「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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地産地消型自然エネルギーへ転換を
連載・やさしい仏教経済学(33)

安原和雄
持続的発展を軸とする循環型社会づくりの決め手となるのが、エネルギーのグリーン化、すなわち現在の石油・石炭・天然ガス・原子力発電依存型から自然エネルギー活用型への転換である。石油・石炭・天然ガスは環境汚染・破壊型で、再生不能の枯渇性エネルギーである。すでに多くの犠牲者を出し、しかも事故が続発して安全性に疑念がつのっている原子力発電に必要なウランも再生不能の枯渇性資源である。
 これら再生不能エネルギーを抑えて、低環境負荷型の再生可能、つまり無限の利用を期待できる自然エネルギー(太陽光、風力、バイオマス、水力、地熱、潮汐力、波力など)へと重点を移していく必要がある。これは地域が主役となる「地産地消型」自然エネルギーへの転換を意味する。その現状と将来図を考える。(2011年2月17日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ 小さな地域の大きな挑戦 ― 自然エネルギー自給へ

 毎日新聞(2011年2月8日付)によると、映像作家の鎌仲ひとみさん(注)が「反原発の小さな島の挑戦」という見出しで自然エネルギーに取り組む離島としての祝島の実情を描いている。さらに同紙(同年1月31日付)は足立旬子記者が祝島をはじめ、エネルギー自給を試みる国内外の現状を報告している。「小さな地域の大きな挑戦」と評価できよう。以下、そのいくつかを紹介する。
(注)鎌仲ひとみさんは1958年生まれ。08年から2年かけて祝島とスウェーデンを舞台に「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画を製作した。このほか「ヒバクシャ 世界の終わりに」「六ケ所村ラプソディー」などの自主製作映画の監督を務めた。

*反原発と自然エネルギー100%で自立宣言
 瀬戸内海に浮かぶ山口県上関(かみのせき)町の祝島(いわいしま)が11年1月、日本の離島では初めて、自然エネルギー100%で自立すると宣言した。この島の3.5㌔対岸に中国電力の上関原子力発電建設計画があり、島民は10億8000万円の漁業補償金の受け取りを拒否し、これまで30年間も計画に反対してきた。
 島民約500人の多くは無農薬のびわを育て、ひじきを採り、半農半漁で自給自足的な生活を営んでいる。原発建設予定地・田ノ浦は環境破壊が進んだ瀬戸内海にあって「奇跡の海」と呼ばれ、希少生物がひしめく生物多様性の宝庫とされる。破壊すれば取り返しがつかないと、日本生態学会など四つの学会が環境アセスメントの見直しを求めている。海域には日本で約5000羽しかいないという絶滅危惧種「カンムリウミスズメ」、同じ絶滅危惧種で体長2㍍近い白いイルカ「スナメリ」などが棲(す)んでおり、その絶妙な生態系を破壊しないタイの一本釣り漁法を祝島の漁師たちは誇りにしている。

 今回スタートさせた「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」の概要は次の通り。
・住宅100戸にそれぞれ3~4㌔㍗の太陽電池を設置する。
・し尿を生かすバイオマス(生物資源)発電、小型の風力発電、太陽熱温水器を順次導入する。
・10年間ですべての島民が暮らすのに必要な約1000㌔㍗の自給を目指す。
・必要資金は趣旨に賛同する企業やアーティストらから売上の1%を寄付してもらう。
 このプロジェクトによって島に若者の働く場を作り出し、豊かな自然を生かしたエコツーリズムや海産物などで経済的自立を目指し、島を持続可能な地域にしていくことが期待されている。
 祝島の新しい挑戦には成功した先例がある。デンマークのサムソン島がそれで、1998年から10年間で100%自然エネルギーの自給を目指した。陸上と洋上の風力発電、太陽光発電などですでに電力自給100%を達成しており、世界の先駆けともなった。

