「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
いのちの尊重と仏教経済学
いのちの尊重と仏教経済学

安原和雄
「仏教経済塾」は仏教経済学の立場からエッセーや主張を書いている。では仏教経済学とはどういう経済学なのか。大学の経済学部で教えている現代経済学とどう異なるのか―という疑問を抱かれるに違いない。そこで仏教経済学の特質、そこから導き出される政策提案について大まかに紹介したい。
以下は平成16年度足利工業大学公開講座(共通テーマは「心・いのち・地球 宗教対話のなかから」)の一つとして、私が行った講演「いのちの尊重と仏教経済学ー地球環境時代に生きる智慧」(2004年12月9日実施、『足利工業大学総合研究センター年報』第6号・05年6月に掲載)の概要である。『年報』掲載以後の新しい動きについては<補注>を新たに加えるなど「仏教経済塾」用に加筆補正した。(05年12月22日)

Ⅰ.地球環境時代とは=「いのちの尊重」が合い言葉

われわれは今、どういう時代に生きているのか。そしてどう生きたらよいのか。こういう視点、感覚の欠落した人生はつまらない。道を踏み外さないためには、まず正しい時代認識が不可欠である。それは今、地球環境時代に生きているという明確な自覚を持つことから始めたい。
地球環境時代とは、20世紀後半(第2次大戦後から1990年頃まで)の経済成長時代がもたらした巨大な矛盾と破局(=大量生産・消費・廃棄→資源・エネルギーの浪費→地球環境の汚染・破壊→地球の生命共同体の汚染・破壊→いのちの基盤の破局)からどう脱出し、いのちの持続性をいかに確保するか、平凡な表現を使えば、「いのちの尊重」が合い言葉となってきた時代といえよう。

▽自然災害は天災? それとも人災?

ここで問題を出したい。
#問い:最近の地球上の自然災害は天災なのか? それとも人災なのか?
#答え:結論を急げば、実は人災という認識をもつのが正しい。

以下にいくつかのデータとその背景を説明する。
*2003年に自然災害で亡くなった人は合計6万7800人(欧州を中心に異常高温で 3万2400人、イラン南東部の大地震で2万9600人など)。前年の1万2400 人から5倍以上に増えた。
*日本では04年夏の台風で死者・不明者は220名を超えた。さらに新潟中越地震で約 40名。台風で地盤がゆるんでいるところへ大地震が来て犠牲を大きくした。
*米本土、カリブ海諸国は、04年夏、大型ハリケーンのため2700人を超える犠牲者 を出した。
*背景に地球温暖化が進み、異常気象を引き起こし、それが大規模な気象災害をもたらし ているという事情がある。生産・消費という経済活動のほか、自動車利用など日常の暮 らしで石油を大量消費していることが地球温暖化の原因である。だから人災の要素が多 分にある。人間の日常的な行為が、「明日は我が身」「明日のいのちも分からない」という危機を招いていることを自覚したい。

<補注>国際通貨基金(IMF)のスマトラ沖大地震・インド洋大津波(04年12月26日発生、インドネシアなど7カ国が被災)に伴う被害に関する中間的調査(毎日新聞、05年2月23日付)によると、死者・行方不明者が約30万人、避難民が約150万人に上った。一方、被害総額は62億~72億ドル(約6500億~7500億円)に達し、国別ではインドネシア40億~50億ドル、スリランカ10億ドル、モリディブ4億ドルが主な被害額である。地球温暖化による海面上昇が津波の被害を大きくしたという指摘もある。

Ⅱ.いのちを壊す文明=現代経済学の大きな責任

上述のような現状は、「〈いのち・自然〉を浸食する〈文明〉」と表現することもできるるのではないか。いいかえれば、文明がのさばり、いのち・自然を浸食し、汚染・破壊を進めて、地球上の人間・動植物も含めた生きとし生けるものすべての「いのち」の基盤が破局に直面しつつあるのだ。

