「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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定額給付金反対者は寄付を!
「拒否」して貰うのは筋違い

安原和雄
あの定額給付金問題はもみにもんだ末、国会で通った。支給は3月以降になるらしい。世論調査によると、7割の人が反対していると伝えられる。私は反対論者ではないので、少数意見に属することになるが、反対の多くの国民に肝心なところで錯覚があるのではないかという印象が消えない。
 賛否はもちろん自由だが、反対者は給付金を「拒否」しているわけだから、今さら受け取るわけにもいかないのではないか。「もったいない」精神を発揮して、恵まれない人や施設に寄付したらいかがだろうか。それにも反対ならば、主張に一貫性がなくなり、筋が通らないだろう。(09年2月2日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽給付金反対論への疑問 ― 財政・税制の根本的組み替えを

 私はこの定額給付金について「遠慮せずにいただきましょう」という視点から昨08年12月、以下のような趣旨を書いた。その要旨を再掲する。(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の08年12月17日付記事「定額給付金だけがバラマキなのか 財政、税制を根本から組み替えよ」参照)

 総額2兆円の定額給付金はバラマキであり、有効な政策ではないから容認できないというバラマキ返上論はいくつかのタイプに分けられる。

(1)景気対策優先説
 国庫に2兆円もの余裕があるなら、景気対策に真剣に取り組んで貰いたい。首相は1人当たり1万2000円から2万円の給付金で景気が上向くとでも思っているのか。
〈安原のコメント〉― ささやかなゆとりと幸せを求めて
「景気が上向くとはいえない」は、その通りである。しかし給付金をどう使うかは国民の自由であり、景気回復を目標に掲げて我々は日常生活を送っているのではない。多くの庶民はささやかなゆとりと幸せを求めて生活を営んでいるにすぎない。
 少しでも生活費の足しになれば、それで十分ではないか。それ以上のことを大げさに期待するその感覚の方がおかしい。

(2)選挙向けの買収行為説
 「定額給付金は選挙に向けての買収行為だ」という不評が聞こえてくる。選挙が近づくと、今回の給付金のような人気取りとしか思えない予算措置がどんどん出てくる。
〈コメント〉― 麻生首相への義理立ては無用
 麻生政権側は内心では「選挙向けの買収行為」のつもりかもしれないが、麻生首相のポケットマネーを恵んで貰うわけではない。近い将来の総選挙では現政権を担う面々に1票を投じる義理はない。交付金は、国民が納めた税金のほんの一部の「スズメの涙」が戻ってくるにすぎない。「何の遠慮がいるものか」であろう。

(3)消費税引き上げ誘導説
 定額給付金を一時的に支給されても、その引き換えに消費税率を引き上げるというのでは結局、低所得者、年金所得者、中小企業経営者らをますます苦しめることになる。消費税率の引き上げを止めて欲しい。
〈コメント〉― 消費税上げを撤回させるには
こういう疑問は少なくない。だから消費税率引き上げに「待った」を掛けるのは正しい。ただし1回限りの2兆円交付金を止めたからといって、それだけで消費税率引き上げの撤回を期待するのは甘すぎる。お人好しともいえよう。
 麻生首相は「3年後の消費税引き上げの姿勢は変わらない」旨を明らかにしている。消費税引き上げを阻み、ひいては将来引き下げるには財政・税制の根本的な組み替えが不可欠である。

(4)2兆円の有効活用説
 2兆円の使い道としては、本当に「国民の生活不安」に応える政策を検討してもらいたい。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条・生存権)が保障されるよう真剣に考えてもらいたい。
〈コメント〉― 生存権保障のためには発想の大転換を
 憲法25条は、国民の生存権と同時に、その生存権を保障する義務が国にあることを定めている。ところが国はその義務の怠り、生存権の保障とはほど遠い寒々とした現実が日本列島上に広がっている。だから2兆円の有効活用説は一見もっともにみえるが、なぜ交付金2兆円にこだわるのか。2兆円程度の資金で国民の生存権が保障できると考えるのはお人好しだろう。

 ここは2兆円執着説から発想を大転換させようではないか。それは国の一般会計予算(09年度は総額88兆円台で過去最大、うち政策経費を示す一般歳出も52兆円と初めて50兆円の大台を突破)の根本的な組み替えである。
 財政・税制組み替えのいくつかの事例を挙げると―。
*防衛費(年間約5兆円)、公共事業費(高速道路・ダムなど)の大幅な支出削減
*大企業や資産家への優遇税制の廃止・見直し、環境税の導入
*「早くあの世へ往け」と言わんばかりの後期高齢者制度を廃止するなど年金、医療、生活保護など社会保障制度の充実

▽反対者に提案する ― 寄付などに回してはどうか

 以上のような総額2兆円の定額給付金問題に関する私(安原)の見解は、今も変わらない。正論だと思っている。ところがこれが少数意見だというのだから、私は不思議な感覚に襲われている。突然、多くの日本人がお人好しになったのではないか、肝心なところで錯覚が生じているのではないかという印象さえある。
 世論調査によると、定額給付金を「評価しない」が7割を超えているとも伝えられる。この数字を前提にすると、7割の人が「給付金を貰わない」という意思表示をしたも同然である。いうまでもないが、言論・思想の自由は憲法で保障されている。「貰わない」という拒否の意思表示に反対する理由はない。私はむしろ尊重したい。尊重するからこそ以下の提案をしたい。

