「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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BSRのすすめ
<折々のつぶやき>4

 安原和雄
 新年になって、想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉と名づける。今回は4回目。(06年1月22日掲載)

BSRって耳にしたことありますか? 多分ないと思います。というのはこれは私の直近ホヤホヤの新造語ですから。最近、浄土宗の『鎌倉通信』に私が書いた次の一文を読んでくだされば有り難く思います。

企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)が厳しく問われるようになった。「企業は貪欲に利益を追求するだけでよいのか。もっと顧客、取引先、地域、従業員などに企業活動の成果を還元してはどうか」という声が高まってきた。名門企業を含む日本企業の不祥事が相次いでいる今日、CSRは日常用語になった観がある。

 仏教が社会的存在である以上、企業同様に社会的責任が問われるべきではないか。「お寺のお布施もカネ次第になっている。仏教はどこまで有効なのか」という疑問の声が広がりつつあることを横目でみているわけにはいかない。

 私は企業のCSRにヒントを得て、仏教の社会的責任を意味するBSR(Buddhist Social Responsibilityの略語)という新語をつくり、大いに普及させる必要があると考えている。ではBSRとは、何を意味するのか。

 端的にいってお布施のあり方を再検討すべきだと思う。お布施には大別して法施(法=真理の施し)、財施(モノ、カネの施し)、無畏施(不安や恐怖を取り除く施し)の3つがあると理解している。現在、寺への財施が中心になっている。お坊さんたちはもっと法施、無畏施にも精進を重ねて貰いたい。衆生済度の思想を生かして現世での人助け、世直しのために貢献することこそBSRの実践とはいえないか。

 夜討ちをかけられ、深い傷を負った父が臨終の際、枕辺に九歳の勢至丸(法然の幼名)を呼んで言い聞かせた。「敵人を怨むことなかれ。(中略)もし遺恨をむすばば、そのあだ、世々に尽きがたかるべし」と。

 この遺言は法然にとって生涯忘れることができなかったと伝えられるが、今日風にいえば、徹底した平和思想である。戦争はもちろん、地球環境の汚染・破壊、凶悪犯罪、人権抑圧、社会的不公正などは広い意味の暴力といえる。こういう暴力とは無縁の平和をどうつくっていくか。これがBSRの柱となることを願っている。(以上)

 以上のように、BSRは、「仏教の社会的責任」を意味しています。法然(1133~1212年)は浄土宗の開祖、法然上人のことです。日本仏教には沢山の宗派があります。念のためいえば、わが家は真言宗です。どの宗派も創業者はつねに偉大ですが、昨今のお寺さんは財施(主としておカネ)本位のお布施依存症に陥っているという世間の声は少なくありません。

 不祥事や犯罪を重ねる企業への風当たりは大型台風の如きものがありますが、葬式仏教にいささか偏しているお寺さんにも烈風が吹きつけています。企業同様にお客様のことを忘れてはいけませんね。お客様あっての寺です。いや、このお説教は「釈迦に説法」でした。


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コメント
この記事へのコメント
お寺もCorporate
BSRと言う言葉には初めて出会いました。私は、親戚・友人・知人の葬式などでお寺にお世話になるくらいの経験しかありません。その範囲での私の感じでは、お寺自身、あるいは、その宗派の団体が現状では既にCorporateのような存在になっているように思います。住職さんがBuddhistとして立派であっても、寺と教団の経営は、別の考え方でやらざるを得ないのではないでしょうか。まことに残念ですが。この現象は、仏教に限らないように感じます。
2006/01/23(月) 22:27:04 | URL | S.O. #-[ 編集]
先日、教育テレビで放映されたETV特集「お寺ルネサンスをめざして」をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか。

期待通り、まさに現代における仏教の社会的意義を厳しく問いかける番組でした。数は少ないながらも、大阪・應典院の秋田住職、新潟・妙光寺の小川住職、松本・神宮寺の高橋住職など、寺の公性(公であるという感覚)やミッションについて深く考え実践しているすばらしい方々が取材されていました。

行き場を失った若者やお年寄りだけでなく、すべての人に、死んでからだけでなく生きているうちに、お寺で元気になってもらう、そのためにアッと驚くようなアイデアを次々に実行に移されています。ひとつひとつは簡単には語れないので、ここで説明はいたしませんが、ご興味のある方は、今度の土曜日に、上記の秋田住職のお話を東京・青松寺で聞けるようです。
http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/runeframe1.html

