「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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宗教者の「環境・平和」提言
洞爺湖G8サミットに向けて

安原和雄
 宗教者達は地球環境問題や平和にどう対応しようとしているのか。世界宗教者平和会議(WCRP=World Conference of Religions for Peace)日本委員会(庭野日鑛理事長)という宗教団体のメンバーが7月開かれる北海道・洞爺湖G8サミット(先進8カ国首脳会議)に向けて提言を行っている。
 「環境」では科学・技術、経済よりも精神文化の重要性を、「平和」では核兵器廃絶と軍事費削減こそ緊急の課題だと強調している。サミットに集う先進国首脳達の思考とは異質の環境・平和論となっている。(08年6月17日掲載、同月19日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 WCRPは仏教、神道、儒教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教など世界の諸宗教をメンバーとしている。第1回世界大会(1970年)は「非武装・開発・人権」をテーマに京都で、さらに最近の第8回世界大会(2006年)は「あらゆる暴力を乗り超え、共にすべてのいのちを守るために」をテーマにやはり京都で開かれた。
そのWCRP日本委員会発行の『WCRP』(月刊)は08年1月号から「平和をめざして~G8北海道・洞爺湖サミットに向けて~」を連載している。その中から以下の2つの提言(要旨)を紹介する。

▽環境問題と宗教者の役割

 稲貴夫・神社本庁渉外部長は「洞爺湖サミット ― 環境問題と宗教者の役割」と題して次のように指摘している。(『WCRP』・08年1月31日号から)

 元旦(2008年)の新聞各紙は温暖化問題を大きく取り上げた。これらの記事を見て、私の心配は大きくなった。非常に複雑な環境問題がマスメディアによって「温暖化=気候変動」の問題に一元化され、私たちの生活に直結した環境問題が逆に見えなくなっているのではないかと危惧するからである。

 そもそも温暖化予測は、コンピューター・シミュレーションによるもので、その手法の科学的整合性には様々な問題点が指摘されているが、そこには宗教者にとって根源的な問題が内在していると思う。
 環境問題は人間と自然との関係の問題であり、その基層には私たちの人間観、自然観がある。そう考えると、コンピューター・シミュレーションに基づく環境問題の認識には、少なからぬ違和感を覚える。

 50年先、100年先の予測に基づく「温暖化の危機」は、生命の営みとしての環境を考え、自然と人間の関係を問い直してゆくための行動理念たり得るだろうか。それは「エコ商品」の販売促進のためのキャッチコピー(というより脅し文句?)としては役立つだろうが、宗教者には、人間の生き方としての理念が求められているはずだ。
 今日の地球温暖化をめぐる動きは、未来の地球環境(気候)も科学・技術によって予知し管理することが可能だという前提で成り立つものである。しかし果たして科学・技術はそこまで万能だろうか。
 少なくとも宗教者としては、環境問題を精神文化の課題として受け止めてゆく姿勢が必要ではないかと感じている。

 そう思いめぐらすと、「自然を慈しみ感謝する心」や「物を大切にする心」という、日本人が理想としてきた謙虚な姿勢と心のあり方にたどりつく。それは古い価値観といえるものだが、現代人がそれを忘れてしまったことに、本質的な問題があるのではないか。 
 環境問題の対応には、資源エネルギーの枯渇や食糧問題、貧困と格差、野生動植物の保護など、現在進行形の諸問題を広く学びながら、それを人間の生き方の問題として受け止め、生活実践として具現化してゆくことが何よりも大切であり、そこにこそ宗教者の役割があると考えている。

〈安原のコメント〉― 「自然を慈しみ感謝する心」を育むとき

地球環境問題の中心テーマとして昨今浮かび上がってきているのが温暖化問題である。
7月の洞爺湖G8サミットを控えて、喧騒に近い響きさえ奏でている。温暖化問題を解決できるかどうか、その成否は地球そのもの、さらに人類を含む多様ないのちの命運にかかわっているといっても過言ではない。
 そういう認識自体は間違いないとしても、その対応のあり方として科学・技術万能主義が頭をもたげてきている。その典型が技術革新によるCO2(二酸化炭素)の排出削減にこだわる経済界主流の考え方である。しかも安全性に深刻な懸念があるにもかかわらず、CO2を排出しないことを理由に原子力発電への依存度を強めようとしている。一方、市場メカニズムを利用する排出量取引も先発組のEU(欧州連合)にならって08年秋から日本も「試行」したいと福田首相は記者会見(08年6月9日)で言明した。

 このような技術革新、原発さらに市場メカニズムの活用という企業の算盤勘定を前提にした従来型の手法で、果たして現下最大の地球環境問題を根本的に打開できるのか、と改めて問い直してみると、たしかに違和感を感じないわけにはいかない。
 宗教者の立場からすれば、科学技術や経済よりも人間の生き方、すなわち精神文化こそ重要である。その柱の一つが「自然を慈しみ感謝する心」である。さらに「物を大切にする心」という日本人の古くからの価値観の再生にほかならない。いいかえれば欲望をほしいままにして、地球を汚染と破壊に追い込んだ従来型の貪欲路線上での技術革新や市場メカニズムの利用は万能ではなく、限界があることを認識する必要があるだろう。

