「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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憲法9条を「世界の宝」に 
脱・日米安保体制へ質的転換を                         

安原和雄
 地球規模で吹き始めている新しい時代の風、「非武装」=「非軍事主義」という名の清新な風に目をふさぎ、耳を閉ざしてはならない。現在の日米安保体制は巨大な軍事的、経済的な暴力装置となっている。その自縄自縛に陥らないようにしようではないか。日米安保体制という時代遅れの閉塞状態からどう抜け出し、質的転換を図るかが緊急の課題となってきた。その軸となるのが「憲法9条を世界の宝に」という雄大な構想である。日本人としての智慧のありようが世界の注目を集め、試されようとしている。このことを我々日本人は自覚するときではないか。(08年7月23日掲載、8月1日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

憲法9条を「世界の宝」に ― の主な柱は以下の通り。
(1)世界に期待高まる憲法9条
(2)9条世界宣言の歴史的意義
(3)和平 ― 日本思想にみるその系譜
(4)「9条輸出立国」めざす日本新生計画
   脱「日米安保体制」へ質的構造転換を
(5)誇れる〈愛国心=愛球心〉を育むとき


(1)世界に期待高まる憲法9条

 憲法第9条の世界的意義は世界のさまざまな人びとによって高く評価されている。日本人の多くが考えている以上に日本国憲法の第9条堅持とその理念の積極的活用に対する海外の期待は大きい。以下にいくつかの具体例を紹介する

*9条世界会議とノーベル平和賞受賞者
 9条世界会議(08年5月、千葉・幕張メッセほか)にはノーベル平和賞受賞者が3人もかかわった。
 その1人は北アイルランドのマイレッド・マグワイアさん(1976年受賞)。「紛争は暴力ではなく、対話によって解決する。日本の9条はそのような世界のモデルになる」が持論で、初日の5月4日基調講演で「9条の世界的意義」を強調した。
 つぎはケニアの環境運動家で、日本語の「もったいない」を世界中で提唱しているワンガリ・マータイさん(04年受賞)。「戦争のない世界へ。すべての国が憲法9条を持つ世界へ」というメッセージを会議に寄せた。
 3人目はアメリカの地雷禁止国際キャンペーンのジョディ・ウイリアムズさん(05年受賞)。「地球市民の一人として、9条を支持する。9条を日本から取り除くのではなく、世界へ広げるキャンペーンをしていこう」というメッセージを会議に届けた。

*元B29爆撃機パイロットと「9条の会」
 第2次大戦中にアメリカのB29爆撃機パイロットだったチャールズ・オーバービー・オハイオ大名誉教授は、日本国憲法9条の条文を印刷した折り鶴を配り、戦争放棄を全米各地で訴え続けている。また「第九条の会」をつくり、「9条は人類の英知である。日本人はそのことを忘れないで欲しい」、「今こそ米国憲法も〈9条〉を持つべきだ」と語っている。(04年8月16日付『毎日新聞』)

*イラク女性医師の9条への期待
 ワカル・アブドゥ・カハルさん(イラク人の女性医師、疫学と地域医療を専門とする大学教授・医学博士。地域医療への戦争の影響を研究する分野の第一人者。2001年にアラブの女性では初めて国際アラブ賞を薬学の分野で受賞)は語った。
 「日本は9条と平和を守ることによって笑顔を保ち続けて欲しい。立派な憲法をなぜ変えようとしているのか、理解できない。平和は健康と同じで、健康だからこそ健康のありがたさがわかるように平和が続いてこそ平和のありがたさが分かる。9条と平和を守ることで笑顔をもちつづけられるようにしてほしい」と。(07年5月16日、東京霞ヶ関・弁護士会館で開かれた日本弁護士連合会主催第16回憲法記念行事にて)

*米国映画監督の「世界が9条に追いついてきた」
 ジャン・ユンカーマンさん(05年制作映画 「日本国憲法」で平和憲法の意義を描いている)は上記の憲法記念行事に参加し、以下の点を強調した。
・9条があるからこそ日本は国連安保理事会常任理事国入りをめざす資格がある。
・9条の理念は、世界の長い歴史の中で時代遅れではなく、今やっと世界がそれに追いついてきている。

