「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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ペットとの別れ ― いのちと感謝
〈折々のつぶやき〉47

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は47回目。題して「ペットとの別れ ― いのちと感謝」です。(09年1月8日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 久しぶりに会った学生時代からの友人Aが浮かぬ顔をしている。聞いてみると、「共に暮らしてきたペットのネコが最近あの世へ旅立った。いささかの寂寥感にとりつかれている」と胸の内を明かしてくれた。ペットとの暮らしについて彼が語ったところを紹介しよう。
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▽霜の降りた寒い冬の朝だった

 都内でのマンション暮らしの彼は、毎朝付近での散歩を日課としていた。散歩のとき、その猫とたまたま出会ったのは、霜の降りた寒い冬の朝だった。ビルわきの草むらに潜むようにして震えていた。よく見ると、すっかりやつれており、このままではあの世へ直行だなと感じ取った。
 動物好きだった彼はとても見捨てるわけにはゆかない。抱きかかえるようにして家へ連れ帰った。近くの動物病院で診て貰うと、「相当な年だね。長くはもたない」という診断だった。

友人A「どうする? 1、2か月の寿命らしいよ」
奥さん「家でしばらく面倒みましょ。外は寒いし、放り出すわけにもいかないでしょう」

 内心ほっとした彼は、短命にせよ名前が必要だと考えて、出会ったところのビルの名称にヒントを得て「ソノ」と名づけた。こうして始まった猫との暮らしは何と3年余にも及ぶことになる。年齢は20数歳にもなるとみられるが、確かなことは分からない。「3年余は誤算だった。しかし嬉しい誤算というべきだね」と語る猫との同居生活ぶりは ― 。

▽枕に頭を乗せて寝る

 生粋の野良ネコというよりは、どこかで飼われていたのかもしれない。何かの事情で捨てられたのか、自分で飛び出したのか、その辺の事情は分からない。
 「これも何かの縁であろう。責任を持って面倒をみるほかない」と思い定めたという。牛乳を飲んだり、ペット用の缶詰や魚の刺身を食べたりして、たちまち元気を取り戻したが、部屋の中を走り回ることはなかった。やはり相当の年らしく、いつも穏やかにゆったりと過ごしていた。

 いつの頃からだったか、そのネコは彼の寝床にもぐり込んで寝るようになった。彼が夜中に目を覚ましてみると、決まって同じ布団で隣に並んで寝ている。こうなっては仕方がないというわけで、小さな枕を与えると、そこにちゃんと頭を乗せて寝ている。ネコとしては珍しいことではないのか。よほど行儀良く育ったせいなのだろうか。

▽「介護訓練か」と苦笑しながら

 ところが、である。思わぬ事態に見舞われることになった。ネコのお漏らしが始まったのである。マンション暮らしのため、外で用を足すというわけにはゆかない。部屋にはペット用便器を備え付けていたが、ある日、掛け布団を濡らした。飼いはじめてから3年近く経ってからである。やはり相当な年だったのだと気づいたが、今さら捨てるわけにはいかない。それは人道、いやネコ道(?)に反する行為であろうとここで2度目の思い定める次第となったという。

 それからは悪戦苦闘の毎日となった。
友人A「しかしこれは天が与えてくれた介護訓練かもしれないよ」
奥さん「いずれ私たちもそういう年齢になるわけだし、いまから訓練しなさいということかもね」

 考えてみれば、その通りであり、「老いて、やがて行く道か」と苦笑するほかなかった。しかし1カ月とは続かなかった。あの世へさっさと逝(い)ってしまったのである。気兼ねしたのか、気を利かしたのか、物言わぬ生き物であり、そこは分からない。

▽感謝の意思表示だったのか

 ここで友人Aのペット物語も一段落した。私は彼を元気づけるつもりでささやいた。「そのネコは君たち夫妻と出会って感謝しているのではないの 」と。
 「そういえば」と前置きして彼は語った。「妻に抱かれているうちに息を引き取ったが、その直前、ネコは顔を妻の頬にこすりつけるようにしてやがて静かに動かなくなった。あの最期のしぐさは感謝の意思表示だったのかなー」と。
 目頭を熱くした彼を観て、私もつい涙腺がゆるんでいくのを感じていた。

 「もう一杯飲み直そう」とどちらからともなく持ちかけて、語り合ったことは、ひとつのいのち、ペットに教えられた「いのちと感謝」である。
 最近は「有り難い」という感謝の気持ちが少なくなっている。人間一人ひとり、この世に生をうけること自体、きわめて小さい可能性の中からいのちを得たのであり、なかなかあり得ないという意味で有り難いことである。朝、元気で起きられれば、また食事を美味しく食べられれば、有り難いのである。ペットとの良縁ができるのも有り難いことである。
 人や世間を怨むこと、不平不満を並べることを自制すれば、そこに有り難いと感謝する心が芽生えてくる。

 近くまた会うことを約して彼と別れた。私は外套の襟を立てながら寒空に輝く月を見上げた。「おとぎ話ではないが、ウサギだったらあのお月様のところに逝くのか、ネコならどこへ旅立つのか」とつぶやきながら・・・。


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コメント
この記事へのコメント
日々の生活において、自分のことのみしか考えない人間が多い今、周囲の人への感謝を忘れずに生きたいものです。
2009/01/08(木) 20:29:31 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
感謝のこころ
赤坂亭風月さん、熱心なコメントに感謝します。
ご指摘のことには同感です。いい意味での自己主張、いいかえれば感謝の心を忘れない自己主張は必要だと思います。社会的に言うべきこと、言っておかねばならないことを言う、という意味です。が、どうも言いたい放題の身勝手な自己主張が多いような気がします。
2009/01/09(金) 13:02:58 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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