「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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生き物といのち
<折々のつぶやき>2

毎日新聞の沢田 猛記者が「大切にしたい同じ命」という見出しで、次のようなコラム記事を書いていた。(05年12月22日付『毎日新聞』)

「子猫を飼っていた近所の住民が引っ越しの際、猫を置き去りにして行ってしまった。その猫は他の猫からいじめ抜かれ、見かねて飼うことになった。(中略)深夜帰宅する私をガラス戸越しに目を凝らし、玄関先に現れる私を待っていることもある。〈地域〉に生きているのは人間だけではない。同じ命を持つ猫もいるのだ」と。

最近、「地域猫」があちこちで話題となっているらしい。捨て猫を周辺住民が協力し合って飼う試みを指している。こころ和(なご)む話題である。

犬や猫は嫌い、という人も少なくない。好き嫌いの感情はやむを得ないことと一応しておこう。ただ「害心を持って眺めれば、犬も吠える」という言葉がある。これは「あの人間は自分を嫌っているな。あんな人間はこちらも好きになれないよ!」という犬の気持ちを表現したものである。犬は犬なりに人間をしっかり評価していることをお忘れなく。

イルカ解放事件をご存じだろうか。もう30年も前のこと、1977年ハワイのオアフ島で、ハワイ大学の心理学教授が8年間訓練していたイルカのカップルを2人の大学生が逃がした事件である。2人は他人の私有物に対する重窃盗罪で懲役6か月、執行猶予5年の刑となった。

しかし有罪判決を受けた2人のセリフがカッコいい。
こうのたもうたのである。「解放されたイルカはたしかに旅立ち、ついに自由を得た」と。言うことがしゃれてるね。2人は犯罪者どころか、一転して解放者、自由の戦士となり、ハワイで一躍名士に祭り上げられたという次第である。

人間様だけが特別偉いわけではない。犬(そういえば今年は戌年ですね)も猫もイルカも、そして人間も、いのちの価値は等しく尊いのである。少なくともお釈迦様はそう考えた。こういう考え方が広がって、犬、猫などいき物のいのちが大事にされれば、人間が人間のいのちを粗末にしすぎる昨今の風潮に少しは歯止めがかかるのでは、と想うのですが、いかが?
  (06年1月8日掲載)

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コメント
この記事へのコメント
イルカ解放事件は、確か日本でもありましたよね。イギリス人の若者が、小さな漁港のいけすに閉じ込められたイルカを逃がしたことがあると記憶しています。

実は私も、誰かが捕えたある野生動物を、夜中にこっそり逃がしたことがあります。
理屈じゃなくて、そうせずにはいられなかったからなんですけど。

また機会があればやると思います(笑)
2006/01/08(日) 21:16:28 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
Give and Take
沢田猛記者の記事には、ほろりとさせられます。k.y.さんのお釈迦様の考え(多分、慈悲心でしょう。)が広まることへの期待にも同感です。私が追加したいのは、人間は他の多くの命あるものたちと助け合うことにより今の暮らしを維持しているという事実への自覚です。例えば、町中から一匹も野良猫が居なくなったら、きっと、鼠の数が一挙に増えてしまうでしょう。野良猫だけでなく、他の沢山の命が私たちを助けてくれているのに、私たちには見えていないだけだと思います。
2006/01/09(月) 14:43:52 | URL | S.O. #-[ 編集]
いのちのつながり
上記2つのコメントを読んで、心に響きましたので感想を述べさせて下さい。

最初のコメントで「理屈じゃなくてそうせずにはいられなかったから」というのはいいですね。これこそ本物の「いのちへの愛」ではないでしょうか。
こういう愛がもっともっと広がれば、日本はもっともっと潤いのある豊かな社会になるのではないかと感じ入りました。

2つめの「野良猫だけでなく、他の沢山の命が私たちを助けてくれているのに、私たちには見えていないだけだ」という指摘は真実そのものですね。

「沢山の命が助けてくれている」というのは客観的事実の指摘です。考えてみれば私たちは自分一人で生きているのではなく、多くの他人様(ひとさま・猫や犬なども含めて)のお陰で生きています。
ところがそれに日常感覚としてなかなか気づかないのも事実です。自分独りの力で生きているとつい錯覚してしまいます。そこに人間の愚かさがひそんでいるということでしょうか。

今日(1月9日)は「成人の日」ですが、夕方のテレビニュースで新成人の若者がわめいていました。「式では我慢していたのだから、その後では騒いだよ」と。そのどこが悪い、という態度です。
いったい何を我慢していたというのでしょうか。こういう輩(やから)のために税金を使って成人式などやる必要がありますかねー。
これでは「新成人」ではなく、「新生児」そのものの幼さです。もっとも新生児はもっと純粋無垢で、気高いですよね。