21世紀初頭の今、われわれ地球人は、文明が一段といのち・自然に食い込んでいく「破局」へと突き進むのか、それとも進路を大きく転換して「安定」に立ち戻るのか、その分岐点に立っている。いいかえれば「狂気」の現状からどう「正気」を取り戻すか、歴史的な選択を迫られている。これは次のように言い直すこともできよう。従来型の持続不可能な経済成長路線に執着するのか、それとも持続可能な発展を追求する路線へと大きく舵を切るのか、そのどちらを選択するのか、と。

もう一つ重要な点として、仏教経済思想が現代経済思想(注)を押し返せるかどうかが大きな課題になってきたことを指摘したい。横暴な文明を後押ししているのが現代経済思想であり、それによっていのち・自然を浸食し、地球環境の汚染・破壊を進めているのだから、現代経済学者たちの責任は大きい。これに対抗して地球環境時代にふさわしい新しい経済思想を構築しなければならない。それが仏教経済思想である。
 (注)現代経済思想とは、イギリスの経済学者、ジョン・M・ケインズ(1883~1946年、主著は『雇用、利子および貨幣の一般理論』・1936年)のケインズ経済学(財政赤字による経済成長義)、最近の自由市場原理主義(ブッシュ米大統領・小泉首相チームによる規制緩和・廃止、民営化、強者優先・弱肉強食の経済思想)などを指している。

Ⅲ.仏教経済学=「足るを知る経済」を求めて

地球環境時代の21世紀において「いのちの尊重」を実現させるには何が求められているのだろうか。今日ほどいのちが粗末に扱われ、自然や人間の生命が無造作に奪われていくことが日常茶飯事になっている時代がかつてあっただろうか。わが国の平和憲法第13条は「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」をうたっているが、この条文は第9条(戦争放棄と戦力の不保持、交戦権の否認)と同じように事実上空洞化しているというほかない。どうしたらよいのだろうか。生き方、暮らしのあり方、経済の構造を根本から変革する以外に妙策はあり得ない。

そのためにはまず新しい経済思想としての仏教経済学の構築が急務である。それでは仏教経済学(別称「知足=ちそく=の経済学」)は現代経済学(別称「貪欲=どんよく=の経済学」)に比べどのような特質、質的差異が考えられるのだろうか。いち早く仏教経済学を提唱したのは、ドイツ生まれの経済思想家、エルンスト・F・シューマッハー(注)である。彼は仏教経済学の特質に関連して次のように喝破した。「仏教抜きの経済学は、愛情のないセックスと同じである」と。
 (注)シューマッハー(1911~77年)の主著は世界的ベストセラーになった『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学』で、この中で「仏教経済学」と題した章を設けて論じている。1955年、当時のビルマ(現ミャンマー)政府の経済顧問に招かれ、仏教信者とも交流を重ねた。キリスト教(カトリック)信徒であるが、ヨガの実践に関心を抱くなど異色の経済思想家である。

▽仏教経済学は現代経済学とどう異なるのか

シューマッハーが唱える仏教経済学に私なりの主張も加味して仏教経済学と現代経済学の大まかなイメージ比較を試みたい。

<仏教経済学>         <現代経済学>
地球環境時代           経済成長時代
いのちの尊重             無視  
人間は自然の一員        自然を征服・支配・破壊

知足(簡素)と非暴力(平和)  貪欲(浪費)と暴力(戦争)
利他主義              利己主義
非貨幣価値を尊重        拝金主義

共生・相互依存・平等       孤立・分断・差別
個性を磨く競争・連帯       弱肉強食・人間は手段

持続可能な「発展」         持続不可能な「成長」
脱「経済成長主義」          経済成長至上主義
(脱「石油浪費経済」)        (石油浪費経済)
 
▽「いのちの尊重」がキーワード

イメージ比較について若干の説明を加えたい。
仏教経済学は仏教の考え方を経済に活かすことをめざしている。何よりもいのち・自然を尊重し、人間は自然の一員という立場をとる。現代経済学がいのちを無視して視野の外に置き、しかも人間は自然とは対等ではなく、むしろ自然を征服・支配・破壊する対象として捉えるのと大きな違いである。だから仏教経済学は地球環境を大切にすることが求められる地球環境時代にふさわしい新しい経済思想である。

