「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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ケータイ意識調査
 学園内ではケータイを捨てよう

 安原和雄
 私は今春(05年3月)まで経済学を講じていた足利工業大学(栃木県)で聴講生を対象にケータイ意識調査(04年7月)を実施した。ケータイは、あっという間に普及したが、マイナス面も目立ってきている。この調査はケータイ社会がかかえる問題点をそれなりに浮き彫りにしている。
 以下は「学生たちへの呼びかけ文」と「学生の意識調査結果」で、インターネット新聞「日刊ベリタ」に「9割の学生が私はケータイの奴隷。でも手放せないが4割」という見出しで掲載(05年7月30日付)された。これを「仏教経済塾」に収録する。(05年12月29日記)

◇「学園内ではケータイを捨てよう」と学生たちに呼びかけた文章

 ケータイの僕(しもべ)さん、よ~く聞けよ!― 未来を創る若者たちへ

 「娘さん、よく聞~けよ、山男にゃ惚(ほ)~れ~るなよ、・・・」という歌の文句にあやかって、こういう問いかけになった。
 私は経済学の講義(前期)で「技術と自然・人・社会」と題して技術進歩のプラスとマイナスについて話すことにしている。その講義で携帯電話(以下、ケータイと略す)に言及し、「君たち若者も含めて多くの人はケータイの奴隷になってはいないか」と指摘し、感想を書いて貰った。その中に次の一文があった。「現代人はケータイの奴隷だという考えには共感できる。私自身もケータイに振り回されている」と。この学生の素直な感性は評価したい。

 なぜあえて「奴隷」というのか。アルコール・たばこ依存症と同じようにケータイを手放せない一種の中毒症状にかかっていると思えるからだ。いいかえれば、ケータイを僕として使いこなすというよりも、むしろ無自覚のまま自らケータイの僕として振り回されているからだ。主人公は機器としての電話であり、携帯者は実は僕になり下がっている。

 講義中に「今、電源を切っているか」と聞いたら、「切っている」と答えた者は皆無である。なぜか。「外から何か連絡が入ってくるかもしれない。それに音の出ないマナーモードにしているから」というのが答えである。そこで私は言った。「連絡が取れないために君たちの一生が狂うような一大事が毎日、時間刻みであるわけはないだろう」と。

▽ケータイ依存症のマイナス

 ケータイ依存症のマイナスをいくつか挙げてみたい。
★日本語力が身につかないこと。
英語や漢字の辞書機能がついており、さらに小説も読めるケータイが増えているが、手軽すぎないか。小説にしても感動とは無縁の小さな画面世界でしかない。友達同士でメールをやりとりするだけでは文章力も上達しない。要するに読み書き、話すという日本語力の原点が確立しにくい。これでは面接など就職試験にパスし、一人前として実社会へ巣立ってゆくことは容易ではないだろう。

★命にかかわること。
ケータイで話しながら、自動車を運転することによる事故は年間3000件近くもある。一寸先には地獄が口を開けて待っているのだ。

★約束を事前に決めてそれを守る、という観念が希薄(きはく)になっていること。
友人同士ではケータイで話しながら時間や場所をその都度決めていくことが習い性となっているからだろう。

★努力し、自らを鍛えるという感覚が疎(おろそ)かになっていること。
勤勉(きんべん)、怠惰(たいだ)という漢字を読めない学生が少なくない。思うに勤勉、怠惰という感覚が欠如しているためではないか。「文明の進歩は便利さをもたらしたが、同時に努力することを忘れさせた」という最近の新聞投書(大学教授)には同感である。

▽学園内ではケータイを捨てよう!

