「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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芭蕉の「歩く文化の旅」に学ぶ
クルマ依存型文明をどう超えるか

安原和雄
この大型連休をどう過ごすか、それは人さまざまである。旅でいえば、空もあれば、陸では鉄道、クルマ、歩く旅、と多様である。各自の自由な選択にゆだねられているが、できることなら、あの芭蕉の「奥の細道」紀行を想起したい。それは全行程2400キロにも及ぶ「歩く文化の旅」であった。
 現下のクルマ依存型文明は、温暖化防止など地球環境保全を優先すべき21世紀には限界に直面している。大型連休の機会に芭蕉の「歩く文化の旅」という智慧に学ぶことは少なくないのではないか。(09年4月28日掲載、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽「奥の細道」紀行から320年に

 俳聖、松尾芭蕉(1644~1694年)が元禄2年(1689年)、「奥の細道」紀行を果たしてから、今年(2009年)でちょうど320年になる。芭蕉が行脚した全行程は、江戸深川の芭蕉庵そばから舟で隅田川をさかのぼり、千住で上陸し、日光、奥州、北陸を経て、大垣に至る約600里(約2400キロ)に及ぶ。いまの陽暦でいえば、5月上旬に旅立ち、終点の大垣まで半年近い月日を要した。

 今日風に言えば、芭蕉は5月の大型連休を生かして旅立ったことになる。当時は石油(ガソリン)を浪費する自動車はなく、高速道の通行料金を1000円に、などと考える必要もなかった。門人の曽良をともなっての2人旅で、全行程2400キロを半年足らずで踏破している。1日平均15キロの歩く旅だが、毎日歩いたわけではないから、30キロ以上も歩き続けたことも多かったに違いない。現代の文明人が忘れている文字通り「歩く文化の旅」であった。
 
 私は記者現役時代に毎日新聞社説(1989年5月7日付)で、題して「芭蕉と旅 そしてゆとりと」という一文を書いた。ちょうど「奥の細道」紀行から300年のときで、ゆかりの各地で多彩な記念行事が催された。
 当時は1985年頃から始まったあのバブルの最盛期でもあり、やがて悲惨な崩壊へと向かおうとしていた時期でもある。その一方で、時間のゆとり、心の豊かさを求めて模索が始まっていた頃でもあった。そういう時代背景からすれば、芭蕉の「歩く文化の旅」に心寄せる雰囲気がみられたのも当然のことである。

▽「芭蕉と旅 そしてゆとりと」

 以下に20年前の社説(要旨)を紹介する。

 「奥の細道」の「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」という書き出しからもわかるように、芭蕉は人生は旅であり、旅こそ人生そのものだと考えていた。この機会に、こうした芭蕉の心に思いを寄せてみたい。

〈いま再び世は乱れて〉
 芭蕉の精神がいまなお生き続けているとすれば、彼はいまの世になにを語りかけようとしているのだろうか。「奥の細道」に登場してくる人物とその評価がおもしろい。
 例えば日光近くの宿屋の主人は正直一点張りの男であった。芭蕉はそれを「仁に近い人物」として最大級の賛辞を呈している。山形の尾花沢で訪ねた豪商、清風のことを「かれは富めるものなれども、志いやしからず」と形容している。
 これは「徒然草」の「むかしより、かしこき人のとめるはまれなり」を踏まえたものといわれ、金持ちには卑俗な者が多いが、清風は富豪であるにもかかわらず、志の高い人物だと称賛しているのである。

 芭蕉が日本橋での俳諧宗匠の生活から深川での俳諧隠者へと転じた背景に、当時の「生類憐れみの令」で知られる五代将軍、綱吉治世の乱れがあった。そういう通俗的世界への批判精神から芭蕉は、恐らくお金には不自由しなかったはずの生活を捨て去ったともいえよう。
 300年後の今日、同じようにいやそれ以上に世は乱れ切っている。「カネ余り」をいいことに株だの土地だのと狂奔し、揚げ句の果てに恥ずかしくも不名誉なリクルート事件まで引き起こしてしまった。一片の芭蕉の心があれば、このような不始末もしでかさなかったにちがいない。正直者で志のいやしからざる人はいまは少なく、残念ながら芭蕉の世界に遠く隔たってしまった。

〈問われる心の豊かさ〉
 旅とはなんだろうか。芭蕉にとっての旅とは自然への感動であった。四季の風物の変化への思いやりであり、それを心の友とすることであった。
 松島について「うっとりさせるような美しさ」とも「大自然の風光の中で旅寝するのは不思議なほどすばらしい」ともしるしている。あまりの美しさに松島ではあの芭蕉にして一句もものすることができなかったとされている。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」とうたった立石寺では「佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心すみ行くのみおぼゆ」という心境にひたっている。
 こうした自然への感動を失っていなければ、開発という名のもとに自然を破壊して平然としている無神経さとも無縁だろう。