 祝島のほかに自然エネルギーの自給にすでに取り組んでいる地域を紹介すると― 。
*岩手県葛巻町=10年前から風力発電や、牛ふんなどを利用したバイオガス発電を進め、町内の約7割のエネルギーを賄っている。
*徳島県上勝町=人口1940人のうち、65歳以上の高齢者が約半数を占める。山の手入れが不十分で、建材に向かないスギなどが広がる。これを活用したバイオマス発電、急峻な川の流れを利用する家庭用の小規模発電、太陽光などを組み合わせる。自然エネルギー普及に伴う雇用確保も目指す。
*滋賀県東近江市=太陽光発電設置の世帯は約4%で、全国平均の1.1%を上回る。この太陽光による発電電力に見合う金額を市内商店で使える地域商品券として市が交付し、商店街にも自然エネルギー活用の恩恵が回るような新しい試みに乗り出している。これは「売り手よし 買い手よし 世間よし」を「三方よし」という近江商人の「商売道」の発想に根ざしている。

<安原の感想> ― 地産地消型エネルギーは「三方よし」の実践

 上に紹介した離島や地域の自然エネルギー自給の試みは、地産地消型、すなわちその地域で産出され、その土地で消費されるエネルギーへの転換を意味する。これは現在主役を担っている巨大電力会社による送電ロスの多い広域電力供給方式と違って、小型の地域分散型、地域密着型そのものといえる。地域貢献型でもある。
 関心を引くのは、東近江市に伝わる江戸時代・近江商人の「三方よし」であり、その今日的実践がほかならぬ地産地消型エネルギーとはいえないか。「三方よし」の経営理念は、末永國紀同志社大学経済学部教授によれば、現代の今、次のように読み解く。

 商品に自信をもって、すべての人々に気持ちよく使ってもらうように心掛け、人々の役に立つことを願う。損得はその結果次第と思い定めて、自分の利益だけを考えて一挙に高利を望むようなことはせず、何よりも人々の立場を尊重することを第一に心がける。欲心を抑え、心身ともに健康に恵まれるためには神仏への信心を厚くしておくことが大切である、と。
 地産地消型エネルギーは仏教経済学のキーワードでいえば、知足、簡素、共生、利他、持続性などの実践にもつながる。

▽ 自然エネルギー活用が世界の新潮流 ― 非暴力の世界へ

 自然エネルギー(=再生可能エネルギー)の利用促進をめざす国際自然エネルギー機関(IRENA=International Renewable Energy Agency、09年1月設立)には欧州各国、多くの発展途上国のほか、インド、韓国、フィリピンなど75カ国が参加しているが、日本をはじめ米国、ロシア、中国などは参加していない。
 この自然エネルギーを普及させるには、その電力供給を安定・拡大させるための新しいシステム(固定価格買取制など)が必要不可欠である。環境先進国、ドイツはいち早くこのシステムを導入し、自然エネルギーの普及に力を入れている。このような自然エネルギーの活用が世界の新潮流である。ところが日本は太陽光発電では世界的に優れた技術水準を誇っているにもかかわらず、折角の技術が活用されていない。その背景には石油や原発など再生不能の枯渇性エネルギーへの依存にこだわっているという事情がある。

 米国はオバマ大統領の登場と共に「グリーン・ニューディール」、つまり石油重視から自然エネルギー重視への転換、環境保全、雇用の増大 ― を三本柱とする新政策を打ち出した。このままでは日本は世界の新潮流に乗り損ねる懸念が強い。一次エネルギー総供給に占める自然エネルギー、つまり国産エネルギーの割合(2007年)をみると、日本は3~4%で最低レベルにとどまっている。

 WWF(地球環境保全団体)は2011年2月3日「エネルギー・レポート」を発表し、「2050年までに100%再生可能エネルギーの社会は実現可能」としてそのシナリオを示している。その骨子を以下に紹介する。
・エネルギー需要は、省エネルギー策の徹底によって2050年には2005年よりも15%削減が可能であること
・現在ある技術をべースに、その需要の95%を再生可能エネルギーで供給することが可能であること
・化石燃料、原子力、旧来型バイオマス(薪炭材など)は、太陽光、風力、地熱、バイオマスなど多様な再生可能エネルギー源を組み合わせることによって、ほぼ完全に代替できること
・これにより世界のエネルギー由来のCO2排出量は、2050年に80%以上削減されること
 なおこのシナリオは、以下の条件を想定している。
・国連の人口増加の予測(2050年90億人超)に基づき、現在電気のない生活をしている14億人を含む地球の全人口に電気を供給できること
・初期の新規設備投資は必要だが、長期的には燃料費の低下で運用費も低減され、2040年以降は正味でコストの節約となる。

