「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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水田こそ世界に誇るべき宝だ!
日本は資源大国―緑と土と水

安原和雄
食を海外に依存する「食のグローバル化」とともに食の安全にかかわる疑惑が広がっている。汚染米から冷凍ギョウザ、冷凍インゲンに至るまで昨今の食料輸入品の増大は食卓を豊かにするどころか、逆に不安をかき立てている。その根本的な対策は何か。
 この際、注目し、再評価すべきことは、以前から一本の太い線としてつづいている「水田こそ世界に誇るべき日本の宝」という主張である。この主張は「緑と土と水」に関して「日本は資源大国」という事実の上に成り立っている。いうまでもなく食はいのちにかかわる。今こそ「食」と「農」の根本に立ち返って出直す時ではないのか。(08年10月20日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

元参院議員、故小島慶三氏(去る8月末日逝去、91歳)の「しのぶ会」(呼びかけ人代表・山本克郎氏)が10月19日、東京・千代田区一ツ橋の如水会館で開かれた。小島氏は経済官僚を経て、日本精工専務、芙蓉石油開発社長などを歴任、同時に農業問題に深い関心を抱き、特に「水田」の重要性を訴えてきた。その足場となったのが東京をはじめ、全国各地に設けられた「小島塾」(のちに「小島志塾」に改称)である。
 上智大学、成蹊大学、名古屋大学、一橋大学で講師として経済政策を講じ、特に成長本位の経済政策に批判的な立場から「ヒューマノミックス」(小島氏の造語で、ヒューマニズムとエコノミックスの合成語。「人間復興の経済学」の意)の確立に熱情を注いだ。

 著書も多く、その一部に農業に関する3部作、『文明としての農業―生命産業コンプレックスの提唱』(ダイヤモンド社刊、1990年)、『農に還る時代―いま日本が選択すべき道』(同、1992年)、『農業が輝く―“新しい社会の創造”』(同、1994年)がある。またドイツ生まれの経済思想家、E.F.シューマッハーの著昨『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学』(講談社学術文庫)の訳者としても知られる。
 この小島氏こそが「水田は日本の宝」の主唱者である。「しのぶ会」には全国から「小島志塾」の面々など約100名が駆けつけた。「水田こそ宝」は何を含意しているのか。上記の農業3部作を手がかりに考えたい。まず小島氏の主張を紹介し、それに〈安原の感想〉を付記する。

▽世界に誇るべき日本民族の宝 ― 水田

 日本が世界に誇れるものは何か。民族の宝として子孫に残せるものは何か。それこそ水田ではないか。水田こそは、長い長い時間をかけて祖先が築き上げてきた、世界に誇るべき日本の宝である。
 「日本には資源がない」という人々に私はいつも反論する。「日本にはすばらしい資源があるじゃないですか。豊かな水と緑。これ以上の天然資源がほかにありますか」と。
 たしかに日本には化石資源は少ない。しかし石油や石炭などの化石資源は、無限に使えるものではない。掘り尽くし、使い尽くしてしまえばそれまでだ。これに対して、水や緑は無限の恵みである。知恵と工夫次第でいくらでもリサイクル可能な、循環系の天然資源である。

 こうした風土的条件のもとにあって、水田はまさに絶妙な農業システムといえる。
 水田の役割はイネを育てることだけではない。まず日本各地にある無数の水田は、ダムの3倍もの貯水能力をもっている。森林に次ぐ第2のダムである。水田に貯えられた大量の水は、洪水を防ぐばかりではなく、土壌を保温することによって冷害を防ぐ効果もある。土中に有害物質や塩類を蓄積するのも防ぐ。土砂流出も防ぐ。微生物の活動を促進し、土の生命を守る。他の作物と比べて連作性が強いのはそのためである。何年も同じ土地にコメをつくり続け、狭い耕地で人口を養ってこれたのも、そのためである。

 コメは壮大な水循環、国土保全システムのもうひとつの恩恵としてもたらされる。だから水田が単なる「コメ工場」でないのと同様に、コメも単なる食物ではない。日本人にとってのコメとは、そういうものである。

〈安原の感想〉― 憲法九条と並ぶ日本の宝

 日本の水田は世界に誇るべき宝、という認識には同感である。憲法9条(戦争放棄、非武装、交戦権の否認)が世界に誇るべき日本の宝、という意識はすでに広がってきている(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の〈憲法9条を「世界の宝」に〉=08年7月23日付=参照)。水田は憲法9条と並ぶもう一つの「日本の宝」と認識したい。