 旅はまた歴史への深い関心をかき立てずにはおかない。その昔、平泉で戦いに敗れ、自害し果てた源義経をしのぶ「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」は有名である。「奥の細道」紀行は一面、悲劇の武将の運命を嘆き、慟哭(どうこく)する旅であった。
 芭蕉が求めてやまなかった風雅の道とは実はこうした自然への感動であり、歴史への関心にほかならない。今日、風雅の心を求めることは浮世離れしていることだろうか。答えは否である。むしろ今日的なゆとりとは風雅を解しようと努める心のゆとりであり、またゆとりがなければ風雅にもほど遠いと考えたい。

 物の豊かさと心の貧しさ、その不均衡をどう均衡させるかがいま問われている。今春は豪華客船が次々と就航し、クルーズ元年ともいわれる。船旅も心を満たすのにまたよし、である。ただそのひとときでもいいから、風雅の心を楽しんでみたい。
 逆に句をひねらなければ、芭蕉の心に近づけないというわけでもない。また交通機関を利用する旅に出掛けなくてもいいのではないか。旅は人さまざまであり、心の旅もあるだろう。
 ただやはりそこに風雅の道を、しかもそれを日常生活の中で取り戻すように心掛けてみたい。今日的な真の豊かさは芭蕉の世界と決して異質のものではないはずである。

▽ クルマ依存型を超えることができるか

 以上の社説を20年後の今、読み返しながら、芭蕉が今生きていたら、自家用自動車中心社会という現代文明にどういう感想を抱くだろうかと想像した。想像を絶するとして、仰天するだろうか。逆に時代の進歩として受け容れるだろうか。それとも車社会はもはや時代に合わないと感じとるだろうか。

 はっきり言えることはつぎの点である。芭蕉の「歩く文化の旅」は、車に依存した文明社会が限界に直面している今日だからこそ、示唆するところも少なくないのではないか、と。
 今日、温暖化防止など地球環境の保全、資源エネルギーの節約、さらに再生不可能な化石エネルギー(石油など)から再生可能な自然エネルギー(太陽光など)への転換は急務である。このことは従来の車社会は時代に合わないことを意味している。クルマ依存型文明をどう克服するかが大きな課題となってきた。
そのためには総合交通体系を根本から変革する必要がある。現在のクルマ中心型から公共交通中心型への変革である。鉄道、バス(地域のコミュニティ・バスも含む)、路面電車などの公共交通のほかに、自転車、徒歩の重視である。道路づくりは自転車道、歩道の整備にもっと重点を置く必要がある。

 私(安原)自身のライフスタイルをいえば、徒歩、バス、鉄道の重視派である。自家用車も運転免許も持っていないし、持つ気もない。特に長距離の旅は鉄道に限ると思っている。最近、鉄道駅にはほとんどエスカレーターが付設されているが、私は階段を利用するよう努めている。健常者でも無造作にエスカレーターに乗る人が少なくないが、それを横目で見ながら「将来の寝たきり予備軍か」という想いを禁じ得ない。

 芭蕉が舟から上陸した地、「千住の大橋」(東京都足立区)を先日訪ねた。北千住駅から歩いて30分ほどの距離である。大橋のたもとのコンクリート岸壁に「おくのほそ道 旅立ちの地」と記されている。その脇に旅姿の芭蕉と門人の曽良が与謝野蕪村筆「奥の細道図屏風」として添えられている。近くに「奥の細道」の全行程を示す大きな地図も掲げてある。
 10数名の年輩男女のグループが地図を見上げながら、「ここ千住から最後は大垣まで歩いたのか・・・」などとささやき合っている。リュックを背負った姿は、歩くのが好きな仲間同士と見えた。最近は若者たちのクルマ離れも目立ち始めている。クルマ依存型文明から解放される日もそんなに遠くはないことを期待したい。


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コメント
この記事へのコメント
最近は、バリアフリー法の下、どこの駅にもエスカレーターが設置されていますが、どういう理由か、階段があっても誰も利用とはしません。
私は、階段の方が空いていますので、そちらを使っています。
現状を見ていると、先生のご指摘する通り「将来の寝たきり予備軍」を増やしているようなものです。将来、医療費など、どうなるのでしょう。
それにしても、本当に近頃の人は歩きません。山手線内では、地下鉄を乗り継ぐよりも、歩いた方が時間的に節約出来る場合が多いにも関わらず、十五分も歩きたくないという人が目立ちます。
電車内の床に座り込むことと無関係ではないかもしれません。
昔の人からすれば、笑いたくなるでしょう。


2009/04/28(火) 20:59:05 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
もっと歩こう!
赤坂亭風月さん、コメント有り難う。「駅では階段を使っている」とのこと、同好の士がまた一人増えました。健常者であれば、もっと足を使って歩きたいですね。ご指摘のようにたしかに「昔の人からすれば、笑いたくなるでしょう」。

なぜ歩こうとしないのか、一つは疲労が体内に溜まっているからなのでしょう。しかし歩くことによって疲労を軽減できるという効用もあります。歩く価値を再発見するときのような気がします。特にこの季節には歩くことは気持ちがいいですからね。
2009/04/29(水) 17:46:40 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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