「沢山の命が助けてくれている」という認識と自覚があれば、少しは生き方も変わってくるのではないでしょうか。
「お陰様で」という感謝の気持ちになるだろということです。いのちのつながりを感じるとでもいえるでしょうか。
2006/01/09(月) 21:29:36 | URL | ANN. #-[ 編集]
>ANN.さま

現代人がどんどん自然から離れ、生活がとことん便利になり、分業化が極限まで進む中、自分たちが「生態系の中で生かされている」ことに気づくチャンスは、本当に減ってきてますよね。

自分が食べる食肉を、自分で殺して自分で捌く、という経験を誰もが一度はするべきだよなー、と、私はよく思います。まず、自分の命の真実を知るために。

なんて偉そうに言ってますが、私も成人式の年頃にはおそろしく傲慢で鈍感だった気がします(冷や汗が出そうです)。

自分の誕生日に「プレゼントちょうだい」じゃなくて、「おかげさまで」とすべてのものへの感謝の気持ちを感じられるようになるには、その後かなりの年数(苦笑)が必要でした。

真実を悟るには、きっと年齢は関係なく、どんな経験をし、その経験をどう受けとめたか・・・が重要なのですよね。若い世代も含め、出会うすべての人に、あきらめず愛を持って接していくことが大切だよなー、と思う、元「無関心世代」の一人、現「ややおせっかいオバサン」でした。
2006/01/10(火) 18:47:05 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
猫のコラムで言い足りなかったこと
安原さんは私の勤める会社の先輩記者。都内面書いた小さなコラムを読んでくださったことにビックリしました。私はもともと犬は好きでしたが、猫は苦手でした。ですが見るに見かねて猫を飼うはめになりました。近所の猫好きの女性の話ですが、捨て猫の子猫は寒い季節などは肺炎を起こして死んでいくそうです。そんな話を聞くにつけ、人間の身勝手さに腹が立ってきました。
 私の個人的なテーマの一つは「戦争」です。戦争は最大の環境破壊ですが、人間という生き物の存在自体が、地球という青い惑星の生命体にとって害悪だと考えるようになりました。人間という生き物がこの地球にいなければ、多くの生き物が絶滅から免れ、人間の手による森林伐採で多くの植物も枯死から免れることができるからです。
 猫の話に戻れば、江戸・元禄期に生きた江戸人は現代日本人に比べて、身の回りの生き物にもっと優しい気持ちを抱いていたことがうかがえます。たまたま読んだ元禄期の俳人たちの句を集めた「古句を観る」(岩波文庫)には猫の句が少なからず集められていて、その中に、
 出かはりや猫抱きあげていとまごひ
という句がありました。「出代」とは季題ですが、契約期間を終えて故郷に帰る奉公人が、新しい奉公人と入れ替わる昔の風習。その年季の明けた奉公人が奉公先で飼われていた猫に別れを告げるため、猫を抱き上げている様子を詠んだことを連想させます。この奉公人は「猫好き」だったのかもしれませんが、ただそれだけだったとも思えません。
 現代日本人が忘れてしまったものが句の底に流れていると思いました。
 たかが猫、されど猫、ですね…。
 書き込み、お粗末さまでした。
2006/01/11(水) 13:05:07 | URL | 沢田猛 #-[ 編集]
どちらが文化人?
自称<現「ややおせっかいオバサン」>のお言葉は、「気づき」の大切さにふれたもので、素敵なコメントです。感謝します。

この世には知識をいっぱい頭に詰め込んでいる人は沢山います。しかし肝腎の真実ー例えばいのちのつながりという客観的事実ーに気づこうとしない人が少なくないのではないでしょうか。

ある体験から「なるほどそうか」と「はっと気づく」のは自分の発想を一瞬飛躍させる必要があります。大げさにいえば、一瞬の自己変革であり、それまでの自分を捨て去るわけですから、現状改革を嫌ういわゆる抵抗勢力の一員にはちょっと無理かもしれませんね。

さて沢田記者のコメントにはこれまた感謝です。元禄期の俳人たちの句を集めた「古句を観る」(岩波文庫)には猫の句が少なからず集められているそうですが、不勉強でまだ読んでいません。

 出かはりや猫抱きあげていとまごひ

紹介して頂いた上の句は、なるほど素敵であり、味わい深いものが織り込まれていますね。人間と猫とのいのちのつながりを見事に詠み上げているように感じます。

こういう句に接し、これを詠んだ人物を想像すると、次のような感慨を抱かずにはいられません。「封建時代の江戸人と文明時代の平成人とは、いったいどちらが文化人なのか?」と。

2006/01/11(水) 14:04:17 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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