仏教経済学は欲望について知足(足るを知ること)を旨とし、簡素、非暴力(=平和)を実践し、「足るを知る経済」すなわち脱「石油浪費経済」(=脱「経済成長主義」)の構築をめざす。だから別称・知足の経済学ともいえる。

これに対し現代経済学は貪欲すなわち「もっともっと欲しい」という欲望の肥大化を是認する。貪欲は浪費、暴力(=戦争)を求める。それは同時に石油浪費経済(=「経済成長至上主義」)につながる。ケインズは貪欲のすすめを説いており、「地震や戦争も富の増進に役立ち得る」とさえ述べている。地震は新たな復興需要をもたらし、戦争は兵器生産などを通して軍需景気を促し、それが生産増大、経済成長を可能にするだろうと言いたいのである。現代経済学を別称・貪欲の経済学と性格づけるのは決して誇張ではない。

▽異なる人間観―利他主義と利己主義

人間観も大きく異なっている。現代経済学は利己主義、すなわち個人や企業の自己利益を優先させる人間観を前提にして理論をつくりあげている。たしかに自分さえよければそれでよいという、身勝手な人間が増えた。これは犯罪に走り勝ちな拝金主義にもつながっている。昨今、世の乱れは目を覆うものがあるが、その一半の責任は現代経済学の利己主義にあることを強調したい。

これに対し仏教経済学は「世のため、人のため」を重視する利他主義という人間観を前提に構想する。仏教では「自利利他の調和」、すなわち利他主義が結局自分の活力、感謝、安心をもたらすと説く。これはお金では買えない非貨幣価値(=非市場価値)を重視する発想でもある。例えば電車の中で座席を譲るのも立派な利他主義の実践であり、非貨幣価値を重視する行動である。

仏教経済学は共生を重視する。人間同士だけでなく、人間と自然との共生も重視する。なぜなら人間は自分一人の力で生きているのではなく、他人様のお陰で生きているからである。また自然からの恵みをいただきながら人間はいのちをつないでいる。だから人間同士、さらに人間と自然との相互依存関係を大切に考える。人間に限らず、動植物も含めて地球上の生きとし生けるものすべてのいのちは相互依存関係の中でのみ生き、生かされている。ここから人間も、人間と自然もそれぞれお互いに対等・平等の地位にあると認識する。

これに反し、現代経済学には共生・相互依存・平等という感覚は欠落している。人間はそれぞれが孤立・分断された個人にすぎない。そこには差別が生じやすい。また人間と自然とは切り離された状態にあり、人間が自然を開発・征服するのは当然と考えやすい。

▽競争―オンリーワンとナンバーワン

競争についてはどうか。仏教経済学も競争は重視する。なぜなら競争のない社会は活気とは無縁であり、停滞するからである。しかし競争はそれぞれの個性を尊重し、その個性を磨く、あるいは個性を生かす競争のすすめを説く。今風にいえば「オンリーワン」をめざす競争である。いいかえれば他人との競争というよりも、自分をより高めるための自分との競争である。ここから相互の連帯感も生まれる。

一方、現代経済学のすすめる競争は弱肉強食、優勝劣敗である。強者が弱者を打ち負かして当然という競争である。「オンリーワン」ではなくて、「ナンバーワン」をめざす競争といえる。これは今日の効率・利益至上主義に走る競争であり、ほんの一握りの「勝ち組」がその他大多数の「負け組」を見下す競争でもある。「勝ち組」といえども明日には自分が「負け組」に転落する悲劇が待ちかまえている競争である。この場合、人間は効率や利益の手段でしかない。人間尊重、ましていのち尊重という視点とは無縁である。