 その理由としてまず水田の持つ多面的機能をあげることができる。水田は単にイネ(お米)を生産する場にとどまらない。貯水能力を持つダム機能、洪水防止、有害物質や土砂流出の防止、微生物の活性化と生態系の維持など多面的な機能を持っている。いいかえれば壮大な水循環、国土保全システムの軸として機能しているのが水田である。
 もう一つ、水田、田園を核にして成り立っている豊かな緑、水そして土が日本を資源大国に育て上げているという特質を指摘できる。石油などの化石エネルギー源に恵まれないため、「資源小国・日本」という認識が多数説である。しかし視点を変えて、有限の化石エネルギーではなく、無限の天然資源である緑、水、土に着目すれば、「資源大国・日本」というイメージが浮かび上がってくる。
 こうしてこれまで見えなかったものが観えてくるわけで、水田はたしかに単なる「コメ工場」ではないし、日本の宝として誇るに値する存在というべきである。

▽日本農業は「スモールの思想」で対応を

 大農化という方向で日本農業の国際競争力を高めたい、という願いは、農政の悲願らしい。それをぎりぎりまで農業土木的に充たそうという試みがある。一枚数ヘクタールの耕圃、給排水の自動化、ラジコンヘリによる直播方式など画期的である。これで立派に自由化に対抗できる、という説明である。
 しかしこれが可能な条件を持つ土地はごく限られる。例えば耕地の42%を占める中山間部では不可能であろう。それが減産となっても、平地の大規模田で増産し、カバーできるというかもしれない。しかしそれは経済的合理性からのみ水田の機能を考えるという発想を一歩も出ていない。

 国土の保全、水サイクルの維持、生態系への影響など農業の多面的機能はどうなるのか。
私の考えの柱にスモールの思想がある。それはシューマッハー(注)との出会いからきている。日本農業にはスモールの思想が適合すると思う。日本の水田などは国土、地勢、森林、水サイクル、生態系のいずれの面でもスモールであるべくしてあるのであり、自然環境と見合う最適な社会システムとして存在する。 自由化によって大規模化の道が開かれるというものではない。

(注)シューマッハー著『スモール イズ ビューティフル』は、1970年代になってつぎのような変化がうかがえると指摘している。
・加速度的な経済成長の結果、化石系の資源・エネルギーの行き詰まりと環境汚染の進行
・歯止めのきかない巨大技術への不安
・産業社会の機械化、情報化、組織化のため、人間の生きがい喪失
・都市の過密と農村の過疎のアンバランス
・価値観の多様化、ヒューマンサービスの重視など従来の市場機能や企業の対応を超えるものが生まれてきたこと
シューマッハーはこれらの変化の背後にある物質至上主義と科学技術信仰に支えられている巨大企業の危険性を指摘し、望ましい姿として最適規模の技術・企業を提案した。「スモール イズ ビューティフル、」つまりそれぞれの身丈に合った小さいことは素晴らしい、というわけである。

〈安原の感想〉― 大規模農業化への批判

 農政による大農化路線の推進は、今に始まったことではない。「コメの生産調整」という名の本格的な減反政策が実施されたのは1971年からである。水田面積の4割にも及ぶとされる。さらに宅地などに違反転用された農地が07年までの3年間に全国で2万4002件あり、総面積が東京都新宿区に匹敵する1795ヘクタールに上る(08年10月19日付毎日新聞)。
 このような田んぼの削減と農業離れが進む一方、いわゆるミニマムアクセス(最低輸入量)米として毎年77万トン輸入している。最近の国内コメ消費量は年間850万トン前後だから、全体の9%程度を輸入している。ともかく日本の宝であるはずの水田は寒風にさらされている。その背景には国際競争力強化、経済的合理性の追求がある。

 こういう現実に対し、異議を申し立て、日本農業は米国型模倣の大農化をめざすのではなく、個々の農家のたゆまぬ努力と協調しながら、「スモール思想」で中山間部の耕地なども生かす方向で水田の再生を図ろうというのが小島説である。