 米国のイラク攻撃・占領の狙いの一つが中東などの石油確保にあったように、石油など再生不能エネルギーへの過度な依存は暴力(=戦争)を伴いやすい。しかし再生可能な自然エネルギー活用型への転換は、エネルギー利用の持続性確保にとどまらず非暴力(=平和)、いのち尊重の実現にも貢献する。
 WWFの描く「100%再生可能エネルギーの社会」へのシナリオが実現して、石油や原子力発電などいのち軽視と暴力に走りやすいエネルギーと縁を切ることのできる日の遠くないことを待望したい。

▽ 在日米軍基地跡地に太陽光発電所を ― ローカリズムの復権へ

 農文協編『TPP反対の大義』(農山漁村文化協会)に「ピーク・オイルに備える文明の転換」を説く次のような主張がある。
 日本経済のアキレス腱はエネルギーと食料の大半を輸入に頼っていること。今の世界情勢ではこれらを今後も支障なく輸入できる保証はどこにもない。
 国際エネルギー機関(IEA)は2010年11月、「世界の原油生産は2006年にピーク(増産の限界点)を超えたとみられる」と発表した。もう経済成長はありえない。今後は原油生産の逓減で、工業経済はガス欠状態に陥り、徐々に収縮していくだろう。貿易を支える海運も燃料の高騰で、採算がきつくなる。ピーク・オイルの厳然たる事実は、今世紀はエネルギーと食料の危機の世紀であること、そして人類の未来は長期的には農業中心の地域共同体にあることを示している、と。

 長期的視野で将来を展望すれば、反原発と石油枯渇を背景に自然エネルギーを基盤とせざるを得ない地域共同体は恐らく農業重視型になるほかないだろう。ただその地域共同体には農業と並んで、地元の人材や資源などの地域力を生かす多数の中小企業(=わが国総企業数の99%、雇用者の70%、工業出荷額の50%を担っている)が健在でなければならない。これは地域の人々の暮らしを第一に重視するローカリズムの復権であり、一方、利益第一を掲げて新自由主義的な世界規模での貧困、失業、格差、地域軽視・破壊をもたらすアメリカ流グローバリズムへの批判を広げずにはおかない。
 言い換えれば、地域の疲弊などをもたらす新自由主義的路線を転換しない限り、多様な地域力を生かす経済の発展は期待できない。地域発展のためには地域に密着した地産地消型自然エネルギーの活用がどこまで普及するかが重要な尺度になるだろう。

 具体策として例えば在日米軍基地(その総面積は1000平方㌔㍍)が近未来に返還され、その跡地にすべて太陽光発電所を建設すると、どれだけの電力を産み出せるだろうか。試算によれば、年間1000億㌔㍗時の電力が得られる。日本の全発電電力量9000億㌔㍗時の9分の1にのぼるという計算である。また沖縄の米軍基地を撤去して、太陽光発電所に置き換えると、現在沖縄電力が供給している電力量の約3倍の発電電力量が得られる。(吉井著『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』から)
 もっともこの構想を実現させるには米軍基地を容認している現行の対米従属的な日米安保条約を解消し、米軍基地を置かない対等の日米平和友好条約に切り替えることが必須条件となる。日本におけるローカリズムの復権は、アメリカ流グローバリズムの軍事的尖兵、在日米軍基地の完全撤去とともにたしかなものとなるだろう。

<参考資料>
・牛山 泉「原発のない社会は可能か」(循環型社会研究会通信NO.30、2011年1月号)
・吉井英勝著『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』(新日本出版社、2010年)

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食料安全保障とTPPと自給率向上
連載・やさしい仏教経済学(32)

安原和雄
 日本はいのちを育てる農業をおろそかにし、いのちを削る工業をたくましく成長させてきた。外国産の食べものが安いのであれば、輸入すればいいという新自由主義的発想も背景にある。その結果、食料自給率は現在4割まで低下し、6割を海外に依存するという異常な先進国は日本だけである。最近話題になっている世界各地での食料の不足・価格騰貴を考えると、大半の食料の海外依存は食料安全保障上も危険である。
菅民主党政権になって突如、関税ゼロを原則とするTPP問題が持ち上がった。菅首相が唱える「平成の開国」だが、日本がTPPに正式参加すれば、食料自給率はさらに低下し、「壊国」に陥る恐れがある。食料安保と自給率向上のための打開策は何か。(2011年2月9日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ TPPで日本の食料自給率は急落へ