Ⅳ.持続可能な発展=環境保全と質の充実と平和と

ここで仏教経済学の柱の一つであり、21世紀のキーワードともいうべき「持続可能な発展」(Sustainable Development=持続的発展)について概略説明しておきたい。持続可能な発展は、国連主催の第1回地球サミット(1992年ブラジルのリオで開催)が打ち出して以来、広く世界で知られてきた概念、思想で、そのポイントは次の3点に集約できる。
*生活の質的改善を、生態系など自然環境の収容能力・自浄能力の限度内で生活しつつ、達成すること=量の拡大(経済成長至上主義=石油浪費経済)から質の充実(脱「経済成長主義」=脱「石油浪費経済」)への転換
*動植物、人間すべてのいのちからなる生命共同体を尊重すること=21世紀の平和観
*戦争は、持続可能な発展を破壊する性格を有する。平和、発展および環境保全は相互依存的であり、切り離せないこと=戦争、テロなど一切の暴力を拒否

以上をまとめていうと、持続可能な発展(=持続的発展)は、地球環境の保全と生活の質向上の両立を図り、戦争などの暴力を拒否することを指している。具体的には長寿・健康・教育さらに政治的自由と人権の保障、生産・消費の抑制と廃棄物の削減(=脱「石油浪費経済」)、失業の解消、公平な所得分配と所得格差の是正、生物学的な多様性を含む自然環境の保全、文化的・精神的充足感、軍事支出の削減、軍事同盟の解消―などが挙げられる。

▽持続的発展への新たな脅威

第2回地球サミット(=ヨハネスブルグ・サミット。2002年秋、南アフリカのヨハネスブルグで開かれた国連主催の世界サミット)は、その宣言で持続的発展にとって以下のような新たな脅威を指摘したことを紹介しておきたい。
貧富の格差拡大、市場のグローバル化(地球規模化)が招く不平等、飢餓、人種・宗教差別、水・衛生施設などの不足、組織犯罪、エイズ、武器・人身売買、テロ、占領、軍事衝突など。

これからも分かるように持続的発展は社会、経済、生態、文化、軍事にわたる包括的な内容からなっていることを理解する必要がある。ところが現代経済学の立場から持続的発展について「経済成長と環境保全の両立」をめざすものと誤用されることが少なくない。経済成長は「量の拡大」を意味しており、持続性は不可能である。経済成長への執着こそが地球環境の汚染・破壊を招く元凶であり、「質の充実」とは両立しないことを認識する必要がある。

Ⅴ.暮らしと経済社会の変革プラン=簡素、非暴力を軸に

仏教経済学の性格は次のように表現することもできよう。「コンクリートのすき間を縫って芽生えてきた緑の草花」と。ここでのコンクリートはいうまでもなく科学技術・石油文明を指している。この緑の草花はまだ大きくはないが、雑草のように生命力はたくましい。やがてコンクリートを覆いつくすときが来るだろう。そしてコンクリートに取って代わるには具体的な変革プランが必要である。

それは(1)簡素な暮らし(シンプルライフ=いのちの尊重)に切り替え、定着させること、(2)簡素な経済(シンプルエコノミー=脱「石油浪費経済」)に大胆に転換すること―の2本柱からなる「日本グリーン化構想」である。

具体的には循環型社会づくり、財政・税制のグリーン化(高率環境税の早期導入と消費税の廃止など)、農業再生と食糧自給率向上、人命・環境破壊型車社会の構造改革、化石燃料(石油、石炭など)から自然エネルギー(風力、水力など)への転換、ワークシェアリング(仕事の分かち合い、就業機会の確保)、健康人を増やす医療改革、戦争・テロ・暴力の拒否―などを視野に収めた日本改革プランである。
しかしここではいのちや非暴力に深くかかわっているテーマに絞って提案したい。

1)「いただきます」の復活、普及を

まず「いただきます」の復活、普及である。私はここ数年来、折にふれて「お陰様で」、「もったいない」とともに「いただきます」の必要性を強調してきた。これによっていのち、節約・感謝の精神を日常の暮らしの中で大切にしようといいたいのである。

#問い:食事前に唱える「いただきます」の意味は? 大量の食べ残しをどう考えるか?
#答え:動植物のいのちをいただくという意味である。人間は動植物のいのちをいただいて自分のいのちをつないでいるのだから、そこに感謝の気持ちが生じるのは当然のことである。また不必要に食べ物を摂取しすぎないこと、すなわち節約の心も大切である。
千利休(注)は「食は飢えぬほどにて事足れり」という至言を残している。
 (注)千利休(せんのりきゅう、1522~1591年)は、安土桃山時代の茶人で、簡素・清浄な茶道を大成した。

