「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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「知ろうとしない責任」を考える
「自己責任」などの論議を超えて

安原和雄
破綻した新自由主義路線の中で犠牲者たちに「自己責任」が説かれ、一方、オバマ米大統領の就任演説に盛り込まれたキーワードの一つは「新たな責任の時代」である。にぎにぎしい責任論という印象があるが、さてその責任とは一体いかなるものなのか、となると、話はそれほど単純ではない。人に責任を押しつける責任論ほどいただけないものはない。21世紀版責任論があるとすれば、私は「自己責任」など従来の論議を超えて、「真実を知ろうとしない責任」、「変革に参加していく責任」を考えてみたい。(09年1月28日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽仏教者が自己責任論を批判

 仏教者の佐々木 閑・花園大学教授が「因果応報と自己責任」と題してつぎのような一文を書いている(朝日新聞夕刊=東京版・09年1月22日付)。その要旨を紹介する。世に言うところの自己責任論への批判となっている。

 因果応報という考えがある。「善いことや悪いことをすれば、それは皆、潜在エネルギーとなって保存され、未来の幸せ、不幸せの種になる」という教えだ。「だから悪いことはするな」という忠告なのだ。
 因果応報があったとしても、この世の誰もが、善悪のエネルギーを山のように背負い込んで生きているはずだから、皆平等だ。しかも潜在エネルギーは、幸、不幸の一因として働くだけで、人生の流れ全体は、他の様々な原因の積み重なりによって決まる。
 今、生活がうまくいかなくて、苦しい目に遭っている人たちのことを「自己責任だ」と切り捨てる人がいる。では聞くが、その苦しんでいる人たちは過去にどんな悪行を行ったというのか。自己責任という以上は、「どんなことをした責任で今苦しんでいるのか」をはっきり言えるはずだ。

 人生は、才能や努力だけで成り立つものではない。偶然の巡り合わせに大きく左右される。それは自分の人生を振り返れば、誰でも分かるはずだ。だから幸・不幸の理由は人それぞれ全部違う。それを十把一からげにして「不幸は本人のせい」とは、不合理きわまりない。
 今、不況の中で苦しんでいる多くの人たちは、因果応報でもなく、自己責任でもなく、この社会の巡り合わせのせいで苦しんでいる。社会の巡り合わせが一番の原因なのだ。だからこそ、その苦しみをなくすために必要なのは、社会を動かす側に立つ人たちの「責任ある行動」なのである。

▽オバマ大統領の就任演説にみる「新たな責任の時代」

 厳寒のワシントンにおけるオバマ米大統領就任演説(1月20日・現地時間)のキーワードの一つが「新たな責任の時代」である。その趣旨はつぎの通り。

 我々の試練は新しいのかも知れない。我々が成功するかどうかは勤労と誠実さ、勇気、フェアプレー、忍耐、好奇心、忠誠心や愛国心にかかっている。これらは真理であり、歴史を進歩させた静かな力だった。今求められているのは、こうした真理への回帰だ。責任を果たすべき新たな時代だ。我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。私たちにとって、困難な仕事に全力で立ち向かうことほど、自らの性格を定義し、精神をみたすものはない。
 これが市民であることの代償と約束だ。これが私たちの自信の源泉だ。神が未知の運命を自らの手で形作るよう、我々に求めたものだ。

 以上のオバマ演説は、かつてのジョン・F・ケネディ米大統領の就任演説(1961年1月20日)の有名なつぎの一節を思い出させる。そのケネディ大統領は1963年11月、テキサス州ダラスで遊説中に暗殺された。
「祖国(国家)があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが祖国のために何をできるかを考えて欲しい」と。

▽〈安原の感想〉(1)― 変革の主体としての責任

 昨今の我が国での責任論は、政治家や企業経営者の責任というよりも、自己責任論がにぎやかである。特に小泉政権時代のいわゆる構造改革(=規制廃止、自由化、民営化によって弱肉強食の競争を強要し、貧富の格差、貧困、失業、人間性無視などを増やす新自由主義路線)による多くの被害者、犠牲者たちに向かって「お前たちの努力が足りない責任だ」と責められる。

 それを仏教者は批判している。その批判にはつぎの意味が含まれる。
 一つは、「苦しんでいる多くの人たちは、自己責任ではなく、社会の巡り合わせのせいで苦しんでいる」という自己責任否定であり、もう一つは「苦しみをなくすために必要なのは、社会を動かす側に立つ人たちの〈責任ある行動〉」という、政治家や企業経営者などへの責任追及論である。この認識には私は基本的には賛同したい。

