「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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古稀を境に過激に生きる
古稀を境に過激に生きる

安原和雄
 私の生き方について書いてみる。今年(2005年)古稀を迎えたが、できるだけ過激に生きることを心構えとしたい。そう考えたのは、ザ・ボディショップ創業者のアニータ・ロディックさん(63歳)の座右の銘「老いてますます過激になる」(『朝日新聞』05年11月19日付be版)を目にしたのがきっかけである。

 ザ・ボディショップは日本も含めて53カ国に店舗があり、世界的に知られる天然化粧品企業である。その経営方針は利益第一主義を排し、動物実験反対、環境保護、人権擁護、従業員の個性尊重であり、創業者の彼女自身が社会活動家でもある。私はこの経営方針に以前から注目し、足利工業大学教員時代に経済学講義で企業の社会的責任というテーマで何度も取り上げた。
 日本の明治財界の指導者、渋沢栄一は自ら「論語・算盤」説、つまり企業にとって利益追求よりも企業活動の成果の社会還元こそ重要だという経営方針を実践したことで知られる(「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の「企業人はカネの奴隷か」参照)。ロディックさんは、「おんな渋沢栄一」という印象がある。

▽「おもしろく」生きた高杉晋作
 過激に生きるとは、どういう生き方なのか。歴史上の人物として例えば幕末の長州藩志士、高杉晋作をあげたい。高杉は29歳という短い生涯だったが、その辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」である。知友が見守る中で、こう書いて息絶えたというが、ここには混乱、激動、変革の幕末期を精一杯「おもしろく」生き抜いたという心情がよく表れている。
 この句をおもしろいと思うのは「楽しく」といわずに「おもしろく」という表現を使ったことである。楽しくとおもしろくはどう違うのか。

 「楽しく」は安全地帯に身を置いた保守、受身、消費を連想させる。すでに出来上がっているものを楽しむという発想である。一方、「おもしろく」は危険をも辞さない自由、挑戦、創造のイメージがある。そこにはロマン、志、さらにまだ出来上がっていないものを新たにつくっていく未来志向をうかがわせる。
 高杉がこの違いを意識してあえて「おもしろく」といったかどうかは分からない。しかし幕藩体制という既存の秩序をたたき壊すことに挑戦し、新しい日本を創造するために生きたことは、たしかにおもしろい人生であり、「わが人生に悔いなし」と思ったに違いない(拙著『遊びの人生経済学』参照)。これが過激に生きた人物の一例である。

▽日米安保の呪縛を超えて
 さて今日の21世紀に日本人の一人として過激に生きるとはなにを意味するのか。
 あえて一つだけ挙げれば、日米安保体制の呪縛から自らを解放することである。いいかえれば米国離れを促進させることである。これは反米を意味しない。真の意味での日米友好関係を新たにつくっていくことを意味する。もし高杉晋作が今健在であれば、こういう風に構想するのではないかと想像する。

 端的にいえば、日米安保体制はいまや「諸悪の根源」であり、「百害あって一利なし」である。自民党新憲法草案(10月28日正式決定)が国会で承認されれば、それは決定的となる。なぜそういえるのか。

*日米安保条約は日本の自衛力増強を明記しており、平和憲法の誇るべき理念と矛盾している。にもかかわらず戦後の保守政権は憲法の平和理念をないがしろにし、安保条約を優先させて、軍事力を増強してきた。
*安保条約によって日本列島に巨大な在日米軍基地網がつくられており、こうして日本列島が米国の大義なき戦争を自動的に支援する不沈空母としての機能を果たしている。
*自民党の新憲法草案によると、憲法前文の「平和共存権」、9条2項の「戦力不保持」「交戦権の否認」を削除し、「自衛軍」という名の正式の軍隊をもつことをめざしており、その結果、今後は日本が公然と戦争を行うことができるようになる。
*日米安保体制を背景にいわゆる米軍再編が実現すれば、日米軍事の一体化が急速に進む。米国のイラク攻撃に日本は自衛隊派兵によって軍事協力をしているが、改憲後は戦闘部隊を公然と派兵し、日米一体で戦争に参加することになる。これまでも日本は在日米軍基地を許容することによって、米国の海外での大量殺戮に間接的に手を貸してきたが、改憲後は日本自らが殺戮作戦に加わることになる。

 以上は日米安保体制の一端を描いたにすぎない。しかしいのち、非暴力、平和を尊ぶ仏教経済学の立場からはとても容認できるものではない。過激の英訳radical は根源という意味だから、過激に生きるとは、呪縛、固定観念、常識にとらわれず、自由な境地になって根源を問い直しながら生きようと精進を重ねることである。それほど大仰なことではない。
 
 これは私なりの「21世紀版ご奉公」のつもりである。もちろん米国の国家権力とそれに追随する者たちへの奉公ではない。平和を愛し、暴力を排し、簡素な暮らし・経済のありようを心から願っている人々へのご奉公である。

〈仏教経済学ってなに?〉
 その7つのキーワード=いのち・平和(=非暴力)・簡素・知足(=足るを知る)・共生・利他・持続性

 上述の記事、提案は仏教経済学<別称「知足(ちそく)の経済学」>の視点から書いている。仏教経済学とはなにか。
 新しい時代を切りひらく世直しのための経済思想である。仏教の開祖・釈尊の教えを土台にすえて、21世紀という時代が求める多様な課題―地球環境問題から平和、さらに一人ひとりの生き方まで―に応えることをめざしている。その切り口がいのち・平和・簡素・知足・持続性など7つのキーワードで、これらの視点は主流派の現代経済学<別称「貪欲(どんよく)の経済学」>には欠落している。だから仏教経済学は現代経済学の批判から出発している。
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コメント
この記事へのコメント
高杉晋作、ステキですね。

今の世の中、まともに生きようとすれば過激にならざるを得ないのかも。ブッダのアバンギャルドな生き方も、結局そういうことなのでしょう。とすれば、時代は問わず、いつの世も危機はあり、同じことなのでしょうか。

しかし、今来ている危機は大きいです。そしてみんながノーと言えば食い止められるはずなのに(一応民主主義ですよね)、日本人はいったいどうしちゃったのでしょう。あとで子孫たちに、どう言い訳するのでしょうか。「いっしょに戦争しないと仲間はずれにされちゃうと思ったんだよ」とでも?
2005/11/21(月) 19:19:41 | URL | marujun #e0p7.LDY[ 編集]
「過激に生きる」とは
仏教経済塾に掲載の文章に「過激に生きることはそれほど大仰なことではない」とあります。ということは「過激に生きる」のは「平常心で生きる」ことと言いかえることもできます。

禅の言葉に「平常心是道」(ふだんの心がそのまま悟りである)があります。こういう境地に達するには、それこそ日頃の鍛錬が求められますが、ここで大仰、大げさに考えないことが大切なのでしょう。分かりやすくいえば、きょろきょろしないで、いのち、平和、非暴力をキーワードに自分なりの考え、主張をしっかり持つということでしょうか。

ご指摘の「いっしょに戦争しないと仲間はずれにされちゃうと思ったんだよ」という雰囲気がぼやぼやしていると、あっという間に広がりかねませんね。それが今なお日本社会に根強い横並び意識です。

平常心で過激に生きるには、この横並び意識をどう超えるかが大事です。それができなければ、自分のいのちも守れないという覚悟くらいはしておきたいですね。
2005/11/22(火) 11:53:24 | URL | k.y. #-[ 編集]
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