▽化石系産業中心から生命系産業中心へ転換を

 私たち日本人は、どんな方法で「地球の復活」すなわち「持続可能な社会つくるための方策」に貢献できるのか。その道は、現在の経済・社会構造を環境に適したものに変革する道である。日本の伝統的、歴史的な社会システム、そして長い時間をかけて蓄積されてきた民族の知恵は、必ず役立つはずである。その第一が「水田」だ。
 日本には森林が多い。雨が多く、日光にも恵まれている。だから森林が発達した。日本の国土面積の68%が森林である。こんな国は世界でも珍しい。
 その森林が雨をプールして、川に流す。日本人はその途中に「水田」というダムをつくった。全国津々浦々に無数の水田をつくった。すなわち豊かな森林と水田をもつという形で、日本社会はこれまで自然や環境との調和を保ってきた。

 この事実は、世界の危機(化石資源の枯渇と環境の汚染・破壊)の回避にも、ヒントになるのではないか。日本では、緑と土と水のミックス・システムを中心に生命系の産業コンプレックスをつくり、化石系産業から生命系産業へと重心をシフトしていけば、地球にやさしい産業社会をつくることができる。

〈安原の感想〉―すべてのいのちを大切にする持続型社会に

 21世紀最大のテーマは「持続可能な社会」をどうつくっていくか、いいかえれば地球環境保全と経済社会のあり方とをどう両立させるかである。その中心軸に据えられるのがやはり日本の水田である。つぎの2つの提案が行われている。
*緑と土と水のミックス・システムとしての「生命系産業コンプレックス」をつくっていくこと
*現在の石油依存型の化石系産業から「いのち尊重」型の生命系産業へと重心をシフトしていくこと

 ここでの「いのち尊重」型の生命系産業の中心に位置するのが水田である。「しのぶ会」の席上、私(安原)は司会者から一言発言を求められて、つぎの趣旨を指摘した。
 シューマッハーの著作では「いのち」に言及しているところがほとんどない。また欧米思想では「人間の命」は重視するが、仏教思想は、地球上の生きとし生けるすべてのいのち、すなわち人間に限らず、自然、動植物すべてのいのちを平等対等に尊重する立場である。小島先生の「生命系産業コンプレックス」論はすべてのいのちを含んでいるはずであり、そこがシューマッハーや欧米の思想を超えており、質的な相違点でもある。今後追求すべき持続可能な社会は「すべてのいのち」を視野に収める必要がある―と。

 このような「いのち尊重」型の豊かな持続可能な社会ができるとともに、日本の水田も真の意味で「世界の宝」になっていくだろう。水田を粗末にしか扱わない現状に歯止めをかけ、流れを好循環に逆転させない限り、水田すなわち「世界の宝」は見果てぬ夢に終わるほかない。


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コメント
この記事へのコメント
水田は環境・文化遺産
自称、へそ曲がりです。今回の「水田は世界に誇るべき日本の宝」という主張には全面的に賛成です。こういう主張がもっともっと広がっていって、実質的にも水田が「日本の宝」としての地位を確立することを期待してやみません。そういえば、昔の「宝船」はコメを満載した舟の呼称だったように思います。

水田を粗末にしている元凶は、やはり現代経済学の経済的合理性であり、効率論でしょう。現代経済学では人間も単なるコストでしかありませんから、労働コスト、つまり賃金は安いほど歓迎、という人間無視の理屈に走ることにもなります。それが経済危機を深めることにも通じます。
水田が環境・文化遺産としての特質を持っているという視点は現代経済学には期待できません。そういう意味で小島説は21世紀の時代的課題に応えるに値します。こういう視点が「低炭素社会」づくりの視点と並んで多数派になっていくことを期待したいですね。
2008/10/22(水) 10:35:38 | URL | へそ曲がり #-[ 編集]
いつもみています
初めて書き込みます。よく参考にしています。これからも遊びにきます!
2008/10/22(水) 23:23:20 | URL | hanae #-[ 編集]
現代経済学への批判
hanae 様へ
簡潔ながら、光っているコメントに感謝します。
「山高きが故に尊からず」と同様に、「文長きが故に尊からず」でもあります。わたしの文は長すぎると、よく友人から指摘されます。今ひとつ修行が足りないということでしょうか。ただこの癖を直すのは容易ではありません。ご理解下されば有り難く思います。
今後とも大いに遊びにお出で下さい。


へそ曲がりさん、コメント有り難う。
ご指摘のように日本の宝であるべき水田から宝としての条件を剥奪しつつあるのは、現代経済学です。だから現代経済学への批判なしには水田を宝の地位に押し上げ、それを確固たるものにすることは困難です。

