「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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TPP参加に高まる「反対の声」
日米密約説も飛び交うその舞台裏

安原和雄
 安倍晋三首相がTPP交渉参加を表明して以来、参加是非論が活発になってきている。首相は「TPPはアジア太平洋の繁栄を約束する枠組みだ。日本は世界第三位の経済大国。必ずルール作りをリードできる」と高姿勢である。しかしそれほど楽観できるのか。
舞台裏では実施のための日米密約説も飛び交っている。日本国のリーダーである首相が乗り気であれば、ここではむしろ反対論を追跡してみたい。その反対論もなかなか意気盛んで、賛成論よりもむしろ筋が通っている。いずれにしても一国の命運に関わるテーマとはいえないか。(2013年3月23日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 以下、多様な分野から反対意見を中心に紹介する。

(1)Eメールで伝えられた反対意見
 私(安原)あてに届いたあるEメールは「ほんまにTPPに参加してもえぇの?」と題して次のように批判している。 

 首相訪米後、日本がTPP(環太平洋経済連携協定)に参加することが既定路線であるかのような報道が相次いでいる。私たちの暮らし、社会、そして世界に、大きな影響を及ぼすTPPを、農産物の関税の問題と矮小化し、その例外をオバマ大統領に認めてもらったとして、陳腐な共同声明を曲解しながら、マス・メディアの大本営発表が続いている。
 TPPってほんまにそれだけのこと?
安倍訪米って、誰にとって成果があったん?
私たちの将来は? 日本の未来は? 世界への影響は?

<安原の短評> 群を抜いている視点
 文章のスタイルから見て関西の人らしいが、それはさておいて、実に広い視点からTPPを捉えようとしているところが気に入った。「マス・メディアの大本営発表」という皮肉もうなずかせるものがある。
 末尾の「私たちの将来は? 日本の未来は? 世界への影響は?」は「私」、「日本」、「世界」にとってのTPPという発想であり、その視点は群を抜いている。問題はそれぞれにどう肉付けしていくかである。

(2)朝日新聞の「読者の声」から
「読者の声」(介護職 荻野直人=仙台市、3月22日付)は「TPPはブロック経済では?」という見出しで伝えている。その趣旨は以下の通り。

 TPPについては「安価な外国産品の輸入によって国内の農業が崩壊してしまうのではないか」、「国民皆保険制度がなくなってしまうのではないか」などの懸念が表明されている。この懸念は根拠があると思う。
 ただそれ以前に問いただすべきことがある。「TPPによって自由貿易が拡大する」という推進派の主張についてである。TPPは果たして自由貿易といえるのか。多国間による貿易協定は、その域内での貿易自由度は増すが、それはあくまでも域内の範囲に限られる。TPPは、参加する国としない国という新たな境界を生むことになり、それはブロック経済圏ではないか。

<安原の短評> 「ブロック経済圏」と日米密約
 ブロック経済圏の形成へ、という指摘は見逃せない。毎日新聞(3月22日付夕刊)によると、自民党の実力者、野中広務さん(官房長官、自民党幹事長を歴任)はTPPへの交渉参加についてこう語っている。
 「農業、水産業、医療などさまざまな分野で、本当に日本の主張が通るのか。実際には、例外のない関税撤廃を受け入れる約束が米国との間ですでにできているのではないか。参院選に影響が出るため明らかにしないのではないか」と。これは米国主導のブロック経済圏形成へ、という日米密約説を示唆している。密約説は十分あり得る話である。

(3)官邸前アクションによる抗議
 2013年3月15日に実施された「STOP TPP!! 官邸前アクション」は以下のような抗議文を採択した。 

 <安倍首相のTPP交渉参加表明に最大の怒りをもって抗議する>
 2013年3月15日午後6時、安倍首相は記者会見にて「TPP交渉参加」を表明した。多くの反対の声を裏切り、説明責任もまったく十分に果たさない中の参加表明だ。
 交渉に遅れて参加する国が圧倒的に不利な条件を飲まなければ交渉に参加できない、ということは明白である。にもかかわらず、安倍首相と自民党政権は、日本にとって侮辱的であり、不平等・不正義である条件を受け入れ、国を売り渡してもいいと判断したのだ。
 以下、私たちはすべての力を振り絞って猛抗議する。