いったん受け取った給付金を国庫に返上する理由はない。ここは「もったいない」精神を生かして寄付することをすすめたい。恵まれない人や施設など寄付先は多様であるだろう。これが折角の給付金の有効活用というものではないか。7割の人が寄付すると、概算で2兆円の7割で1兆4000億円にものぼる。寄付先にも歓迎されるのではないか。毎日新聞(1月31日付)によると、寄付を募っている地方自治体(東京都多摩市、大阪府箕面市)もある。 
 給付金は通常の政策とは異質である。「貰わない」という意思表示をした以上は、あくまでもその主張を貫いて欲しい。それが己の考えや主張に責任を持つということではないか。給付が決まったのだから、受け取るというのでは筋が通らない。「嘘つき」「無責任」という批判を招くかもしれない。

▽大手紙社説は説明責任を果たせ

 特にメディア関係者に注文したい。なかでも大手紙社説で給付金に反対の論陣を張った新聞は一社に限らない。その新聞社説は無署名であり、個人としてではなく、論説委員会の共同責任で書かれた社説と理解できる。だから反対論を掲げた新聞の論説委員全員は当然のことながら、自分に対する給付金を寄付などの形で有効活用すべきであると考えるがどうか。寄付などして、言行一致の範を示して欲しい。そうすれば、社説への評価は一段と高まるに違いない。
 しかもどういう形で有効活用するかを社説で公開して、例の「説明責任」を果たして欲しい。そういう前例のない新しいスタイルの社説もあっていいのではないか。今や「チェンジ(変革)」の時代である。間違いなく注目されるだろう。

 さて一介のささやかな年金生活者にすぎない私(安原)自身はどうするか。反対論者ではないので、遠慮なくいただく。何に使うか、そこが問題である。
 私は景気回復、消費増大に貢献しようという感覚には無縁である。景気回復、消費増大は個人の消費行為の結果にすぎない。それを目的にして生活をしている人がどこにいるだろうか。経済のために人間があるのではない。逆に人間のために経済がある。人間が主役であり、経済は手段にすぎないことを再認識したい。

 だから使い途は自主的に決める。それが個人として責任ある生き方だと心得ている。税金の支払いに充てるかもしれない。あるいは久し振りに日本の銘酒を味わってみるのもまた一興かと思案している。できることならその時に「説明責任」を果たしてくれるであろう新聞社説を朱筆で採点しながら、ひとときを過ごしたい。その日が来るのを楽しみにしている。


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コメント
この記事へのコメント
「なるほど」という論理
「なるほど、こういう主張もあり得るのか」という思いで読みました。私もなぜ給付金に反対者が多いのか、不思議に思っている者の一人です。それでも最近は新聞の投書欄に「心待ちにしている」という意見も載るようになっています。
ある新聞を読んでいたら、つぎのような記事が出ていました。
「広告宣伝費の大幅削減のため、マスコミ各社の業績が悪化している。懸念されるのは、少なくなる広告費を逆手にとって、大企業・財界がマスコミへの圧力を強めていることだ」という内容です。人品卑しい企業人の多い現状ではさもありなん、という印象です。だからマスコミの企業批判の筆先が鈍っているだろうという事情もあるかもしれません。

もう一つだからこそ不満のはけ口として政府批判にエネルギーを注ぐということもあり得ます。
素直な気持ちであれば、無用な批判と分かるようなケースについて言わずもがなの批判をあえてぶっつけるという心情です。テレビも含めてマスコミが批判すれば、それに多くの人がなびくというあまり歓迎できない風潮も否定できません。
ご指摘のように反対論者たちは、自分の主張にどういう後始末をつけるのでしょうか。寄付はたしかに有力な選択肢ではありますが、半分以上の人たちが本当にそういう行動に出るのでしょうか。日本国民の力量を試すまたとないケースになるかも知れません。どうでもいい些細なこと、とも思っていましたが、この行く末は目を凝らして観察するだけの値打ちがありそうです。やれやれ、忙しくなってきました。
2009/02/03(火) 15:15:30 | URL | 高岡志 #-[ 編集]
冷静な批判を
高岡志さん、コメントをいただきました。私と同じように少数意見としてのコメントと受け止めました。
私の印象では、この定額交付金問題では冷静さを失っている人が少なくないように思います。現政権への失望が大きいため、例の「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」の心情に陥っているのではないでしょうか。例えは適切ではないかも知れませんが、そういう印象が消えません。

この種の政策が立派などと評価しているわけではありません。そういう視点からの批判なら、他の政策でも歓迎できないものは沢山あります。また無駄遣いを言うなら、他にも無駄遣いは沢山あります。だから肝心なことは財政・税制の根本的な組み替えだと言いたいのです。そういう視点を外して、交付金問題に視点を限定するのは、視点が小さすぎるし、権力批判にもなりにくいような印象があります。

