「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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消費税引き上げ論再燃に異議あり
不公平税制と軍事費の温存は無用

安原和雄
 民主党政権下で消費税引き上げ論が再燃してきたが、これには異議を唱えたい。引き上げ推進派は、財政赤字の是正には「歳出削減だけでは間に合わない」などの理由を挙げている。一見もっともらしい言い分のようだが、肝心なことは、消費税引き上げによる税収増が一体何に使われるのかである。有り体にいえば、自民・公明政権時代から続いている財政上の聖域、すなわち資産家・大企業優遇の不公平税制と平和に背を向ける軍事費の温存につながるほかないだろう。
 民主党政権はこの聖域の打破に取り組んで、新たな財源を捻出する必要がある。これを怠り、やがて「消費税引き上げもやむなし」に転換するようであれば、民主党の支持率回復は期待しがたいだろう。(2010年2月27日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽消費税引き上げをめぐる批判派と推進派の意見

 消費税引き上げに関する賛否の両論を新聞記事から以下に紹介する。
*批判派=「疲弊した庶民に過酷 消費税増税に怒り」という見出しの投書(東京都西東京市 無職 73歳=朝日新聞・2月25日付東京版の「声」欄に掲載)

 菅直人財務相が一石投じた消費税論議だが、増税が社会保障財源の決め手であるかのような意見もあり、それを熱心に唱えている新聞もある。しかし財源不足の原因を考えることが先ではないか。
 高齢化による社会保障費の増大もさることながら、強まる構造改革によって広がった国民各層の疲弊こそが最大の原因と考えられる。国民からの税収・社会保険料が増えない、あるいは低下さえしているのだ。一方で、大幅な利益を上げた一部の大企業が利益に見合う税金を納めていない。大企業と高額所得者・大資産家への税制上の優遇は目に余るものがある。
 消費税はあらゆるものに課せられ、疲弊した国民にこれほど過酷なものはない。景気回復を待って増税するにしても、国民の可処分所得をよほど増大させない限り、再び景気後退に見舞われることは明らかだ。消費税増税こそが財源問題の 切り札という考えはあまりに現実離れしている。

*推進派=「消費税増税の決断実行を」という主張(東大教授 伊藤隆敏=毎日新聞・2月25日付コラム「経済観測」に「ギリシャ化する日本」と題して掲載)
 
 国債、財政についてギリシャと日本の違いを述べた後、次のように指摘している。
(日本の)財政赤字の規模を考えると、歳出削減だけでは間に合わない。増税が必要だ。しかし増税は経済活動を委縮(いしゅく)させ税収を減少させる。効率的増税となる税の種類とタイミングの選択が重要だ。つまり消費税率の引き上げしかない。待てば待つほど増税幅は大きくなる。人口が減少していくので、次世代の一人当たり政府債務(09年度で780万円)は加速度的に高くなる。
 増税法案が否決される、あるいは増税したものの経済が大不況に陥れば、その時点で国債を買う人はいなくなる。資本逃避、人材流出で国家は崩壊する。そうならないためには、消費税増税を決断実行する必要がある。

 以上、紹介した批判派の意見は、国民良識派の声といえるだろう。これに対し、後者の推進派の主張は、現代経済学者にみられる代表的な言い分といっていい。このどちらに賛成するかで、その人の立場が明確になってくる。どちらでも構わないなどと暢気(のんき)なことを言っているときではない。夏の参院選ではこの消費税上げをめぐる是非が大きな争点にもなるのではないか。私(安原)は前者の批判派の立場に与(くみ)したい。これまでもそうだったし、これからもそうでありたい。

▽ 今はムダの削減を先行させるとき

 上述の消費税引き上げ論は、その理由として大まかにいえば、3つ挙げている。
 その一つは、「歳出削減だけでは間に合わないから」である。
 やがてそういう事態に直面するときも遠からずやってくるだろう。しかし今の時点で「だから増税を」というのは適切ではない。
 ムダな歳出を徹底的に洗い出すことがまず先決であり、それが不十分な現状で、増税論を持ち出すのは、ムダの洗い直しに不満な抵抗勢力の使い古した手口である。ダム、高速道、地方空港など様々な公共事業を食い物にする既得権益派にいつまでも「甘い汁」を貢ぐ必要はない。当面の課題はムダの削減である。

 次に「効率的増税としての消費税引き上げ」である。
 消費税はいったん導入すれば、たしかに徴税側にとっては効率的なのであろう。徴税コストも抑制的であるのかも知れない。しかしこのことは納税者からみれば、否応なく徴税されるという感覚で、それを「効率的」という名目で正当化されるのではたまらない。現代経済学者は徴税する側の感覚なのかも知れないが、これではテレビドラマ「水戸黄門」に登場する江戸時代の悪代官とダブって見えてくる印象が残る。

 さらに「資本逃避、人材流出で国家は崩壊する」を挙げている。
だから増税を、という主張は矛盾していないか。かつて北欧諸国で人材流出が話題になったことがある。流出の理由は「高い税金」であった。だから有能な高額所得者が税負担の低い国外へ脱出を試みるという事情があった。
 しかし今では「資本逃避、人材流出」は経済のグローバル化の下で日常茶飯事となっている。トヨタ(豊田章男社長)のリコール問題にからむ米議会公聴会のニュースが世界中を駆けめぐっているが、トヨタの欧米への資本進出も言い方を変えれば、日本から国外への「資本逃避」ではないか。資本の「国外脱走」ともいえる。なぜなら国内の雇用増につながらないからである。一方、日本が嫌いで、海外へ利を求める「人材」諸君には「どうぞ」と言うほかないだろう。
「国家は崩壊する」という表現もいささか大仰にすぎるが、有り体にいえば、自民・公明政権時代こそが国民大衆の安心・生活を蔑(ないがし)ろにして、国家(政府)としての本来の役割を放棄していたとはいえないか。それをどう再生させるかが民主党政権の大きな課題である。民主党政権にも弱点は少なくないが、前政権よりはまし、と認識してしばらくは見守りたい。