 ただこの際、指摘しておきたいのは、小泉改革花盛りのとき、それを批判する人が少なかったことである。その典型例はいわゆる郵政改革(小泉改革の中心テーマ)が焦点になった総選挙で、その時自民党を圧勝させた多くの国民のそれぞれの一票に責任はないのか、と問いたい。率直に言えば、小泉改革なるものの本性を見抜かないで、賛辞を添えて一票を投じたのだ。私は国民の多くがいささかお人好しになったのではないかと当時考えたし、今もそう思っている。
 今後もこの種の事態は、起こり得るだろう。これは日本の変革を良い方向にすすめるうえで、国民一人ひとりが主体的にどうかかわっていくか、その責任 ― あえていえば、その歴史的責任 ― はいかにあるべきか、というテーマでもある。
私事で恐縮だが、私は小泉改革は、新自由主義路線であるが故に当初から批判論を講演や論文で指摘してきた。しかし力不足であったことを今、自己反省している。

▽〈安原の感想〉(2)― 知ろうとしない責任

さてオバマ大統領の「新たな責任の時代」をどう評価すべきか。彼はこう述べた。
 「我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ」と。
 日本の政治、経済のリーダーにはとても期待できないセリフである。しかしその意味するところをどう受け止めるかは、単純ではない。新たな変革の時代に米国人一人ひとりが積極的に立ち向かい、変革を担うべきだという含意なら、賛成できるが、一方ではつぎのような責任転嫁論だという批判的な見方も根強い。

 「史上最大の金融危機は金融機構に寄生するウオールストリートの経営責任者とヘッジファンドマネージャーらが、金融の不正操作によってシステムの破綻を引き起こし、経済を破局に導いたことによるものだが、〈新たな責任の時代〉とは、その責任を、何百万もの職の喪失と住宅差し押さえ、社会保障の削減に直面した一般市民に転嫁しようとするものだ」と。(インターネット新聞「日刊ベリタ」・1月24日掲載の記事「真のチェンジを期待できるのか 就任演説と米メディアの報道を読み解く」=筆者はみゆきポワチャさん=から)
 オバマ大統領の真意がどこにあるのか、責任転嫁論であるのかどうかは遠からず明白になってくるだろう。

 それにしても責任論は扱いにくい。政治、経済の指導的立場にある者が責任逃れの言動を弄するのは論外であるが、それでは国民の多くが被害者となった場合、その被害者に責任はまったくないのかというと、そうとは言い切れない。

 私は今、昨年(08年)暮れにテレビで放映された「あの戦争はなんだったのか」というドラマを想い出している。ビートたけしが戦争指導者・東條英機を演じたドラマである。敗戦の昭和20年(1945年)まで15年間にも及んだアジア太平洋戦争で日本人の犠牲者は一般市民も含めて310万人にのぼった。なぜその戦争を防ぐことはできなかったのかが、このドラマのテーマである。
 「国民は真相を知らなかったから」という釈明に対し、登場人物の一人、新聞記者がこうつぶやいたのが印象に残っている。
 「知らなかったのではない。知ろうとしなかったのだ」と。

 知ろうと努力しなかったその責任はないのか、という問いかけであろうと私は受け止めた。ただ当時は、新聞は戦争推進の記事であふれて、国民の目も耳も閉ざされていたし、真相を知ろうとすれば官憲に弾圧される社会状況下にあった。自由、人権、民主主義とは縁遠い社会でもあった。
しかし現在は当時とは大きく異なっている。真実を知ろうと努力すれば、それをつかむ自由も機会もある。今日ほど「知ろうとしない責任」の大きい時はないのではないか。