まあそれにしても、賛否両論を戦わせるのは歓迎です。しかし批判にはそれなりの責任が伴います。言行一致が望まれます。そういう自覚のない批判は、駄々をこねているにすぎないと受け止められてもやむを得ないでしょう。
2009/02/04(水) 12:04:07 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
最近、職場では給付金を心待ちにする人が増えてきました。背景には、ボーナスが減り、特に、妻子のある人は生活が苦しくなってきたと言います。

反面、技術者の友人は反対しています。生活には余裕があるようであり、年末の「派遣村」に対しても、その多くは困っている人ではないのではないか、あれほど派遣がいるはずがないと疑っています。訊けば、周囲に派遣の知人はないようです。

察するに、お上もこのような認識なのでしょう。

ところで、給付金について、町役場に勤務し、その担当になるろうという友人によれば、役場内では、振込手数料の問題や人手などで、大騒ぎとなっており、困惑した様子でした。
2009/02/04(水) 21:18:35 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
給付金問題は柔軟な発想で
赤坂亭風月さん、給付金問題にかかわる実情のコメントを有り難う。賛否両論いろいろあっていいのですが、反対だという人は受け取る資格はありません。しかし多くの人は多分受け取るのでしょう。

問題は町役場勤務の友人とかの話です。人手が足りなくて大変だというのは、自分中心の考えに基づく甘えでしょう。今、仕事が見つからなくて困っている人が多いというのに、公僕の口にすべき言いぐさではないように思いますが、いかがですか。公僕としての仕事をしたくないのであれば、給料の一部をそれこそ返上したらどうですか。

もう一つ振り込み手数料の問題は、税金の一部を充てるのはそれこそ無駄遣いです。ここは銀行などに負担させるのも一案です。預金利子は長い間ただ同然となっているのです。今こそお客様のご愛顧に応えて銀行が負担したらどうですか。大した金額ではないでしょう。
今日の不況を招いた一半の責任は、マネーゲームに熱を上げてきた銀行にもあります。いまこそ一般預金者にお返しをするときでしょう。

現状を不変と考えて自由な発想ができないことも、この際、大いに反省したいですね。この給付金問題は決して立派な政策ではありませんが、これを活用して頭の柔軟体操を試みるための好機会と受け止めることもできます。硬直化した発想では日本の変革は見果てぬ夢に終わります。
2009/02/05(木) 11:51:57 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
「反対!」、でも欲しいし、もらっちゃうかなぁ・・・
この政策は有効じゃないと思うし、本当に困っているところに届くような政策を打ち出すべきだと思っているので反対です。
配るために、莫大な予算を使うこともおかしいと思います。同じお金を使うのであれば、課税最低限度を下げるとか、本当に困っている貧乏人に厚くする方法は、いくつかあると思います。

でも、それが決まってしまって、反対してるから貰うのがおかしい、受け取る資格がないとは思えません。

ぼくが貰わないことで浮いたお金が有効に使われるとも思えませんし。

増税に反対しても、取られるときは取られるし、また、必要だと思える税金が廃止とか減額されたら、それに従うしかないのと同じことではないかと思うからです。確かにそれはそれ以外、選択がないということでもあり、それは話が違うということであれば、以下のような例もあります。

「反対するものには、その給付を受ける資格がない」という論理がまかり通るとしたら、例えば、「障害者自立支援法」というぼくも反対しているし、多くの障害者も反対して、現状では見直さざるを得なくなっている制度から給付を受けることはおかしいという話にもなりかねません。反対しているおかしいと思える制度からの給付を受ける例は出していけば枚挙にいとまがないと思います。

反対だけど、もらえるものはもらうというのは日常を生きている庶民の生きるずうずうしさでもあり、そのことで倫理的な高みに立って非難されても、開き直るしかないなぁと思います。

正直、貧乏人として1万2千円欲しいのです。もらえたら自分の金として使っちゃうか、それとも、呼びかけて、みんなで麻生や自民党が嫌がることに使うのがいいのか、悩んでします。ぼくは反対だけど、貰えるものは貰います。

大切なことは制度には反対だけど、貰わざるを得ない人を向こう側に追いやるのではなく、貰っても、やなものはやだ、その制度に景気浮揚の効果なんかないし、いまの政権には反対だという風に人々を仲間に組み入れていくことではないかと思います。(欲しいからこんなこと言ってるというのも否定できませんが(笑))

この制度に賛成でも反対でも、もらってももらわなくても、おかしいものはおかしいといい続ければいいのだと思います。

もちろん、「肝心なことは財政・税制の根本的な組み替え」という意見には異論はありません。その通りです。安原さんの普段の主張どおり、成長や拡大を求める政策には終止符を打つべきです。それはお腹がすいていても倫理的におかしいものはおかしいと、給付を拒否できるりっぱな人だけでなく、市井の人々とともに追求すべき政策だと思っています。

あわてて書いた雑駁な意見なので、変なところもあるかもしれませんが、とりあえずここに書いておきます。
2009/02/06(金) 20:30:42 | URL | tu-ta #8iCOsRG2[ 編集]
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