「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
いのち通い合うひととき
〈折々のつぶやき〉40

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は40回目。題して「いのち通い合うひととき」です。(08年9月14日掲載、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽敬老の日 ― 「老人を敬愛し、長寿を祝う」というけれど

 08年9月15日は国民の祝日「敬老の日」。
 国民の祝日に関する法律(祝日法)によると、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨である。本来、9月15日だったが、祝日法改正(2001年)によって、03年からは9月第3月曜日となった。ただ施行初年度の03年は、9月第3月曜日が9月15日であり、今年も同じ9月15日である。

 気になるのは、果たして祝日の趣旨「老人を敬愛し、長寿を祝う」が生かされているのかである。日本人の平均寿命は、また延びて、女性約86歳(正確には85.99歳)、男性約79歳(同79.19歳)に、100歳以上の高齢者もさらに増えて3万6000人台となった。祝うに値する世界最長寿国といっていい。
 しかし政府は老人いじめの仕組み、後期高齢者(75歳以上)医療制度を導入するなど、「敬愛」するどころか、「足蹴(あしげ)」にしている。
 「敬老の日」に心にとどめておきたい話題をいくつか紹介する。

▽ありがとう 運転手さん ― 高齢者からの投書

 朝日新聞(08年9月10日付)生活欄「ひととき」に「ありがとう 運転手さん」と題する高齢者からの投書が載っている。その要旨は次の通り。

 先日、近くの町まで買い物に出かけたときのこと。バス停近くの三差路で信号待ちしていると、向こうからバスが近づいてくるのが見えた。
あのバスを逃したら、15分は待たなければならない、そうひらめいた瞬間、身体は停留所を目指して走っていた。
 けれどバスは坂の途中で私を追い越し、しばらくバスと併走する形となった。その時、「危ないですよ。バスは停留所で待っていますから、転ばないように気をつけて来てください」と放送する運転手さんの声が、聞こえてきた。
 それがまさかバスの中から、この私に向かってかけられていたのだとは、全く思いもしなかった。

 何と思いやり深い、温かい言葉であろうか。胸がほんのり熱くなり、熱い血が全身を駆けめぐっていった。お陰でバスを4、5秒ほど待たせてはしまったが、無事バスに乗ることができた。
 行きずりの人間にかけられた、運転手さんのこの一声は、今も私の心の中で生きている。バスを降りるとき、私は運転席の名札の名前を胸に刻みつけた。
 ありがとう運転手さん。この胸のぬくもり、忘れません。
(東京都世田谷区 堀越小百合 主婦 78歳)

▽人間同士の「いのち通い合うひととき」

 私(安原)はこの投書を読み進むにつれて、不覚にも目頭が熱くなってしまった。私はいわゆる後期高齢者に一歩手前の年齢である。静かに自然に老いが始まりつつあって、涙腺がゆるんできたせいか、それとも人間本来の共感する心をまだ失ってはいないためなのか、そこのところははっきりしないが、ともかく心温まる話ではある。人間同士の「いのち通い合うひととき」ともいえる風景であろうか。
 それにしても投書者は78歳の年齢でバスと併走したというのだから、そのお元気な姿にはただ脱帽のほかない。いつまでも健脚を持続していただきたい。

 投書の末尾の言葉をもう一度引用したい。「ありがとう運転手さん、この胸のぬくもり、忘れません」と。お互いにぬくもりを感じ合うこと ― これが今の日本社会から消え失せつつあるのではないか。お互いのいのちが響き合うひとときも少なくなりつつある。

 その社会的背景の一つを示唆している記事を紹介したい。毎日新聞(08年9月10日付)は「老老介護 初の3割」という見出しで、つぎのように報じた。(清水健二記者)

家族間で介護する世帯のうち、高齢者が高齢者を世話する70歳以上の「老老介護」世帯の割合が初めて3割を超えたことが、厚生労働省が9月9日公表した07年国民生活基礎調査で分かった。
 夫婦両方またはどちらかが65歳以上か、65歳以上の単身で暮らしている世帯の数も1000万を超え、高齢者世帯の過半数が「生活が苦しい」と感じるなど、超高齢化社会の深刻な生活実態が浮かんだ ― と。

 特に75歳以上を差別待遇する後期高齢者医療制度という名の不埒な仕組みもあり、これは即刻廃止しなければならない。

▽「男性長寿世界一」の日常の暮らしと目標は?

