦者の高尾九段が勝つのではないかと予測した。実は第5局の中盤戦の状況を見て、私は挑戦者が勝つ碁勢と予測し、結果はその通りになった。しかし第6局は予測が外れ、内心「あれっ、おかしいな」と思った。プロにしても勝敗の行方を正確に予測することはむずかしい。まして私のようなアマの棋力では、当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦であり、口惜しがるような話ではない。

 ただ一言つけ加えておくと、毎日新聞(7月17日付)の局後の総括的な観戦記によると、「高尾の受けは巧妙を極め、一時は控室で〈白有望〉という声も上がった」とある。〈白有望〉とは、白石を持つ高尾九段が勝つ可能性も、という意味である。その高尾九段も局後に「少しいいかと思ったあと、どこかで悪くしてしまいました」と反省の弁を述べている。つまり高尾九段自身も一時「勝てるかも・・・」と思ったという意味だろう。そうだとすると、私の中盤戦を材料にした予測も見当はずれではなかったことになる。

▽羽根本因坊はどういう人柄なのか ― 恐るべき平常心

 予測の当否はさておき、初防衛に成功した羽根本因坊はどういう人柄なのか。金沢盛栄・観戦記者は「ひと」欄(毎日新聞7月17日付)でつぎのように描いている。

・ニックネームは「忍の貴公子」。勝っても表情を崩さず、負けても腐らない。
・ある先輩棋士は「院生(プロの卵)の合宿で、小2の羽根直樹君が中3の上級生とけんかをしている場面に出くわした。小さな身体で何度も何度も突進し、決して音を上げない。穏やかな外見からはうかがえない強さを感じた」と語る。
・その内面の剛直さが真骨頂だ。どんな大一番であっても、慌てず、騒がず、いつも通り。恐るべき平常心だ。

 日曜日放映のNHK教育テレビの囲碁番組で彼の対局姿勢は何度も観たが、上記のコメントの「慌てず、騒がず、いつも通り。恐るべき平常心」は決して誇張した表現とは言えない。この「平常心」は生涯の理想、目標を持つ人物の生き方には必要条件であるが、32歳の若輩にしては出来すぎている印象さえある。もっとも32歳という年齢は、昔の武士なら決して若輩ではない。幕末の志士、坂本龍馬も、たしか32歳で命を絶たれ、歴史に名を残した。

 さて毎日新聞の金沢盛栄・観戦記者に触れておきたい。かれは学生本因坊を4回連続奪取しており、その分野では名物男である。毎年東京・千代田区の日本棋院会館(市ヶ谷)でマスコミ関係の囲碁対抗試合がある。私(安原)も現役記者の頃、参加し、最上級のチームのキャプテンとして出場した彼の碁を脇で観戦する機会があった。プロ並みの打ち回しに「これが学生本因坊の実力か」と舌を巻いた記憶があるが、それはそれとして、あの光景は今でも忘れがたい。

 70手くらい打ち進んだころだっただろうか、相手が「負けました」といって投了したのである。少し早すぎるのではないかと思ったが、その時負けた相手が言った台詞(せりふ)が忘れられない。
 こう言った。「あなたくらいに強くなると、負けるわけにはいかないから、つらいでしょう」と。もちろん相手が学生本因坊・金沢であることを承知した上での物言いである。言い方もいろいろだなあー、と思ったが、これは負け惜しみというものではないか。当の金沢氏も苦笑するほかなかった。

▽経済学者、財界人と碁を打って

 さて囲碁にまつわる話題2つをここに再録(06年4月16日、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の「囲碁にみる人それぞれ・〈折々のつぶやき〉14」から)しておきたい。

〈その一〉経済学者・都留重人氏
 私の尊敬する数少ない経済学者のひとり、都留重人・元一橋大学長(06年2月、93歳で逝去)と日本記者クラブの囲碁月例会で一戦交えたことがある。朝日新聞論説顧問であったこともあり、日本記者クラブのメンバーだったのだろう、月例会にはしばしば顔をみせられた。
 私との対戦では、50手くらい打って中盤に入ったばかりの局面で、「安原君、もう負けた、負けた」と勝負を投げられた。「まだまだ、これからでしょう」と応じたが、「いや、もういい」という潔さに驚いたことがある。
 先生の最後の著作、『市場には心がない ― 成長なくて改革をこそ』(06年2月、岩波書店刊)も含めた多数の名著に共通している深い学識と透徹した洞察力さらに反国家権力的着想、その一方で持続力の不足ともいえる、この潔さとはどう並存しているのか。たどり着くだろう先行きがみえすぎるのだろうか。いまもなおひとつの謎のままである。