あえていえば、そこに仏教経済学の存在価値があるだろうと想っています。ドイツ生まれの経済思想家、シューマッハーはご存知のように著作『スモール イズ ビューティフル』の中で仏教経済学の構想を提示しており、わたし自身、それに教えられるところ大なるものがあります。
ただ先日の「しのぶ会」で私が指摘した点、すなわち小島慶三先生にあって、シューマッハーにないもの、それは「いのち」です。ここでのいのちは人間に限らず、自然、動植物すべてにかかわる「いのち」です。水田はそういう「いのち」の源泉であり、守護役を担ってもいるわけで、だからこそ「世界に誇るべき宝」だという認識が必要です。

目下、日本国内はもちろん、世界中でいのちが粗末に扱われすぎています。だからこそいのちの源泉としての水田の存在価値がいよいよ光ってくるだろうと想います。

2008/10/23(木) 12:02:47 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
ご教示を乞う
small is beautiful は beautifulな思想ですが、具体的にどうすれば水田を守ることができるのか、教えてください。ことは経済問題ですから、思想だけでは役に立ちません。
 ご承知のとおり、日本の生産者米価は輸出国の10倍以上です。何故そうなったかというと、他産業の賃金が急上昇する中で、超零細な農業構造を変えないで、価格支持で農家の所得向上を図り、全部の農家を残そうとしたからです。要するに、他産業との生産性格差を、農業構造の変革ではなく、価格引き上げで埋めようとしたのです。実際の農業政策は、規模拡大政策ではなく、零細構造維持政策だったのです。
 こうしてできた世界で最も高い米価ですが、それでも猫の額のような水田では農家の生活を支えることはできず、若い者は他産業に就職し、農業者も殆どは兼業化してしまいました。農家の収入の8~9割までは年金や他産業所得で支えられているのが現状です。
 兼業しながらできる農業は水田の米作りだけですから、農家はコストを無視してでも米を作りたがります。麦の裏作は放棄され、穀物自給率は世界で最低に落ちましたが、米だけは恒常的な過剰生産圧力に曝されてきました。そこで、米価水準の低落を防ごうとすれば、生産調整をせざるを得ない。こうしてこれまで生産調整が続けられてきたのです。
ミニマム・アクセスも国内米価水準を下げないために禁止関税を張った結果、飲まざるを得なかった方便でした。
 生産調整をやめ、あるいは禁止関税をやめれば、当然米価は低落します。それでも、ある程度の米価低落では零細兼業農家はもうコメ作りをやめないでしょう。労働力面からみて、他作物への転換は無理だからです。彼らがコメ作りをやめるのは、農業をやめる時です。その時、水田はどうなるでしょう?それは、耕作放棄されるだけです。なぜなら、彼らにとって耕作放棄地の維持はコストがかからないからです。一方、水田を借りて規模拡大しようとしていた農家は、米価が下がれば拡大意欲を失うでしょう。米価水準を下げるわけにはゆかないのです。
 では、もっと米価を上げればいいのでしょうか?まずそれは、国際交渉上不可能です。農家にとっても、いまや米価よりも就職先の雇用と賃金の安定の方がはるかに重要なのですから、米価のために雇用を犠牲にするような国際交渉は受け入れられないのです。また、米価をもっと上げても、零細な水田農家には後継ぎがいないから、今後の水田維持には役立ちません。耕作放棄までの時間稼ぎにもなりません。外部から後継ぎの参入を期待しても、今の零細な水田農業構造の下では、現状の水田面積を維持できるほどの新規参入・定着を期待するのは無理でしょう。農業で生活できる所得基盤を作ってあげない限り、定着しません。貨幣経済の下では、自給自足農業は夢物語でしかありません。
 以上要するに、smallでbeautifulな零細農業構造を維持したまま「全部の農家を残そう」と価格支持政策をとり続けた結果、農家には後継ぎがいなくなり、水田は耕作放棄され、農家は農地の宅地化と転用に期待をかけ、皮肉にも「そして誰もいなくなった」という将来像が現実味を帯びてきたのが現状です。
 一体この現状をどうすれば変えられるのでしょうか?思想を変えれば変えられますか?では、思想はどうすれば変えられるのですか?
 水田農業を維持することには私も賛成です。しかし、産業として水田農業を維持するには、どうすればよいのか、誰にどうして維持させるのか、ぜひご教示を願います。それとも、産業としてではなく、文化遺産として補助金をつぎ込んで維持するお考えでしょうか?そのお金はどこから出るのでしょう?是非お教えください。
2008/11/04(火) 20:23:41 | URL | 疑心暗鬼 #-[ 編集]
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