 厚生労働省は9月12日、敬老の日(15日)に合わせて9月末時点で100歳以上となる高齢者数を発表した。過去最多の3万6276人(男性5063人、女性3万1213人)で、前年からの増加数も3981人と過去最多となった。
 国内男性最高齢となった宮崎県都城市の田鍋友時(ともじ)さんは、9月18日に113回目の誕生日を迎える。ギネスブックにも「男性長寿世界一」と認定される。
その田鍋さんの日常の暮らしぶりはどうか。

 毎朝5時半に起床して新聞を読むのが日課で、3食きちんと食べる。好物の牛乳を欠かさない。怪我を用心して外出は家族に止められているが、介護なしで家の中を自由に歩き回る元気の良さ。長寿の秘訣は「酒を飲まないこと」という。
 9月11日、県の関係者らが敬老の日を前に祝福に訪れたとき、「生きて皆さんとこうして話をすることが楽しい。あと10年は生きる」と男女合わせて長寿世界一を目指すことを宣言した。(毎日新聞9月12日夕刊・東京版、小原擁記者)

 「あと10年は生きる」、つまり123歳を目標に生きるという「長寿世界一宣言」がすごい。私(安原)がこういう生き方を目指すとしたら、あと50年生きなければならない。夢のまた夢、というほかない。

 ある時、仏教がらみの研究会で私が冗談半分に「100歳を目標に生きるぞ」と言ったら、別の男性が「自分は109歳が目標だ」とかなり本気のような表情で宣言した。
 私は「109歳とはどういう意味なの?」と聞いた。皆さん、お分かりですか?
 彼の返答は、こうである。「だって仏教では人間の煩悩は百八つ(108)あるというではないか。それを一つひとつ克服してからでないと、あの世には往けないよ。だから109歳なんだ」と。
 その会合では一瞬、笑いもこぼれたが、むしろ感心することしきりの雰囲気が漂った。

 高齢者がどういう生き方を試みるか、長寿を全うできるか。人それぞれ、というほかないが、こればかりは想い通りにはならないのがこの世の常であり、そこに仏教でいう「苦」(たとえば四苦=生老病死)がある。それにしても、公的機関による老人いじめはいただけない。


(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です)
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
敬老の日に考える
「敬老の日」(9月15日)の毎日新聞(東京版朝刊)はいいことを書いています。例えば社説で、厚生労働省が集めた100歳以上の人たちの暮らしぶりを紹介しています。
・腹の立つことは忘れ楽しみを見つけることが長生きの秘訣
・日記を毎日書いている
・毎朝早起きして欠かさず新聞を読む
・得意のハーモニカで即興演奏
・1日1キロ歩き、近所でお茶を飲み会話を楽しんでいるーなど

「意欲があって行動的、そして日々の楽しみをつくる、どれも特別のことではないが、これが長寿の極意なのだろう」ーとコメントをつけています。私(安原)流にコメントをつけ変えれば、平常心で足腰を大いに使い、脳ミソの洗濯に日々努めることーとも言えるのではないでしょうか。

私の朝の日課の一端を紹介しましょう。年齢は後期高齢者の寸前です。毎朝、5時頃に配られる新聞3紙を1時間以上読み、1時間ほど寝た後、座禅を組み、さらにさまざまな運動を試みていますが、その一つは片足で立って運動します。
さてその後、汗をかいた身体を浴場で冷水摩擦、あるいは乾布摩擦さらに水浴びして清めます。清々しい気分になります。これが毎朝の日課で、健康の秘訣といえるかもしれません。ただ長寿となるかどうかは神のみ、いや仏のみ知るということでしょうか。
2008/09/16(火) 16:31:39 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。