▽核兵器より解放された世界を目指して

 鈴木克治・WCRP日本委員会渉外部長は「核兵器より解放された世界を目指して」と題して以下のように論じている。(『WCRP』・08年2月20日号から)

*具体的提案に向けて
1.国際社会における核軍縮の提唱を真に説得力あるものにし、結果として核兵器の不拡散を期するために、2006年10月の北朝鮮による核実験に対してWCRP日本委員会が表明した「例外なき核兵器の廃絶を実現するため、すべての核兵器保有国が核不拡散条約(NPT)の中で誓約した核兵器の軍縮及び廃絶に向けて誠実に取り組むこと」を要請する。
2.広島市、長崎市が推進する世界市長会議は2020年までに、世界中の核兵器を廃絶すべく「2020ビジョン」を進めている。そのためには、2010年のNPT再検討会議が「核兵器禁止条約」を採択することが絶対の前提条件である。私たち宗教者は、G8指導者に強く要請する。

3.現在、世界には約2万6000発の核弾頭が存在している。そのうち約1万発を保有しているアメリカ政府は、2030年までにアメリカ保有の核弾頭を更新する計画「コンプレックス2030」を議会に提案している。この計画が実施段階に入れば、核兵器生産能力を一気に高め、新たな核兵器の生産を無制限に許すことにもなり、まさに核不拡散条約、世界の核兵器廃絶への流れに逆行することになる。同計画を放棄するようアメリカ政府首脳に強く要請する。
4.この地上で、飢え、蔓延する感染症、貧困、抑圧、テロの暴力の恐怖に苦しむ人が一人でもいる限り真の平和はありえない。莫大な軍事費をこのような人間安全保障(人間としての基本的ニーズ)のための資源に転換していくことを強く要請する。

*目指される方向性
 原爆の犠牲となった広島、長崎の20数万の犠牲者は、いのちの尊厳と核兵器は決して両立しえないことを証した。原爆被爆後、筆舌に尽くしがたい苦難の中、伝えられてきた「二度とこのあやまちはくりかえしません」との核兵器廃絶への願いと祈りを真摯に受け止めるようG8首脳に強くアピールする。
 WCRPとしては、すべてのいのちを尊ぶ宗教者の立場から、WCRP創設以来積み上げてきた核軍縮への取り組みの基礎の上に、今こそ不拡散を超えて、核兵器そのものの廃絶の声を明確に提案したい。

〈安原のコメント〉― 核兵器廃絶と軍事費削減こそが緊急の課題

 最近のメディアの多くは「核廃絶」を無視し、「核不拡散」の大合唱を繰り返している。核拡散、つまり北朝鮮、イランなどが核兵器をもつことがいかに危険であるかに焦点を合わせた論調が多すぎる。もちろん核拡散を歓迎するわけにはいかない。それは自明のことである。しかしそのためにも核保有大国(米露英仏中)の核軍縮、核廃棄こそが緊急の課題であり、核不拡散の重要なカギを握っている。
 現在、世界には約2万6000発の核弾頭が存在、そのうち約1万発をアメリカが保有している。そのアメリカ政府は、2030年までにアメリカ保有の核弾頭を更新する計画「コンプレックス2030」を議会に提案している。貪欲に核兵器に執着する核大国・アメリカの素顔を十分認識する必要があるだろう。 

 第二次大戦末期(1945年8月)に広島、長崎に原爆を投下したのもアメリカである。当時、私(安原)は広島県生まれの小学5年生であった。間もなくケロイド症状の原爆被爆者と出会ったことを記憶している。それ以来「核兵器と平和」というテーマが私の心から消えたことはない。「宗教家は核廃絶」、一方「メディアは核不拡散」 ― という引き裂かれた状況は悲しすぎる。メディアは、アメリカを筆頭とする核大国に免罪符を与えるようなお人好し(?)のレベルから抜け出て、核廃絶を求める共同歩調に参加するときであろう。

 もう一つ、鈴木克治氏が指摘している「莫大な軍事費を人間安全保障(人間としての基本的ニーズ)のための資源に転換していくこと」という視点も重要である。世界全体の年間軍事費は1兆ドル超(110兆円超)で、その大半をアメリカ一国が占めている。軍事力の保有自体が巨大な浪費であり、しかも軍事力行使は地球環境にも甚大な負の影響を与える、つまり環境保全と軍事費削減は表裏一体の関係にあることに着目すべきである。
 地球環境問題に真摯に取り組むのであれば、軍事費削減も7月の洞爺湖サミットの主要議題となるべきであろう。軍事費を削減し、浮いた資金を世界の医療、教育、福祉、貧困対策、つまり「人間としての基本的ニーズ」に回せば、どれほど住みよい地球となることか。その期待に反してG8サミットが地球と人類と多様ないのちに貢献することを怠るようでは、サミットの存在価値はない。