▽ 日米軍事同盟に軍資金を送るのはお人好し

政府予算の財源が足りないから、その穴埋めのためには消費税引き上げしかない、というのが引き上げ派の言い分である。消費税を1%引き上げれば、自動的に約2.5兆円の増税・増収となるのだから、徴税側にとっては笑いが止まらない、いわゆる安定財源である。これに対し納税する消費者はどうか。所得に対し税金を納める所得税と違って、消費税は、仮に失業していて、所得がなくても、消費する限り消費税は例外なく負担せざるを得ない、いわば大衆課税である。食べ物などモノを消費しない限り、人間は生きてゆけないからである。しかも所得の低い人ほど負担感の重い不公平税である。

 重要な点は、こうして集められた巨額の税金が何に使われるのか、である。消費税を導入(89年4月、税率は3%)したときの政府側の言い分は高齢社会に備えて社会保障費の充実に回す、であったが、現実には特に小泉政権時代に顕著だったように社会保障費は抑制された。では一体何に使ったのか。その一つはダムなど無駄な公共事業であり、もう一つは軍事費(年間防衛費は約5兆円)である。
 ここでは特に日米軍事同盟下の軍事費に注目したい。具体的には以下のような柱を中心に、その必要費用は数兆円にも及ぶと推計される。
・特に北朝鮮を敵視して進めている弾道ミサイル防衛(BMD)システムの日米共同開発と整備
・米軍のアフガニスタン、イラクへの侵攻に伴う「人道支援」という名目の自衛隊派兵
・沖縄における米海兵隊普天間基地の移設に象徴される在日米軍再編 ― など

 これらの事情を考えると、消費税の大半は日米軍事同盟の軍資金に化けていると読み解くこともできよう。日米軍事同盟が持続される限り、消費税引き上げは、さらなる軍資金の補給という性格を帯びてくるのであり、そういう軍資金は無用に願いたい。この仕掛けを察知しないで、消費税引き上げ論を唱えるのは、いささかお人好しとはいえないか。逆に承知のうえでのこととすれば、その性根には感心できない。
 日米軍事同盟と一体化した軍事費は本来、非経済的で、資金・資源の浪費を意味する。だから民主党政権としては事業仕分けの対象にすべき性質の予算だが、前自民・公明政権と同様に聖域視しており、採点すれば大幅減点というほかない。

▽ 軍隊を持たないコスタリカに注目するとき

 日米など軍事強国と180度異質で、軍隊を持たず、新しい国造りに取り組んできた中米のコスタリカに注目したい。 
 1949年の憲法改正で軍隊を廃止したコスタリカは、最近ではわが国でもかなり知られる存在となっている。軍隊廃止の背景には前年48年の内戦で約2000人の同朋の犠牲者を出したこと、もう一つ、米軍の原爆投下による広島、長崎の惨劇から「平和こそいのち」という教訓を得たこと ― などが挙げられている。つまり軍事力を持っているからこそ対立抗争、戦争に走るのだ、と覚(さと)ったのである。たしかに軍隊がなければ戦争はできない。またコスタリカ人たちは軍隊を持たないからこそ、外国から攻められる危険もないと確信している。
 軍隊廃止の利点は、軍隊廃止で浮いた財政資金を自然環境の保全、平和・人権重視の教育、医療・福祉の充実などに回して、国民生活の質的改善に充てていることである。私がコスタリカを訪ねたのは、米軍によるイラク攻撃開始(2003年3月20日)の2か月ほど前で、人々は街中で胸を張って堂々と歩いているのが印象に残った。

 一方、肝心のわが日本は平和憲法(1947年5月施行)9条で「戦争放棄、非武装、交戦権の否認」を折角うたいながら、コスタリカとは逆に再軍備へと方向転換した。今や日米軍事同盟下で日米共同の軍事演習が日常化するほどの強大な軍事力を保有し、米国と並んで生活の質が悪化し、貧困大国に転落している。コスタリカとは対照的に下を向いて足どりも重く歩いている人々の群がいかに目立つことか。

 平和憲法9条の本来の理念を生かして、日本が非武装国家に転換すれば、当面の財源に不足することはない。半世紀以上も昔の60年前にはコスタリカが日本に学んだのだ。そのコスタリカに今度は日本が学ぶ番ではないか。

▽ 高負担の福祉国家、「スウェーデンの秘密」に学ぶこと

 わが国では福祉など社会保障を充実させるためには、消費税引き上げは不可欠という考えが根強い。社会保障を重視している北欧諸国をみよ、というわけである。例えばスウェーデンの場合、消費税導入時の4.2%から始まって現在25%という高率である。
 しかしここで重視する必要があるのは、スウェーデンと日本とでは国や財政のあり方が根本的に異質であることだ。この点を無視して、高率消費税だけを借用しようとするのは、悪質なつまみ食いの類というべきである。

