「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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GDPよりも国民総幸福の追求を
来日したブータン国王が残した課題

安原和雄
 国賓として初めて来日したブータンの若き国王夫妻はさわやかな印象を残して日本列島から立ち去った。しかし日本に残された課題は重い。それは国造りの基本として「経済成長」かそれとも「国民総幸福」か、そのどちらを選択するのかというテーマである。
 日本の政官財界は今なお経済の量的拡大(国内総生産=GDPの増大)を意味する経済成長主義にこだわっている。一方、ブータンは経済、社会、人間の質的充実を意味する国民総幸福(GNH=Gross National Happiness)を掲げる世界の最先進国である。小国の大きな知恵とも評価できる。日本も舵を切り替えてGNHの追求に取り組むときではないか。(2011年11月25日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ メディアは若きブータン国王夫妻の来日を大歓迎

 お茶の中にハエが入った。「大丈夫?」と聞かれる。その人がブータン人ならば、お茶が大丈夫かというのではない。ハエが大丈夫かとたずねているのだ。むろんすぐにハエを救い出さねばならない(大橋照枝著「幸福立国ブータン」白水社)。
 またブータンには花屋はないという。美しい花に恵まれた国土だが、一生懸命咲く花を切り取って売買するのは仏教の教えにそぐわないと思うらしい。寺院に飾る花も造花だという。あくまで心優しい「幸福の国」の住人だ。
 以上は毎日新聞(11月17日付)「余録」の一節である。たしかに日本人の多くとは異質の心優しさを感じ取ることができる。

 メディアはブータンの若きワンチュク国王(31)とジェツン・ペマ王妃(21)の来日を大歓迎した。さてどのように評したか。

 朝日新聞社説(11月16日付)は「ブータン国王 桃源郷の挑戦見守ろう」と題して次のように書いた。
 桃源郷という呼び名がふさわしい。ヒマラヤに抱かれた美しい自然に加え、前国王が唱えた「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)」という考えが国造りの基本になっているからだ。経済成長より国民の幸せをという理念である。
 しかし鎖国に近い状態から徐々に国を開いたことで、外資が押し寄せつつある。人口増加の著しい首都ティンプーは建設ラッシュだ。商業施設が開業し、車も増えた。携帯やインターネットの普及も加速している。
 世界の情報が駆けめぐり、欲望が刺激される時代。GNHを掲げながら豊かさを実現できるか。小国の大きな実験だ。

 また朝日新聞(11月23日付)は、<「幸福度」って測れるの?>というテーマで特集を組んでいる。

 毎日新聞社説(11月24日付)は「ブータン国王 問いかけられた幸せ」という見出しで以下のように評した。
 さわやかな風が吹き抜けたような6日間だった。東日本大震災の被災地を訪れて鎮魂の祈りをささげ、各地の人々と交流した。
 いつも微笑を絶やさない夫妻の姿は鮮やかな印象を残した。各メディアは大きく取り上げ、久々の心温まるニュースに沸いた。国民のブータンへの関心も一挙に深まった。
 特筆すべきは前国王が提唱した国民総幸福量(GNH)という概念だろう。国民総生産(GNP)に対置されるもので、経済成長を過度に重視せず、伝統や自然に配慮し、健康や教育、文化の多様性、生活の水準やバランスを追求する考え方だ。ブータンの8割の人たちが信仰している仏教的な価値観が背景にある。
 外務省によると、ブータンの1人当たりの国民総所得は2000ドル(約15万4000円)足らず。しかし、05年の国勢調査では国民の97%が「幸せ」と回答した。経済成長を経た私たちに必要なものは何なのか。夫妻から、幸福とは何かと問いかけられた。

<安原の感想>
 私自身、インドの北側に位置するネパールには現地の仏教経済学者たちとの対話のために二度訪ねたことがある。さらにその北のヒマラヤ山脈東部に位置するブータン(九州と同じぐらいの面積で人口は約70万人の小国)にはまだ脚を踏み入れてはいない。一度訪問してみたいと思っているが、歳月だけが過ぎてゆく。
 さてブータンの国造りの基本である「GNH(国民総幸福)」についてメディアの理解の仕方に若干の指摘をしておきたい。
朝日新聞は「GNHを掲げながら豊かさを実現できるか」、<「幸福度」って測れるの?>と書き、一方毎日新聞は「特筆すべきは前国王が提唱した国民総幸福量(GNH)という概念だろう」と論じている。
 ここで注意を要するのは<GNH=国民総幸福> は質中心の概念であり、量を示す概念ではないという点である。だから幸福は、豊かさなど量を示す概念とは異質であり、量としては測りにくいものである。<国民総幸福「量」>という表現にも疑問を感じる。モノやサービスの量的拡大だけを意味する経済成長という既成の概念にこだわっているから、こういう混同が生じるのではないか。国民総幸福が経済成長と同じ量中心の概念であるなら、ブータンのGNHは格別注目に値するものではないだろう。経済成長とは異質だからこそ話題性があるといえる。

▽ 「国民総幸福」とは ― ブータン首相の解説

 「国民総幸福」について2010年4月来日したジグミ・ティンレイ・ブータン王国首相(注)が当時語った内容をここで紹介したい。第23回全国経済同友会セミナー(「今こそ、日本を洗濯いたし申し候」というテーマで高知市で開催、企業経営トップら900名余が参加)の基調講演、さらに日本記者クラブ(東京・内幸町)での記者会見で、「国民総幸福」について詳しく解説した。
 (注)ジグミ首相は、1950年生まれ。米国ペンシルヴァニア州立大学修士で、デンマーク、スウェーデン、EU、スイスなどの大使、さらに外相、内務・文化相を歴任、現在3度目の首相の座にある。趣味はガーデニング、ゴルフ、トレッキング(山歩き)。

 以下に全国経済同友会セミナーでの基調講演(『経済同友』・2010年6月号に掲載)の要点を紹介する。

<国民総幸福を4本柱の戦略で追求>
 20世紀はGDP(国内総生産)崇拝主義によって人類史上最大レベルの富が生み出されてきた。GDPは、ある特定の時間・場所において、モノやサービスがどれくらい取引されたかを表す尺度だが、これがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。
 しかし最近の金融危機などで、富と呼ばれていた株や銀行の預金残高、豪華な家などが一夜にして全部消えてしまい、手にしたと思った富が幻想だったことに気がついた。手段と目標を混同し、人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。
 最近では多くの学者、政治家や一般の人たちが、幸福と物質的な富とは別のものと考えはじめ、GDP中心の成長は持続不可能で危険な道であると考えるようになっている。