*アメリカや日本の多国籍大企業の利益のために、国民のいのちとくらし、雇用も地域も犠牲にするTPPへの参加は、絶対に許されるものではない。
*安倍首相の参加表明は、幾重にも国民を愚弄している。そもそも公約したことを「公約ではない」と言い逃れ、影響試算を示して国民的な論議に付すと言いながら、参加表明後に影響試算を示すなど、国民を馬鹿にするにもほどがある。
*私たちは、今回の参加表明に当たっては、まだまだ国民に公表されていない日米の「合意」などが存在していると確信している。私たちはこのような非民主的で反国民的な行為を許すわけにはいかない。
*私たちは、TPPの危険性を国民と共有できるようさらに運動を広げるとともに、参加表明に至ったさまざまな非民主的な行為の暴露、さらには参議院選挙での国民的な審判も通して、安倍首相の参加表明を撤回させることをめざす。

<安原の短評> 「平成の井伊直弼」の運命は?
 Eメール上に流布している【緊急号外】は次のように示唆している。「井伊直弼は殺され、吉田茂は生き延びた。安倍晋三はどうなるだろうか」と。さらに「第三の開国」たるTPPは、「神聖不可侵」の「戦後国体」の如き日米安保体制の上に、米国の権力と資本にとってさらに「都合のよい国」「使い勝手のよい国」に日本を改造するための究極の不平等条約である、と。
 「平成の井伊直弼」の運命は如何に?という問いかけと受け止めたい。

(4)米、豪、NZ、日本の労働組合 連携強め交渉に反対
3月15日上記4カ国の労働組合が連携を強め、反対運動に乗り出している。

 TPP交渉に参加する米国やオーストラリア、ニュージーランドと日本の労働組合が、TPP交渉に反対する国際的な連携を強化する。交渉の内容が秘密にされていることや、大企業と投資家の利益を重視していることなどを問題視。4月10日には、日本の交渉参加に反対する米国の労働組合の呼び掛けで各国代表がワシントンで会合を開き、運動方針を協議する予定。交渉を主導する米国の政治家に、TPPの問題点への理解を促すため要請活動も行う。

 連携するのは、以下の労働組合である。
*オバマ米大統領と民主党の最大級の支持団体で1200万人以上が加盟する米国労働総同盟・産業別労働組合会議
*30万人が加盟するニュージーランド労働組合評議会
*オーストラリアのギラード首相の支持団体で200万人が加盟する同国労働組合評議会
*中小企業を中心に120万人が加盟する日本の全国労働組合総連合(全労連)―など。

 情報を収集・共有し発信、政府への働き掛けなども強化する。交渉に参加するカナダやペルー、チリ、メキシコの労働組合にも連携を求める。
 運動方針を協議するほか、5月の交渉会合では共同声明を出す方向で調整中だ。

 TPP交渉に反対するのは、労働者の権利を保護している各国の規制が緩和されたり、強化しにくくなったりすることへの懸念があるためだ。また日本が交渉に参加する可能性が出てきたため、日本の輸出攻勢で雇用が奪われるとの危機感も強い。貿易立国のニュージーランドとオーストラリアでは労働組合も自由貿易を推進しており、TPPに反対するのは異例のこと。極端な規制緩和を推し進めることに異議を申し立てているのだ。

<安原の短評> 極端な規制緩和に異議
 ニュージーランドやオーストラリアの労働組合は本来、自由貿易推進派であり、TPPには反対ではないはずである。ところがその労働組合までが反対派に転じたのは、TPPが究極の規制緩和を目指す装置だからだ。通常なら味方であるはずの勢力まで異議申し立て派に追い込むとは、TPPはよほどの曲者であるに違いない。

(5)日本農業新聞の報道=市民の怒り さらに沸騰 
 日本農業新聞(3月16日付)は「市民の怒り さらに沸騰 議員会館前などで猛抗議」と以下のように報じた。

 草の根の反対運動を続けてきた市民らは、東京・永田町で安倍首相会見のテレビ中継を注視。午後6時過ぎ、参加表明が発表されたとたん、深いため息が漏れた。涙を流してテレビをにらみつける女性や「ふざけるな」と机をたたく人もいた。市民は一様に「売国行為」と強い口調で批判を繰り返した。
 首相会見後、反対運動実行委員会は緊急声明を発表。「最大の怒り。多くの反対の声に対し、十分な説明責任を果たさず、全ての力を振り絞って猛抗議する」などと語気を強めた。農業だけの問題として矮小化した大手メディアの責任にも言及。国民の大半がTPPの本質を知らないことに、強い危機感を示した。