 たしかに便利な機器ではある。生活の必需品だと思い込んでいる者も少なくない。しかしここでよ~く聞いて欲しい。ケータイの虜(とりこ)から自らを解放する志(こころざし)はないか、という問いかけを。そして提案したい。せめて学園内ではケータイを捨ててみよ、と。

 その手で代わりに新聞を掴み、書物を小脇に抱えてみよう。新聞で現実社会の動静(どうせい)を知り、書物を案内役に未知の世界の魅力を探し求める旅へと出発しよう。あるいは分厚い辞書のページを自分の手でめくってみる楽しさを味わってはどうか。友人同士で面と向かって対話を重ねる。
こうした日常的な努力によって日本語力を磨こうではないか。日本語力の基礎が身につかなければ、残念ながらコミュニケーション能力や学力の向上も期待できない。

 もう一つ、ケータイから自由になることによって、いいかえればケータイに拉致(らち)された心を取り戻して、自己を見つめ直そう。自分の立ち居振る舞いを、もう一人の自分が一定の距離をおいて観察するのだ。
 何のために? 自己観察によって自分の足りないところに気づくためとでも言ったらいいだろうか。こうして人間力を高めることに努めよう。

▽人間力とは、人生を生きる知恵

 人間力とは人生を生きる知恵であり、次のようなものが含まれる。
☆動植物も含めて、地球上の生きとし生けるものの命を大切にすること。
☆約束の実行など社会のルールを守ること。
☆手抜き、怠け心を捨てて、汗をかき、自らを鍛えること。
☆自分の職業そして人生をどう選択するか、その選択眼を眠らせないこと。

 こういう知恵が身についていれば、今日のような変化の激しい困難な状況下で人生をいきいきと生きることも、それほどむずかしいことではないだろう。
 今すぐに投げ捨てなかったら、折角の大学生活を活かすことはできないかもしれない。ケータイを再び手にするのは、実社会へ乗り込んでからでも遅くはない。
そのとき君たちはケータイを自主的に使える主人公になっているはずである。もはや奴隷でも、僕(しもべ)でもない。その便利な僕を家庭、地域、組織、日本そして地球の再生と未来の設計のために駆使して貰いたい。
未来を創る機会に恵まれているのは、君たち若者だけである。だからこそ今、ケータイと戯(じゃ)れているヒマはないのだ。このことに気づいて欲しい。


◇ケータイに関する学生の意識調査結果
                              
 上記の「ケータイの僕(しもべ)さん、よ~く聞けよ!」の文章を読んだうえで次の質問に答えて貰った。その調査結果は以下の通り。
 調査に回答(記名入り)した学生数は208名(履修学生総数は372名)。

<問い1>「若者たちを含めて多くの人は、ケータイの奴隷、僕になっている」という考え方についてどう思うか。次のイ)、ロ)のどちらかに○印をつけ、その理由あるいは意見を書いて下さい。      
 イ)そう思う=180名(回答総数の87%) ロ)そうは思わない=28名 (13%)

★「そう思う」理由など:
・一度持ち始めると、本当に中毒症状といえる状態になって、もう手放せない。
・電車の中などでケータイをいじっている人が沢山いる。そういう人たちはケータイがないと、生きていけない「ケータイの僕」になっている。
・ケータイでゲームをしている者も多く、こちらはゲーム依存症と呼ぶべきだろう。
・電話以外の機能が大幅に増え、その目新しさに振り回されている。
・自分がケータイを家に置き忘れたとき、うろたえたのも、一種の奴隷化のように思えた。
・ケータイを持っていないと、不安でしようがない。
・くやしいけど、そう思う。ケータイが手許にないと心配になる。
・ケータイに振り回され、ケータイに自分の人生を使われているように思える。
・テレビで若者達に命の次に大切なものは?と聞くと、ほとんどがケータイと答えた。

☆「そうは思わない」理由など:
・ケータイは持っているが、約束の連絡などにしか使わないので奴隷にはなっていない。
・ケータイがなくても別に困らない。
・ケータイはあまり好きではないので、それほど使わない。