 ブータン政府は、次の「GNHの4本柱」の戦略によって、国民の幸福を追求できるような環境を整えることに注力し、実行してきた。
*持続可能かつ公平な経済社会の発展
*ブータンの脆弱(ぜいじゃく)な山岳環境の保全
*文化・人間の価値の保存と促進
*良きガバナンス(統治)

 この4本柱をさらに9区分に分けて分析する。9の区分は以下の通りである。
 ①貧困のレベルを測定する生活水準、②死亡率や罹患率を含む保健衛生、③教育水準と現状の関連性、④資源状況、生態系などの環境、⑤文化の多様性とそのしなやかさ、⑥人間関係の強さ・弱さを測る地域社会の活力、⑦国民の時間の使い方、精神的・情緒的な健康、⑧暮らしへの満足感、⑨統治の質

 日本は、あの壊滅的な被害を受けた世界大戦の灰から立ち上がった国である。これほど強靱(じん)な回復力を見せた国民は世界にはない。そしてユニークな文化を持っている。規律、勤勉、尊厳、誇り、不屈の精神、イノベーションの力を持ち、世界から尊敬された国で、より持続的な価値を追求する能力があるはずである。
 日本こそ、ほかのどの豊かな国よりも真の幸福に向かって歩み、GNH社会を作っていくのに最も適した国だと確信している。

<安原の感想> 経済成長は持続不可能で危険な道
 ブータン首相の以上の講演のうち最後の日本に関する部分は、今となってはいささか過大評価のきらいもないではない。それはさておき講演は経済同友会の経営トップらを前にして、経済の基本概念であるGDPへの次のような根源的な批判から始まった。これは明らかに仏教経済学的視点からの批判といえる。
・GDPがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。
・人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。
・GDP中心の成長は持続不可能で危険な道である。

 上記の「四本柱の戦略」のうち特に「持続可能かつ公平な経済社会の発展」という発想は、それと根本から対立する「GDP中心の経済成長」にこだわり続けてきた日本の多くの経営トップらには大きな知的刺激となったに違いない。ただブータン首相を基調講演者としてわざわざ日本へ招いたことは、ブータンが国を挙げて取り組んでいる「国民総幸福」路線に経済同友会としても関心を抱いているからだろう。そこが保守的で、ときに頑迷でさえある財界人の総本山・日本経団連とはやや趣(おもむき)を異にしているところではある。

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TPP参加は「壊国」へ向かう道
背景にアメリカ帝国崩壊の回避策

安原和雄
 関税の完全撤廃などを目指すTPPへの参加の是非をめぐって熱い論議を呼んでいる。参加は「開国」よりもむしろ「壊国」、すなわち日本が守るべき固有の制度まで壊してしまうだろうという懸念が広がっている。TPPを主導する米国が「米国基準」を押し付けてくる可能性が強いからだ。
なぜ米国は自国特有の基準にこだわるのか。その背景には世界に軍事力を展開するアメリカ帝国の崩壊が進行しつつあるという事情がある。その崩壊を回避するための最後の手段としてTPPは登場してきたとは言えないか。それにしても帝国崩壊はいわば自損行為であり、そのためのTPPを安易に受忍する必要はない。(2011年11月20日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ 日本の不利益が予想される項目 ― 「海外投資家への差別撤廃」も

 グローバリズムの名の下に進められている米国主導のTPP(=Trans Pacific Partnership Agreement。環太平洋経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定など呼称は多様)は関税は原則としてゼロ、同時に日本に対し、米(コメ)、食品、政府調達、金融、医療など多様な分野の市場開放を目指すものだ。

TPPに日本が参加した場合、不利益が予想される項目(日本政府見解・10月20日付毎日新聞)は以下の通り。
・関税の撤廃=保護してきた農水産物(米などへの高関税)で関税撤廃
・食品の安全基準=日本より低い安全基準を迫られ、安いが、安全ではない食品の輸入が増える
・製品の安全規格に関するルール整備=遺伝子組み換え作物の表示に影響
・貿易救済(国内産業保護のセーフガード・緊急輸入制限)の発動条件=発動条件が厳しくなる
・政府調達(公共事業発注のルール)=外国企業参入を容易にするため値下げ競争が激化し、地方の中小建設業者に打撃も
・競争政策(カルテルなどの防止)=公的企業などへの政策見直し
・金融(他国で金融事業を行う際のルール)=郵政、共済事業に影響も
・海外投資家への差別撤廃=海外投資家から国が訴えられる可能性
・医療=米国は保険診療と保険外診療(自由診療)を併用する「混合診療」の全面解禁や病院の株式会社参入を要求

 上記の項目のうち日本ではまだそれほど注目されていないが、重要なのが「海外投資家への差別撤廃」である。朝日新聞「経済気象台」(11月15日付・TPPの論点を示せ)は次のように指摘している。
 TPPの最大の問題は「投資家対国家間の紛争解決条項」が織り込まれていること。米国企業が日本で不当に不利益を被ったと判断すれば、国際仲裁機関に提訴し、これに日本が負けると政府が賠償責任を負う。米韓の自由貿易協定では、米国にだけ訴訟権があり韓国には与えられていない。医療分野や金融業でも、米国流が押しつけられる可能性があり、これを拒めば、訴訟、賠償となるリスクもある、と。
 日本の多様な市場開放に関心を抱く米国企業にとっては都合のいい紛争解決条項である。

交渉参加9カ国(米国、ペルー、チリ、ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、ベトナム)は、ハワイ首脳会談(日本時間11月13日)で協定の大枠合意に達したとの共同声明を発表した。オバマ大統領は大枠合意を受けて「TPPは参加国の経済を押し上げ、米国の輸出倍増計画の助けになるだろう」と表明した。
9カ国に加えて日本が日米首脳会談で交渉参加を表明、さらにカナダ、メキシコも新たに参加の意向である。これで交渉参加国は12カ国となる。

<安原の感想> オバマ大統領の率直な発言
 大統領の「TPPは米国の輸出倍増計画の助けになるだろう」という率直な発言に注目したい。TPPに期待する米国の本音の一端がここにあるわけで、米国内の内需を喚起して経済振興を図るよりも、特に日本市場に照準を合わせた農産物などの輸出増に力点が置かれている。

▽ 主導する米国の狙いと日本への影響 ― 開国か壊国か

 主導する米国の狙いは何か。日本にとって何を意味するのか。開国なのかそれとも壊国なのか。もっとも影響が大きいのは農業分野で、日本の食糧自給率は、自給率を高めるべき時に現在の40%から10%台へ低下するという試算(農林水産省)もある。壊国というほかないだろう。

 ここではTPP参加について旧大蔵省の榊原英資元財務官(元国際金融局長)の反対論を紹介しよう。朝日新聞(11月2日付)の<攻防 TPP 賛否を問う>シリーズで「米国基準押しつけてくる」という見出しで語っている。大要は次の通り。