問題はスウェーデンではなぜ高率消費税が国民に受け容れられているのか、である。結論を先に言えば、高率消費税は国民からみれば「政府への貯蓄」に等しい。つまり国民にとっては自らの生活充実のために還元される資金である。そこに「高負担の福祉国家、スウェーデン」が国民の支持を得て成り立っている秘密がある。
 一方、日本の場合はどうか。政府への信頼度が低いから、「日常生活」の万一の事態に備えて自分の責任で貯蓄をせざるを得ない状況に置かれてきた。昨今はその貯蓄もままならないほど失業、貧困が広がっている。高齢の年金生活者も増えている。高い消費税を召し上げられることになれば、反政府感情が日本列島上に高まってくるとしても当然のことといえよう。

 さて日本とスウェーデンの税社会保険料、社会保障給付費などを比較してみよう。
税社会保険料負担26.4/50.4
教育費公的負担・・・3.4/6.2
社会保障給付費・・18.6/31.9
(内訳)
医療・・・・・・・・6.2/7.1
年金・・・・・・・・9.2/10.4
その他・・・・・・・3.3/14.4
(単位:%、GDP=国内総生産=比、数字は左側が日本、右側がスウェーデン)

 スウェーデンは日本に比べ負担も高いが、社会保障給付費や教育費公的負担も高い。たしかに高負担高福祉となっている。見逃せないのは高負担でありながらスウェーデンはなぜ元気なのか、つぎの4点を挙げることができる。
①産業構造・雇用構造の弾力的変動
②家庭からの女性の解放政策の推進に伴う出生率の上昇
③福祉国家特有の高度の所得再配分機能による、市場経済下の格差拡大の是正
④全国にわたり一定の福祉水準を確保するという福祉国家としての当然の政策に伴い、国と地方あるいは都市と農村などの経済力格差拡大の是正
 ここでは①産業構造・雇用構造の弾力的変動に限って日本とどう異なるかを紹介する。

 上記の社会保障給付費のうちの「その他」は介護や児童保育などの福祉サービス、職業訓練などの再チャレンジ関係の支出が主なもので、日本に比べ4倍以上の手厚さとなっている。このことが雇用構造に大変化をもたらした。
 高福祉国家への転換政策が始まった直後の1965年とそれから35年後の2000年を比較すると、製造業と農林水産業の就業者比率は大幅低下(製造業30%から19%へ、農林水産業12%から2%へ)し、一方、公共部門が倍増以上(15%から32%へ)の伸びを見せている。民間サービス業も若干の増加(43%から47%へ)となっている。
 就業者実数をみると、民間就業者は30万人減少したのに対し、公共部門は70万人増加し、差し引き40万人の雇用増となった。公共部門での就業者増はコミューン(市町村)での増大によるもので、この分野のほとんどは教師、介護士、保育士たちで、コミューン就業者の4分の3は女性である。(なおスウェーデンの総人口は約900万人)
このように教育、福祉サービスの充実に熱心であるところが、日本との違いといえる。

〈ご参考〉上述の「スウェーデンの秘密」は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に09年2月9日掲載の記事「高負担福祉国家がなぜ元気なのか 変革モデル、スウェーデンの秘密」の一部再録(要旨)です。

▽ 聖域 ― 不公平税制と軍事費 ― をなくせば財源は十分

 財源問題を含めて財政のあり方を考える場合、望ましい税制はいかにあるべきかは避けて通れないテーマである。政府税制調査会は2月24日、税制抜本改革の議論を開始し、所得税、法人税、消費税のほか環境税まで幅広く論議をすすめると伝えられる。
 まず指摘したいのは、民主党政権は先の衆院選マニフェスト(政権公約)で「消費税は4年間引き上げない」とうたっていることである。この公約は守らなければならない。
 次の問題は所得税、法人税をどうするかである。重要な視点は「税制による所得分配機能の回復」であり、「応能負担の原則」(能力に応じた負担)を実現することである。所得税は70%だった最高税率が今では40%まで引き下げられている。証券優遇税制(株式譲渡益や配当への優遇)も見逃せない。税率は欧米諸国に比べて格段に低い。これではいわゆる金持ち優遇が顕著といえる。一方、法人税引き下げによる大企業中心の実質優遇措置も進んできた。

 不公平な税制と軍事費が前政権では聖域とでもいうべき分野として扱われてきた。「変化」を求めたはずの民主党政権も同様に聖域視しているといわざるを得ない。しかし聖域に固執するのでは折角の事業仕分けが泣くだろう。「応能負担の原則」を生かして税負担の格差を是正することが緊急の課題である。その上、軍事費の大幅削減に取り組むことによって、聖域をなくせば、財源は十分に捻出できるだろう。
 以上のような視点に背を向けて、大衆課税の典型である消費税引き上げに走ることは、不公平な税制と軍事費という二つの聖域を温存することにつながる。これは道理に合わないし、容認できない。民主党政権の支持率浮上も期待できないだろう。


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「もったいない」で地球を守ろう
相互につながる環境・資源・平和

安原和雄
ノーベル平和賞受賞者で、日本語の「もったいない」の普及運動をすすめているワンガリ・マータイさんがアフリカのケニアからまたもや日本へやってきた。多忙な日程の一つ、シンポジウム「21世紀の環境と平和を語る ~ いま、私たちに何ができるか ~ 」でマータイさんは「もったいない」の世界における一層の普及に尽力することを約束した。さらに現下の世界が直面している「環境・資源・平和」についてこの3つのキーワードは相互につながっているという認識を示した。これは「もったいない」精神で地球を守ろうという呼びかけにもなっている。(2010年2月19日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

