「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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クジラを救ったイルカ「モコ」
人間としていと恥ずかしき物語

安原和雄
 2008年3月中旬のある日のこと、外電によると、ニュージーランドで浜辺に乗り上げたクジラの母子がイルカの水先案内で助かった。人間は助けることができなかったのに、どこからともなく現れたイルカ「モコ」― 地元の人たちはそう呼んでいる ― がその親子を救ったのだ。イルカと人間の知恵比べはイルカに軍配があがった形で、人間としていささか恥ずかしい始末となった。(08年3月18日掲載)

 [ウェリントン 3月13日 ロイター] ニュージーランド北島の東部マヒアで、浜辺に乗り上げたクジラ2頭をイルカが助け出すという出来事があった。現地の自然保護当局の職員が13日に語った。
 このイルカは今回クジラが打ち上げられた浜辺によく姿を現しており、地元では「モコ」と呼ばれている。
 自然保護当局の職員マルコム・スミス氏は「私の知る限り、こうした出来事が記録されたのは初めて」としている。

 スミスさんによると、母子とみられる2頭のクジラを海に戻そうとする試みは何度か行われたものの、方向感覚を失ったクジラは繰り返し浜辺に打ち上げられてしまい、あきらめかけていたときに「モコ」が姿を見せた。
 スミスさんは「イルカがやって来たときクジラの態度が明らかに変わった。即座に反応した」と当時の状況を説明。「イルカはわれわれが1時間半かけてできなかったことを数分で片付けた」と語った。(以上は外電)

▽人間、イルカ、クジラ ― みな、いっしょだから

イルカならやりかねないなあ、と思う。
言葉を使わなくたって、しぐさや目線から、思いは伝わってくる。
人間も犬や猫もイルカもクジラも。

遊ぼう~♪というとき。
しょうがない、相手してやるよ、というとき。
ごめん今忙しい、というとき。
どけどけー!というとき。

別にテレパシーとか呼ぶほどのものでもない。

前に書いたかもしれないけど、
台風の日、イルカと遊んだあと、ひとりでいつまでも海の中にいたら、
一頭のイルカが戻ってきて、私のまわりをくるっと一回り。
ちょっと厳しい表情で
「オマエ、あぶないからもう帰れ。わかったな」と言った。

「ごめん、ありがとう、そうします~」
と言って、船に上がった。

船長が「あれ?どうしたの?」

「イルカに怒られた。あぶないからもう帰れって」

「そっか。じゃあ帰ろう」
当たり前のようにうなずく船長。
わかってるんだ。

頭の良さ。遊び好き。ワイルドさ。好奇心。気まぐれ。思いやり。
「モコ」は、「当然のことをしただけだよ」
と思っていることだろう。

人間、イルカ、クジラ・・・って分けて考える人が多いけど、
彼らは分けて考えてない。
いっしょだから。
分けて考えていなければ、
人間たちだって、クジラを救うことができたのかも

(以上は、外電も含めて《[mixi]marujunさんの日記/人間、イルカ、クジラ》から転載しました)


〈安原のコメント〉イルカの智恵に負けた万物の霊長・人間様

「事実は小説よりも奇なり」というが、このイルカ物語は、そのひとつに数えられないだろうか。
ただ「奇」といってはイルカに申し訳ないような気もする。「自然なことをしたまでよ」とイルカは思っているだろうから。

このブログは「仏教経済塾」と銘打っている。
だから考え方の背景に仏教思想がある。
このイルカ物語を読んで、ふと空想にとらわれた。
イルカこそ仏教の菩薩行を実践しているのではないか―と。
つまりクジラを助けたのは、仏教・「不殺生戒」の実践である「いのちの尊重」であり、さらに「世のため人のため」に尽くす「利他行」そのものではないか―と。

そのうえこうも感じないわけにはいかない。

「正義」の旗を掲げて軍事力と戦争によって殺生に明け暮れる世界一の軍事大国。
その「正義」の旗は泥まみれで腐食が進み、世界中から反発と失笑を買っているにもかかわらず、それに気づこうともしない軍事大国。
その一方で「調査捕鯨」などという名目でクジラの殺生に余念のない経済大国。
あるいは目先の小利に目が眩(くら)んで右往左往している世界の無数の人間様。

経済大国の最近までの宰相、Kさんの語り口、「人それぞれ」を借用すれば、「国もそれぞれ勝手に」ということになるのかも知れない。

しかしそれにしても、いのちある自然界の多様な存在に比べて、格別偉いわけでもないのに、「人間は万物の霊長」と勝手に思いこんだときから歯車が狂ってきたらしい。
イルカの、知識ではなく、智恵に敵わなかった人間様―という事実は人間としていささか赤面の想いがする、と。


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コメント
この記事へのコメント
考えさせられるお話の紹介をありがとうございます。
人間は、自然の一部であることを思い出すことがわたしたちひとりひとりの急務ですね。

一方、おっしゃるとおり、

>その一方で「調査捕鯨」などという名目でクジラの殺生に余念のない経済大国。

ですね。

朝日新聞の下記世論調査を見てため息が出ました。

アンケート文中の説明が、悪しき誘導に満ち満ちています。
調査捕鯨は調査ではなくて実際には食用=消費=利権が目的なのに。
こうやって得た数字を盾に、ますます利権を太らせるのでしょうか。

国民をバカにするなと言いたいです。

http://www.asahi.com/food/news/TKY200802060421.html
クジラを食用に 賛成56%、反対26% 本紙世論調査
2008年02月08日
 クジラを食用にすることに賛成の人は56%で、反対の人も26%いることが、朝日新聞社が2、3日に実施した全国世論調査(電話)でわかった。日本の調査捕鯨の継続には65%が賛成している。いずれも賛成意見は中高年層に特に多く、男女別では女性に反対意見が目立つ。食用について女性の20代、30代では反対が賛成を上回った。


クジラを食用とすることの賛否
 「クジラを食用にすることに賛成ですか。反対ですか」との質問に対し、男性は70%が賛成と答え、40~60代の男性では8割近い。これに対し女性の賛成は44%にとどまり、反対の34%と接近している。
 また、「日本は南極海などで調査を目的として捕鯨を続けていますが、これに対して海外で批判が強まっています」としたうえで、「調査捕鯨を続けることに賛成ですか。反対ですか」と聞いたところ、賛成65%、反対21%で、賛成の割合はクジラ食用の質問より多かった。賛成は男性で75%、女性で56%だった。
2008/03/19(水) 08:20:21 | URL | 一国民 #-[ 編集]
自然の中の人間
一国民さんへ。
懇切なコメントを頂戴しました。感謝します。

冒頭でご指摘の「人間は、自然の一部であることを思い出すことがわたしたちひとりひとりの急務」は、その通りですね。
若干、補足すれば、人間は自然界のいのちある動植物と平等・対等だということです。人間だけが格別偉いわけではないとは、そういう意味です。

ところがご紹介頂いた朝日新聞の世論調査によると、「人間と動植物とは平等・対等」だという意識はあまりうかがえません。
むしろ美味しいもの、好きなものを食してどこが悪いのか? という姿勢です。これでは罰が当たります。

仏教では不殺生といいながら、現実には動植物を殺生して、腹の中にいただかなければ、人間はいのちをつなぐことができない、と考えます。
だから無益な殺生は抑え、感謝しながら動植物のいのちをいただくことになります。
調査捕鯨にかかわっている人たち、さらに食している人たちにこういう感覚が果たしてあるのか、です。
2008/03/20(木) 12:13:27 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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