 (榊原さんは大蔵省時代、日米保険協議や円高是正の為替介入など米国と渡り合ってきた。TPP論議をどう見ているか、の問いに)私は金融や貿易の自由化には賛成だが、TPPには問題がある。医療、金融、政府調達など幅広い分野をカバーしており、単なる貿易自由化の協定ではない。米国がアメリカンスタンダード(米国基準)を押し付けてきて、日本が守るべき固有の制度が崩れてしまうのではないかと心配している。
 例えば米国は基本的には自由診療の国。混合診療などを求められ、日本の公的医療保険制度の一角が崩れる可能性がある。法律で地元の建設業者を優遇することになっている地方の公共事業も、攻撃されるかもしれない。日本の制度を全面的に米国化するのには反対だ。

 (日本政府は、TPP交渉では公的医療保険の見直しは議題になっていないと説明している、との質問に)協議したことのない人が言うことだ。私は日米交渉を長くやってきた。いまは議題でなくても、米国は今後いろいろな要求を出してくるだろう。米国政府の後ろには必ず業界がついている。米通商代表部の人は「企業のために交渉するのが役人の役割だ」と明言していた。
 (TPP参加は、日本にメリットが少ないということか、の問いに)すでに東アジアは相当経済統合し、日本はサプライチェーン(部品供給などのネットワーク)の恩恵を十分受けている。日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN)の域内貿易比率は60%に上る。東アジアの経済統合から取り残されまいと、米国と豪州が進めようとしているのがTPP。だから中国は入らないし、自由貿易協定(FTA・注)で先行する韓国も日本より先に入ることはないだろう。そんな状況で、日本が慌てて飛び乗る必要があるのか。
 (注)FTAは2国間あるいは多数国間で関税を撤廃する協定で、世界貿易の基本ルールであるGATT(関税及び貿易に関する一般協定)第24条に基づく。

 もう一つ、同じ<攻防 TPP 賛否を問う>シリーズ(11月10日付)で国民新党・亀井静香代表は「参加決めれば政権もたぬ。私は親米だが、米国のいいなりになる<従米>ではない」と意気盛んである。果たして野田政権の行方はどうなるか。「政権もたぬ」という「亀井予言」通りになるかどうか。

 一方、大手紙の社説はどう論じているか。
 例えば毎日新聞(11月15日付)の「アジア太平洋 戦略的な日米連携を」(見出し)は次の通り。
 野田首相は米大統領との会談で「日米が連携しながらアジア太平洋地域の経済ルール、安全保障の実現をしっかりやり遂げていかないといけない」と述べた。TPP交渉参加を念頭に置いたものだが、同時にこれは、安保も含め地域の秩序形成に日本は米国と共に積極的関与していく、という宣言である。
太平洋国家としての米国の指導力と関与を抜きに、この地域の安全と繁栄はない。中国の経済力・軍事力の増大を考えると、日本が日米連携で自由かつ開放的な地域秩序を率先して構築するのは国益にかなう。

<安原の感想> 「日米安保推進と国益論」は危うい
 大手紙の社説は開国派のつもりらしい。上述の壊国を懸念するTPP反対論は具体的な論理で説得力がある。これに比べ、開国派は大局論を展開しているつもりなのだろうが、単なる開国にとどまらず、日米安保推進の提灯持ちを買って出ている姿勢といえる。
 しかも「国益にかなう」という表現が無造作に使われているが、ここでの国益とは「国家益」なのか、それとも「国民益(市民益)」なのか。前者の国家益を指しているのだろうが、そういう国益論が当然のように乱用されるようでは危うい。

▽ TPPは日本の成長を促すか ― 答えは「否」

 TPPに参加すれば国内の経済成長を促すことになるのか。日本の場合はどうか。中野剛志著『TPP亡国論』(集英社新書)は「アジア太平洋の成長を取り込む?」と題して論じており、「否」の解答を発見できる。その大要を以下に紹介する。

 アジアは今後の成長センターであり、アジアの成長をいかに取り込むかが、日本の成長戦略のカギである。政府、財界、多くの経済学者たちがこのように論じてきた。成長するアジアとして重要なのは、中国、ついでインドあるいは韓国だが、TPPにはこの3国のいずれも入っていない。
 TPP交渉に参加している9カ国に日本を加え、10カ国のGDP(国内総生産)のシェアを計算してみると、アメリカが約67%、ついで日本が約25%、オーストラリアが約4%、残り合わせても約4%にすぎない。つまり日米で約90%を占める。これではTPPによってアジアの成長を取り込むなどというのは、誇大妄想としか言いようがない。要するに日本が参加した場合のTPPとは、実質的に日米FTAなのだ。

 しかもTPP交渉参加国には、GDPに占める輸出額の割合が高く、国内市場が小さい国が非常に多い。外需依存度(財貨・サービスの輸出額の対GDP比)が日本より小さい国は、アメリカしかない。つまりTPP参加国に日本を加えた10カ国の中で、日本が輸出できる市場は、実質的にアメリカだけなのだ。この10カ国のほとんどのアジア太平洋諸国の成長は、輸出に大きく依存している。しかも有力な輸出先は、アメリカと日本なのだ。
 TPPによって日本がアジア太平洋の成長を取り込むなどというのは悪い冗談である。実態は、アジア太平洋諸国の方が日本の市場を取り込みたいという話である。

<安原の感想> 誇大妄想と悪い冗談を警戒
 TPPによって(日本が)アジアの成長を取り込むというのは、「誇大妄想」、「悪い冗談」という表現がここでは生きている。根拠の薄い持説を正当化するためにご本人は誇大妄想や悪い冗談に囚われているにもかかわらず、そこに気づこうともしない、いや気づいていない振りをする。こういう輩は、格別珍しいわけではないが、口車に乗せられないように警戒する必要がある。

▽ アメリカ帝国最後の巻き返し― ニクソン演説からヒラリー論文へ

 視点を変えて、アメリカのTPP戦略は何を意図しいているのか、その歴史的意味を考えてみたい。想い起こすのは、40年も昔のニクソン米大統領の歴史的演説(1971年7月6日)である。次のように述べた。
「その昔、ギリシャとローマで起こったことは、過去の偉大な文化 ― 富裕への過程、よりよくなろうとする意欲 ― を失う過程である。彼らはデカダンス(退廃的な生活態度)の虜(とりこ)となって、とどのつまりは文明を滅ぼした。アメリカは今、その時期に達しつつある」と。
 さらに次のように問いかけた。
「いまから5年後(建国200周年)にわれわれは依然として世界の最富裕国、最強国であろう。だが基本的な問題は、果たしてアメリカは健全な国であろうか ― 健全な政府、経済、環境、医療制度をもつだけでなく、道義的力においても健全な国であろうか」と。
(参考:安原和雄著『平和をつくる構想―石橋湛山の小日本主義に学ぶ』・澤田出版)

