「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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よく聴いて、他人様にしてあげる
〈折々のつぶやき〉50

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること ― などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は50回目。題して「よく聴いて、他人様にしてあげる」です。(09年5月28日掲載、公共空間「ちきゅう座」に転載)

 毎日新聞「日曜くらぶ」に掲載されているコラム「心のサプリ 一日一粒」(筆者は心療内科医・海原純子さん)は考えさせられる話題が多い。ここでは最近の2つの「サプリ」(要旨)を紹介し、私(安原)の感想を述べたい。

▽意見を聴いてくれなくなった上司

 立場が上になったら ― という見出しの「心のサプリ」(5月10日付)。これはある中小企業での話題である。

 オーナーの友人で、大企業幹部を定年退職したAさんは相談役として、週に1回ほど来社し、その中小企業社員たちとも交流し、「話しやすい好いひと」と評判だった。ところが取締役に就任したとたんに態度が一変した。
 それまでの話しやすさは消え、社員の態度をオーナーに報告したり、会社の利益のためという名目で、仕事や人事までうるさく口出しするようになり、部下の意見に耳を貸さなくなってしまった。

 えらくなったとたん人の話を聴くことができなくなる人は多い。人とのコミュニケーションは、自分一人では生きていけないと思ったときに始まるという。立場が上になると、どうしても「自分ですべてができる」と思ってしまい、そんな無意識のおごりが他者とのコミュニケーションを妨害する。

 立場が上になった時こそ、自分が主張するより相手の話を聴くことが大切なのだが、日本の場合全く逆で、上の人ほど話し、部下ほど聴いてばかりである。こうした組織は会社だけでなく、すべての場でコミュニケーション障害を起こしてしまう。
家庭、会社、学校、自分のまわりのコミュニケーションを見直してほしいものである。アメリカのオバマ路線は聴くことを大切にしている。日本はどうだろう。

▽人にしてもらうことばかり求める女王様症候群

 女王様に「ノー」を ― という見出しの「心のサプリ」(5月17日付)。これは自分の都合しか念頭にない人の話題である。

 向こうから連絡してくるのは、頼みごとがあるときだけ、という人がいる。つまり自分の都合のよい時に連絡してくるだけで、あとは全く音さたがない。Bさんがそうだ。連絡も一方的な依頼で、その後にありがとうとも言わないし、報告もない。

 人間を役に立つ人と役に立たない人に分けていて、役に立つ人としか付き合わない。相手を自分の都合に合わせて振り回し、普段から人にして貰うばかりで、してあげることがない傾向の人。女王様症候群とでもいおうか。
 子供のころから「してもらう環境」に育つと、そうなる率が高まるのだろうか。Bさんの父親は大企業幹部で、夫はマスコミ関係。取り巻きの人たちは、Bさんとかかわることが「役に立つ」と考えているから、Bさんの頼みごとは拒否されないらしい。

 そんな女王様症候群のような人が周囲にいたら、上手にノーと言うのを念頭に置いておくことが不可欠。相手が怒ったり、機嫌を悪くしたりしても、自分が傷つかないことも大切だ。
 それにしても最近気になるのは、人にしてあげるより、人にしてもらうことばかり求める人が多いことである。困ったものである。

▽心を開いて聴くことは、「利他」の実践

 以下は私(安原)の感想である。
 人の意見や心情に耳を傾けてじっくり聴くことがいかにむずかしいかを痛感する昨今である。上に紹介した2つの事例 ― 「意見を聴いてくれなくなった上司」と「人にしてもらうことばかり求める女王様症候群」― とも根っこは同じではないか。自己中心、独り善(よ)がりという同種の根っこをもつ悪癖といえる。
 人の意見を無視して、独断専行に走れば、仕事は速い。しかしそういう仕事にどれだけの価値があるのか。一方、相手の気持ちも迷惑もお構いなく、身勝手な願望を貫けば、たしかに自己満足感を味わうことは間違いない。しかしただそれだけのことにすぎない。自己満足であっても心底からの充実感ではない。他者と分かち合う充足感からはほど遠い。

 こういう人間像は、想うに1980年代後半のあのバブル経済とその崩壊を経て形成され、21世紀初頭の小泉政権時代に顕著になったあの新自由主義路線のなかで大量生産されたのではないか。損得勘定優先、拝金主義に汚染され、いのちよりもカネが大きな顔をするようになった。弱肉強食の非道な論理が横行した、その渦中でのさばるようになった歪められた人間像といえる。

ではどうすればよいのか。破綻したはずの新自由主義を復活・推進しようという策動がみられるが、これには「ノー」の声をあげること。それを大前提にして、まず自分の悪癖に気づくことである。「自分自身が見えていない」という表現があるように、現実には気づかないことが多いから始末が悪い。だからこそ自己反省、いいかえれば自分自身をもう一人の自分が観察する姿勢、あのイギリスのアダム・スミス(1723~90年)が著書『道徳感情論』(岩波文庫)で説いた「公平無私な観察者」の眼が不可欠である。
 ここまでくれば、自己中心、独りよがり、思い上がりという名の小我、自己執着を棄てることも不可能ではない。むずかしいことだが、その気になれば、できないことではない。やがて心も開いてくる。そうすれば自然に相手の意見や心情が心に届いてくる。聴くとはそういうことではないか。

 「聞く」のは耳に入ってくる音声にすぎないが、「聴く」とは心に響くことであるだろう。そういう聴き方は自己中心ではなく、他人様(ひとさま)中心の姿勢だから、畏(かしこ)まった言い方をすれば、仏教でいう利他主義の実践に通じる。くだいていえば「よく聴いて、他人様にしてあげる」ことである。この利他の実践は結局は自分自身に充実感として返ってくる。仏教ではこれを「自利利他円満」ともいう。「世のため人のため」に考え、行動すれば、自分自身も輝いてくるという意である。


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コメント
この記事へのコメント
「世のため人のため」について、その昔はよく耳にしましたが、最近ではほとんど聞かなくなりました。
代わって聞くのが、自分のためです。
これが言われ出した頃より、生き難くなった感じがします。

勤務先の創業者は、顧客第一とチラシなどでは言っていますが、会議などでは、社員に対し「お金のために仕事をしている。」と平気で口にしています。
社員が薄給で長時間労働しているにも関わらず、社員の生活を思い遣ることもなく、社員の代わりはいくらでもいると考えています。
物扱いをしているため、声が聴こえないのでしょう。
2009/05/28(木) 21:10:36 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
人間様はモノですか
風月さん、やっぱりそうですか、という思いで読みました。
「世のため人のため」が回り回って結局は「自分のため」になるという道理が分からなくなっているのでしょう。今日の善行が明日にも報われるという短兵急な結果は期待できないので、どうしても目先の小利に執着するからでもあります。

そういう小利にこだわるあまり、どれだけの人があの刑務所行きになったことでしょう。刑務所の小さな窓から夜の星空を眺めながら「しまった」とつぶやいてみても、「後の祭り」です。
人をモノ扱いしていると、最後は自分自身がゴミとして棄てられるのがこの世の冷厳な理(ことわり)でもあります。
しょせん限られたいのちです。できることなら、一日一日をさわやかに生きたいですね。
2009/05/29(金) 18:11:52 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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