 全国食健連の坂口正明事務局長は「安倍首相は根拠も示さずに聖域を守ると言って、自らの主張を繰り返していた。絶対に諦めず、反対の声を上げ続ける」と決意を表明した。都内で料理教室を主宰する安田美絵さんも「首相の参加表明は国民を愚弄(ぐろう)しているとしか言えない。これまでの反対運動は決して無駄ではなく、今後も絶対に入ってはいけないと多くの人に全力で伝える」と主張した。
 プラカードなどを手に若者も猛抗議した。東京都調布市の中学3年生、山﨑成瑠君(15)は「断固反対と言って当選した政治家は恥ずかしくないのか。大人の世界は汚い。僕たちの未来を奪う行為だ」と声を張り上げた。埼玉県日高市の龍門永さん(23)も「首相はTPPの農業以外の危険性を隠して参加表明した。なぜ、こんなおかしいことがまかり通るんだ」と声を荒げた。

<安原の短評>「大人の世界は汚い」とは?
 最近のデモや反対運動には女性や若者たちの姿が目立つ。その若者の一人、中学3年生は、「大人の世界は汚い。僕たちの未来を奪う行為だ」と怒っている。その心情は理解できる。ただここで指摘したいのは、「僕たちの未来」を創っていくのは、ほかならぬ若い君たち自身だということ。新しい未来を築き上げていく一翼を担うことは、魅力尽きない人生行脚とはいえないか。

(6)東京新聞経済部長の警告
 富田光・経済部長は東京新聞(3月16日付)で「経済の枠超え、影響」と題して、以下のようにTPP実施に警告している。その大要は次の通り。

日本は今、TPPという大きい門の前に立っている。門の奥に星条旗がはためいている。門柱には「経済連携」と書かれている。しかし、この文字はTPPの上っ面を表しているにすぎない。TPPは、主に関税を下げることを目指していた、過去の貿易交渉とは完全に異質だ。
 生産する、売る、買う、食べる、移動する、病気を治療する、遊ぶ、学ぶ、保険に入る・・・。関連する対象分野を挙げればキリがない。交渉妥結後、国会が批准すれば人々の暮らしの各ページに影響が及ぶ。海外からの訴訟で国内ルールが変わる可能性さえある。門の中に入れば、経済の枠組みをはるかに超え、社会が構造ごと大転換しかねない。これがTPPの実像だろう。

 政府は、環太平洋の各国と連携することで、国益が得られるとプラス面を強調する。実際、参加を機に、新たなビジネスを紡ぎ出す企業や、海外進出をとげる農家が出るかもしれない。消費の仕組みや意識が変わることで、社会の質を高める起爆剤となりうる力もTPPは併せ持つ。
 しかし現実の交渉では、「既に現在の参加国間で合意した条文は原則として受け入れ、再交渉は要求できない」「交渉を打ち切る権利は(すでに交渉を開始した)九カ国のみにある」との条件が付けられていた。
 こうした肝心の情報を政府は開示してこなかった。米国が厳しい姿勢で交渉に臨むことが確実な中、これまで何が決められたのか国民に正確に伝えなければ、議論は到底尽くせない。TPPの交渉は、民主主義国家としてのあり方を鍛える、試練の場でもある。

<安原の短評> 民主国家としての試練の場
 末尾の「TPPの交渉は、民主主義国家としてのあり方を鍛える、試練の場でもある」という指摘は見逃せない。なぜTPP交渉を単に通商、貿易交渉としてではなく、民主主義の視野で捉えるのか。それは日米間の密約、国民不在の日米交渉、あるいは対米従属下での外交など、従来の「非民主的な交渉」という惰性を克服する必要があるからだろう。
 この視点は重要である。しかし日米安保体制下で多数の米軍基地が日本列島上に存在する現状では、日本が対米民主主義を貫くことがどこまで可能だろうか。疑問は消えない。


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持続可能な未来に向けて踏み出そう
大震災2年、大手紙社説が論じたこと