 2011年1月現在、TPP(Trans-Pacific Partnership=環太平洋パートナーシップ協定または環太平洋経済連携協定)にはシンガポール、ニュージーランド、ブルネイ、チリ、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアの9カ国が交渉に参加している。これに日本が参加すれば、計10カ国となる。TPPは2010年3月から、政府間交渉が開始され、物品貿易に限らず、金融、電気通信、投資、環境、競争政策、労働、中小企業、サービス、政府調達など24の幅広い分野を対象としている。

 日本は食べ物の多くを外国から輸入しており、このため国内産でまかなう食料自給率は現在40%で、先進国としては極端に低い。水田の4割は生産抑制状態にある。農業に従事する農業人口は1985年の543万人から2010年には261万人へと半減し、しかもその約6割は65歳以上で、高齢化が進んでいる。
 こういう日本の食料、農業の現実にTPPはどういう意味、影響をもたらすのか。毎日新聞(2月3日付)は、「日本で焦点となっているコメなど重要品目でも関税撤廃を求められる可能性が高い」と伝えている。要するに一部例外品目を残す従来の貿易自由化と違って、関税ゼロによる完全自由化が原則である。農産物輸出大国のアメリカ、オーストラリアが狙っているのは人口の多い日本市場である。

 衆院予算委(2月2日)で志位和夫氏(共産)が「TPPに参加すれば関税がなくなり、食料自給率は急落する」と質問したのに対し、菅直人首相は「目標として掲げている50%の自給率と両立できる方向性を目指したい」(毎日2月3日付)と述べるにとどまった。
 農産物のなかでわずかに高関税が維持されている品目(コメ、乳製品など)が関税撤廃された場合、食料自給率は「食料・農業・農村基本計画」(2010年3月閣議決定)の目標である「現在の40%から50%への引き上げ」は挫折し、13%(農水省の試算)へと急落する。国民のいのちの根幹をなす「戦略物資」食料をほとんど海外に依存するという異常事態にもなりかねない。それを阻止して、食料自給率を高めていくことが必須の課題となってきた。

▽ 「平成の開国」=「壊国」にどう対応するか

 TPPがもたらす影響、被害、さらに今後の展望について適切な参考書として農文協ブックレット『TPP反対の大義』を挙げたい。大学教授、農業研究者、民主党議員ら多様な顔ぶれがTPP反対・疑問論を展開している。その趣旨は、菅首相の唱える「平成の開国」は、実は「壊国」、つまり日本の農業破壊にとどまらず、国土、自然などの破壊にも通じるというもので、「壊国」への対応策にも言及している。以下、その一部(要旨)を紹介する。ただし論者の氏名は省略。

*TPPをめぐる基本的な構図
 「国益」対「農業保護」(注)という捉え方は根本から間違っている。正しくは「輸出産業の利益」対「失われる国益(=国民の利益)の大きさ」である。国益を損ねてまで農業保護に精出すのは疑問、というTPP推進論者たちの見方は批判に値する。
TPPへの参加は、国内市場が飽和して輸出が頼りの大企業の要求で、大企業は稼いだ外貨を溜め込んだり、海外投資したりして、国内の経済循環に貢献していない。中小企業がベテラン従業員を失うまいと必死で雇用を維持しているのに、トヨタやキヤノンはさっさと派遣切りをやった。
(注)先進国の農業産出額に対する農業予算の割合、すなわち財政の支援度(2005年度)をみると、アメリカ65%、ドイツ62%、フランス44%、イギリス42%に対し、日本は27%と一番少ない。日本農業を過保護とみるのは、誤解である。

*日本は大量失業社会に変化する
 TPPは労働問題としても考えねばならない。問題なのは、EUのように国境を越えた移動の自由化を重要な目的にすることだ。その突破口として介護などの労働者の移動を取り上げるだろうが、やがて普通の労働者の移動も認める。その結果、自由貿易圏内の労賃は同じになる。例えば中国の労賃は日本の約10分の1だから中国の労働者が大量に日本に来るだろう。その結果日本人の賃金は中国人の賃金に近づく。日本人労働者が「その賃金では不満だ」といえば、会社を辞めるしかない。こうして日本人の失業者が増える。
 TPPがめざす自由経済は「ジャングルの掟」が支配する世界になりやすい。力の弱い者は、強い者の脅しに怯(おび)えながら、自己責任で生きるしかない。