▽食べ残しは、いのちを粗末にすること

大量の食べ残しはいのちをゴミと同じ感覚で捨てることを意味するから、ひいては人間のいのちをも粗末に扱うことになる。戦後の高度経済成長と使い捨ての時代になって以降、「いただきます」の意味を理解した上で食事を摂っている人が少なくなった。「いただきます」の含意を正しく理解することは、モラルの再生のためにも不可欠である。

もう一つ大事なことは、折角いただいたいのちをどう活かすかである。もちろん「世のため、人のため」に活かすことであり、これが利他主義の原点となる。だからこそ「いただきます」を「お陰様で」、「もったいない」と並んで復活、普及させることは重要なテーマといえる。

<補注>毎日新聞社の招きで、2005年2月に来日したケニアの環境保護活動家(ケニア副環境相)でノーベル平和賞(04年)を受賞したワンガリ・マータイ女史は東京、名古屋、京都を訪ね、「日本語の〈もったいない〉という言葉を世界語にしたい」と繰り返し説いた。地球環境保護のために資源・エネルギーを節約するには、日本文化に根づいた〈もったいない〉ほど簡潔にして適切な言葉はない、という認識からである。
多くの日本人が忘れかけていたこの日本独自の言葉がもつ深い価値を遠いアフリカからやってきた人の口から指摘されるとは、日本人としていささか恥ずかしい。

2)戦力なき「地球救援隊」の創設を

次はアメリカ主導の大義なき戦争にストップをかけるためにも、平和憲法第9条(戦力の不保持)の理念を活かして、自衛隊を戦力なき「地球救援隊」(仮称)に全面改組することを提唱したい。
テロ制圧と自由・民主主義を目標に掲げたアメリカ主導のアフガニスタン、イラクへの戦争はアメリカの覇権主義に根ざした武力行使であるが、その狙いの一つは石油確保にある。さらに戦争は人命、生活、自然環境を破壊する元凶そのものである。こういう戦争に正義はないし、「人道支援」という名目にせよ、日本の自衛隊を派兵しなければならない正当な根拠はない。同時に平和憲法第9条(戦争放棄、戦力不保持)を改悪しようとする動きが自民党を中心に顕著になりつつあることは見逃せない。

<補注>自民党は05年11月22日の「立党50年記念党大会」で新憲法草案を正式発表した。その中で現行憲法9条1項の「戦争放棄」は残しているが、肝心の2項「戦力の不保持と交戦権の否認」を削除し、「自衛軍の保持」を明記している。正式の軍隊を持ち、海外で武力行使ができることを憲法上認めようという改悪である。

▽「平和憲法は宝」と海外で高く評価

まず強調したいのは憲法第9条は海外で評価が高く、改悪に反対の声が高まっていることである。一例を挙げれば、元上智大学長、イエズス会神父のヨゼフ・ピッタウ師(イタリア人)は「日本の平和憲法は宝。改憲はとんでもない」という意見の持ち主である。平和憲法の理念を活かすためには、ミサイル防衛など戦力の質的増強を図る自衛隊を戦力なき組織に全面改組することが求められる。

次に地球環境時代の脅威は多様であり、例えば地球温暖化―異常気象によって多数の犠牲者が続出するという非軍事的脅威こそ主要な脅威であり、外国からの軍事的脅威は決して主要な脅威ではないことを認識する必要がある。いいかえれば地球環境時代の主要な脅威にはミサイルや戦闘機は無力である。従って地球環境時代にふさわしい救援組織の創設が急務である。

さらに現代経済学、すなわち貪欲の経済学は「戦争は富の増進に役立つ」として武力行使を容認するが、仏教経済学、すなわち知足の経済学は、いのち・自然を尊重する立場から武力行使を含む暴力を拒否する。こういう仏教経済学の考え方から自衛隊の戦力なき組織への全面改組という方向が必然的に導き出される。

