「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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「この国は病んでいる」と告発
脳梗塞の後遺症と闘いながら

安原和雄
 朝日新聞の「聞く」シリーズ(08年6月10日付から28日付まで15回連載)はなかなかの好企画である。語り手は、世界的な免疫学者(東大名誉教授)として知られる多田富雄さん(74)。脳梗塞に倒れて7年、第1級の障害者として後遺症と闘いながら、左手だけでパソコンを打ち、発言を続けている。市場原理主義の競争原理を厳しく批判し、「この国は病んでいる」と告発している。(08年6月29日掲載)

 聞き手は都丸修一記者。話題は市場原理主義から格差社会、後期高齢者医療制度、日本文化の特色、学問のあり方、次世代への助言に至るまで広範囲に及んでいる。以下ではその一部を紹介する。

▽後期高齢者医療制度は憲法違反

 私はこの国の行方を深く憂えている。私には国自身が病んでいるように思われる。
 最近は、暮らしの原理ともいえる憲法を改正する国民投票法が強行採決されても、文句も出ないし、デモらしいデモも起こらない。
 昭和の日本には健全な中流が育っていた。日本はこの健全な中流に支えられていた。それが過剰な競争と能率主義、成果主義、市場原理主義で「格差」が広がり、もはや中流はろくに発言できなくなった。健康な社会ではなくなった。
 一昨年4月から施行されたリハビリの日数制限、今年4月から始まった後期高齢者医療制度などは、市場原理主義にもとづく残酷な「棄民法」としかいいようがない。日本はいつからこんな冷たい国になってしまったのか。病にかかっているとしか見えない。

 私は朝日新聞に「リハビリ中止は死の宣告」という一文を投書し、窮状を訴えた。投書は白紙撤回の署名運動に発展し、2カ月間に48万人の署名が集まった。私は車いすで厚生労働省に署命を届けた。厚労省はそれを握りつぶし、07年の再改定では、かえって締め付けを強化した。
 こうして障害者、高齢の患者の診療制限が露骨になり、その延長線上に後期高齢医療制度がある。これは残酷な「うば捨て医療制度」である。日本が誇る国民皆保険の医療制度は崩壊寸前だ。3千万人の老人と一緒に、「べ平連」(ベトナム反戦・平和運動)ならぬ「老平連」を結成しなければならない。

 私は後期高齢者医療制度は憲法違反ではないかと思っている。というのも、私のような障害をもっている者は、「障害認定撤回届」を提出しない限り、75歳どころか65歳から「後期高齢者」に強制的に組み込まれる。これは「法の下の平等」を規定した憲法14条に違反している。こういう差別が堂々とまかり通っている。

〈安原のコメント〉
 多田さんは憂国の士である。「私はこの国の行方を深く憂えている」とは、並みのセリフではない。間違いなく、憂国の士と呼ぶに値する。
 だからこそ「国が病んでいる」と言い切ることもできるのだろう。
 だからこそ後期高齢者医療制度を「憲法違反」とも断じることに躊躇しない。
 だからこそ「べ平連」ならぬ「老平連」の結成をめざして、全国3千万人の老人よ、決起せよ!と呼びかけてもいるのだ。

▽「格差社会」のゆがみが重なって・・・

 私は専門バカで、社会のことなど何も分からなかった。しかし病気で入院しているときぼんやりと感じていたことが、突然はっきりと見えてきた。
 昭和が終わるころ、バブル経済に浮かれながら、人心は冷え切っていた。まもなく不良債権処理のため、リストラが強行された。そのころから、この国は市場原理主義の病に侵されたように思える。
 病が一挙に悪化したのは小泉、安倍政権の時代。競争原理、自己責任、経済優先で、美しく優しかった日本は、急に冷たい、ぎすぎすした国になってしまった。その病状のひとつが強引な医療費の削減に表れた。
 先進医療が発達し、超高齢化社会に突入したというのに、社会保障費を増やすどころか、毎年2200億円ずつ削っていった。