 この演説から3日後の7月9日、キッシンジャー米大統領補佐官が極秘裏に訪中し、周恩来首相と会談、7月15日ニクソン訪中(翌年2月)プランを世界に向けて発表、突然の米中握手に世界は驚いた。1カ月後の8月15日金・ドル交換の停止に伴う米ドル価値の低落、4年後の1975年4月、アメリカはベトナム戦の泥沼から敗走した。
 それ以来、米国は超大国の地位から転落し、世界の多極化への流れが強まり、アメリカ帝国崩壊が進行してきた。この帝国崩壊に歯止めをかけ、巻き返そうという最後の試みがTPP作戦と位置づけることはできないか。しかしこの作戦は成功するだろうか。

<安原の感想> 帝国崩壊への歯止めは脱軍事力
 歯止めに成功するためには米国は軍事力依存症から抜け出す必要がある。ところがオバマ米大統領は11月16日就任後初めてオーストラリアを訪問し、ギラード首相と会談、米海兵隊を最大2500人駐留させるなどの同盟強化策で合意した。一方、パネッタ米国防長官は15日、今年末に駐留米軍をイラクから完全撤退させた後、中東・湾岸地域に米軍4万人以上を駐留させる意向を表明した。つまり米国は中東から太平洋地域での米軍事力展開に固執し続ける。
 これに関連してヒラリー米国務長官の「アメリカの太平洋の世紀」と題する論文(フォーリン・ポリシー誌・2011年11月号)に着目したい。次のように指摘している。
「アジアの成長と活力を利用することは米国経済と軍事戦略的利害にとって中核であり、オバマ大統領の主要な優先順位の一つである。アジアにおける市場開放は米国に投資、貿易、最先端技術へのアクセスに関し、前例のない好機を与える」と。
 ここでは「太平洋の世紀」について経済と軍事が一体として認識されている点が見逃せない。ニクソン演説が「道義的力としての健全さ」を重視したのに比べ、ヒラリー論文は「経済と軍事」にかかわるパワーを振りかざしている。これでは衰退へ向かう帝国による恫喝とも映る。

もう一つ、経済についていえば、1980年代以来の失業、格差、貧困、人権無視をもたらす新自由主義路線(=市場原理主義)から転換し、内需主導型経済の再生に取り組まない限り、米国経済の正常化はあり得ない。具体的には例えば1%(富裕層)の富を増税などで吸い上げ、99%(中間層や貧困層)に還元することが不可欠である。しかし目下のところ新自由主義路線から転換への明るい兆しはうかがえない。

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「3.11」後の日本再生プラン
脱原発から地球救援隊構想まで
                                   
安原 和雄
 私は、先日東京・小金井市の高齢者学習グループ、「クリスタル」(菅沼七三雄会長代行)で講話する機会があった。テーマは<「3.11」後の日本再生プラン ― 脱原発から地球救援隊構想まで>で、活発な質疑応答もあり、高齢者健在なり、という印象を得た。
 日本は目下、明治維新後の近現代史上、<第三の平成変革>に直面していると認識すべきで、その変革は「脱原発」はもちろんのこと、「脱日米安保」を目指す非軍事面での国際協力のための地球救援隊構想まで視野に収めている。日本の再生は、この変革プランをどこまで実行できるかにかかっている。(2011年11月13日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ <第三の平成変革>めざす5本柱の「脱」路線と「再生」プラン

 日本は目下、近現代史上、<第三の平成変革>という「巨大な質的変革」に直面している。
 <明治維新後>=維新後が目指したものは、富国強兵と対外侵略戦争。アジアシ諸国に甚大な被害を与え、その悲劇的な結末がヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、300万人を超える日本人の戦争犠牲者を出した上での敗戦であった。
 <敗戦後の戦後改革>=日本国平和憲法による非武装、基本的人権・生存権の保障などを柱に始まった。しかしやがて日米安保体制、軍事化、原子力発電推進、経済成長至上主義、グローバリズムによる企業の私利追求、さらに1990年代以降、新自由主義(=市場原理主義)路線による非正規労働、貧困、格差の拡大が主流となっていく。平和憲法の望ましい理念は骨抜きとなった。
 <第三の平成変革>=「3.11」(2011年=東日本大震災と福島原発大惨事)の衝撃が走り、日本列島はもちろん、世界中を揺さぶっている。それまで日本の外交、政治、経済、企業のあり方を律してきた枠組みが根本から見直しを迫られている。日本列島全体が大きな歴史的変化の波に洗われている「平成の変革」である。この「変革」は第二次大戦後の<米国主導の世界>から<多極化進む世界>へと移行する上で有力な道標ともなるだろう。

 <第三の平成変革>めざす5本柱の「脱」路線と「再生」プランは以下の通りである。

(1)脱「原子力発電」=太陽光、風力、地熱、小型水力など再生可能な自然エネルギーのすすめ
(2)脱「経済成長至上主義」=「豊かさ」よりも「幸せ」を求めて
(3)脱「グローバリズム」=「ローカリズム」(地域重視)のすすめ
(4)脱「私利私欲」型企業=「社会的責任」型企業のすすめ
(5)脱「日米安保体制」=軍事同盟から日米平和友好条約へ転換のすすめ
 以下、5本柱についてその概要を説明する。

▽ 脱「原子力発電」を訴えたシューマッハーの警告

 日本の良心的な科学者や研究者でさえ「原爆は反対、しかし原子力の平和利用である原子力発電は賛成」と原発を評価していた1970年代初め頃、仏教経済学の提唱者、E・F・シューマッハー(注)はすでに本質的な原発反対論を展開した。
 著作『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫、原題はSmall is Beautiful・1973年刊)で「原子力 ― 救いか呪いか」と題する一章を設けて原子力発電と核分裂について主張を展開している。一口で言えば、「人類の生存に脅威」、「人間の生命にとって想像を絶する危険」などと警鐘を打ち鳴らしている。つまり人類にとって「救い」どころか「呪い」そのものという認識である
 (注)シューマッハーは1911年、ドイツのボン生まれ、父親はボン大学教授の経済学者。1977年スイスへ講演旅行に向かう車中で客死。66歳。有名な経済学者ケインズ(英国)らとも交流があった。ビルマで仏教に出会ったことから仏教経済学(思想)に傾斜していく。