 ワンガリ・ムタ・マータイさんは1940年ケニア共和国生まれ。植林によるグリーンベルト運動の創設者として知られる。2005年2月、毎日新聞社の招きで初来日したときに日本語の「もったいない」に出会って感銘を受け、世界に向けて「MOTTAINAI」キャンペーンを始め、現在キャンペーン名誉会長。
 ケニアの環境・天然資源省副大臣、ケニア共和国国会議員などを歴任し、2004年に環境分野で初のノーベル平和賞を受賞した。09年4月「MOTTAINAI」キャンペーンの国際的な活動が評価され、日本の旭日大綬章を受賞、さらに09年12月コペンハーゲンで開かれた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議の場で国連事務総長から国連平和大使に任命された。

 マータイさんは今回、京都、広島なども訪ね、広島市では原爆資料館や原爆ドームを視察、原爆被災者とも会った。秋葉忠利広島市長と懇談し、「核廃絶に向けた世界的な世論をつくっていくことが重要」などと語った。

 シンポジウム「21世紀の環境と平和を語る ~ いま、私たちに何ができるか ~ 」(2月18日、国連大学=東京・渋谷区神宮前=で創価大学、毎日新聞社の共催)ではまずマータイさんの基調講演があり、パネルディスカッションではパネリストとしてマータイさんのほか、浅井慎平(写真家)さん、山本修一(創価大学教授)さんが参加し、コーディネーターは斗ヶ沢秀俊(毎日新聞社科学環境部長)さん。

(1)マータイさんの発言内容
 マータイさんの基調講演、パネルディスカッションでの発言の趣旨は以下の通り。

*人類は森林なしには生きられない
 私は森林保護がきわめて大切だと考えている。なぜかというと、森林、緑の植物は二酸化炭素を貯え、その一方、酸素をつくり出す。だから人類は森林なしには生きていくことができない。仏教のリーダーたちは、昔からこのことを認識していた。つまり環境と宗教とが一体となっている。ところが欧米ではこのことは忘れられており、環境と宗教とが分離された状態にある。
 温室効果ガス(二酸化炭素など)の20%は森林伐採が原因といえる。だから森林を守らなければならない。森林をその劣化から守り、植林していく必要がある。

*環境と資源と安全保障(=戦争と平和)は相互につながっている
 環境と安全保障問題がつながってきているのが近年の特徴といえる。その影響を一番強く受けているのがアフリカだ。
 アフリカでは昔から原始的自給自足の農業に依存してきた。これが土地の劣化を起こしやすい。それに焼畑農業は土壌を破壊していくことで、砂漠化が進む要因にもなっている。かなりの人が家畜とともに遊牧民の生活をしてきたが、最近では気候変動の影響で雨がなくなり、干ばつが広がって、多くの家畜が死んでしまった。

 アフリカでは放牧、農業のための土地がなくなり、そこから紛争が起こる。ケニアの場合、耕作可能な土地は全体の3分の1で、残りの3分の2が耕作不能となっている。土地が乾いているためだ。耕作可能な土地をめぐって部族間の抗争にもなる。 中東では水が不足し、これが紛争の原因になっている
 石油、石炭に限らず、森、土地(土壌)、水などの資源が劣化し、不足すると奪い合いが起こり、緊張を招く。このように環境が悪化し、資源が不足すると、戦争や紛争が起きる。環境と資源と平和(=安全保障)の問題は相互につながっていることを見逃してはならない。だからこそ環境や資源を大切に守ることが重要な課題になってきた。

 ヒマラヤの氷河が溶けてきている。北極圏の氷も同じように溶けている。やがてこの地球という惑星上で水の奪い合いが起きて、戦争を誘発する事態にもなりかねないだろう。この惑星ではお互いのいのちがつながっている。だから水の奪い合いは自分たちのいのち相互の問題であり、日本の問題にも発展していくだろう。資源の管理をきちんとしなければならないときである。

*「もったいない」と「腹八分目」は日本人の素晴らしい価値観
 日本語の「もったいない」は環境用語の3R(=Reduce・削減、Reuse・再使用Recycle・再生利用)ともう一つのR(Respect・尊敬)を意味してもいる。モノを大切にし、感謝するという日本人の素晴らしい価値観である。
 日本の何度でも使える風呂敷やお箸(はし)、さらに古い着物を新しい着物に縫い変えるのも素晴らしい。シャワーの使い方も、世界で水をめぐって争いが起きているのだから、沢山の水を使わないようにしよう。
 ケニアのナイロビ大学研究所でこの「MOTTAINAI 」という欧米にはない価値観を教えたいと考えている。
 さらに京都で日本人から学んだ言葉に「自然との共生」を意味する「共生」(ともいき)がある。これも日本の素晴らしい遺産といえる。もう一つ、「里山と暮らす」という生き方も教わった。
 「もったいない」のメッセージをもっと世界に発信していきたい。幸いインターネットがあるので、これを活用して普及に努めたい。

 もう一つ、京都のお寺で「腹八分目」のお話を聞いた。残りの二分を他の分野に貢献できるわけで、この「分ける」という発想は「抑制し、コントロールすること」を意味しており、素晴らしい。
 インドのマハトマ・ガンジーは説いた。「自然(大地)は一人ひとりの必要を満たすだけのものは与えてくれるが、貪欲は満たしてくれない」と。

(2)写真家と大学教授の発言内容
 ここではパネルディスカッションでの2人のパネリストの発言(趣旨)を紹介する。
 
 写真家の浅井さんは次のように述べた。
・昔は、水を買って飲むとは、考えてもいなかった。日本の水の様々な姿を写真にとってリポートを書く仕事をやってきたが、今、日本の水は相当深刻な状況になっている。まさに自然環境のテーマとつながっている。
・言葉を使うときは、その人の人格が問われていることを認識しなければならない。「もったいない」は女性(祖母と母)から教わった。この言葉については怒鳴らないことが肝要だ。「もったいない」を怒鳴って言うことはできない。知足(=足るを知ること)もそうだ。文明をコントロールすることが大切な時代となってきた。