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2008/06/17(火) 11:15:02 | | #[ 編集]
「もったいない」というお話
合掌様
「管理人のみ閲覧」となっていますが、大変良い話なので、一部を公開させて下さい。
合掌様はつぎのように指摘しています。
「世界のお偉方が洞爺湖に集まって豪華な会議室、豪華な食事、豪華な衣裳などなどテレビに映されては困るのです!これだけで「もったいない」という精神が吹っ飛んでしまうと感じるのは私だけでしょうか!」と。

ご指摘の通りです。私もそう思います。私は上述の記事の結びの言葉としてつぎのように書きました。
「G8サミットが地球と人類と多様ないのちに貢献することを怠るようでは、サミットの存在価値はない」と。
「もったいない」精神をサミット参加の首脳達が自ら進んで実践できないようでは、地球と人類を救出することなどとても期待できないでしょう。残念ながらそれが冷厳な現実です。
2008/06/17(火) 21:45:51 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
信仰者の態度の謎
宗教団体の幹部的立場の方々は、しばしば世間に対して、平和を訴えておられます。それはそれで立派な行為だと認めます。世界には、その立派な行為をなさる方と同じ宗教を信仰する膨大な数の人々がいます。それだけ多くの同士がおられるのに、なぜ世界の戦争や武力紛争を止めることができないのでしょうか。ましてや、その同じ宗教を信仰をする人々が武器まで手にして戦争や武力紛争に参加しているのは何故なのでしょうか。私には不思議でなりません。ブッシュ米大統領もキリスト教徒(宗派は存じませんが)であろうと思いますが、キリスト教を破門されたという話を聞いたことがありません。信仰者である政治家が、戦争を起こしても宗教団体としては「政教分離」として不問に付すのでしょうか。宗教の信仰者は、同じ宗教を信仰する仲間に対してどこか甘いところがあるのかな、などとつい思ってしまいます。世の信仰者の戦争に対する態度は、私にとって謎です。
2008/06/18(水) 14:28:49 | URL | 並野一民 #-[ 編集]
宗教者は本当に反戦なのか
並野一民さん、適切はコメントに感謝します。私も常日頃、そういう印象を抱いております。
私は宗教者としてお答えする立場にはありません。ただ目下、仏教経済学の構築とその普及を志している者の一人として、そういう宗教界、特に仏教界の現状にはもどかしさを拭いきれないところがあります。

仏教経済学の基本理念は「いのちの尊重」「平和=非暴力」「共生」「知足」「多様性」などです。これをどう実現していくか、同時に当然のことながら「反戦=平和」をどう追求するか、ゆるがせにするわけには行きません。

しかし大方のお坊さんは葬式仏教に忙しいところに問題があります。
ただ弁護するわけではありませんが、かつての戦争協力を反省して、「憲法9条」擁護と「反戦=平和」に熱心なお坊さん達も少なくありません。
特に上記の記事で紹介しているWCRPという世界的な宗教団体に結集している宗教者たちは仏教者も含めて熱心です。各国政府に呼びかけたりしていますが、いまだ力及ばず、というところでしょうか。
以上、私の印象を申し上げました。
2008/06/18(水) 18:48:02 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
仏教の教えというのはこの地球上だけでなしに此の宇宙全体の目にみえないものから
見えるもの、つまり、人間も植物も動物も霊も空気も炎も・・・・・・・
同じ心から発していることと一つの大船に乗っているのだと教えられているではありませんか どことどこの国が どことどこの宗教が 一般市民も些細な事で 言い争ってる場合ではないと思います。
こころは一つというこは何もかもがつなっがっているということ、お互いが認めあうという事、広いこころになりましょうということ、夢みたいな事言っているという貴方こそこころをきれいに浄化していけば      
この宇宙も貴方のものです。
2008/06/19(木) 10:21:05 | URL | #-[ 編集]
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2008/06/24(火) 11:46:52 | | #[ 編集]
「平和省」設立の提案
 お釈迦様は、しばしば布施、施与の大切さを説かれました。これは、人間一人ひとりにとって大事であるだけではなく、国にとっても大事なことだと私は思います。
「あり余る物を分かち与えるだけではなく、乏しい中から分かち与える人は決して滅びない」という意味のことを、お釈迦様は教えておられます。平和国家として生き抜こうと決意した日本にとって、これこそ国家の安全を保障する倫理であると私は確信しています。過日、上智大学教授のグレゴリ-・クラ-ク氏との対談をさせていただいたのですが、クラ-ク氏は、「どこの国にも陸軍省とか海軍省というように、戦争準備のための機構があるけれども、平和のための機構をもつ国はない。日本こそ平和省とか平和庁といった、平和を追求する専門の機関があってもよいのではないか」と言われるのです。 行政改革で大変なときであるとはいえ、これこそ日本にふさわしい機関であり、まことに掬すべき意見であると思いました。
この随感は昭和56年つまり27年前に出された私の最も尊敬する大師の記事が見つかりました。
2008/07/05(土) 11:32:25 | URL | 合掌 #-[ 編集]
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