〈その二〉財界首脳・永野重雄氏
 かつて経済記者として財界担当だった頃、今は亡き永野重雄・日本商工会議所会頭(新日本製鐵名誉会長)とお手合わせを願ったことがある。私が「2段程度です。何子置いたらいいですか」と聞いたら、即座に「4子でどう」といわれた。「そんなに強いの」と内心思ったが、打ち進むにつれ、その強さがわかってきた。早打ちで、それでいてつぼを外さず、当方の大敗に終わった。
 永野さんは財界の重鎮として政界首脳とも緊密な関係にあり、しかも世界を股にかけた機敏な行動力と大局観で知られていた。「なるほど碁の世界と重なっているな」と感じ入った記憶がある。

 囲碁は単に勝ち負けを競うだけの場ではない。人間同士が触れ合いながら、それぞれ人間探求を模索する機会でもある。いいかえれば、それぞれの人生観、生き方までが表現される場でもある―と私は考えている。参考までにいえば、私の棋力は現在アマ5段程度にすぎない。


(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
興味深いエピソード
初防衛に成功した羽根本因坊の人柄に「恐るべき平常心」とあるのになるほどと肯きました。この平常心は「言うは易く、行うは難し」で日常的にはなかなか実践しにくいと思いますが、本因坊は見事な実践者ということでしょうか。さすがだという印象です。
観戦記者の金沢さんをめぐるエピソードはおもしろいですね。負けた人は相手が強すぎたため、くやしかったのでしょう。その気持ちは分かります。
経済学者、さらに財界首脳との一戦をめぐるエピソードもまた興味深いものがあります。人柄がそれぞれ浮き彫りになっているように読みました。感謝。
2009/07/19(日) 12:07:55 | URL | 囲碁愛好家 #-[ 編集]
囲碁に関し、正に先生の言われた通り「人間同士が触れ合いながら、それぞれ人間探求を模索する機会でもある。いいかえれば、それぞれの人生観、生き方までが表現される場でもある」と思います。
一時、子供の間で、漫画やアニメの影響で囲碁が流行しましたが、このところ、聞かなくなりました。ゲームばかりやるより、様々な人と触れ合う分、良いと考えます。
2009/07/19(日) 19:50:26 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
囲碁の広い空間
コメントに感謝します。
囲碁の魅力の一つは、やはりあの広い空間に自由に自分なりの構想を描き、それをどう実現していくか、その模索の妙にあるように想います。口で言うほど簡単ではありませんが、そういう夢を描く自由が与えられています。その自由をどう使いこなすか、その腕の競い合いでしょう。

もう一つ、将棋と違って碁石のひとつ一つには上下の差別はなく、平等対等である点も特色です。ただいったん打たれた石それぞれの価値は異なるわけで、その価値をどこまで高めるかは打ち手の器量です。これまたむずかしいところですが、まあ、盤面上での器量の競い合いーそれが囲碁といえるかもしれません。
2009/07/20(月) 12:49:15 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
指導碁について
私は今までにプロの指導碁を30局受けています。4子が3局で、あとは全て3子です。勝率は約6割。勝ち碁は無論全て、勝たせていただいたものばかりです。プロが本気で負かしにきたら、恐らく9割方は負かされてしまうでしょう。現在の私の楽しみはプロの碁を並べることです。これに勝る楽しみは他にありません。
碁の上達の秘訣、それはイイ耳を持つことだと思います。先日もテレビで趙治勲先生のさりげない一言、それは模様に関することでしたが、桶の底が抜けたように我が心に落ちた言葉がありました。それによって碁に対する世界観がじわっと広がってくる思いです。この喜びは他に変えようがありません。
2010/10/29(金) 00:03:56 | URL | 碁暦55年男 #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。