*日米安全保障か食料安全保障かの二者択一
 TPPにアメリカが参加表明したのは、アジアにおける「アメリカ外し」への政治的対応と理解できる。他方、日本の参加の動きは、沖縄の普天間基地問題で綻(ほころ)んだ「日米同盟」の再強化という側面をもつ。その点で日米両国にとってのTPPは、大方の経済学者の議論とはステージが異なり、経済的選択というよりは政治的選択の側面が強い。つまり日米安全保障(日米同盟)か食料安全保障かの二者択一であり、これが本質である。

*「日本の国のかたち」の存続がかかっている
 食料自給率が下がることは、国民のいのちをつなぐ食料の安全保障が希薄になるということ。さらに農村では耕作者がいなくなり、農地も森も荒れ、集落がなくなり、水源の確保や生物多様性の確保もままならず、計り知れない損失が生じる。また農村も文化も日本から消えてしまう危険がある。「日本の国のかたち」の存続がかかっているといっても過言ではない。

*「新自由主義」と「持続的発展の創造的運動」との対立
 新自由主義的なグローバリズムが広がる中で、一部大企業の短期的な経済性・効率性を第一にするのか、あるいは自然との共生による一人ひとりの人生を大切にした持続可能な地域・日本ををつくるのかの対立が続いている。
 私たちは、地方自治体、国の主権者であり、その主権を行使し、互いに連携した地域、日本、地球の持続的発展のための創造的運動が今求められている。

<安原の感想> 「平成の壊国」を克服して新しい国造りを
 「平成の開国」すなわち「壊国」を克服していくには二つの試練が待ち構えている。一つは日米安全保障と食料安全保障のどちらを選択するか、その二者択一の課題である。菅首相は二者が両立するかのよな言説を振りまいているが、幻想にすぎない。日米安保に異常なまでの執着を示す菅政権中枢はアメリカの政治・経済権力への抵抗力を失っており、その姿は滑稽でさえある。国民のいのちの源である食料安保を確保するためには日米安保に見切りをつける展望をもたねばならない。

 もう一つは新自由主義(=市場原理主義)の復活をいかにして封じ込めるかである。菅政権のTPPへの「参加検討」は広範な反対運動を誘発し、「新自由主義グループ」(菅政権中枢、日本経団連、朝日新聞等の大手メディア、新自由主義信奉研究者ら)対「その他多数の反新自由主義集団」という対立構図を出現させた。2008年の世界金融経済危機の中で沈没したかにみえた新自由主義グループがTPPとともに勢力の復活を策している。多国籍企業など大企業の利益を優先させ、一方、市民、庶民、老人の人生と暮らしを蔑(ないがし)ろにする新自由主義の策動を許してはならない。
 日米安保と新自由主義という名の「鉄格子の檻(おり)」を打破してこそ、その先に初めて日本の新しい国造りが始まる。

▽ 貴重な「田園価値=多面的機能」を大切に育てよう

 非常に貴重な価値であるにもかかわらず、案外見逃されている事例が少なくない。日本の農業・農村で、その典型は「農業の多面的機能」(農林水産省の呼称)であり、私(安原)は、これをかねてから貴重な「田園価値」と呼んでいる。農水省は、農業・農村の多面的機能として次の八つを挙げている。

*国土の保全機能=水田は雨水を一時的に貯え、急激な流出を防止し、下流での洪水や周辺での浸水が防止、軽減される。畑も同様で、農業は国土の保全に貢献。
*水源の涵養(かんよう)機能=水田には生活に必要な水源・地下水を豊かにする機能があり、収穫後の水田や畑も、雨水の地下への浸透によって、地下水の涵養に貢献。
*自然環境の保全機能=水田や畑に育つ植物は、炭酸ガスを吸収して酸素を放出し、人や動物が生きていく空気を保つ働きをしている。田畑やため池が多様な生物の生息地になるなど自然環境の保全に貢献。
*良好な景観の形成機能=真っ直ぐなあぜ道、曲がったあぜ道、大小の田んぼ、四季による色彩の変化もとてもきれいで、この景観は人が農業を通じて自然と対話するなか作られてきた。
*文化の伝承機能=農村では自然の恵みに感謝し、あるいは災害を避ける願いをこめた芸能・祭り、様々な農業上の技術、地域独自の知恵などの文化が守り伝えられている。
*保健休養機能=都市住民が農家民宿に泊まって農業を体験したり、農村の文化・自然にふれたりと、農村での人と人との交流が人気になっている。
*地域社会の維持活性化=農家が一生懸命育てたお米や野菜などの農作物を中心に、市場への運搬、漬け物や缶詰への加工、お店での販売など沢山の仕事が営まれ、活き活きした地域社会に。
*食料安全保障=世界では10人に1人が明日食べるものにも困っている。有限の地球資源を有効活用しながら共生していくためには「自国で作れる食べ物は自分で作る」という考えを共有することが必要。