 創価大学教授の山本さんは以下のように発言した。
・仏教が環境問題にどういう風に貢献できるかを考えるときである。テレビで大食い競争などを映している。飢えている人が世界に沢山いるのに、これは世界に対して恥ずかしいことだ。現代は、文明が問い直されているのではないか。豊かな生活、幸せとは何かを問うときである。今の文明は満足することを知らない。
・「腹八分目」など素敵な言葉が日本には沢山ある。好い言葉は引き継いでいかねばならない。モノやカネではなく、目に見えないもの、例えば徳などの大切さを自分で意識すること。環境問題もまず意識することが大切で、そこから自分の行動を変えていくことができる。

〈安原の感想〉― マータイさんの心意気に学ぶとき

 マータイさんを含む3氏の発言は、シンポジウムの趣旨にふさわしい内容であった。特にマータイさんが繰り返し強調したのは次の2点である。
・日本には「もったいない」、「腹八分目」、「共生(ともいき)」など素敵な日本語が多い。なかでも「もったいない」を世界で普及させることに今後とも力を注いでいく。
・環境と資源と平和(=安全保障)の問題は相互依存の関係にある。だからこそ平和な地球を創っていくためには環境や資源を大切に守ることが重要な課題になってきた。いいかえれば環境や資源を粗末にし、劣化させ、不足状態になると、地球上に紛争や戦争が絶えない。

 私は以上の2点も相互につながっていることを強調したい。水を含めて環境や資源を守り、大切にするためには、一人ひとりの日常生活のありようを変革しなければならない。そのためにはマータイさんが感嘆している日本語の「もったいない」、「腹八分目」、「共生」の感覚を日常生活に生かして、地球を守っていくことが不可欠といえよう。
特に水不足は深刻で、日本にとっても身近なテーマになってくるだろう。どう対応していくか。例えばシャワーの使い方についてマータイさんの次の助言に耳を傾けよう。
「世界で水をめぐって争いが起きているのだから、沢山の水を使わないようにしましょう」と。おもわず「納得・・・」と首をすくめる向きも少なくないのではないか。日常の無造作な行為、所作が自分自身の首を絞める結果にもなりかねない、とマータイさんは警告している。

 マータイさんはすっかり日本(語)贔屓(びいき)になった印象がある。仏教思想に裏打ちされた「もったいない」などの日本語を世界に向けて発信する伝道者でもある。そのことには感謝したいが、それにしてもなぜ我々日本人が、自ら進んで発信者にならないのか。
「ならない」というよりは「なれない」のではないか。それは想うに明治維新以来の欧米の文明、文化の模倣の習性から今なお抜け出すことができないためではないか。考えてみれば、何とも恥ずかしい姿勢といわなければならないような気がする。

 マータイさんは、欧米の植民地として踏みつけにされ、恵まれないアフリカの一角で生まれ、育ったからこそ欧米を越えて日本の文化に大きな関心を払っているようにも想える。
現下の民主党政権も、多くのメディアも「日米同盟の深化」などという見当違いの執着心を捨てて、地球規模の視野で日常的に実践していくマータイさんの心意気にこそ学ぶ必要があるのではないか。


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「しっかりしろ自民党」が面白い
すでに臨終、という冷めた見方も

安原和雄
昨年夏の総選挙で多くの有権者に見放されて、長年の政権の座から転落した自民党に果たして再生の機会はあるのだろうか。自民党機関紙『自由民主』に「しっかりしろ自民党」と題する面白い企画記事が載っている。登場するのは演出家や漫画家らで、「自民党はすでに臨終。それに気付いていないだけ」という冷めた見方もうかがえる。
 自民党機関紙に第三者の率直な批判を汲み上げるのは、自民党の懐の広さなのか、それとも「毒を食らわば皿まで」の心境なのか。「政権」という木から落ちても、猿は猿、と言うべきか。自民党の行方をめぐる話題は尽きない。(2010年2月12日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 企画記事「しっかりしろ自民党」は、その趣旨をつぎのように書いている。
 参院選挙を控えた今年はわが党にとって勝負の年。選挙に勝利し、政権奪還への第一歩を踏み出すには、党再生を果たし、国民から信頼される政党へ生まれ変わらなければならない。わが党の足りない点はどこで、正さなければならない部分は何なのか。4人の有権者の辛口提言を掲載する ― と。

 4人の氏名とその辛口批評の見出しはつぎの通り。
*拓殖大学日本文化研究所長 井尻千男=2大政党論の罠にはまるな/国民政党に立ち返れ
*杏林大学大学院客員教授 田久保忠衛=国際情勢から見た日本の外交・防衛/憲法改正の原点に戻れ
*演出家 テリー伊藤=国民に夢と楽しい提案を/“ネガティブ”で余計に票が減った
*漫画家 やくみつる=自民党はすでに死んでいる/野党としても蘇生の見込みなし

 ここでは以下の2人(2月9日付『自由民主』に掲載)の提言(要旨)を紹介する。

(1)演出家 テリー伊藤さん
「このままでは日本がダメになる」では女の子も口説けない

 自民党議員の発言を聞いていて、疑問に思っていたことがある。口を開けば、国民の危機感をあおるようなことばかり言うところだ。
「このままでは、日本の財政は破綻する」
「このままでは、国民の老後は大変だ」
「このままでは、日本がダメになる」