*南米でも9条が評価されている
 07年3月ボリビア(南米の中部)のモラレス大統領が来日し、当時の安倍首相と会談したとき、「現在進めている憲法改正において、戦争放棄を盛り込みたい」(外務省ホームページから)と説明した。

(2)9条世界宣言の歴史的意義

 「日本国憲法9条を世界に広めよう」を合い言葉に08年5月4~6日、千葉市の幕張メッセを主舞台に開かれた「9条世界会議」は「9条世界宣言」を採択し、世界に向けて発信した。この世界会議は幅広い多数の市民に支えられた初めての試みである。9条の「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」という理念は事実上空洞化されてきているが、その理念をよみがえらせ、人類の共有財産にまで広めるための歴史的な第一歩を踏み出した。
 同宣言の骨子はつぎの通り。

 9条世界宣言=「日本国憲法9条は、単なる日本だけの法規ではない。それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることができるものである。9条世界会議は戦争の廃絶をめざして、9条を人類の共有財産として、武力によらない平和を地球規模で呼びかける」

 同宣言の詳しい内容は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の08年5月7日付記事「武力によらない平和を地球規模で 戦争廃絶を願う〈9条世界宣言〉」をご覧下さい。

(3)和平 ― 日本思想にみるその系譜

 ここでは日本思想のなかに和平への願いが脈々と流れ、継承されてきたことを概観する。

*聖徳太子の17条憲法と和の精神
 聖徳太子(574~622年)が制定した17条憲法はつぎの通り。
第一条「和をもって尊しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ」(以下略)
第二条「篤(あつ)く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧なり。すなわち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり」(以下略)

 まず第一条で「和をもって尊しとし」と和の精神の重要性を説いている。つづいて第二条で仏教が生きとし生けるものすべての存在の根拠であり、すぐれた教えであることを強調している。つまり17条憲法の冒頭で仏教思想に立って和の精神を広めるべきであることを力説している。

*安藤昌益の武士団解体と平和論
 安藤昌益(1703~1762年)は、武士階級の存在しない農本民主主義を説いた。しかも「武士は社会的に何ら有用な機能を行わない単なる穀潰し」として武士団を排撃し、さらに「争う者は必ず斃(たお)れる。斃れて何の益があろう。故に我が道に争いなし。我は兵を語らず。我戦わず」と平和論を唱えた。

 安藤昌益の武士団解体=平和論は、ドイツの哲学者・カント(1724~1804年)の著作『永遠平和のために』(1795年に出版、常備軍の全廃を提唱)よりも半世紀近く前に打ち出された(当時は未発表)。

*明治の自由民権運動と小国主義 ― 植木枝盛、中江兆民
・植木枝盛(1857~92年)は、「日本国々憲案」で国内では人権、自由、平等を重んじ、国際間では今日の国連と国連憲章を連想させる「万国共議政府」常設と「宇内無上憲法」制定を唱えた。平和、軍備廃止を指向する小国主義であった。

・中江兆民(1847~1901年)は明治政府の富国強兵路線について「二兎を追う者は一兎をも得ず」と批判し、強兵を棄てて、富国を追求すべし、と説いた。「道義立国」の小国主義でもあった。

*大正、昭和の小日本主義と非武装論 ― 三浦銕太郎、石橋湛山
・三浦銕(てつ)太郎(1874~1972年)は東洋経済新報社で明治末期から大正時代へかけて大日本主義(領土拡大、軍備拡張、軍国主義、専制・国家主義)を批判し、小日本主義(領土拡大反対、小軍備、商工業の発展、自由・個人主義)を展開した。

・石橋湛山(1884~1973年、思想的骨格は日蓮宗の仏教哲学と欧米の自由主義)は大正時代、「朝鮮など植民地を棄て、シナ、シベリヤへの干渉を止めよ」と説いた。(『東洋経済新報』社説「大日本主義の幻想」・大正10=1921年)
 戦後の憲法改正案の中の9条(戦争放棄と非武装)については、世界に類例のない条項であること、全力を挙げて達成すべき高遠な目的であること、敗戦国から栄誉に輝く世界平和の一等国に転じたこと―という認識を示した。(『東洋経済新報』社論「憲法改正案を評す」・昭和21年3月16日号)
日米安保条約(=日米軍事同盟)と憲法(9条)との関係について「明らかに矛盾しているが、改正ができない限りは憲法を守るのが正当な態度である」と指摘した。(『朝日新聞』に寄稿「池田外交路線へ望む」・昭和35年8月8、9日付)