 以上の多面的機能について食料・農業・農村基本計画(閣議決定)は、次の2点を指摘している。
*多面的機能の恩恵は、都市部に住む人々を含めすべての国民が広く享受している。
*多面的機能という固有の価値は、お金で買うことのできないものである。

<安原の感想> お金では買えない貴重な「多面的機能」=「田園価値」
 農業・農村の貴重な多面的機能を私があえて田園価値と捉えるのは、ここでの田園は水田、畑、里山、森林、河川などからなっており、「豊かな自然」というイメージを連想しやすいからである。ただそれはイメージの違いであり、重要なのは、多面的機能も田園価値もお金では買えないし、取り引きできない価値であること。それでいて日本人の暮らしに必須不可欠な自然の営みと恵みであり、仏教経済学が視野に収める貴重な価値である。
 一方、現代経済学(=新自由主義など)が対象にしている財、サービスはいずれもお金で取引される価値に限られる。だからお金では買えない多面的機能や田園価値は現代経済学の視野にはない。TPPという「平成の開国」が「壊国」を意味するとしても、そのことに現代経済学は無関心であり、その「壊国」を黙視すれば、農業・農村の多面的機能や田園価値が消失して日本列島は生気を失い、荒涼たる光景が広がることになるだろう。
 それを許容しないためには日本人の覚悟と智慧が問われる。つまり「開国」の幻想に惑わされないで、日本の優れた田園の多面的機能=田園価値を尊重し、大切に育てていく努力が求められる。そこから食料自給率の向上も可能となる。

<参考資料>
・農文協編『TPP反対の大義』(農山漁村文化協会、2011年1月)

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企業の社会的責任とお布施型経営
連載・やさしい仏教経済学(31)

安原和雄
 企業の人減らし、賃下げはもはや珍しくない風景となった。企業の社会的責任が問われるようになって久しいが、これではその社会的責任を放棄するに等しい。現代経済学で言う「合成の誤謬」説によれば、企業にとって目先、小利、好都合にみえても、結局不都合な結果を招く。どう打開したらよいのか。
 21世紀における望ましい企業経営のあり方として、お布施型経営のすすめを提唱したい。仏教のお布施の正しい理念を応用、実践するもので、環境、倫理、雇用、賃金を重視する企業経営を指している。「世のため人のため」の経営でもあり、これこそが企業の信用と発展につながる。(2011年2月2日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽ 「大企業は雇用拡大・賃上げを」の声

 まず「大企業は雇用拡大・賃上げを」と題する投書(無職 須合邦夫 秋田市 71歳=1月27日付朝日新聞)の紹介(大要)から始めたい。

 法人優遇税制に関する富岡幸雄・中央大名誉教授の「私の視点」(19日)を読んだ。それによると、(中略)資本金10億円以上の大企業から合計で年2兆円近い税金を取り損ねているという。
 菅首相はそこにメスを入れず、法人税率引き下げを決めた。首相の雇用拡大の要請に対し、日本経団連会長は約束はしなかった。経団連は1%の賃上げも拒否している。
 こうした大企業優遇税制や派遣切りなどの人件費削減が、244兆円ともいわれる大企業の空前の「内部留保」を可能にしたといわれる。(中略)対極にあるのは国民の窮乏だ。大企業は、内部留保の一部を還元し、景気回復のために雇用の拡大と賃上げを実現すべきだ。
 国家公務員労組連合会の試算によれば、大企業20社の内部留保の1%を取り崩すだけで、雇用(年収300万円)を24万人拡大できるという。財界は内部留保は設備や研究開発に投資するので取り崩せないと主張するが、日銀調査でも企業資産のうち206兆円は現金・預金だという。1%を取り崩せない根拠はないと思う。