 以下、シューマッハーの主張を紹介する。
* 使用済みの原子力発電所は、醜悪な記念碑
 一番大きな廃棄物は、耐用期間を過ぎた原子炉である。原子炉を使える期間が25年か、30年かといった些末な経済問題について議論がやかましいが、人間にとって死活の重要性をもつ問題はだれも論じていない。その問題とは原子炉が壊すことも動かすこともできず、そのまま、多分何百年もの間、あるいは何千年の間放置しておかなければならないこと、そしてこれは音もなく空気と水と土壌の中に放射能を漏らし続け、あらゆる生物に脅威を与えるということである。どんどん増えていく、このような悪魔の工場の数と場所を人は考えてもみない。使用済みの原子力発電所は、醜悪な記念碑として残り、今日わずかでも経済的利益がある以上、未来は意に介する必要はないという考えの愚かさを記録し続ける。

*何万年の間、あらゆる生物に計り知れぬ危険をもたらす
 人類にとってかけがえのない地球が子孫を不具にするかもしれないような物質で汚染されているのに、経済的進歩、高い生活水準について語ることに意味があるのだろうか。
 いかに経済がそれで繁栄するからといって、安全性を確保する方法も分からず、何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に計り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にため込んでよいというものではない。それは生命そのものに対する冒涜(ぼうとく)であり、その罪はかつて人間が犯したどんな罪よりも数段重い。文明がそのような罪の上に成り立つと考えるのは、倫理的、精神的にも化け物じみている。

▽ 脱「経済成長至上主義」=「豊かさ」よりも「幸せ」を求めて

*財界の経済成長主義への執着
 財界団体の一つ、経済同友会は提言「野田政権に望む」(2011年9月12日)で「成長実現に向け、あらゆる政策の総動員と迅速な実行を」と訴えた。
 「経済成長」(正確にはプラスの経済成長)とは何を意味するのか。企業人はなぜ経済成長に執着するのか。経済成長はモノやサービスの量的拡大を指しているので、企業業績を伸ばすにはプラスの経済成長が継続した方が好都合だからだ。しかし経済成長が続いても新自由主義(市場原理主義=1980年代の初めの中曽根政権時代から始まり、2001年4月~2006年9月までの小泉政権時代に顕著になった)による弱肉強食の無慈悲な競争がある限り、企業、労働者の整理淘汰、貧困、格差の拡大は避けがたい。
 一方、経済成長は資源の浪費、自然環境の悪化、廃棄物の増大をもたらすが、これは経済成長にとって、マイナスに計算されない。廃棄物の処理にカネがかかれば、それはむしろ成長のプラス要因である。限りない経済成長は地球環境の汚染・破壊につながる。

 経済成長を人間にたとえれば、体重を増やし続けるだけで、精神的な人間力の向上には関心を抱かないいびつな状態を指している。同じ「成長」という表現でも、人間の成長(量的成長=子どもの体重増加だけでなく、質的発展=人間的魅力の増大も)は経済成長(量的拡大)の成長とは、意味が異なる。

*「豊かさ」よりも「幸せ」を求める時代
 経済成長による「豊かさ」の意味はモノやサービスが「量的に豊富」というイメージが強い。貧しい時代には豊かさに魅力を感じたが、「3.11」以降の「脱原発、脱経済成長」の時代は幸せこそがキーワードになってきた。
 幸せとは何を意味するのか。経済成長がゼロ(経済規模の横ばい)あるいはマイナス(経済規模の縮小)になっても、経済成長に含まれない非貨幣価値(=非市場価値)、すなわちいのち(人間に限らず、動植物などいのちあるものすべて)、地球環境、豊かな自然、人間で言えば、絆(きずな)、責任感、慈悲、思いやり、生きがい、働きがいなどを重視することで、そこに幸せを見出していく。
 といってもモノやサービスの生産、流通、消費を意味する経済成長のマイナスが続いて、経済規模が限りなく小さくなれば、暮らしが成り立たなくなることはいうまでもない。人間の体重がゼロに近づけば、生きていけないのと同じだ。

▽ 脱「グローバリズム」=「ローカリズム」(地域重視)のすすめ

 グローバリズムの名の下に進められている米国主導のTPP(=Trans Pacific Partnership Agreement。環太平洋経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定など呼称は多様)に日本が参加すれば、日本の食糧自給率が現在の40%から10%台へ低下(農林水産省試算)するなど弊害が大きい。それにしても強い反対の世論に背を向ける野田首相の顕著な対米従属振りはなぜなのか。

<追記>上記の「顕著な対米従属振りはなぜなのか」について講話では触れることができなかったので補足しておきたい。参加表明を一日先延ばしした野田首相は11月11日夜、首相官邸で記者会見し、「TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入る」と述べ、参加の姿勢を明確にした。その背景に何があるのか。
 朝日新聞(11月13日付)の次の記事(立野純二・アメリカ総局長)に着目したい。
 <TPP参加国の多くと米国は近年、軍事協力を加速させてきた。米軍事網の強化は、通商網と同時平行で進める米国の政経一体の新アジア戦略なのだ。米国がその足掛かりとする同盟相手について、クリントン米国務長官はまず日本を挙げる。日本の参加をめぐっては、安保戦略を重視する国務省や国防総省は積極的だ。「我々は鳩山政権を突き放し、菅政権を無視した。重要さを増す対日同盟をこれ以上不健康なまま放置する余裕はない。野田政権とは真剣に関係を成功させたいと思っている」(米当局者)>
 この米当局者の意向からうかがえるのは、TPP参加問題は「経済」にとどまらず、「軍事」つまり「日米安保」が密接にからんでいることだ。日米安保体制に忠実な野田首相にとって「顕著な対米従属振り」以外の選択肢はあり得ないということだろう。TPP問題は同時に軍事問題であるという視点は日本国内では希薄すぎるのではないか。
 最近、日米軍事演習が増加している事実を指摘しておきたい。この事実も多くのメディアはほとんど報道しない。TPPを疑問視することは、すなわち日米安保体制にも批判的な目を向けないわけにはいかない。

*ローカリズムをどう育てるか
 さて昨今のグローバリズムに疑問が多いとすれば、選択すべき道はローカリズム(地域重視)をどう育てるかである。農林水産業・地場産業、地域自立型経済、田園の多様性の尊重に視点を向けたい。

 日本はこれまでいのちを育てる産業である農業をおろそかにし、いのちを削る産業である工業をたくましく成長させてきた。日本社会にいのちを軽視する風潮がはびこっている一つの背景である。外国産の食べものが安く買えるのであれば、輸入すればいいという安易な自由貿易推進の発想が背景にある。
 食料自給率が現在4割まで低下し、6割を海外に依存している先進国は日本だけである。農薬や遺伝子組み換えなど健康を含めて大きな負の問題もあり、「いのちの源」の大半を海外に依存しているのは異常である。それに近未来の世界的食料不足を考えると、いのちを支える食料をどう確保するかという食料安全保障上もきわめて危険である。