(4)「9条輸出立国」めざす日本新生プラン

①9条を輸出しよう!
この内容は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の08年7月17日付記事「憲法9条を世界に輸出しよう 〈9条大事に〉がアジアの願い」をご覧下さい。

②脱「日米安保体制」へ質的構造転換を

●「米国一極」から「無極」の時代へ=脱「軍事力」
 第2次大戦後、東西冷戦、米国一極の時代を経て、目下「無極」の時代、すなわアメリカ帝国凋落の時代が始まった。米国主導のアフガン、イラク攻撃の非正当性、大失敗にみられるように軍事力による打開力は無力化した。軍事力は地球環境保全にとっても有害であり、脱「軍事力」の時代をどう構築していくかが緊急の課題となってきた。

 「かつてのローマ帝国が滅びたようにアメリカも崩壊の過程に入っている」旨を演説で指摘したのは、今から30数年も前の1971年、当時のニクソン米大統領だった。同じ共和党でありながら現在のブッシュ米大統領に歴史的洞察力は皆無であり、世界の非難を集めている。そのことがアメリカ帝国の瓦解を早めており、墓穴を自ら掘りつつあることに大統領は気づいていないらしい。

●日本、コスタリカ憲法にみる先進的貢献=平和生存権と非武装中立
 日本国憲法前文は平和生存権をうたい、9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)は、「世界の宝」という評価に値する先進的な理念を掲げている。しかしどちらも現実には理念倒れで、空洞化している。
一方、コスタリカ憲法(1949年改正)12条(常備軍の禁止)は「常設の組織としての軍隊はこれを禁止する」と定めており、コスタリカはこれを守り、生かして、日本と違って一貫して非武装を堅持している。またコスタリカは非武装中立宣言(1983年11月)を打ち出している。
 この名実共に世界の先頭を走っているコスタリカに学び、実践に移すことが緊急の課題である。
 
●日米安保体制の解体と地球救援隊創設による国際貢献=非暴力と安心
*日米安保体制は軍事同盟であると同時に経済同盟であり、それがいまや巨大な暴力装置と化している。

・軍事同盟は日米安保条約第3条(自衛力の維持発展)の「武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させる」、第4条(随時協議=脅威に関する協議)、第5条(共同防衛)、第6条(基地の許与)を根拠に機能している。このため憲法に明記されている平和生存権(憲法前文)、非武装(9条)の空洞化をもたらしている。
・経済同盟は安保条約第2条(経済的協力の促進)の「締約国は、その自由な諸制度を強化すること、国際経済政策における食い違いを除くことに努め、両国の間の経済的協力を促進する」という規定によって性格づけられている。

 軍事的暴力装置としての安保とはどういう意味か。当初の「極東の安保」から今では「世界の中の安保」へと変質し、先制攻撃論にもとづく米国主導のアフガン、イラク攻撃のための日米軍事協力装置となっている。
 一方、経済的暴力装置としての安保とは、米国主導の新自由主義(=市場原理主義)による弱肉強食、つまり勝ち組、負け組に区分けする強者優先の原理がごり押しされ、そのため自殺、貧困、格差、人間疎外の拡大と深刻化が進んできた昨今の日本列島上の現実を指している。それを背景に殺人などの暴力が日常茶飯事となっている。

 重要なことは最高法規である憲法体制と条約にすぎない日米安保体制が根本的に矛盾しているにもかかわらず安保が優先され、憲法(前文の平和共存権と9条の非武装)が空洞化している現実である。つまり日本の国としてのありかたの土台が蝕まれているわけで、ここに日本の政治、経済、社会の腐朽、不正、偽装の根因がある。

 日米安保体制といえども、決して聖域ではない。不都合であれば、国民の意思によって終了させる以外に妙策はない。安保条約第10条(有効期限)に「条約は、終了させる意思を相手国に通告した後1年で終了する」と明記されていることを忘れないようにしたい。

