「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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「林住期入り」した友人
〈折々のつぶやき〉32

安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉32回目。(2007年9月7日掲載)

 最近、商社マン出身で、教えられることの多い友人から次のような一文をいただきました。題して「林住期入りのご挨拶」とあります。その趣旨を紹介します。なお氏名はイニシャルとさせていただきます。

▽林住期入りのご挨拶

 私こと、このたび発心し、有縁のまち札幌で林住期に入ることと致しました。これからは俗世のしがらみと煩悩を断ち、方丈に隠棲し求道の日々を送ります。
 学生期、家住期を通じ賜りましたご芳情の数々、誠に有り難く、厚く御礼申し上げます。
ご縁を得て来世で、またお目にかかれますことを大変楽しみに致しております。
 末筆ながら皆々様の幾久しきご多幸を心よりお祈り申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。 合掌
  2007年9月  札幌にて  T.S.


 「俗世のしがらみと煩悩を断ち、方丈に隠棲し求道の日々を・・・」、さらに「ご縁を得て来世で、またお目にかかれますことを大変楽しみに・・・」とあることからみて、これからの現世における生き方に並々ならぬ決意のほどが伝わってきます。

 インドでは、人生を4つの時期に分ける考え方、生き方があります。第1は、学生期で修行に励む。第2は家住期で職業と家庭を中心に社会生活を営む。第3は、林住期で仕事と家庭を捨てて森林に住む。第4は、遊行期で、天下を周遊し、人の道を伝える。
 『岩波 仏教辞典 第二版』には遊行(ゆぎょう)について「諸国を回って仏道を修行すること。少欲知足を旨とし、托鉢(たくはつ)を糊口(ここう)の資としてひたすら解脱(げだつ)を求めるのが本意」とあります。 

 T.S.さん(1941年生れ)は仏教について理解が深く、かれのHPには示唆深いコラムがいくつも盛り込まれています。その一つ、「不殺生戒」に関する説法を以下に紹介しましょう。題名は、「不殺生戒」を今あらためて―です。

▽「不殺生戒」を今あらためて

 在家の人々に対する仏教の五つの戒め「五戒」、その第一番目は【不殺生戒】(ふせっしょうかい―殺すなかれ)です。生きとし生けるものは、たとえ小さな虫一匹であれ、決して殺してはならないという教えです。

 「人間」と「他の生き物」とは対称性の関係にある、「人間の命」と「他の生き物の命」とは繋がっているという考え方に基づく教えと理解しています。

 現代生活において、この教えを完全に実行することはかなり無理があります。しかし、一寸の虫にもかけがえのない「命」がある、殺すのはかわいそうという『慈悲の心』が拡がれば、無益な殺生は少なくなるでしょうし、いわんや「人間」を殺すなぞという野蛮で残酷なことはとても出来なくなる筈です。

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の拠り所ともいえるモーゼの「十戒」にも、【殺すなかれ】はあります。しかし「十戒」は【汝、我以外の何者も神にするべからず】が最初の戒めであり、【殺すなかれ】はようやく五番目に(区切り方によっては六番目に)登場します。しかもそれは「人間」を殺すなかれです。仏教の「五戒」と較べる時、一神教の何たるかがよくわかる気がしますし、またそこでは「人間」と「他の生き物」とは必然的に非対称の関係になると考えられます。

 世界中で、特に9.11(2001年の米国における同時多発テロ)以降、「人間の命」が本当に軽くなってきています。明らかに何かが狂い始めていると思わずにはいられません。
 「生きとし生けるものの命は等しく重い、一匹の虫も殺すな」というお釈迦様の教えが、今あらためて求められていると考えています。

 尚「五戒」の残る四つは、
 【不偸盗戒】(ふちゅうとうかい―盗むなかれ)
 【不邪淫戒】(ふじゃいんかい―邪淫するなかれ)
 【不妄語戒】(ふもうごかい―嘘をつくなかれ)
 【不飲酒戒】(ふおんじゅかい―酒を飲むなかれ)です。 以上