 そう言われた国民は、「そんなに大変なのか。じゃあ、あなたに託すから、ぜひがんばってくれ」と思うだろうか。思うわけがないに決まっている。
 女の子を口説くときに、「このままじゃ日本がダメになるから、俺と付き合ってくれ」とか「このままじゃ地球が滅びるから、俺と付き合ってくれ」と言っても、口説けるわけがない。
 「俺には、こんな夢があるんだ」
 「俺は、こんなに楽しいことを考えているんだ」
 そう言ったときに、はじめて彼女は、「この人と付き合ったら幸せになれるかもしれない」と感じて、興味を持ってくれるのだ。
 つまり自民党が今後、再び国民の大きな支持を得て再生できるかどうかは、いかに国民に夢を与えられるかどうか。いかに国民に楽しい提案をできるかどうかにかかっている。

 去年の総選挙で、自民党が執拗に民主党のネガティブキャンペーンを展開したことは、自民党の議席を余計に減らしたと私は見ている。政権交代後も、自民党は同じ姿勢をつづけているようにしか見えない。

 ネガティブな要素が多い世の中だからこそ、夢のある提案、楽しい提案をしようという姿勢を自民党が示すことができれば、きっと国民は振り向いてくれる。
 11年前、鳩山邦夫さんが東京都知事選に立候補して、「チョウチョウが舞う東京に」と環境問題を訴えたとき、「そんなの、票にならないよ」と、みんな鼻で笑っていた。
 しかし、いま環境をマニフェストに入れない政党や候補者はどこにもいない。時流や世相がどうであろうと、夢を語れる政党と政治家が現れることを期待したい。

(2)漫画家 やくみつるさん
 死んだことに気付いていない彷徨(さまよ)える霊魂か

 正月気分も抜けきらぬ、まだ松の取れる前であったか、自民党の機関紙編集御担当氏より電話が入った。なんでも「自民党、シッカリしろ」といったエールの一文を願いたい由。
 で、「シッカリしろ」という言葉は、はたして今の自民党にかけるべき文言であろうか。かなりバテている登山隊員とか、意識を失いかけている傷病者に呼びかける言葉であっても、もう息がないかもしれない相手に対しては、まず脈があるのか、心臓に耳を押し当てて確認を急がねばならない。いわば自民党はそんな容体なのではないかと察しますがね。

 要はもう、大変お気の毒ですが、お亡くなりになってるんじゃないでしょうか。平成21年8月30日、午後8時、先の総選挙の投票終了時点で、波瀾(はらん)の生涯を閉じられた。享年55(満54歳)の、本来ならまだじゅうぶん働ける年齢での臨終でした。
 こんなことを言うと、「何を失敬な!」と気色ばむ方がおられるでしょうね。まだ死んでしまったことに気付いていない彷徨(さまよ)える霊魂でしょうか。

 「亡くなった」とあえて宣告したのは、与党としてはもちろん、もはや野党としても蘇生の見込みがないと診断したからです。先日の前原誠司国交大臣じゃないですが、長年の失政のツケを払わされて汲々(きゅうきゅう)としている民主党を自民党に攻める資格はない、と。
 これに対し町村信孝元官房長官は、「その論理は拙劣」と返しましたが、はたしてそうでしょうか。では今後もこのまま現与党を追及し続け、風向きが変わりでもすれば、再び自民党政権をとでもお考えか? あえてまた失政の時代に戻れというのはずいぶんと都合のよい要求というもんです。
 民主党に政権担当能力がなく(実際、現状そんな気がしてきた)、それを返上せざるを得ない日がきても、そんなことを二大政党による健全な政権交代とは言わないでしょうし、誰も望んじゃいない。
 ですが、しぶといことにというべきか、政党は単体の生命体ではありません。谷垣自民総裁が良いことを仰いました。いわく「みんなでやろうぜ」 ― 。これは自民党内部にではなく、むしろ民主党に向けて発するべき言葉ではないか。民主自民党(民民党?)として蘇生してくれた方が、ナンボましなことかと思いますが、如何 ― 。

〈安原の感想〉 ― 厳しい自己批判こそが自民再生の第一歩

 「財政は破綻する」、「老後は大変だ」、「日本がダメになる」などというマイナス思考では、たしかに女の子を口説くのはむずかしい。女の子に限らず、男の子を納得させるのもむずかしいだろう。演出家・テリー伊藤さんの指摘をまつまでもなく、納得できる。

  一方、政権の座から転落した自民党について漫画家・やくみつるさんの「享年55の、まだ働ける年齢での臨終でした」に加えて、「死んだことにまだ気付いていない彷徨(さまよ)える霊魂か」は辛口すぎる。とはいえ適切な診断でもあるのではないか。
 自民党にとっては思っても見なかった沈没で、これは悪夢に違いないが、否定しようのない冷厳な現実である。そこからどう再生を図っていくのか、辛口批評を第三者に依頼した狙いだろう。

 ここで想い出すのは野村克也前監督(楽天ゴールデンイーグルス)が自民党大会(1月24日)で行ったゲストスピーチである。こう述べた。
 昨年は(総選挙で)皆さん、負けたんですよね(安原注:ここでなぜか会場は笑いに包まれる。笑ってるときか)。負けるときは負けるべくして負ける。私は、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言っている。ところが皆さん、負けては反省するが、勝っては反省しない。今度(の選挙)は敗者復活戦でしょう ― と。

「負けに不思議の負けなし」、つまり「当然の負け」を自民党としてどう噛みしめるのか。2010年夏の参院選挙、この敗者復活戦に臨む秘策はあるのか。そのヒントを求めて、先の自民党大会で採択された自民党「2010年綱領」を繰り返し読んでみた。その一部を紹介したい。つぎのように述べている。