安原 和雄
 東日本大震災から2年を経た3月11日、大手紙社説はどう論じたか。目を引いたのは、東京新聞社説で、次の書き出しから始まっている。「風化が始まったというのだろうか。政府は時計の針を逆回りさせたいらしい。二度目の春。私たちは持続可能な未来へ向けて、新しい一歩を刻みたい」と。
キーワードは「持続可能な未来」である。地球環境保全のための「持続可能な発展」も広く知られているが、ここでの「持続可能な未来」は、脱原発をめざす合い言葉となっている。ところが安倍政権の原発容認路線は目先の利害に囚われて、「持続可能な未来」に背を向けている。(2013年3月11日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 大手紙社説は東日本大震災から2年の2013年3月11日、どう論じたか。大手5紙の社説の見出しは以下の通り。
*朝日新聞社説=原発、福島、日本 もう一度、共有しよう
*毎日新聞社説=震災から2年 原発と社会 事故が再出発の起点だ
*讀賣新聞社説=再建を誓う日 政府主導で復興を加速させよ 安心して生活できる地域再生を
*日本経済新聞=東日本大震災2年㊦ 福島の再生へ現実的な行程表を
なお日経社説は前日の3月10日付で「東日本大震災2年㊤ 民間の力を使い本格復興へ弾みを」と題して論じている。
*東京新聞社説=3.11から2年 後退は許されない

 以下、5紙社説の大意を紹介し、<安原の感想>を述べる。
▽ 朝日新聞社説
 東京電力福島第一原発で、いま線量計をつけて働く作業員は一日約3500人。6割以上が地元福島県の人たちだという。「フクシマ3500」の努力があって、私たちは日常の生活を送っている。
 事故直後は、「恐怖」という形で国民が思いを共有した。2年経ち、私たちは日常が戻ってきたように思っている。だが、実際には、まだ何も解決していない。私たちが「忘れられる」のは、今なお続く危機と痛みと不安を「フクシマ」に閉じ込めてしまったからにすぎない。福島との回路をもう一度取り戻そう。
 原発付近一帯を保存し、「観光地化」計画を打ち上げることで福島を語り継ぐ場をつくろうという動きも出ている。いずれも、現実を「見える化」して、シェア(共有)の輪を広げようという試みだ。

<安原の感想> 福島との回路をもう一度
 <私たちが「忘れられる」のは、今なお続く危機と痛みと不安を「フクシマ」に閉じ込めてしまったからにすぎない>という上述の指摘は、さり気ないが、重い。だからこそ<福島との回路をもう一度取り戻そう>という呼びかけは重要である。
 日常生活の場を捨てざるを得ない直接の被災者たちと、私(安原)のような東京に住む間接の被災者との間には生活感覚として同一とはいえない。しかしシェア(共有)の輪を広げようという試みは重要であるし、私自身、その感覚は共有できるのではないかと感じている。

▽ 毎日新聞社説 
 高レベル放射性廃棄物は、地下数百メートルの安定した地層に埋める考えだ。しかし、放射能が十分に下がるまでの数万年間、地層の安定が保たれるかは分からない。原子力発電環境整備機構が最終処分地を公募しているが、応じた自治体はない。
 その結果、全国の原発には行き場のない使用済み核燃料がたまり続けている。未来にこれ以上「核のごみ」というツケを回さないためにも、できるだけ速やかな「脱原発依存」を目指すべきだ。
 ところが、安倍政権は原子力・エネルギー政策を3.11以前に戻そうとしているかのようだ。象徴的なのが原発にまつわる審議会の人選だ。 

<安原の感想> 遠ざけられる脱原発派
 末尾の「原発にまつわる審議会の人選だ」は次のことを指している。
 経済産業相の諮問機関、総合資源エネルギー調査会総合部会(原発を含む中長期のエネルギー政策を審議する)では民主党政権時代、24人の委員のうち7人が脱原発派だった。しかし安倍政権下では15人の委員に絞られ、脱原発派は2人に減らされ、原発立地県の知事も新たに加わった。安倍政権下では脱原発派は遠ざけられているのだ。
 脱原発派の排除は権力の傲慢さの表れである。政権に限らず、企業など他の組織も同じで、重要人事をみれば、そのトップの器量の度合い、傲慢度を推察できる。

▽讀賣新聞社説
 東日本大震災から2年を迎えた。国民みんなで改めて犠牲者の冥福を祈りたい。再起に向けた歩みは遅れている。政府が主導し、復興を加速しなければならない。被災者たちは津波の再来に不安を覚えながら、仮設住宅から水産加工場などに通う。
 「収入と安全安心をどう両立させればいいか」。石巻でよく聞かれる言葉は切実だ。復興策が議会や住民の反発を招き、辞職した町長もいる。それぞれの自治体と住民がジレンマに苦しみながら、「街の再生」を模索した2年だったと言えよう。
 被災地のプレハブの仮設住宅には、今も約11万人が暮らす。不自由な生活にストレスや不安を訴える住民が増えていることが懸念される。安定した生活が送れる新住居に早く移れるよう、自治体は復興住宅の建設を急ぐべきだ。

