「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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二度とない人生だから
〈折々のつぶやき〉33

安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。
 「二度とない人生だから」という趣旨の一文を近隣の味で評判の寿司屋さんでお土産としていただいた。今回のお土産話は第8話。〈折々のつぶやき〉33回目。(07年9月20日掲載)

◇二度とない人生だから

二度とない人生だから 二度とない人生だから
一輪の花にも 無限の愛をそそいでいこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳を傾けよう

二度とない人生だから 一遍でも多く
便りをしよう
返事はかならず書くことにしよう

二度とない人生だから まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど心豊かに接していこう

二度とない人生だから 一匹のこほろぎでも
踏み殺さないように 心してゆこう
どんなにか喜ぶであろう

二度とない人生だから つゆ草のつゆにも
めぐりあいの ふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから のぼる日しずむ日
まるい月 欠けてゆく月 四季それぞれの
星々の光にふれて
わが心を洗い清めてゆこう

▽安原のコメント― 人間は自然の一員

 ひとくちに言えば、自然への感動と感謝の詩である。人間は日頃偉そうに自力で生きているようにみえても、しょせん自然の恵みによって生かされている、そういう真実への感動と感謝の心をうたっている。仏教では「人間は自然の一員」、いいかえれば人間が自然を支配しているのではなく、その逆に自然のお陰で生かされている―という考え方に立っている。

 こういう考え方は、実は仏教に限らない。
 具体例を紹介しよう。
 1982年の国連総会で採択された「世界自然憲章」の前文は「あらゆる生物はかけがえのないものであり、人間にとって価値があるかないかに関係なく、それ自体、尊敬に値する」と述べている。
 もう一つ、国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)、世界自然保護基金(WWF)の共同報告『新・世界環境保全戦略 かけがえのない地球を大切に』(Caring for the Earth―A Strategy for Sustainable Living,1991)を紹介したい。「生命共同体の尊重と保全」について次のように述べている。
 「互いの人々および地球に対し、私たちが示すべき尊重と思いやりは、持続可能な生活様式のための倫理という形で表現される。(中略)そして自然は人間の必要を満たすために守るだけでなく、本来それ自体、保護されなければならない。(中略)すべての生物種と生態系は、人間にとって利用価値のあるなしにかかわらず尊重しなければならない」と。

 以上のように「あらゆる生物あるいは自然は、人間にとって価値があるかないかに関係なく、それ自体、尊敬に値する、あるいは保護されなければならない」という認識は、生命中心主義、自然の権利を尊重する思想を表明したものであり、その思想は今や国際的に認知されているといえよう。
 この共同報告『新・世界環境保全戦略 かけがえのない地球を大切に』が発表された翌年(1992年)の第一回地球サミットのキーワード、「持続可能な発展」(=持続的発展・Sustainable Development)という概念、思想は、生命・地球中心主義と深く結びついている。

 以上のような「人間は大きな自然の一員にすぎない」という真理が理解されて、人間が謙虚になれば、いいかえれば貪欲なこころを捨てることができれば、この世から争乱が絶えて、もっともっと安穏な環境を手にすることができるのではないか。詩「二度とない人生だから」は、そのことを問いかけているような気がする。


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コメント
この記事へのコメント
【人間は、大きな自然の一部に過ぎない】という命題から、
すべてがスタートするとしたら、
この世はどんなに変わることでしょう。

まず、経済が変わることでしょう。
自然の回復力を超えて「開発」や「発展」を行なうことは、
わたしたちにとって前進でも進化でもなく、
わたしたちを損ない、破壊することだと知れば、
わたしたちが、自然の恵みを今日どのくらいいただくことができるのか、
おのずから明らかになることでしょう。

次に、都市が変わることでしょう。
自然から人間を分断し、
人間と人間さえも分断し、
わたしたちを孤独とストレスと怒りに追い立てている都市は、
もう一度人間どうしを結びつけるための暖かい場となり、
ひとりひとりの個性を本当に生かせる場となることでしょう。

そして、心が変わることでしょう。
何かを支配しなければと焦ることもなく、
自分の価値を証明しなければと躍起になることもなく、
委ね、リラックスし、微笑みを交わす歓び。
不安が生み出すお金の、階級の、人種の、宗教の、権力の争いではなく、
感謝が生み出すあらゆる違いを超えたつながりへ。



え?
「そんなの理想論」ですか?

【人間は、大きな自然の一部に過ぎない】

現実的に考えれば考えるほど、
この命題以外に、どんなスタート地点もないというのに。

そこに戻れないままのわたしたちが、
どこにいけるというのでしょうか。

自然は、経済活動のための原資として掘り尽くされるのを、
いつまでもなすすべもなく待っていてくれると思いますか。

すべてを与え尽くしてくれている自然のありがたみに、
わたしたちが気づくのをいつまでも待っていてくれると思いますか。

そちらの方がよっぽど、理想論に聞こえてなりません。
2007/09/22(土) 00:18:21 | URL | kinoko #-[ 編集]
自然こそ主役
kinoko さん、自然への愛情と深い洞察から発するコメントに感謝します。
コメントの本文を読まずに、まず末尾の筆者名「kinoko 」(多分ペンネームでしょう)を見たとき、あの核爆発のキノコ雲を想像しました。しかし本文を読んで、それが錯覚であることが分かりました。いうまでもなく野山に生える秋の味覚、「きのこ」ですね。

本文最後の次の文章を読んで感銘を深くしました。

自然は、経済活動のための原資として掘り尽くされるのを、いつまでもなすすべもなく待っていてくれると思いますか。

すべてを与え尽くしてくれている自然のありがたみに、わたしたちが気づくのをいつまでも待っていてくれると思いますか。

その通りですね。共感を覚えます。
2007/09/22(土) 16:58:06 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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