 総選挙の敗北の反省のうえに、立党以来護り続けてきた自由と民主の旗の下に、時代に適さぬもののみを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求め、国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したい。
 自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい ― と。

 「日本らしい日本の保守主義」が一つの柱になっているが、それは一体何を指すのか?「自由とは、市場原理主義でもなく、利己主義を放任する文化でもない」ともうたっている。しかし弱肉強食の利己主義をすすめ、放任していたのは、いったい誰だったのか。同時に「自由とは、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由」を力説している。しかし年間自殺者が3万人台へと急増し、人間同士の絆を失った無差別殺傷事件も頻発している。自殺は「自由な選択」の一つ、とでも言いたいのか。「他への尊重と寛容、共助の精神」は、分断と孤立の中の日本社会のどこに発見できるというのか。

いずれも小泉政権時代に特に顕著だった市場原理主義の下で拡大した悲惨な現実であり、深刻な後遺症は今なお消えない。その責任は、まぎれもなく昨09年夏までの自民・公明政権にある。その責任を自覚することが自民党再生への第一歩であるだろう。しかし「総選挙の敗北の反省」というお座なりの文言はあっても、「厳しい自己批判から再出発する」という姿勢はついに発見できない。方向感覚を失って右往左往している印象さえある。自民党は再生を断念しているのか。これではご臨終も冗談ではなくなる。


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マイカーから公共交通重視へ転換を
高速道無料化の過ちを考え直すとき

安原和雄
 国土交通省が「社会実験」として6月頃から始める一部高速道での無料化プランが話題を呼んでいる。その是非をめぐる論議の決め手は何か。利用者の負担軽減が決め手なら、高速道に限らず、新幹線も無料化したらどうかという理屈も成り立つだろう。目下の焦点は利用者の負担軽減ではない。わが国の総合交通体系を現在のマイカー中心から公共交通機関中心にどう転換していくかが焦点であるべきであろう。
 マイカー中心では温暖化対策、いのち尊重にも反する。にもかかわらずそれを容認することを意味する無料化は政策として見当違いである。その過ちを考え直して、公共交通重視の社会へどのように転換していくかに知恵を出すときである。(2010年2月6日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽大手紙社説は高速道無料化をどう論じたか

 国土交通省の発表によると、高速道路料金無料化実施の対象となるのは、地方の2車線区間を中心に37路線の50区間で、合計距離は1626キロ。無料化の対象外としていた首都高速と阪神高速を除く全路線の約18%にあたる。6月をめどに始める。

 まず大手5紙の社説(2010年2月4日付)の見出しを紹介する。
*朝日新聞=高速無料化 小規模でも賛成できない
*毎日新聞=高速無料化 社会実験と言えるのか
*読売新聞=高速道無料化 ほかに予算の使い道がある
*日本経済新聞=高速道無料化の実験は疑問が尽きない
*東京新聞=高速道路無料化 『社会実験』になるのか

 以上の見出しからも分かるように各社説ともに高速道無料化には疑問、問題点を指摘している。読み比べてみると、その主張にはかなり重複もあるので、ここでは疑問点を網羅的に論じている朝日新聞社説を以下に紹介する。

〈朝日社説〉の大要
 多くの問題点を置き去りにして進めるやり方で、賛成はできない。
 高速無料化は、昨夏の総選挙で民主党が政権公約の柱の一つにした政策だ。
 無料化プランの責任者である馬淵澄夫国土交通副大臣は「地域に貢献するであろう路線を選定した。一定程度の経済効果を生むのではないか」と、利点を強調した。
 ドライバーには朗報で、対象地域の観光施設などにもプラスだ。しかし、政策には光と影の両面がある。さまざまな世論調査で、高速無料化に反対の声が多いのも、マイナスの影響を心配すればこそだろう。

 高速無料化は基本的に自動車利用を増やす政策で、鳩山政権が力を入れようとしている温暖化対策と矛盾する。これはマイカーによる二酸化炭素の排出が増えるだけではない。
 競合する鉄道や路線バス、フェリーなどの公共交通機関の経営にも響く。これらは本来、温暖化対策として強化すべきものだが、逆に圧迫されてゆく。存続が危ぶまれている地方の公共交通機関の経営には即座に深刻な影響が及び、通学や高齢者など地域住民の足が奪われる心配もある。
 たとえば全国のJRで最小規模のJR四国は、路線維持のために節電など涙ぐましい経費削減の努力を続けてきた。高速を無料化されたら、「これまでの努力はひとたまりもない」と、松田清宏社長はいう。

 深刻な財政難のなかで巨額の財源を投じ続けなくてはならないことも、高速無料化の大きな問題だ。
 来年度の無料化に必要な予算は1千億円。鳩山政権は実験で効果や影響を検証し、2012年度に首都高速と阪神高速などを除く全国で原則無料化に移行する構えだが、それには毎年度最大1.8兆円の財源が必要となる。
 経済効果といっても、高速道路沿線がにぎわう代わりに在来線沿いの地域がさびれるかもしれない。
 鳩山政権は、この巨額のお金で社会保障や教育の強化など、もっとほかにすべきことがあるのではないか。
 国の財政が赤字を垂れ流し続けている現状を考えれば、まずは高速無料化という政策を事業仕分けの対象として吟味することが先決だ。
 無料にしてきた欧米の国々でも、環境対策から有料化の流れが強まっていることも考えてほしい。