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コメント
この記事へのコメント
Tack!
文中、記事を引用いただいた「日刊ベリタ」のみゆきポワチャです~ はじめまして。今発見してびっくりしました。お読みいただきありがとうございます。
私もいつも拝読しております。
2009/01/29(木) 03:42:19 | URL | みゆきポワチャ #-[ 編集]
「知ろうとしない責任」について
みゆきポワチャさん、コメントをいただきました。
実を言いますと、日刊ベリタに載ったあなた様の記事を読んで、責任論について何か書かねばならないと思いつきました。
タイトルの「知ろうとしない責任」も、その思いつきの中からひねり出したものです。
当方こそ感謝しなければなりません。これをご縁に今後ともよろしくお願いします。ご自愛下さい。
2009/01/29(木) 09:59:17 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
知ろうとしない責任
私もいつも拝読させております。真実を知ろうと努力すれば、それをつかむ自由も機会もある。今日ほど「知ろうとしない責任」の大きな時はないのではないか。私はこの言葉に感動しました。            
知ろうとしない責任とは五欲の楽しみにおぼれきっている私もみんなも仏さまの教えがなんとなく窮屈なように感じられて、その教えのなかに入ろうとしない・・・・・
これはまったく浅はかな人間のわがままなのです。


2009/01/29(木) 11:33:27 | URL | 合掌 #-[ 編集]
責任は主権者に
各種のメディアで、いろいろな知識人や評論家が、政治の舵取りをする権力者たちの責任を問う批判をしているのをよく見聞します。それにくらべると、その権力者たちを選ぶ主権者である国民に対する批判の声が無きに等しいくらい少ないことに、いつもバランスを欠いていると感じていました。国民に大きな責任があるのではないかと問題提起される今回のエッセイを読ませていただき、ひさしぶりに溜飲を下げる想いです。
2009/01/29(木) 19:46:47 | URL | 早井癌治 #-[ 編集]
自己責任を聞く度、いつも違和感を覚えます。
例えば、ある成功した人の生い立ちを見ると、大概、富裕層の出身者であり、成功を本人は自己の努力の結果と言いますが、そこには恵まれた環境で育ったという視点が欠けているためです。

現在、恵まれていない状態の人を考えると、社会の責任は大きいですが、先生の言われるように、社会を知ろうとしない責任も実感します。

己に関し、得か損かだけで判断し、俯瞰的に物事を見る人が最近少なくなった気がします。
2009/01/29(木) 20:39:10 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
自己責任について
合掌さん、早井癌治さん、赤坂亭風月さん、それぞれ貴重なコメントをいただきました。

責任論を語るからには、やはり自己責任論にも触れざるを得ません。ただ新自由主義路線の中での自己責任論は、いわゆる勝ち組が負け組に対して「負けたのはお前自身のせいだ」という言い分であり、この主張は勝ち負けの背景にある社会的条件を無視しているという意味で不適切です。容認できません。

しかし日常生活のなかで自己責任にかかわる話はいっぱいあります。身近な例をあげると、交通量の多い交差点で赤信号であるのに、それを無視して渡る場合です。若い人にこういう行動が多い。渡って事故に遭えば、それは自己責任でしょう。問題は、自己責任という自覚があって信号を無視しているのかどうかです。「ルール違反は自己責任」という感覚が必要です。

この機会に私個人の目前での経験を披露すると、信号が青に変わって、若い女性がスタスタと渡り始めました。そこへオートバイが突っ込んできて、その女性は見事にひっくり返りました。オートバイはブレーキを掛けたのですが、間に合わなっかたのです。そのオートバイも転倒しました。それこそあっという間の出来事でした。私は一瞬、「救急車・・・」と思いましたが、間もなく女性は立ち上がり、それほどの怪我はなかったようです。

この場合の事故の責任はもちろんオートバイにあります。若い女性には責任はありません。しかしその時私が考えたことは、「あの女性は青信号になって、周囲の状況を一切考慮しないで、渡り始めた」ということです。もし大事故になっていたら彼女は「あのオートバイが悪い」と言い張るのでしょうか。命があればまだしも、あの世に逝ってからでは遅いでしょう。

その事故を目撃して以来、私は青信号になっても一瞬左右を見渡し、車の動きを確認するようになりました。これが事故に遭わないための「自己責任」の一例と思っています。
そういう感覚で観察すると、100人のうち99人は青信号になれば、無造作に渡り始めます。自分が事故に遭うかも知れないということは夢にも想わない風情で・・・。
責任論はかくもややこしいということですね。
2009/01/30(金) 13:02:06 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009/02/01(日) 18:31:41 | | #[ 編集]
どうぞご自由に
上記の「管理人のみ閲覧」のコメント、読みました。ホームページも拝見しました。
私の記事がお役に立つようでしたら、どうぞ今後とも自由にお使いになって下さい。私も出身は広島県です。これをご縁によろしくお願いします。くれぐれもご自愛下さい。

2009/02/03(火) 12:06:27 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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