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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
自然にも権利があります
〈折々のつぶやき〉31

安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉31回目。(2007年9月3日掲載)

 「自然にも権利があります」と題した一文を最近、手にしました。発信者は「自然の権利」基金事務局長 弁護士 籠橋隆明氏です。A4版1枚の裏表に書き込まれている趣旨に共感を覚えるので、以下にその内容を紹介します。

▽自然が自然のままであることの大切さ

「自然にも権利があります」というと、
多くの人は変に思うかもしれません。
でも、各地で進んでいる自然破壊の実態を見るとき
自然が自然のままであることの重要性を
肌で感じることはないでしょうか。

身近な自然にしても、多くの木々が伐採されるときや
ふるさとの川がコンクリート三面張りに改修されたとき
私たちはそこに棲んでいた野生生物に思いを馳せます。
メダカまでもが絶滅を心配されている今日、
深刻な自然破壊を前に私たちは
「自然にも生きる権利があれば・・・」と
願うことも稀ではありません。

それは、人と自然との関係の中で生まれた、すぐれて人間的な感性です。
「大切なものが失われた」と自然が破壊されたときに
私たちが受ける素朴で純粋な印象こそが
「自然の権利」の原点です。

▽「自然の権利」基金が取り組んでいる事件

 「自然の権利」基金は、アマミノクロウサギを原告とした「奄美『自然の権利』訴訟」を契機に1996年に設立されました。「自然の権利」運動を応援するとともに、自然保護のために裁判などの法的手段を利用する、全国各地のNGOを応援しています。
訴訟の具体例はつぎの通りです。

*諫早湾「自然の権利」訴訟
 農水省による干拓事業に反対し、諫早湾・ムツゴロウなどを原告として提起されました。干拓事業建設費の差し止めを求めています。

*泡瀬干潟「自然の権利」訴訟
 沖縄市の中城湾に面した広大な干潟を、開発から守る裁判です。地域の人々に加え、泡瀬干潟・ムナグロ・ユンタクシジミなども原告です。

*奄美ウミガメ訴訟
 奄美大島・戸円(とえん)地区で行われている海砂採取を中止させる裁判です。ウミガメが産卵できる砂浜をとりもどします。

*やんばる訴訟
 沖縄県北部、ヤンバルクイナたちのすむ亜熱帯の森を守る裁判です。また大規模開発による赤土流出からサンゴの海を守ります。

*沖縄ジュゴン「自然の権利」訴訟
 沖縄本島中北部・東海岸辺野古(へのこ)沖の米軍事基地建設から沖縄のジュゴンを守ります。ジュゴンを原告に米国法を使って訴えを起こしました。

*馬毛島「自然の権利」訴訟
 種子島近くの馬毛島(まげしま)という無人島の、一業者による開発差し止めを求めます。島にすむマゲシカや島の自然を守ります。

▽安原のコメント(1)―「自然の権利」の歴史をたどると・・・

 上述の記事は次の文言から始まっています。
 「自然にも権利があります」というと、多くの人は変に思うかもしれません―と。
 たしかにそうなのでしょう。ただこの機会に「自然の権利」の歴史を少し振り返ってみると、その歴史は、米国の環境思想史研究者、環境運動の実践的指導者として知られるロデリック・F・ナッシュ(1939年生まれ、カリフォルニア大学歴史学部名誉教授)著/松野 弘 訳『自然の権利―環境倫理の文明史』(ちくま学芸文庫、1999年)に詳しく紹介されています。

 それによると、環境倫理学の先駆者、エドワード・P・エヴァンズ(1831~1917年)は「人間以外の生命体には、本来固有の権利があり、それを人間は侵害すべきではない」と主張しました。しかも彼は「人間以外の生命体」にすべての「感覚をもつような」生物、さらに岩石や鉱物など無生物も含めていました。これが「自然の権利」説のはしりとはいえないでしょうか。
 その後、ノルウェーの哲学者、アルネ・ネスが1972年にディープ・エコロジー(deep ecology=生命中心主義的で深遠な生態学)を提案しました。その3本柱は、生物圏全体の民主主義、植物を含むすべての生物に対する平等の権利、その中心にあるのは自然や地球―です。ディープ・エコロジー派は、これ以外の生態学、環境主義派をシャロー・エコロジー(shallow ecology=人間中心的で皮相な生態学)と呼びました。

 わが国でも、このディープ・エコロジー論が一時脚光を浴びたように思いますが、「自然の権利」が裁判に持ち込まれるようになったのは、たしか1990年代後半からです。欧米流の思想や実践に比べれば、残念ながら20年以上も後塵を拝している状態といわざるを得ません。

