「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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好きこそ物の上手なれ
〈折々のつぶやき〉38

安原和雄
 猛暑の中、甲子園では恒例の全国高校野球選手権大会が燃え上がっている。北京五輪もまもなく開幕する。選手たちはいずれも人並みはずれた鍛錬の結果、選ばれた。俗に「好きこそ物の上手なれ」というが、好きだからこそ頂点を極めたといえる。嫌いであるはずがない。将棋や囲碁の世界も例外ではない。
 想うこと、感じたことを久しぶりの〈折々のつぶやき〉38回目として記してみる。(08年8月3日掲載)

 朝日新聞(08年8月2日付夕刊=東京版)「土曜スタディー」に「天才の育て方」と題して、将棋の通算5期目の名人位を獲得し、永世名人の有資格者となった羽生善治さん(37歳)が登場している。もっとも話し手として登場しているのは、当の名人ではなく、母親のハツさん(75歳)、聞き手は石川雅彦記者である。

▽一段と大きく見えてくる母親

 書き出しから気に入った。こうである。
 「小柄なハツは、話せば話すほど大きく見えてくる女性だった」
 記者は質問した。「将棋はいい加減にして、もっと勉強しなさいとは言わなかったのですか?」と。

 記事はつぎのようにつづいている。
 「そんなことは言いませんでした」
 ハツはきっぱりと答えた。少し間を置き、「それほど、不思議なことでしょうか。善治が楽しそうに将棋をしている姿を見るのが、私はとても好きでした」と。
 記者はここで印象を書き加える。「彼女の姿はまた一段と大きくなった」と。

 私(安原)が記事の中で「なるほど」と大きくうなずくところがあったのは、ハツさんのつぎの話である。
 「小学校の高学年のころでしょうか、善治の友達のお母さんに言われたことがあるんです。そんなに頭がいいんだったら、勉強させて東大に行かせなさいよって。でもね、善治が好きだったのは、勉強ではなく、将棋だったんですよ」

 この記事を読んで、母のハツさんが並みの受験ママ、教育ママだったら、羽生名人は誕生していなかっただろうと思う。たしかにこの母親は子育ての名人であり、いやそれ以上に教育者として天才ともいえるのではないか。

▽好きだからこそ上達する

 「好きこそ物の上手なれ」を辞書で引いてみると、こう説明してある。「好きだと熱心に行い、それゆえ上達するものだ」と。
 自分の好きな道に進んで、新たな境地を切り開くことができれば、これほど素敵な人生はないだろう。このことを知識としてではなく、智慧として身につけて実践し、名人の地位にまで押し上げたのが母親ハツさんではないか。だから教育者としても天才だとあえて言いたい。

 私は小学生の頃、田舎で縁台将棋に熱中していた。夏の夕方などは田園風景の中で団扇(うちわ)をばたばたさせながら、「待った」、「待てない」などとやり合っていた記憶がある。長じて関心は囲碁(現在、アマ5段程度)に移ったが、将棋も現在アマ初段程度には指せると思っている。

 しょせんヘボ将棋の域を出ないが、それでもテレビ放映の将棋のうちとくに羽生名人のはほとんど観ることにしている。プロ仲間でもあっと言うほどの名人の着想の妙に感心させられることが多い。ヘボはヘボなりに感心するのだ。(陰の声「ほんとかな?」)


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この記事へのコメント
母親の後悔
「天才の育て方」と題するこの記事は、連載もので、2回目(朝日新聞、8月9日付)をここで紹介したい。初回の記事の最後はこう結んであった。

次の質問をしたとき、テンポよく話していたハツの表情が曇った気がした。
「育て直すとしたら、どこをやり直したいですか。善治さんの育て方で、後悔はないですか」

私(安原)自身、ハツさんがどう答えたのか、実は気になっていた。「ハツの表情が曇った」というのだから、後悔談であることは想像できるが、その中身は分からない。

2回目の記事の冒頭でハツさんはこう答えている。
「高校にはやらないでしょうね。私らが行けといったから、あの子は、高校に入学することにしたんです」

なぜ母親はそう答えたのか。中学3年生でプロになっており、高校生とプロ棋士との両立は困難を極めたらしい。勝てば勝つほど対局が増えて、高校に行けなくなる。出席日数が不足して、高校3年のとき、「留年の危機」に追い込まれたという。なんとか卒業するが、母親は振り返ってこう話している。

「善治には、好きなことを好きなだけやらしてあげるべきだったかもしれません。本人はずっと早い段階から、将棋一本、と決めていたわけですから」

2回目の記事は次のように結んである。
自分の「好き」にこだわる子どもと、息子の「好き」を最優先しなかったことを悔やむ親。
そこで、こんな質問をしてみた。
「いままで、人生に迷い、両親になにか相談したことはないのでしょうか」

さてどういう答えが飛び出してくるのか、これまた気にかかる。
2008/08/10(日) 14:25:56 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
盤上では誰にも相談できない
上記のコメントの結びは「どういう答えが飛び出してくるか、気にかかる」であった。
「天才の育て方」と題する連載記事3回目(朝日新聞、8月16日付夕刊)に書かれているその答えはつぎのようである。

名人戦という「天下の一戦」を前に08年3月末、善治からかかってきた一本の電話が、人生最初の相談だった。
「ちょっと、田舎に墓参りに行こうかどうか迷っているんだけど、どうかな」
37年で初めての(親への)相談が、墓参りのことである。羽生家の墓は種子島にある。

善治は小学6年生で奨励会(将棋)に入るときも、中学3年でプロになるときも、すべて自分自身で決めてきた。「きめた」というより、迷う必要がないほど圧倒的に強かった。
ハツ(母親)にこんな質問をしてみた。
「善治さんは、人生で迷ったことがないのでしょうか」
「あの人は、ほんとうに頑固。絶対に迷わない。決めたことはやる。短所があるとすると、親に相談しないこと」
だからこそ、墓参りの相談に両親は驚いた。

ただ、政治(父親)はこんなことを言った。
「善治は一生、誰にも相談できない宿命を背負っているんですよね」
善治にとって「迷う」とは盤上で駒をどう動かすか、にほかならない。そして、その世界では誰にも相談できない。

〈安原の感想〉
迷いに迷ったとしても、最後は自分で決断する。相談のしようがない。それが勝負の世界の厳しさであろう。結果としての勝敗は自己責任ともいえる。敗北しても、他人様のせいにするわけにはゆかない。だから挑戦の連続ともいえる。
いうまでもなくルールに従って争うのだから、機会はつねに平等である。だからこそ勝敗の結果には清々(すがすが)しさ、潔(いさぎよ)さが残る。このようないい意味での自己責任感がもう少し日本社会に広がれば、日本社会も少しは輝いてくるのではないか。
2008/08/17(日) 12:12:59 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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