 障害者になってみると、日本の民主主義の欠陥がよく分かる。多数の一般市民の利便は達成しても、障害者のようなマイノリティーのことは考えない。それが小泉政権下でさらに拍車がかかり、「自助努力」や「適正化」の名の下に人間社会のきずなを断ち切ってきた。
 政府は「医療費の適正化」の決まり文句で、2011年度までに1兆1千億円も圧縮しようとしている。道路には今後10年間で59兆円もつぎ込むのに、社会保障費はどんどん削る。

 へき地や救急の医者不足、少子化というのに産科や小児科の診療体制の不備も、医療費の強引な抑制の結果もたらされた。経済優先、市場原理主義の競争原理が医療にまで広がった。そこに「格差社会」のゆがみが重なり、収拾不可能な社会問題化したのが日本の現状だと思う。
 衝動的に人をあやめる若者のニュースが相次いでいる。命を大事にすることを知らないと、自暴自棄になって、破滅的行動に歯止めがかからなくなる。命を軽視して物質本位に走った大人の責任だ。
 このあたりで病根に気づき、政策を転換しないと、この国は本当に危ない。

〈安原のコメント〉
「私は専門バカ」と謙遜していられるが、事実は正反対で、視野の広さと教養の深さには感服するほかない。市場原理主義、競争原理、格差社会のゆがみへの批判はズバリ的を射ている。「衝動的に人をあやめる若者のニュース」という指摘は、市場原理主義の悪弊が、あの秋葉原殺傷事件とつながっているという診断とも読める。その観察にも同感である。
 大学や研究所で現代経済学を操っているつもりの自称専門家の方がはるかに視野の狭い専門バカとはいえないか。本当の専門バカは、本人にその自覚が欠けているところに特色がある。だから市場原理主義の欠陥に気づくこともない。

▽成長神話を考え直して新しい価値観の構築を

 老い先短い身だから、次の世代に助言したい。まず子や孫の世代に謝罪しなければならない。私たちの世代が、この星の上に残した負の遺産は、彼等の生存さえ危うくしているからだ。私たちが1代で消費したエネルギーは、それまで人類が使ったエネルギーの総量より大きい。

 その膨大な消費がつくりだした二酸化炭素は、救いようもなく地球環境を破壊してしまった。子や孫たちは、その借金を返しながら、生き延びねばならない。
 使ったエネルギーには核エネルギーも含まれる。核を用いた戦争は人類のモラルまで破壊した。
 その波及効果として、若者に無差別殺人まではやらせている。老人の生命を軽視した最近の医療政策も、どこかで根っこがつながっている。

 これも豊かさを求めて突っ走った結果だ。この辺で経済至上主義、成長神話を考え直して、新しい価値観を構築しなければならない。
 そのためには観測を誤らない目を養うことが必要だ。ものを近くから眺めるのではなく、遠いまなざしを持って、全体を見る。
 また、自然(生命)と伝統(注・安原)を生き方の原点に据えたらどうか。自然は万人が認めなければならない価値であり、伝統は日本人の規範を教えてくれる。多様性の価値を認め、その中でアイデンティティーを守る。その原点に戻って、地球の未来を創造してほしい。

(注)ここでの伝統は「美しい日本 四つの特徴」として「聞く」シリーズで語っている次の4点を指すと思われるので、補足しておきたい。
*「アニミズム」の文化
 自然崇拝、自然信仰。自然の中に無数の神を見つけ、それを敬ってきた。これが環境を守る、日本のエコロジー思想のルーツである。
*豊かな「象徴力」
 俳句、和歌、能、歌舞伎、茶道、華道など日本の芸術は豊かな象徴力に支えられている。こんな民族はほかにはない。
*「あわれ」という美学の発見
 滅びゆくものに対する共感、死者の鎮魂、人の世の無常、弱者への慈悲など、あわれなものへの思いが日本の美の大切な要素になっている。強さ、偉大さ、権威などを価値とする外国とは違った日本独自の価値観で、日本人の心の優しさ、美しさ、デリケートさの根源である。
*「匠(たくみ)の技」
 美術はもちろん、詩歌、芸能でも細部まで突き詰める技の表現がある。「型」や「間」を重んじる独特の美学で、日本の優れた工業技術のルーツでもある。