<安原の感想> 軍事費の一部を被災者へ
 データを補足しておきたい。避難生活を送る被災者は31万5000人を下らない。うち約16万人が、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた福島県の避難者である。
 避難生活を余儀なくされている人々は31万人を超える、という数字を一見しただけでいかに多くの人々が無惨な日常生活を今なお強いられているかが分かる。いうまでもなく、これは決して自己責任とはいえない。善良な犠牲者である。
 軍事など右傾化路線推進に熱心な安倍政権に注文したい。軍事費の一部を被災者へ再配分してはどうか。それが「民」へ心寄せる政治家の心得ではないか。

▽ 日本経済新聞社説
 安倍政権ができて2カ月以上たつのに、民主党政権が決めた廃炉や除染の工程表はそのままだ。政府は現実を踏まえて工程表を作り直し、被災者が希望を持てるように、生活再建や地域再生を含めた大きな見取り図を示すときだ。
 前政権が「原発敷地内で事故は収束した」と宣言してから1年3カ月。福島原発の状況に大きな進展はなく、むしろ廃炉への道のりの険しさを浮き彫りにした。
 廃炉は40年間に及ぶ長期戦になり、炉の冷却が不要になる時期も見通せない。それだけに、2~3年先に達成可能な目標が要る。それがないと、避難を強いられた住民は将来への不安を拭えない。被曝(ひばく)と闘いながら懸命に働く3千人の原発作業員の士気を保つためにも、政府と東電は新たな目標を示すべきだ。

<安原の感想> いのちへの無責任な犯罪
 上述の末尾の「政府と東電は新たな目標を示すべきだ」という指摘は、願望としては分かるが、現実に可能なことなのだろうか。日経社説自体が「廃炉は40年間に及ぶ長期戦になり、炉の冷却が不要になる時期も見通せない」と指摘しているではないか。
 原発に関する限り、あれこれ恣意的な願望を述べることにどれほどの実質的な意味があるだろうか。原発には身勝手な恣意を受け付けない悪魔性が潜んでいる。それを軽視して、目先の算盤勘定で原発推進を唱導するのは、人類とそのいのちに対する無責任な犯罪とはいえないか。

▽ 東京新聞社説
 デンマーク南部のロラン島を訪れた。沖縄本島とほぼ同じ広さ、人口六万五千人の風の島では、至る所で個人所有の風車が回り、「エネルギー自給率500%の島」とも呼ばれている。デンマークは原発をやめて、自然エネルギーを選んだ国である。ロラン島では、かつて栄えた造船業が衰退したあと、前世紀の末、造船所の跡地に風力発電機のブレード(羽根)を造る工場を誘致したのが転機になった。当時市の職員として新産業の育成に奔走した現市議のレオ・クリステンセンさんは「ひとつの時代が終わり、新しい時代への一歩を踏み出した」と振り返る。
 二度目の春、福島や東北だけでなく、私たちみんなが持続可能な未来に向けて、もう一歩、踏み出そう。そのためにも福島の今を正視し、決して忘れないでいよう。

<安原の感想>「持続可能な未来」という希望
 結びの「福島の今を正視し、忘れないでいよう」という呼びかけに双手を挙げて賛同したい。何のためにか。いうまでもなく「私たちみんなが持続可能な未来に向けて踏み出す」ためにほかならない。単なる進軍マーチ程度の呼びかけと受け止めるわけにはゆかない。「持続可能な未来」という希望をただの夢想に終わらせないで、地球と人類といのちのためにどこまでも大切にしたい。
 そのモデルの一つがデンマークという小国であるところも新しい時代の息吹を感じさせる。もはや軍事力を振り回す大国の時代ではない。いのちと希望を育む小国時代の到来といえよう。


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「皆のため」という大欲に生きること
いただいた恩を返してバランスをとる

安原和雄
 2013年3月は、私にとって満78歳の誕生月である。気がついてみれば、この高齢に辿り着いているわけで、ここまで生きのびてきたのかという感慨も湧いてくる。最近、年齢相応に脚にしびれを感じるが、幸い歩行困難というほどではない。これからなお10年、いや20年程度は生き抜いてみようという意欲も捨てがたい。
だからといって私利私欲に囚われていると、生きることの充実感は遠のいてゆくに違いない。これまでいただいた多くの恩を返してバランスをとること、さらに自分中心の「小欲」でなく、「皆のため」、「社会のため」という「大欲」に生きることはできないか。(2013年3月3日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 以下は日本経営道協会代表・市川覚峯氏(注)の著作『仏道を歩む』からの紹介である。
(注)市川覚峯(いちかわかくほう)氏は長野県生まれ。44歳の時より「日本人の美しい心の復興」への志を立て、比叡山、高野山などで千二百日の修行を重ねた。下山後、「心と道の経営」の活動を推進している。著書に『いのち輝かせて生きる』、『修行千二百日』など多数。