▽異風・年賀状

 この機会に別人の「異風・年賀状」ともいえる一文を以下に紹介します。

 謹 賀 新 年
 2000年元旦
 良き新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 さて20世紀最後の今春、小生、統計上の高齢者の仲間入りと相成る次第です。万般の感慨抑え難きものがありますが、とりわけ吉田兼好の『徒然草』の心境にこころ惹(ひ)かれるところがあります。

 「人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙(もだ)し難きに随(したが)ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさえられて、空しく暮れなん。日暮れ、途遠し。(中略)諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり」(第百十二段)

 『徒然草』は21世紀にもなお日本文化の中に生き続けるに違いないとの感を深くしますが、その兼好の意にあやかって愚考するところあり、新世紀の明年から賀状を欠礼させていただきます。ご無礼の段、ご寛恕下さい。

 とは申しても、諸縁をすべて放下し、世捨て人になろうという気は毛頭ありません。今後とも21世紀の日本はいかにあるべきかに私なりに問いかけていく所存です。一期一会の精神を忘れず、人生道に精進を続ける気構えに変わりはありません。自由闊達な談論もよし、盃を傾けるのもまたよし。その機会あれば、万難を排して馳せ参じます。
 皆様のご多幸とご自愛専一を祈り上げます。  K.Y.   

▽安原のコメント―人それぞれの生き方

 前者のT.S.さんと後者のK.Y.さんの生き方の大きな違いは、前者が「煩悩を断ち・・・」と宣言しているのに対し、後者は「雑事は捨てて、一期一会の精神で生きるが、煩悩は捨て切れない、むしろ煩悩とともに生きていく」旨を指摘している点です。
 これはどちらが善いか、という善悪の問題ではありません。人それぞれの生き方をどう選択するか、でしょう。

 65歳を一つの区切りとして、それ以降の生き方にどういうイメージを描くことができるでしょうか。とりあえず4つの選択肢が考えられます。あなたなら、どれを選びますか?
1)煩悩を断ち、仏道に生きる
2)煩悩と共に生きながら、それを調整し、多少なりとも利他行(自利利他の調和を求める実践)と知足(足るを知ること)の精神を心掛けていく
3)「カネと欲」のままに ― つまり私利中心に貪欲に生きる
4)カネと欲はほどほどにして、他人様に迷惑を掛けないように趣味に生きがいを見出し、余生を過ごす

 なお上記の年賀状(2000年元旦)の発信者は実は私(安原)です。その年の春にちょうど65歳になり、高齢者の仲間入りする、その機会に発想を変え、遊び心を生かして新しい手法の年賀状を試みました。こういう年賀状をわざわざ送ったその意図、さらに年賀状を受け取った人たちの反響などは、2006年元旦の日付でこの仏教経済塾に「異風・年賀状 〈折々のつぶやき〉1」―として掲載してあります。
 関心のある方はご覧下されば、幸いです。


(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
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コメント
この記事へのコメント
林住期
イニシアルT.S.の篠田孝道です。ようやく
引っ越し荷物の整理も終わり、今日はほっと一息つきまして安原さんのHPを覗きましたら、なんと!!!!
身に余るお言葉と、本人も「たしかに、、、なるほど、、、」と納得してしまうご解説、誠に有難く光栄至極に存じます。
これからは俗世とは基本的にはインターネットを通じてだけの繋がりとなります。安原さんのこのサイトにはよりひんぱんにお邪魔をさせて頂きます。どうしようもない混迷と無力感いっぱいのこの国がすこしでも良くなりますよう、引き続きご健筆を祈りあげます。
凛和総合研究所 代表 篠田孝道
2007/09/07(金) 23:38:36 | URL | 篠田孝道 #tlFVsf/Y[ 編集]
現世での交流
篠田孝道さん、コメントを拝見しました。

いただいた「林住期入りのご挨拶」の中で「来世で、またお目にかかれますことを大変楽しみにしております」と書いてありました。
だから来世まで交流はもはや無理かと思っていましたが、現世での交流にもいろいろのタイプがあるようですね。
現世では何はともあれ、健康第一です。くれぐれもご自愛専一になされるよう祈っております。

2007/09/08(土) 14:33:48 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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