*「田園の多様性」の尊重を
 水田、里山、森林、河川などからなる田園には多様な外部経済機能(=「外部経済」効果、つまり市場メカニズムを経ないで暮らしや経済活動に及ぼすプラスの影響、効果)があることを見逃してはならない。それは国土・生態系の保全機能(自然のダム機能、豊かな生態系の保全など)、自然環境の保全機能(美しい田園、きれいな川の保全、大気の浄化、汚水の分解など)、社会的、教育的、文化的機能(都市と農山村の交流、コメ文化=日本酒と和食の文化など)に大別できる。このような日本の優れた田園の多様性を尊重したい。「食と農」の海外依存を安易に是認する時代は終わったと認識するときである。

▽ 脱「私利私欲」型企業=「社会的責任」型企業のすすめ

 渋沢栄一(注)の「論語・算盤」説(『論語講義』・講談社学術文庫)、すなわち「片手に論語、片手に算盤」の精神のすすめはよく知られている。
 (注)渋沢栄一(1840~1931)は傑出した明治・大正時代の財界指導者である。明治維新後、日本最初の株式会社組織の商事会社をつくったほか、大蔵省で租税、貨幣、銀行制度の整備にあたった。大蔵省を辞めて実業界に入ってからは日本最初の銀行、第一国立銀行を設立し、関与した企業数は500余に及んだ。東京商工会議所の初代会頭に就任、経済界の国際化にも貢献した。

 中国春秋時代の思想家孔子(前551~前479、儒教の祖)の論語に次の名句がある。
 「君子(くんし)は義に喩(さと)、小人(しょうじん)は利に喩る」
 君子、つまり立派な人は何が正しいか正しくないかという道義中心に考え、行動するが、小人、つまりつまらない人間は何が得で何が損かという利にさとく、私利中心に行動するという意である。
 これについて渋沢は次のようなコメントをつけている。
余(私)はいつでも事業に対するときには、まず道義上より起こすべき事業か、盛んにすべき事業かどうかを考え、利損は第二位において考えることにしている。もとより利益を度外におくことは許されぬが、事業は必ず利益を伴うと限ったものではない。利益本位であれば、利益の挙がらぬ事業会社の株は売り払うことになり、必要な事業を盛んにすることができなくなる。そう考えて事業を起こし、これに関与し、あるいは株を所有する。ただし株が騰貴するだろうと考えて、株を持ったことはない。

 私利第一に走る昨今の企業人とは隔世の感が深い。今話題のオリンパス(金融商品の数百億円にのぼる損失隠しが表面化)は、渋沢精神とは180度異質の企業行動である。渋沢翁がいま健在なら、企業の乱行に仰天するのではないか。
 「3.11」後の企業、特に大企業に求められる社会的責任は何か。次の3点を挙げたい。
・原発に代わる自然エネルギーの育成・振興
・ローカリズムの発展に尽力
・非正規労働、貧困、格差の是正

▽ 脱「日米安保体制」=軍事同盟から日米平和友好条約へ転換のすすめ

ここでは日米安保体制の目指すものは何か、さらに脱「安保」のためには何が必要かを考える。
*軍事同盟と経済同盟=対米従属国家「日本」を縛っているのが日米安保
 軍事同盟は安保条約3条「自衛力の維持発展」、5条「共同防衛」、6条「基地の許与」などから規定されている。1996年の日米首脳会談で合意した「日米安保共同宣言―21世紀に向けての同盟」で「地球規模の日米協力」をうたった。これは「安保の再定義」で、解釈改憲と同様に条文は何一つ変更しないで、安保の適用区域が従来の「極東」から「世界」に広がった。
 経済同盟は2条「経済的協力の促進」の「自由な諸制度を強化する」「両国の国際経済政策における食い違いを除く」「経済的協力を促進する」などを規定し、新自由主義(市場原理主義)実行の裏付けとなっている。

 野田首相の異常な対米従属振りの背景には日米安保体制がある。安保と軍事力の呪縛から自らを自由に解放しない限り、あの「奴隷」のような振る舞いは避けがたい。
 特にいま注目すべきは日米安保条約第10条(有効期限)「条約は、いずれの締約国も終了させる意思を相手国に通告でき、その後1年で終了する」で、国民多数の意思で一方的破棄が可能な規定となっている。この条項を生かして安保破棄を目指し、非軍事的な日米平和友好条約へ切り替えていくことを展望したい。困難な歴史的事業であることは承知しているが、この展望なくして、平和ニッポンを築くことはできない。

*地球救援隊構想=宮沢賢治(注)の詩「雨にも負けず」の詩情を地球規模で生かすこと。
 地球救援隊構想は、日米安保と軍事力への依存症から自由になるための新しい21世紀版「いのちの安全保障政策」として提言する。
 (注)詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933)は東日本大震災の直撃に見舞われた岩手県の生まれで、花巻で農業指導者としても活躍し、自然と農業を愛した。日蓮宗の信徒として仏教思想の実践家でもあった。

具体策は自衛隊を非武装組織へ全面改組すること。その主任務は国内外の大型災害対策(地震、津波など)、医療、貧困、飢餓対策などで、その手段として「人道ヘリ」(武装ヘリコプターからの転換)、輸送船、輸送機などの平和利用を目指す。

軍事力を維持増強するためには仮想敵国の存在を必要とする。かつては日米にとってソ連が仮想敵国だったが、ソ連崩壊後は中国、北朝鮮が仮想敵国になっている。
 しかし仮想敵国視を止めて平和共存路線を追求するときである。軍事力に執着しているときではない。世界は多極化をめざして急速に変化しつつある。アメリカ帝国はもはや時代の新潮流に取り残されつつある。米国軍産複合体(それに追随する日本版軍産複合体)の対外戦争という時代遅れの野望を封じ込めるときである。非軍事面での国際協力こそ重要なときで、その国際協力に正面から応えるのが地球救援隊構想である。

*21世紀版「雨にも負けず」に読み替えれば
「雨にも負けず」の大要は以下の通り。
雨にも負けず、風にも負けず、慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている
東に病気の子供あれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って、怖がらなくてもいいと言い 
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
みんなに、木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ、褒(ほ)められもせず、苦にもされず
そういう者にわたしはなりたい 
   
