「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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保身と無責任か、それとも
〈折々のつぶやき〉37

安原和雄
 想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに〈折々のつぶやき〉として記していきます。今回の〈つぶやき〉は37回目。題して「保身と無責任か、それとも」です。(08年5月12日掲載)

▽ 新入社員に贈る出世心得10カ条

 最近の朝日新聞夕刊(東京版)のコラム「素粒子」は大変興味深く読んでいる。4月の某日、つぎのような一文が載っていた。

新入社員に贈る出世心得10カ条
①保身と無責任を肝に銘ずべし
②失敗は全(すべ)て他人のせいにせよ
③偽(ぎ)なくば会社は立たずと考えよ

④闇と圧力にとことん屈すべし
⑤法や裁判所の命令は無視せよ
⑥他の客の迷惑を第一に考えよ
⑦世間の批判に馬耳東風であれ

⑧正義感や気骨、見識は捨てよ
⑨悪事には見て見ぬふりをせよ
⑩つねに尻尾(しっぽ)を振るポチであれ
(以上を守れば諸君も役員に)

〈安原のコメント〉 失望?
 こういう輩が最近たしかに目立つ。もちろん反面教師として描いているのであり、これとは「正反対の人物」待望論が素粒子・筆者の真意であろう。なぜこのような輩がはびこっているのか。やはり弱肉強食、私利第一主義の市場原理主義の横行が背景にある。
5月11日の「サンデープロジェクト」(朝日テレビ)を観ていたら、中曽根康弘元首相がおもしろいことを言っていた。「市場原理主義が経済だけでなく、教育、道徳の分野にまで入ってくるのは弊害をもたらす」と。

 ほぼ同感である。ただ中曽根さんはその市場原理主義の日本への導入者である。顕著になったのは小泉首相時代だが、1980年代の中曽根首相の時から「小さな政府」論と自由化・民営化路線、すなわち市場原理主義が広がり始めた。
 この「弊害」発言は、それに対する反省の弁だったのか、それとも自分が導入者だという自覚はないのか、本音を聞いてみたい。
 
 勝ち組のつもりらしいが、その実、市場原理主義の囚われの身となっている現代版奴隷の群れと評するほかない連中がのさばっているからといって、日本の現状と将来に失望するのはまだ早すぎる。

▽ 運転手さんとおばさんと

 ここでメディアから2つの記事(要旨)を紹介したい。
一つは毎日新聞「日曜くらぶ」に連載の「心のサプリ」(筆者は心療内科医・海原純子さん)で、「他人を守る人たち」(5月11日付)と題する記事である。つぎのように書いている。

 高速道路を走るトラックの車輪がはずれて、対向車線のバスを直撃するという事故が起こった。最初このニュースをきいた時、なぜバスが横転しなかったのだろうと疑問がわいたが、後でこのバスの運転手がブレーキを踏み、サイドブレーキまで引いて止めたということを聞き、胸が熱くなった。運転手はタイヤの直撃を受けていたのである。
 人間はとっさの時、無意識に身を守る。危険を避ける反射が起こるはずなのだ。
(中略)
 自分を守るのではなく、乗客を守った。もし自分を守っていたら、多分命を落とすことはなかっただろう。しかし乗客の多くがケガをしたり、場合によっては亡くなる人もいただろう。
 乗客の話によると、バスは静かにゆるやかに停車した。運転手の方は何十年も無事故で、運転を指導する立場にいらしたという。職業意識もさることながら、とっさの時に自分を守るのを忘れ、人を守るというのは、その方の普段の生き方の反映なのだろう。
(中略)
 「死んじゃったらおしまいさ、人はすぐ忘れてしまう」などと言う人もいるだろう。でも、そうではない。私はそうした人たちの心を忘れたくない。他人を助けるために命を落としてしまう警官や学生もいる。みな声高に自分の行動をひけらかさない。見返りも求めない。すべて普段の心の反映なのである。(後略)

 もう一つは朝日新聞「声・若い世代」欄に載った「あのおばさん 一生忘れない」(5月11日付)というタイトルの投書(小学生 11歳)である。その趣旨は以下の通り。

 雨の日の夜、僕は塾の帰りに自転車置き場で手がすべり、自転車の鍵をなくしました。木の根元をおおった網の中に落としてしまったのです。
 雨が激しく降ってきてびしょびしょになるし、ダンゴ虫もいっぱいいて、泣きそうになってしまいました。そうしたらお母さんよりちょっと年上のおばさんが、通りすがりに「どうしたの?」と声をかけてくれました。
 おばさんは自分のかさで取ろうとしてくれましたが、なかなか取れません。近くのお店から懐中電灯、長い定規などを買ってきて、ようやく鍵を取ってくれました。おばさんの手は土だらけ、身体も雨でびしょぬれでした。
 僕は名前を聞くのも忘れ、ただ「申し訳ありませんでした」「本当にありがとうございました」としか言えませんでした。
 僕はそのおばさんを一生忘れないと思いました。これから僕も人を助ける心の優しい人になりたいと心の中で決心しました。

〈安原のコメント〉 希望へ
 以上の2つの事例にみる運転手さんとおばさんの行為は、保身と無責任、私利第一主義の対極に位置する思いやり、利他行為ではないだろうか。小学生は「これから僕も人を助ける心の優しい人になりたい」と決心したわけで、どこまで大きく成長していくのか楽しみである。これだから日本の将来も棄てたものではない。混乱の中の現実に希望を見出した気分になっている。


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コメント
この記事へのコメント
運転手さんの話、涙が出そうになりました。
自分もいざというときそういう人でありたいと思います。

それに引き換え、出世心得の方は・・・

法や裁判所の言うことも最近は出世狙いというか狂っていて、唖然とさせられることが多いです。

われわれの、権力を見張る努力が試されていると思います。
2008/05/12(月) 14:38:54 | URL | ユータ #-[ 編集]
こころ豊かになるお話し
ユータさん、早速感想をいただきました。感謝します。
運転手さんの事故のお話は当時、ニュースとして報道されましたが、今回改めて「心のサプリ」で読んでみて、正直言って目頭が熱くなってきました。なぜこういう立派な人が急いであの世に往かねばならないのか、という思いもつのってきました。

おばさんと小学生の出会いも素晴らしいひとときではないでしょうか。
素敵なおばさんですが、その好意をがっちりと心で受け止めた小学生も心の豊かさを感じさせてくれます。こういう少年達が沢山登場してくれば、日本の未来は安泰です。
今晩、祝杯でも挙げますか。
2008/05/12(月) 16:21:38 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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