▽戦力なき地球救援隊構想の概要

さて戦力なき地球救援隊構想の概要は次の諸点からなっている。
*地球救援隊は軍事的脅威に対応する組織ではなく、非軍事的脅威(大規模災害、感染症 などの疾病、水不足、不衛生、飢餓、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的 救助・支援をめざすこと。
*活動範囲は内外を問わず、地球規模であること。特に海外の場合、国連主導の国際的な 人道的救助・支援の一翼を担うこと。
*自衛隊の戦力なき「地球救援隊」(仮称)への全面改組であること。従って地球救援隊 と自衛隊とが共に併存するものではないこと。

*自衛隊の全面改組を前提とする構想だから、自衛隊の装備、予算、人員、訓練などの質 の改革を進めること。
・装備としては戦闘機、ミサイル、武装ヘリコプター、戦車、護衛艦、潜水艦、対潜哨戒 機、弾丸などの兵器は廃止し、人道救助・支援に必要なヘリコプター、輸送航空機、輸 送船、食料、医薬品などに切り替える。特に台風、地震、津波など大規模災害では陸路 交通網が寸断されるため、空路による救助・支援が不可欠となる。それに備えて非武装 の「人道ヘリコプター」を大量保有する。
・防衛予算(現在年間約5兆円)、自衛隊員(現在定員は約25万人)を大幅に削減し、訓 練は戦闘訓練ではなく、救助・支援の訓練とする。

*NPO(非営利団体)、NGO(非政府組織)などと緊密な協力体制を組むこと。
*必要な新立法を行うこと。例えば現行の自衛隊法は自衛隊の主な行動として防衛出動、 治安出動、災害派遣の3つを定めているが、このうち災害派遣を継承発展させる方向で 新立法を行う。自衛隊法ほか有事関連法は廃止すること。

▽宮沢賢治の慈悲と利他の心

以上のような地球救援隊構想にはイメージとして宮沢賢治(注)の「雨ニモマケズ」の慈悲と利他の心が込められている。
 (注)詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)は岩手県生まれで、花巻で農業指導者としても活躍し、自然と農業を愛した。日蓮宗の信徒として仏教思想の実践家でもあった。

「雨ニモマケズ」の大要を紹介したい。
雨ニモマケズ   風ニモマケズ 
慾ハナク  イツモシヅカニワラッテイル
(中略)
東ニ病気ノコドモアレバ  行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ  行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ  ツマラナイカラヤメロトイヒ
(中略)
サウイフモノニ   ワタシハナリタイ

この詩を地球規模の視野に立って、21世紀版「雨ニモマケズ」として読み替えれば、何がみえてくるか。「南ニ死ニサウナ人アレバ」は発展途上国の栄養失調、病気、飢餓、劣悪な生活インフラで苦しんでいる10億人を超える人々のことであり、「北ニケンクワ(喧嘩)」とはアメリカ(北米)主導のアフガニスタン、イラクへの攻撃を指している。たしかに「ツマラナイカラヤメロ」という声は地球上を覆いつつある。

最後の「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」は「そういう国に日本はなりたい」と読み直したい。宮沢賢治が今生きていれば、そう詠い直すに違いない。賢治の深い仏の心と詩情が戦力なき地球救援隊の創設をしきりに促していると受け止めたい。こういう道を大胆に選択することこそが地球環境時代に生きる智慧といえるのではないか。


<参考文献>
E・F・シューマッハー著/小島慶三ほか訳『スモール イズ ビューティフルー人間中心の経済学』(講談社学術文庫、1989年)
同著『スモール イズ ビューティフル再論』(同、2000年)

安原和雄著『足るを知る経済ー仏教思想で創る二十一世紀と日本』(毎日新聞社、2000年)
同「日本をどう創り直すかー仏教経済思想に立って」(足利工業大学研究誌『東洋文化』第23号、2004年1月)
同「二十一世紀版小日本主義のすすめー大国主義路線に抗して」(同第24号、2005年1月)
以上
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。