「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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仏教経済学入門
 学問のススメ―仏教経済学

   下野新聞(05年3月20日付)掲載
   足利工業大学教授 安原 和雄

 「もったいない」を心に(大きな活字の脇見出し)―と題した記事の全文は以下の通り。

 三十年も昔のこと、鎌倉散策の折に鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の墓所を訪ね、脇に置かれたおみくじを生まれて初めて引いたことがある。私の適職は「教育者」と出た。大学時代以来、教職をめざそうなどと考えたことはないし、当時経済記者として夜遅くまで走り回っていた頃でもあり、「これは違うな」と、気にもとめなかった。
 しかしやはり「人生は縁」ということだろうか。十数年後に経済学の教壇に立つ巡り合わせとなったのだから、内心苦笑せざるを得なかった。

 <知足と共生と>
 最初に大学を訪ねたとき、中庭で聖徳太子の立像が目に飛び込んできた。台座には太子の十七条憲法の有名な「以和為貴」(和をもって尊しとなす)の文字が刻まれている。この和の精神は足利工業大学の建学の精神にもなっている。
 一方、これも縁というべきか。知人の紹介でやがて駒澤大学仏教経済研究所の仏教経済研究会の一員になった。こうして私の関心は仏教経済学へと急傾斜していった。
 仏教経済学は仏教を経済に活かすことをめざす新しい考え方である。仏教のキーワードに知足(ちそく=足るを知ること)がある。これは「もうこれで十分」と考えて、簡素のなかに充実した生き方を求める知恵である。さらに聖徳太子の和の精神、今日風に翻訳すれば、人間と地球・自然・動植物との共生、平和共存を重視することも忘れてはならない。
 仏教経済学は、仏教の知足や共生の知恵を活かしながら、現実の経済社会をどう改革するかを模索する学問ともいえる。身近な例を挙げれば、「もったいない」というモノやいのちを大切にする心を生活や経済のなかで実践することである。これが地球環境の保全にもつながっていく。
 2月に来日したケニアの環境保護活動家でノーベル平和賞受賞者、マータイ女史は「日本文化に根ざした〈もったいない〉という言葉を世界語にしたい」と繰り返し語った。有難いことに彼女は仏教経済学の伝道者として行脚(あんぎゃ)していただいたことになる。

 <貪欲を超えて>              
 このように仏教経済学は単なる研究のための学問ではない。「世のため人のため」に貢献する実践学であるから、これほど挑戦に値する分野もそう多くはないだろう。
かつての経済記者時代を振り返ると、「カネ、カネ」、「もっと経済成長を」という貪欲(どんよく)、つまり「もっともっと欲しい」という欲望肥大症にかかった喧騒の巷(ちまた)をうろついていた自分を発見する。仏教経済学に挑戦するからには、そういう過去からきれいに卒業しなければならない。私自身の貪欲から知足への転換のすすめである。
 囲碁を趣味とする者として、最近囲碁と仏教とは深くかかわっているような気がしている。囲碁を楽しむためには知足と和と平和共存の精神が欠かせない。貪欲に闘争一本槍の気構えで相手を叩き伏せようとすれば、作戦は破綻(はたん)する。しかし平和共存の構えで、ほんの少しだけ勝てば十分という知足の心で向き合えば、勝率は高いし、お互いに愉快なひとときを味わえる。
 桜の花が咲く頃、鎌倉を訪ねて、もう一度おみくじを引いてみたい。「適職は仏教経済思想家」を期待するが、残念ながらそういうおみくじはないに違いない。
    
(以上)
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