(なおこの著作の文庫版への序文で著者は「仏教徒は、十分に発達した倫理が自然のありとあらゆるものを含んでいることを理解している」と環境倫理との関連で日本仏教への理解を示していることを紹介しておきたい)

▽安原のコメント(2)―「自然の権利」と「人間の生存権」と

 なぜ日本は、このように欧米に後れをとるのでしょうか ?
 その最大の要因は経済成長優先主義を捨てきれないからでしょう。政府や経済界が「経済成長と環境保全の両立」というスローガン、発想を克服しようという意志がないからです。このスローガンにこだわる限り、どうしても経済成長優先で、環境保全は二の次になってしまいます。これでは来年(2008年)7月の北海道洞爺湖・サミット(主要国首脳会議)の中心テーマ、地球環境問題で日本がイニシアティブを発揮できるかどうか、心もとないというほかありません。

 「自然の権利」感覚を広めるにはどうしたらよいでしょうか ?
 まず自然の多様な恵みを享受して、人間が生を営んでいる事実を認識することです。
 さらに「お陰様で」と自然の恵みに感謝することです。
 その上、「自然の権利」を大切にすることが、すなわち「人間の生存権」(憲法25条)の尊重、いいかえれば人間としての尊厳を失わずに生きることにもつながっていることを理解することです。

 小泉政権時代の新自由主義(=自由市場原理主義、新保守主義)路線に安倍政権がこだわると、弱肉強食(=優勝劣敗)のすすめによって、一部の強者(大企業、資産家、高額所得者)と大多数の弱者の間の格差拡大は止むところがないといわざるを得ません。
 それが何をもたらすでしょうか。結論を有り体にいえば、「自然の権利」も「人間の生存権」も踏みつけにされることを意味します。
だから一番大事なことは、「自然の権利」も「人間の生存権」も破壊し、台無しにしてしまう憲法9条改悪を阻むことです。

 昔、「万国の労働者よ、団結せよ!」と偉大な思想家が呼びかけました。それにあやかって「誇り高き大多数の弱者・自然の権利者たちよ、立ち上がろう!」と言いたいですね。
もちろん私自身、その弱者の一人です。
 ただのつぶやきのつもりが、脱線気味で大声の主張になってしまいました。ここまで読んでいただいた方々にはただただ感謝あるのみです。


(なお「自然の権利」基金事務局の連絡先は、〒451-0031 名古屋市西区城西1-12-12 パークサイトビル3階 名古屋E&J法律事務所内、 TEL:052-528-1562、FAX:052-528-1561)

(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
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コメント
この記事へのコメント
自然の権利と人間の権利
「自然の権利」について多面的に紹介されていることに興味を感じました。
権利といえば、人間の権利に限定する考え方がまだまだ根強いように思いますが、自然の権利を無視しては、人間の権利も無視されることになりますよ、という指摘と読み取りました。同感です。「その通り」と思います。
自然の権利と人間の権利とを平等対等に位置づけ、尊重するという思想が仏教の特質でもあるということでしょうか。

最後のところの「誇り高き大多数の弱者・自然の権利者たちよ、立ち上がろう!」という呼びかけには賛同します。
もっとも自然の権利者たちは、自分たちだけでは立ち上がれないわけで、そこに人間の方から手を差し伸べる共同行為が必要になります。
そういうことに熱心な弁護士さんたちには声援を送りたいと思います。
2007/09/06(木) 14:51:41 | URL | WA. #-[ 編集]
自然の権利と共同行為
WA.さん、コメントを頂きながら、失礼しました。この10日間ほどで世の中が激変しました。
安倍首相が突如、辞任したのも多くの人々に支えられていなかったためでしょう。孤立感を深めていたのではないでしょうか。

「自然の権利者たちとの共同行為が必要」というご指摘は、当然、人間同士の連帯、共同行為にも当てはまります。安倍首相は、日米安保=日米同盟下の共同行為を重視するあまり、肝心の国民との連帯、共同行為をおろそかにしました。
これでは破綻するのは、時間の問題だったということでしょうか。ポスト安倍の新首相がこのことに気づいているかどうか、それによって新政権の寿命も自ずから決まってくるのでしょう。
2007/09/19(水) 11:39:19 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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タイトル通り、今の人向けの哲学入門書には良いと思います。この人の他著も見ると、ギリシャ哲学を基に思考を進めています。「哲学の正統」です。そういう意味では、この本を読まれた方は、次に、日本でのギリシャ哲学の泰斗、田中美知太郎さんの、「哲学初歩」岩波現代文庫
2007/09/29(土) 03:04:43 | 哲学のレビュー