<安原の感想> 横行する大企業の私利私欲と「合成の誤謬」
 昨今の大企業の無責任振りは目に余るものがある。上記の投書もそれを衝いている。具体例は以下の点である。
・首相の雇用拡大の要請に対し、日本経団連会長は約束はしなかった。
・経団連は1%の賃上げも拒否している。

 大手企業側のにべもない拒否の姿勢である。菅首相が「法人税率引き下げ」(首相は施政方針演説で「法人実効税率の5%引き下げを決断した」と述べた)というサービス(減税規模は1兆5000億円ともいわれる)に努めているにもかかわらずである。大企業の内部留保が投書の指摘にあるように244兆円にものぼっているのであれば、その貯め込みに執着する大企業は私利私欲に走り、貪欲に過ぎる。「グローバル競争に打ち勝つため」がその理由らしいが、この言い訳は安易で、陳腐すぎるし、経営能力そのものが疑問視されるだろう。

 このような大企業の姿勢は現代経済学の唱える「合成の誤謬」(ごうせいのごびゅう)に相当する。合成の誤謬とは、例えば個々の企業の立場では正しいこと、あるいは好都合と思える行為でも経済全体にとっては正しくないこと、あるいは不都合な結果を招くことを意味する。
 上述の例でいえば、日本経団連メンバーの大企業が雇用拡大にも、わずか1%の賃上げにも応じていないことは、なるほどそれら大企業にとっては雇用拡大や賃上げに伴う支払賃金増を抑えるわけだから目先では好都合に見える。しかし雇用拡大や賃上げ要求に応じなければ、支払い賃金は増えないだけでなく、減る可能性もある。現実に民間労働者の賃金は数年来減り続けている。その結果、個人消費も増えず、それが回り回って大企業の売上減に結びつく可能性がある。つまり不況になって大企業にとっても不都合な結果を招くことになるわけで、目先の小利にこだわることは決して得策とはいえない。経済界のリーダー達よ、「合成の誤謬」を学習し直してみてはいかがだろうか。

▽ 東の渋沢栄一、西の伊庭貞剛に学ぶこと

 21世紀に発展を続けて、尊敬を受ける企業とは、どういう企業だろうか。私利しか視野にない企業に発展はない。ここでは「東の渋沢栄一、西の伊庭貞剛」とうたわれた明治・大正時代の財界指導者に学ぶことは何か、を考えてみたい。

(1)東の渋沢栄一
 渋沢栄一(1840~1931年)は、日本資本主義の父ともいうべき存在で、明治・大正の財界巨頭。日本最初の銀行「第一国立銀行」を創設し、頭取に就任したほか、引退するまでに500余の企業の設立に関係、さらに東京商工会議所(1878年設立)の初代会頭に就任。一橋大学の創立と発展にも貢献した。著書は『論語講義』(全7巻・講談社学術文庫)、『論語と算盤』(大和出版)など。
 渋沢は必要な事業を盛んにするために多くの企業を設立したが、株が騰貴することを目的に株を持ったことはない、と『論語講義』で語っている。

 渋沢は経済・経営観として「論語・算盤」説(=「道徳経済合一」説、「利義合一」説)つまり利益追求よりも企業活動の成果の社会還元こそ重要だと説いた。その指針としたのが論語の次の名句である。

*「君子(くんし)は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る」
<大意> 君子(立派な人)は正しいか正しくないかという道義、道理中心に考え、行動するが、小人(つまらない人間)は利にさとく損得を中心に考え、行動する。
*「利によりて行えば、怨(うら)み多し」
<大意> 治者はもちろん、一個人にしても自己の利益のみを図る者は、他の怨みを取ることが多い。
*「不義にして富み、かつ貴(たっと)きは我において浮雲(ふうん)のごとし」
<大意> 道義、道理に反して得た富貴はまさに浮雲に等しく、いいかえればバブルにほかならない。 