<問い2>ケータイ依存症のマイナスとして「日本語力が身につかないこと」などを挙げているが、これらマイナス点についてどう思うか。自由に意見を述べて下さい。

・小学生にもケータイを持たせる親が増えている。ちゃんと面と向かって話ができないと、佐世保市のような小学生殺害事件を起こしてしまう。
・分からない漢字があると、すぐにケータイに頼って怠け心がついたりする。
・自分の回りにも新聞を読まない人がいるし、日本語力は落ちている。
・ケータイ依存症の共通点は「まわりがみえていない」こと。そこに「迷惑に思う人がいる」ということすらみえていない。
・友人とメールをやりとりするとき、文法を無視する。だから日本語力が伸びなかった。(中国人の留学生)
・その通りだ。日本語力、文章力が全くといっていいほど身につかないと思う。
・難しい漢字の読み書きができなくなっているため、社会に出てから情けない思いをするだろう。
・メールを打てば、勝手に変換してくれて、辞書を引く習慣がなくなった自分が情けない。
・最近は絵文字を使って文章を打っている人が多い。それが日本語力の低下を招いている。
・ケータイの代わりにもっと新聞や書物を読んで、日本語力を身につけた方がいいと思う。

<問い3>学園内ではケータイを捨てよう、いいかえれば使用を止めようという提案をどう思うか。 イ)、ロ)、ハ)のどれかに○印をつけ、その理由を書いて下さい。
 イ)捨てる気になった=22名(11%) (ケータイ不保持者 1名)
 ロ)捨てるかどうか考えてみたい=96名(46%)
 ハ)やはり捨てられない=89名(43%)

☆「捨てる気になった」理由:
・ケータイを使わないようにしないと、頭がおかしくなってしまう。
・ケータイを持ってはいるが、毎日学校に持ってくる必要はない。学校には公衆電話があり、緊急時にはそれを使えばいいからだ。
・昼間からメールや電話はあまり来ない。学校にいる間は使っていない。

◎「捨てるかどうか考えてみたい」理由:
・たしかに緊急の連絡がつねにあるわけではない。
・よく考えてみれば、ケータイはそんなに大切なものではないし、ケータイがないから死ぬというわけでもない。
・ケータイのマナーのこともあるし、依存症のマイナス点もよくわかる。

★「やはり捨てられない」理由:
・自分の都合だけ考えれば、便利だからである。
・授業中とかに使用せず、最低限のマナーがあれば、持っていてもいいと思う。

<問い4>人間力を高めよう、という呼びかけについて感想を述べて下さい 。

・当たり前のことだが、誰もできていない。自分も少しずつ高めたい。
・社会のルールなどを守らない若者が多いので、この呼びかけは今の時代に合っている。
・本学内で非常識な行いが目立つ。他人と比べなければ自己確認ができない若者が多いので、他大学との交流をもつのはどうか。
・「ケータイの僕」になることが新しいルールだということにもなりかねないので、その便利さの誤用を避けるためにも、この呼びかけには賛成したい。
・呼びかけを読んで本当にケータイとじゃれているヒマはないと思った。今自分を鍛えないと、このままで終わってしまう気がした。
・技術が進歩してついつい手抜き、怠け心がついているから、人間力を高めることはいいことと思う。
・私は人生はどれくらい人間力を高めるかで価値づけられると思うから、賛成である。

<問い5>以上のほかに感想や意見があれば、自由に記して下さい。

・友達と一緒にいるのに、話をしないで、ケータイをいじっている。これこそ「ケータイの僕」になっている。
・ケータイについて深く考えたことがなかったので、これからは考えてみたい。
・「便利さ」を追求して、手抜き心が育っている。私は楽をせずに生きたい。
・私は少数派の人間になりたい。
・「一寸先には地獄が口を開けて待っている」。この言葉を噛みしめてケータイの使い方に注意したい。
・ケータイにマナーモードをつけるよりも、人間にマナーモードをつけた方がいい。
・ケータイは人間にとって必要がないかもしれないことが分かった。
以上
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