(1)何のために働いているのか ― 衣食のためか、名利(めいり=名誉と利益)のためなのか

 人々は忙しく血眼になって、朝早くから夜遅くまで働いているが、いったい何のために働いているのであろうか。
 美しい衣装を身に着け、おいしいものを味わい、住み心地のいい家に住むためであろうか。車に乗って、東へ西へと駆け回るのは名誉を得たいからか、利益のためなのか。
 そうした忙しい、心が亡びた日々の中で人間としての尊厳を見出し得るであろうか。己の名利のみに心を労する者に真の歓喜は望めない。

 時には立ち止まり、人としての生き方を見つめ、自分は何のために、何を実現しようとして働いているのか、自己の生きる目的とは何か、人はどう生きたらいいのか、社会の中にどう関(かか)わるべきか、考え見つめ直すべきである。

<安原の感想> 仏道の脱皮・成長を期待したい
 「あなたは何のために働いているのか」と正面から問いかけられたら、即答に戸惑う人も多いに違いない。失業者、非正規労働者が、労働力人口の3割以上にも脹らんでいる現状ではこの質問はいささか酷かも知れない。働く意欲も能力もありながら働く機会から排除されている人が多いこの時代をどう改革していくか。
 仏道も従来型のお説教にとどまっているだけでは心に訴えることができるだろうか。改革を目指す仏道へと脱皮・成長していくことが期待される。

(2)多くの人の恩に報いるため人世のために尽くそう ― いただいた恩を返してバランスをとるため人を幸せにしよう 

 私たちは今日までいろいろな人の恩を受けて生きてきている。
生んでくれ、育ててきてくれた父母の恩。
いろいろなことを教えてくださった先生や人生の師である方から受けた恩。
また、共にはげまし、学び、向上しあった友人、仲間たちの恩。
自分を導き引き上げてくださった先輩や上役たちの恩、など限りない「おかげ」の力をもって今日こうして生き、活動している。

 こうした返しきれない多くの恩に報いるために、多くの人々を幸せに導くよう世のため人のために尽くしていかなくてはならない。そうしないと人生の借りばかり多く残って、バランスが合わないまま死んでいくことになる。

<安原の感想> 恩にどう報いるか
 「恩に報いる」といえば、今どき「なぜ恩なのか」という戸惑いと反論が返ってくるかも知れない。特に若い世代に、そういう批判や無関心が広がっているかもしれない。「恩」という表現に馴染めないのであれば、金銭に換算できない「人生の借り」をお返しすること、と考えればいいのではないか。
 父母や先生などから受けた「恩」、共に励まし合った仲間たちの恩、先輩や上役たちの恩は、金銭では評価できないし、「返しきれない多くの恩」といえるだろう。

(3)自分中心の欲を捨て皆のために尽くす ― 私利私欲を抱いていると、いつまでも幸せになれない

 仏が説法を説かれるのは人々に自分中心的な小さな観念を捨て去らせるためである。「自分が」、「俺が」と我(が)を前面に出し、私利私欲に生きて、その結果、苦しみ迷っている状況からは逃れなさい、と仏は教えている。
 そのためには自分中心の欲=「小欲」でなく、皆のため、社会のためという大きな欲=「大欲」をもち、人世のために生きることである。

 自分の働きかけや活動で世の中が良くなったり、人が幸せになり、他人のよろこぶ姿を見て、自分も幸せになっていくものだ。それこそ真の幸せの道である。

<安原の感想> 「真の幸せの道」とは
 「社会のためという大欲に生きる」ことは、たしかに「真の幸せの道」であるに違いない。ところが現実には目先の私利私欲にこだわり、苦しみ迷う生き方が少なくない。
いつも不思議に思うことがある。私は居住地(東京都内)の私鉄駅ではエスカレーターには乗らないで、階段利用に努めている。しかし階段を歩いて上る人は私以外にはほとんどいない。特に若者たちに警告したい。エスカレーター依存症は、足腰を弱めて、将来の寝た切り予備軍になりかねないよ、と。一人ひとりは楽(らく)をしているつもりだろうが、これでは「社会のために大欲に生きる」姿勢からは遠いとはいえないか。


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