 「経済学の父」と讃(たた)えられるイギリスの経済学者、道徳哲学者アダム・スミス(1723 ~90年)は主著『国富論』の中で「各人は、正義の法を破らない限り、自由に利益を追求し、(中略)競争することができる」と述べて、利益の追求と自由競争の促進に「正義の法」という厳しい枠をはめている。つまり貪欲な私利追求を戒めている。渋沢はスミスのこの主張を高く評価し、「利義合一は東洋、西洋を問わず、不易の原理」と指摘した。

(2)西の伊庭貞剛
 伊庭貞剛(1847~1926年)は渋沢と同時代に生きて「東の渋沢、西の伊庭」ともうたわれた存在で、住友財閥の2代目総理事として活躍、環境との調和、従業員との和を重視した。
座右の銘としたのが次の禅の言葉である。
*「君子財を愛し、これをとるに道あり」
<大意> 立派な人物は財を尊重して、手に入れるにも道に沿って行う、つまり道義に反していないかどうかをまず考える。 

 伊庭の口癖に「金(かね)というものは儲けられるもんじゃない。授かるものだ」、「武力、財力、智力、意力など<力>は貴いが、所詮手段じゃ。<力>を導くものは、<道>の外にない」があった。住友グループの経営理念、「浮利を追うなかれ」はここから生まれた。

 2人の大先達の経済・経営観を今日風に翻訳すれば、「企業人たちよ、私利私欲に執着し、カネの奴隷に転落することのないよう自らを戒めよ」ということだろう。

▽ お布施型経営のすすめ ― 求められる「企業の社会的責任」

 企業経営の望ましいあり方としてCSR(Corporate Social Responsibility・企業の社会的責任)が求められるようになって久しい。最近では企業とNPO(非営利組織)との協働事業も盛んである。経済同友会(経済団体の一つ、企業経営者個人の集まり)主催のシンポジウム<テーマ「企業とNPOの協働~CSRで企業は強く、社会はより良く~」>が2010年12月東京都内で開催された。基調講演は「善意や志が循環する社会をめざして~新しい時代の企業とNPOの戦略的連携~」で、大企業とNPOとの協働事業に関する現状報告もあった。このシンポジウムは21世紀の今日における企業の社会的責任とは何か、を問い直す試みであった。

 一口に「企業の社会的責任」といっても、その試みは多様であるが、私(安原)は21世紀における企業の社会的責任の望ましいあり方として、「お布施型経営」(注)をすすめたい。企業でいえば、現状では環境の汚染・破壊、倫理の軽視・無視、人員整理、賃金引き下げを辞さない私利優先型経営が少なくない。これを環境、倫理、雇用、賃金を重視するお布施型経営へと転換していく。
 低迷経済下ではマクロの経済規模は横ばいに推移するとしても、個別企業は企業仕事人の器量によって成長企業になり得るだろう。
(注)仏教が説くお布施は大別して、法施(法=真理の施しをすること)、財施(モノ、カネを施すこと)、無畏施(笑顔で接する<顔施=がんせ>など、不安感や恐怖心を取り除き、安心感を与えること)の三つがある。このお布施の理念、精神を企業経営に応用、実践するのがお布施型経営である。

 私利を貪(むさぼ)り、生き残れる時代は終わった。お布施型経営に反する企業の末路は哀れであり、昨今の事例では消費者金融・武富士の経営破綻が一つの典型といえる。
ただ仏教は欲望すべてを否定しているのではない。欲望には望ましい欲(求道の精神、歴史の大道に沿った改革への志、世のため人のために尽くしたいという利他の精神など)と望ましくない欲(物欲、金欲、権力欲、名誉欲など)の二つがあると教える。前者(望ましい欲)は「大欲」、後者(望ましくない欲)は「小欲」(=小さな低次元の欲望で、少欲すなわち知足とは異なる)といわれる。小欲への執着は見苦しく、自己破綻を招くことも多い、大欲は試練を伴うとしても、夢や希望につながるのだから持続させたい。この大欲まで失ってしまっては生き甲斐、働き甲斐も消えていく。
 もちろん金(かね)は現下の市場経済、貨幣経済の下では必要であるが、あくまでも生活、経済活動の手段にすぎないし、飽くなき増殖を目的とすべきものではないと仏教経済学は考える。

<参考資料>
・佐々井秀嶺著『必生 闘う仏教』(集英社新書、2010年)
・「企業の社会的責任」を改めて問う ― 経済同友会主催シンポジウムを聴いて(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」2010年12月18日掲載)

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