 この詩を地球規模の視野に立って、21世紀版「雨にも負けず」として読み替えれば、以下のように解釈し直すこともできるのではないか。<>内が読み替え

*雨にも負けず、風にも負けず、いつも静かに笑っている
 <日本は2011年春に巨大震災と原発事故による複合的大惨事に襲われ、死者・行方不明者は総計約1万9500人(内訳は死者1万5829人、行方不明3686人=11月1日現在。警察庁まとめ)にのぼった。災害で苦しむとき、地球救援隊が駆けつけてくれるという期待があれば、苦痛の中にもささやかな安堵感を抱くこともできよう>
*東に病気の子どもあれば、行って看病してやり
 <開発途上国では生まれてから1歳までに亡くなる赤ちゃんが年間約700万人、5歳の誕生日を迎えられずに命を失ってしまう子供は年間1100万人にものぼる。その過半数は栄養不良による。どのように看病すれば、いいのか。世界中で自然環境を汚染・破壊し、いのちを奪うために浪費されている巨額の軍事費のうちほんの一部を回せば、子ども達の目も生き生きと輝いてくるだろう>

*西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
 <世界中で安全な飲料水を入手できない人は11億人(地球総人口は2011年11月現在の国連推計で70億人)、また基礎的な衛生施設を利用できない人は24億人もいる。人口増加を考慮に入れると、水をめぐる局地的な紛争や武力衝突は増加する可能性が高い。アフリカや西アジアでは水瓶(みずがめ)を頭の上に乗せて何キロも離れた距離を運ぶ女性の姿は珍しくない。これでは女性、母たちもたしかに疲れるだろう!>
*南に死にそうな人あれば、怖がらなくてもいいと言い
 <世界で南の発展途上国を中心に8億人が飢えている。地球上の住民のうち9人に1人が飢えている勘定だ。スマトラ沖大地震・インド洋大津波(04年12月26日発生)による死者・行方不明者約30万人、避難民約150万人。毎年50万人超の女性が妊娠と出産のために死んでいる。「怖(こわ)がらなくてもいい」と言われても、死に直面する恐怖から自由になるのは容易ではない。地球救援隊が素早く駆けつけて、救援の手を差し伸べることができれば、少しは恐怖が軽減されるかも知れない>

*北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないから止めろと言い
 <「北に喧嘩」の北とはアメリカであり、喧嘩とは、アフガニスタン攻撃に続くアメリカ主導のイラク攻撃とイラク占領を指している。正当な理由もなく、正義に反し、世界中の非難を浴びているのだから、性懲りもなく続けるのは止めなさい、という声は地球上を覆っている。アメリカもやっと2011年内に軍隊を撤退させることになった>
*みんなに「でくの坊」と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず
<日本がイラクへ自衛隊を派兵しなければ、アメリカは日本を「でくの坊」、つまり 「役立たず」と非難し、褒めてはくれないだろう。しかし自衛隊の派兵を日本が拒否し ていたら、イラクをはじめ、多くの国や人々からは「苦にもされず」つまり「結構では ないか」と評価されただろう>
*そういう者にわたしはなりたい
 <そういう国に日本はなりたい。そういう思いやりがあり、「世のため人のため」に働く人間に私はなりたい>

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勉強とは何?働くってどういうこと?
中学生たちと企業経営者との交流

安原和雄
中学生と企業経営者との対話交流というユニークな試みが行われた。テーマは「勉強するのは何のため? 働くってどういうこと?」である。私が現役の中学生なら、参加してみたくなるような企画である。
 基調講演「グローバル社会で求められる力とは」は女性経営者が担当、「人と競争するよりも、昨日の自分と競争すること。毎日新しいことを学んで成長する楽しみを、持ち続けたい」と力説した。同時に「グローバル社会で生きていくためには多様性への対応力が大切」と強調することも忘れなかった。(2011年11月5日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 財界団体の一つ、経済同友会(代表幹事・長谷川閑史武田薬品工業社長)発行の『経済同友』(2011年10月号)が興味深い特集記事を掲載している。経済同友会「学校と経営者の交流活動推進委員会」主催の「勉強するのは何のため? 働くってどういうこと?」と題して行われた中学生、教員(副校長)、保護者らと経営者との対話である。以下では中学生と経営者との間の交流に絞って紹介する。

▽ グローバル社会で求められる力とは ― 中学生へ期待すること

 まず基調講演「これからのグローバル社会で求められる力とは~中学生の君たちへ期待すること」を紹介(大要)する。講師は橘・フクシマ・咲江副代表幹事(G&S Global Advisors Inc. 取締役社長)。

*欧米型+アジア型のリーダーシップが必要
 経済の中心も、必要とされる人財(長年「人材」を財産としてみる「人財」と表現してきた)も、アジアに移りつつある。この変化によってリーダーの要件も変わってきた。これからはアジア型と欧米型を合わせたハイブリッド(異質なものの混成物)なリーダーシップが必要になる。欧米型は数字や戦略を強調するが、アジア型は人間関係や現場を重要視する。これは日本にとって有利なはずだ。
 しかし残念ながら日本は今、内向きになっている。その一例がアメリカへの日本人留学生の減少で、一方で中国人、韓国人、インド人の留学生は増えた。英語力にも差がついている。世界の人財市場での日本の競争力は10年遅れてしまった。

*最も大切な「多様性」対応力
 グローバル・リーダーとなるための要件は、国境を越えて活躍できること、どんな未経験の問題でも解決できる創造的問題解決能力を持っていること。特に知ってほしいのが「多様性=ダイバーシティ」対応力の大切さだ。これは国籍、人種、性別、年齢、宗教などの異なる相手の立場に立って考えるということ。(相互の)違いを理解して、人間として尊重、尊敬することだ。国籍や性別もその人個人の個性の一部として見ることの重要性である。ダイバーシティに対応するためにも、予測不能な危機を乗り越えるための危機管理能力、創造的問題解決能力、コミュニケーション能力が必要なのだ。こういう人がグローバルなプロフェッショナルのチェンジ・エージェント=変革者となる。

*新しいことを学んで成長する楽しみを持とう!
 私が見た成功者に共通する特性は、自分のしたことに責任を持ち、失敗から学んでいること。成功の道は一人ひとり違うのでマニュアルはない。つまりキャリアは自分で作るもの、何をするにも無駄はないので、何でもやってみること。できないと思う前にどうすればできるかを考えてほしい。また人と競争するよりも、昨日の自分と競争すること。
 私の一番好きな言葉は「ローマは一日にしてならず」。昨日よりは今日、明日よりは明後日、毎日新しいことを学んで成長する楽しみを、私は持ち続けたい。

 以下は生徒との質疑応答の一部である。
問い:グローバルなプロフェッショナルになるには、プロスポーツ選手のように生まれつきの才能が必要か、それとも努力次第か。
答え:生まれながらの能力は確かにある。でも努力である程度開発できるのが個人的資質の論理性や発言能力。そこに仕事での経験で得られる能力を加えていけばプロフェッショナルになることも可能だ。