〈安原のコメント〉
ここでの次世代への助言はこれしかないという上策である。「経済至上主義、成長神話を考え直して、新しい価値観の構築を」という提唱には100%賛成である。たしかに経済成長路線そのものを根本から転換する以外に地球環境問題への打開策は見出せない。これが免疫学者に洞察できるのに、市場原理主義者達には理解できないし、理解しようともしない。
 なぜなのか。「市場原理主義だから」ではどこまでも出口は見つからない。これでは彼等に退場を迫る以外に策はない。


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コメント
この記事へのコメント
専門バカと専門家
 今回の記事では自称「専門バカ」と謙遜している者と、内心「専門家」を自任している者のどちらが物事の本質をしっかりつかんでいるのかを考えさせられます。この記事の主役の多田さんは専門は免疫学であるのに、これほど経済の理解が深いのに驚きます。なぜなのでしょうか?
 よくよく記事を読んでみると、多田さんはこう言っています。「私は専門バカで、社会のことなど何も分からなかった。しかし病気で入院しているときぼんやりと感じていたことが、突然はっきりと見えてきた」と。さらに「障害者になってみると、日本の民主主義の欠陥がよく分かる」と。
病気がきっかけとなって真実への門をくぐり抜けることができた、ということでしょうか。自分自身の身も心も痛い思いを重ねて、苦しむその中から真理を会得する、ということはそれなりに分かるような気がします。

 例えば日野原重明さん(聖路加国際病院名誉院長・同理事長)の体験談によると、自分自身が病気になって入院したとき、患者の痛みや気持ちがよく分かったという話を聞いたことがあります。それ以来医者としてのあり方、生き方も変わっていったというお話です。しかも今では96歳という高齢にも負けず、平和の追求にも熱心です。
 痛みも苦しみも分からず、論理だけの研究用ペーパーをいくら大量生産しても、本当の専門バカの域を超えるのは難しい、ということでしょうか。豊かな人生体験者には学ぶべきことが多いと痛感しています。
2008/07/04(金) 18:50:40 | URL | 自称・専門バカ #-[ 編集]
免疫学者の経済思想
大変良いコメントを頂戴しました。
 病気が重要な転機になったのではないかというご指摘はその通りだと思います。私は以前このブログ「安原和雄の仏教経済塾」(08年2月2日付「冷水摩擦でカゼを退治しよう」)で私自身の病気のことにも触れました。小中学生の頃、何度もイヤというほど寝たきりを経験しました。だから高齢になって、またもや寝たきりになるようではこの世に神も仏も存在しないという気分にもなっています。ただこれは私の希望的観測にすぎません。

それにしても優れた免疫学者が同時に優れた経済思想家であることには驚きを隠せません。なぜ優れた経済思想家にもなり得るのか、その答えはそう難しいものではないように思います。例えばつぎの文章です。
 「老い先短い身だから、次の世代に助言したい。まず子や孫の世代に謝罪しなければならない。私たちの世代が、この星の上に残した負の遺産は、彼らの生存さえ危うくしているからだ」という懺悔ともいうべき謙虚な言葉に正直言って感動しました。

 このような堂々と生きる日本人がいま、この日本列島上に何人いるでしょうか。勝ち組であることを自慢したがる政治家や経済人の類ではおそらく皆無でしょう。しかし、負け組、弱者への自覚、連帯感、思いやり、慈悲の心が少しでもあれば、猛威を振るってきたあの市場原理主義(=新自由主義)の甚大な欠陥、弊害は容易に見抜けるはずです。

 それに仮に今、勝ち組の一人であるとしても、いつ負け組に転落するか分からないという現実への想像力があれば、おのずから生き方も変わってきます。
 必要なものは直観力、想像力です。まとめて洞察力ともいえます。数字をいくら操っても、そこから連帯感、慈悲心、洞察力は育たないように思います。
2008/07/05(土) 11:24:30 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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