*自衛隊の全面改組による地球救援隊の創設
 軍事力中心の時代は急速に終わりつつある。世界の巨額の軍事費(07年約1兆3000億ドル=約150兆円)は資金・資源の巨大な浪費そのものであり、これを世界の医療、教育、貧困・飢餓対策、持続的な社会づくりに回すときである。
 私(安原)は数年来、軍事分野の資金・資源の平和的有効活用策として、自衛隊の全面改組による地球救援隊(日本)の創設を提唱してきた。ここで改めて唱えたい。

その具体策(概略)はつぎの通り。
・兵器類の廃棄、自衛隊員(現在定員は約25万人)の縮小による年間5兆円の防衛予算の大幅削減
・地球救援隊(日本)の主任務は国内外の大型災害対策(地震、津波など)、医療、貧困=飢餓対策など
・「人道ヘリ」(武装ヘリからの転換)、輸送船、輸送機の平和利用。とくに「人道ヘリ」を大量保有し、内外の大型災害時に緊急派遣する。
     
 日本が率先して実行すれば、世界史に輝ける功績として記録されるに違いない。地球救援隊に衣替えした自衛隊(非武装化された状態)がノーベル平和賞の対象になることも夢ではないだろう。

③経済成長路線からの根本的転換=地球環境保全と脱「石油・原子力」(略)

(5)誇れる〈愛国心=愛球心〉を育むとき

 改憲派が主張しているような古いタイプの愛国心、すなわち戦争を肯定し、そのために死ぬことも厭わない、といった類の愛国心はいかにも今日の時代感覚からずれている。そういう旧型愛国心を克服して、時代が求める新しい愛国心、すなわち郷土、地域さらに日本という国を大切に思い、それぞれの個性を生かし、多様性を尊重する愛国心を育むときである。
 この愛国心は、かつての狭い自国中心の国益にこだわり、排外主義に流されやすい愛国心とは異質であり、同時に生存の基盤である地球・自然にも配慮し、地球市民として行動する新しいイメージ、「愛球心」と重なっている。

 以下の2本柱を中心に考える。
*憲法前文(平和生存権)、9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)、13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)、25条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を生かすことを誇りとすること
*地球市民(Planetary Citizenship)として連帯精神で行動すること


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コメント
この記事へのコメント
愛国心・愛球心について
改憲派に対抗する憲法擁護派から愛国心の重要性についての主張が述べられている点に興味を感じました。こういう主張はいままでお目にかかったことがないように思いますが、どうでしょうか。
アジア・太平洋戦争の戦前、戦時中のあの愛国心にはついていけませんが、21世紀における新しい愛国心について前向きに考えるときかも知れないと思っています。
たしかに自国中心の狭い国益にこだわる愛国心は覇道に進み、歴史の大道を踏み外す恐れがあります。現在のアメリカがその具体例ではないでしょうか。

ご指摘のように21世紀の愛国心は地球的視野を忘れない「愛球心」と重なり合うところに新味があるように感じます。改憲をめざす「古い愛国心」か、それとも憲法9条を生かす「新しい愛国心」か、大いに論争するときということでしょうか。
2008/07/24(木) 16:40:37 | URL | へそ曲がり #-[ 編集]
新しい愛国心
へそ曲がり さん、コメント有り難う。
新しい愛国心はいかにあるべきかについての問題提起のつもりです。旧来の平和勢力の間には戦前、戦時中の誤った愛国心への拒絶反応が強くて、愛国心そのものを拒否する姿勢が残っているように思います。敗戦の時、私は小学5年生でしたから、その気持ちはよく分かります。

しかし自分の郷土や地域や国を拒絶していては生きていくことはできません。誇りを持って生きていくに値する郷土や地域や国を創っていこうという志(こころざし)―そういう意味での新しい愛国心は必要であるだろうという提案でもあります。

だからこそ新しい時代の新しい愛国心は「愛球心」と重なり合うものでなければならないと考えます。「地球市民」という言葉はすでに地球的視野であちこちで使われています。もっとも「愛球心」という用語が適切かどうか、という問題は残ります。大いに議論の余地があるところです。
2008/07/25(金) 12:42:14 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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