きれいごとばかりでなく、お金の話、お寺の情報公開や説明責任(「公益法人なのだから」とおっしゃっていました)についても触れられていたところがよかったと思います。

もし、この番組の再放送があれば、日本中の住職の方が見て刺激を受けていただきたいです。

以下、NHKのHPより引用です。

ETV特集
 「お寺ルネサンスをめざして」
教育・後10・00~11・30
 「葬式仏教」と揶揄されて久しい日本の仏教。しかし、今、お寺再生の動きが高まっている。多くのユニークな僧侶が、お寺を新しいコミュニティの中核として仏教の変革をめざそうとしている。
 文化人類学者の上田紀行(東京工業大学助教授)さんは、『がんばれ仏教』と題する著作を発表し、自ら「仏教ルネッサンス塾」を主催するなど仏教再生を考え続けてきた。上田さんによれば、こうした新しい寺の活動は不透明な日本社会の未来を切り拓く大きな鍵を握っているという。
 「元を正せば江戸時代までの寺は日本社会で文化、教育、福祉、医療、土木など、多様な機能を持つコミュニティーセンターだった。そしてそこに住む住職は多様な側面から地域を支える指導者でありボランティアであった。全国の自治体がもつコミュニティーセンターは約2万か所、しかし全国津々浦々に広がる寺は8万件近くある。元々地域を基盤として活動するこれらの寺が再生すれば、地域の活性化に大きな意味を持つ。
 上田さんはそもそも人間の苦悩に向かい合うのが宗教であり、宗教の壁を越えて呼びかけてくる「生きる意味」のエネルギーこそが、いま未来を見失った日本人が将来を考える支えとなるという。
 番組では上田紀行さんが日本各地の革新的な寺や仏教再生の活動を続ける若い僧侶たちを訪ね、対談を重ねる。ユニークな活動を紹介しながら、寺の持つ新しい可能性と日本社会の未来の在り方を思索する。訪問する寺院の候補は、

○應典院(大阪・浄土宗):「仏教の仕事は“問う”こと」とし、若者アートの活動を通じてつながりを図る。
○妙光寺(新潟・日蓮宗):人生の末期に向けて、生前からの個人と寺の新たな関係を提言。
○神宮寺(松本・臨済宗):国際援助活動やデイケアサービスを通じ、コミュニティーケアのあり方を模索。
2006/01/24(火) 14:30:52 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
お布施に3つあることを知りました。「昨今のお寺さんが財施本位のお布施依存症に陥っている」ということを実感しています。
お寺さんによっては、お布施の値段が“明朗会計”という名のもとにキチンと決まっており、戒名など、まさにカネ次第です。一方、「お気持ちだけで結構です」というところもあり、流石仏の教えと感心しつつ、本音がそうではないことが分り、結局“高くつく”ことになるということをよく聞きます。
安原和雄の仏教経済塾(企業人はカネの奴隷か・・10/15)で、渋沢栄一、伊庭貞剛に学ぶこととして、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」「君子は財を愛し、これを取るに道あり」を引用され、カネの亡者たちに警鐘を与えてから3ヶ月、「カネで買えない物はない」、「お客様、株主が大切」と言っていたホリエモンは、今どう思っているのでしょうか。
たしか、お寺さんにも不祥事が続きました。仏教の社会的責任、SBR普及のつぶやき、同感です。
2006/01/26(木) 10:32:19 | URL | h.y #-[ 編集]
「BSR」なる〝安原流〟造語に感服しました。お布施には法施、財施、無畏施の3通りあるが、現在の仏教界には、「財施」のみ跳梁跋扈しているという。まさにその通り。葬式・墓地すべて金まみれにしたのは、尤もらしく説話する僧侶の下劣な品性である。
 宗教法人軽減税制に守られ、庫裏改築などすべて檀家に寄付を強要する姿勢は許せない。広大な敷地や施設を地域社会に開放している寺院は驚くほど少ない。ここに現代仏教の退廃がある。
 仏教覚醒を促す安原先生の更なる提言をお願いしたい。
2006/01/30(月) 09:16:01 | URL | 池田龍夫 #-[ 編集]
多様なコメントに一言
 多様なコメントに感謝します。昨今のお寺さん、葬式仏教への批判は相当根強いものがあるようですね。当のお寺さんも心ある人は承知しているのですが、全体の共通認識にまで高められてはいないということなのでしょう。

 NHKの教育テレビ特集「お寺ルネサンスをめざして」は観ませんでしたが、その元になっている東京・青松寺の「仏教ルネサンス塾」には何度か参加したことがあります。若者を含めて参加者が多いのに驚きました。変化が始まっているな、とも感じました。

 残念ながらこういう動きはまだ少数派です。仏教経済学を提唱する者の一人として、この現状を黙視しているわけにはゆきません。仏教界に変革の波を高めるにはどうするか、それが問題です。

 結論からいえば、競争を導入することです。小泉首相の「自民党をぶっ壊す」という言い回しをあえて借用すれば、「檀家制度をぶっ壊す」ことが必要なのでしょう。
 檀家制度は古く江戸時代からつづいているわけで、こういう制度に依存しているようでは今日の時代にふさわしい変革意識は高まりません。

 たとえば薬師寺(奈良市)は檀家がないはずです。そのお坊さんから「だから新しいアイデアを考え出し、お客様に訴える以外に手はないのです」と聞いたことがあります。

 仏教経済学の立場からも競争は必要です。
 もちろん小泉改革流の「勝ち組」、「負け組」に色分けするような競争は歓迎できませんが、智慧を出しても、怠けていても、結果は同じという「結果の平等」は返上すべきです。
 お客様獲得競争を導入すれば、少しは変化していくことも期待できるのではないでしょうか。
2006/01/30(月) 14:54:42 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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