問い:「ローマは一日にしてならず」という言葉はいつどこで出会ったのか。
答え:小学生のとき本で読んだ。でもそのころは、あまり勉強したくなくて、怠けることの言い訳に使っていた(笑い)。社会人になって一日一日の努力の積み重ねが成果につながることが分かって、日々の努力型がとても大切だと思うようになった。それからは、この言葉を信念にしている。

▽ 生徒たちの多様な感想 ― グループ討論から

 基調講演に続いて、生徒たちを含むグループ・ディスカッションが3組に分かれて行われた。それぞれのテーマ、講師(司会役)の助言(要旨)、生徒たちの感想(要旨)は次の通り。

(1)テーマ「仕事は喜びを得るためのもの」=講師・大塚良彦 大塚産業クリエイツ取締役社長
<講師の助言>
「グラスに半分飲んだジュースがある。これを見て、どう思う?」と講師が尋ねた。「まだ半分残っている」と答えた生徒に講師はうなずいた。「半分しかないではなく、半分もあるというプラスの考え方で物事を考えることが大事だ」と。
<生徒の感想>
・考えることの大切さが分かった。今まで勉強はただ覚えるだけだったが、これからはなぜそうなるのかなど、考えながら勉強したい。
・働くことがどういうことか、いかに大切なのかが分かった。人に信頼されること、人の立場になってものごとを考えることが大切だと分かった。
・勉強について、今まではなぜしなくてはならないのかと思っていたけど、勉強は目標達成のための「手段」と分かって納得できた。
・先生は「働く」ことだけではなく、人と人とのつながり、コミュニケーションの大切さも教えて下さった。またみんなでいろんなことを言い合って、いろんな考え方やものの見方があると分かり、とても有意義な時間だった。

(2)テーマ「何にでも積極的にトライしよう!」=講師・島田俊夫 シーエーシー取締役会長
<講師の助言>
具体的な目標を持つことが重要だ。必ず結果を出したいという目標を頭に浮かべたときに勉強する。さらに将来は文化や習慣などが異なる外国人と共に仕事をすることが多くなる。できるだけ機会を見つけて日本人以外の人と接触しよう。そこで、違う行動や習慣を肌で感じ、尊重することが重要だ。
<生徒の感想>
・目標を決めてさまざまな努力をしていくことが大切だという話が役に立った。今まで自分は高校を偏差値だけで決めようとしていた。でも自分でやりたいことをどんどんやっていこうという気持ちになり、見方が変わった。
・今まで考えていた、好きなことだけに取り組むのは、視野が狭いことが分かった。こんなディスカッションは初めてなので、緊張したが、人それぞれの考え方が聞けて、とても良い経験になった。
・ディスカッションの途中で、話の内容が分からないところがあり、意見を持てなかったが、講師が「分かりません、と言うことも意見だよ」と素晴らしい話をしてくれた。今後自分の中で、何かが変わるかもしれない。

(3)テーマ「みんなの夢をみんなで語り合おう」=講師・出口恭子 日本ストライカー取締役グローバルマーケティングバイスプレジデント
<講師の助言> 
生徒たちは、思い入れに差はあるにせよ、それぞれに夢を持っている。講師は、どうしたら夢に近づけるか、お互いにアイデアを出し合おうと声を掛けた。講師自身、「幸せだと自信を持って言える仕事に巡り会えたのは40歳を過ぎてから。でもそれまでさまざまな仕事を経験し、いろいろな人と知り合ったから今の仕事がある」と告白した。
<生徒の感想>
・めざす夢は、いくら変えてもいいもので、それまでの努力も時間も決して無駄にはならない、ということに行き着いたとき、少しほっとした。
・進路について不安はあったけど、たとえ将来なりたい職業が変わっても、それまでの経験を次の夢に活かすという前向きの考えがあることが分かって良かった。
・最初は、どんなことを話すのか緊張していたが、自分の悩みや不安に思っていることなどを素直に話せて良かった。違った意見やアドバイスをもらったりして「よし、がんばろう」と思った。

▽ <安原の感想> 「若者の夢」と「世界の多様性尊重」の両立を

 夢を持つことは極めて大事なことだ。若者から夢を引き算したら何も残らない。夢を抱き、脹らませていくことは若者の特質でもある。最近、夢を持てない若者が増えているときだけに「夢を大切に」はスローガンとして無限の価値がある。
 重要なことは、その夢の性質であり、方向性である。めざすところが最近流行の「グローバル化」だけであるとすれば、いささか寂しい。

*グローバル化の多様な意味
 そもそもグローバル化とは何を意味しているのか。そこが問題である。一口にグローバル化と言っても、そこには多様な意味が含まれる。例えば米国流の世界における覇権主義、単独行動主義に固執することはカビの臭いがつきまとう。巨大な軍事力に支えられているだけにもはや時代感覚に反し、古すぎるのだ。
 一方、資本、企業レベルの国境を越えたグローバル化を絶対視するのも、もはや時代感覚としてずれている。これはグローバルな私利追求に執着する企業行動で、いかにも時代の先端を走っているかのような印象を与える「グローバル化」ではあるが、それを隠れ蓑にした貪欲そのものの反社会的行動というほかない。これからの時代を担うべき若者たちをこういう貪欲の群れに誘い込むことは、容認しがたい。

 さてもう一つのグローバル化、すなわち市民レベルの国際交流としてのグローバル化は促進すべきである。基調講演の題名、「これからのグローバル社会で求められる力とは~中学生の君たちへ期待すること」では「グローバル化」ではなく、「グローバル社会」という表現が使われている。しかも基調講演では「多様性=ダイバーシティ」対応力の大切さが強調されている。これは国籍、人種、性別、年齢、宗教などの異なる相手の立場に立って考えるということで、このような意味での「世界の多様性尊重」が21世紀のキーワードになってきている。このキーワードと「若者たちの夢」とをどう両立させていくか、若者自身にとっても今後の大きな課題である。

*昨日の自分と競争すること
 基調講演の中で印象に残ったのは、「人と競争するよりも、昨日の自分と競争すること」である。これは重要な示唆を含んでいる。
 学校でも企業社会でも多くの人は「人との競争」に明け暮れている。これは弱肉強食型、つまり相手に勝たなければ、自分が負ける、というつぶし合いの競争意識に囚われているからである。だから昨今、勉強嫌いの不登校少年、神経症などに悩む企業サラリーマンが増えている。
 一方、自分との競争も決して気楽な選択ではない。自由な選択であるだけに怠け心をどこまで抑えることができるか、まさに自分との競争である。そこには自らを成長させ、個性を豊かにする楽しみが待っている。同時に人も自分自身との競争で自らを磨いていることに寛容な心を持ちたい。これは弱肉強食型を超える共生型の望ましいタイプの競争といえる。

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