〈安原の感想〉 ― モーダルシフトをどう進めるのか

 朝日社説は、二酸化炭素の排出増、鉄道など公共交通機関との競合とその経営への影響、地域住民の「足」への悪影響、在来線沿いの地域の衰退懸念、国の財政負担増、欧米諸国の環境対策の新潮流―など無料化の問題点を丁寧に拾いあげて、警鐘を鳴らしている。ひとつ一つの問題点は、指摘の通りである。
 ただ車社会そのものをどう変革していくのか、という視点が不十分なように読めるが、いかがか。いいかえれば高速道を有料のまま置いていれば、それだけで十分なのか、という問題が残されている。わが国の総合交通体系の転換、今風にいえば、モーダルシフト(modal shift=貨物や人の輸送手段の組み替え)をどう進めていくのかという課題こそ焦点ではないか。

▽ 米国のクルマ社会に始まったカーシェアリング

 米国のクルマ社会に関する最新の一つの報告を紹介したい。毎日新聞北米総局の大治朋子記者による「クルマ社会に微妙な変化?」という見出しつきの記事(毎日新聞夕刊=東京版=2月1日付)で、その大要は以下の通り。

 米国といえば、クルマ社会。だが08年秋からの景気悪化で、車を手放したり、買わずにすます人が少しずつ増えている。09の新車販売台数は前年比21%減だった。82年以来27年ぶりの低水準だ。
 この流れを後押ししているのが「カーシェアリング(車の共有)」と呼ばれるサービスだ。米最大手「ジップカー」は、08年秋から、前年比70%増のペースで利用者が増えている。現在会員は、都市部を中心に30万人。新規の6割は車を売ったり、購入計画を止めた人だという。

 週末ドライバーの私も昨年秋、ジップカーに切り替えた。インターネットで会員登録し、年会費50ドル(約4500円)。近所の駐車場などに駐車されたジップカーから好みの車を選ぶ。利用料は首都ワシントンの場合、普通車は1時間7ドル(保険料、ガソリン代込み)、週末に1日借りると、77ドル(同)。自宅近くで借りられるので、レンタカーの店舗に行くわずらわしさがない。
 私の場合、車を保有していた時に払っていた毎月の駐車場代(約2万円)、保険料(年間約16万円)、税金(同約7万円)が不要になった。

 ジップカーは、米ハーバード大などに勤務する女性2人が「環境に優しく経済的」という触れ込みで2000年に起業した。車を所有する場合に比べ、年間走行距離は4割減と推計されている。欧州では同様のサービスはかなり普及しているが、車好きの米国人の間では広まらなかった。
 米フォード社を除くと、ジップカーに車両を提供しているのは、欧州や日本の大手メーカー。フォード社のビル・フォード会長は米メディアの取材に「交通の未来はジップカー、公共交通機関、マイカーを混ぜ合わせた形になる。私はそれを恐れていないし、マイカーの性質を変えていくチャンスだと考えている」と語っている。米レンタカー大手も、業界への本格参入に動き始めた。

〈安原の感想〉 ― 米国クルマ社会にも変革の波か

 大治記者は記事を「米クルマ社会は、微妙な変化を見せ始めているような気がする」で結んでいる。それが記事の見出しにもなっているわけだが、いささか控えめすぎる評価、展望とはいえないか。
 私が注目したいのは、フォード社会長が米国の交通未来図に触れた後、つぎのように指摘している点である。「私はそれを恐れていないし、マイカーの性質を変えていくチャンスと考えている」と。「私はそれを恐れていない」の真意は、今ひとつつかみにくい。マイカーの地位はいずれ低下していくことを覚悟しているという意味なのかどうか。いずれにしてもフォード社会長は「変化」は避けがたいという展望を持っていることが、読み取れる。米国においてマイカー社会が突出した形でいつまでもつづくことは好ましいことではないという判断ともいえる。
 最初は微妙でささやかな変化であっても、大方の予測を超えて、それが大きな質的変化につながっていくことは、歴史の教えるところである。

▽ 公共交通が主役の社会を目指して

 現在のマイカー中心の交通社会を維持していくのか、それとも大量輸送ができる公共交通機関(鉄道、バス、路面電車、フェリー、船舶など)中心の交通社会を新たに構築していくのか、その選択が目下の大きな課題となっている。二者択一ではなく、どちらが主役になるのが望ましいかという選択である。マイカー中心の社会にはマイナス面が多いことを考えれば、公共交通機関が主役となる社会を目指すべきであることはいまさら指摘するまでもない。

 マイカー中心社会のマイナス面のうち2点だけ列挙すれば、以下のようである。
*環境汚染型であること
 一人が同じ距離を移動する場合、マイカーは鉄道に比べ約6倍、バスに比べ約2倍の石油エネルギーを浪費し、それだけ地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)を大量に排出する。このことは環境対策にはマイカー依存症からの脱却、マイカーの規制強化が不可欠であることを示している。
*人命破壊型であること
 2009年の交通事故死者数は4,914人(前年比241人減。事故から24時間以内に亡くなった犠牲者)で57年ぶりに5千人割れとなった。事故死者数が減ること自体は望ましいが、今なお年間約5千人もの多くのいのちが奪われている悲惨な事実は消えない。阪神・淡路大震災の死者数は6400人余を数える。こちらは犠牲者を悼む集団行事があるが、交通事故死の場合、公的行事は聞いたことがない。いのちの尊さに変わりはないはずだが、交通事故死には一種の慣れが社会に広がっているのではないか。
 鳩山首相の施政方針演説「いのちを守る」を読み直してみたが、多数の交通事故死に言及するところはない。交通事故死者の「いのち」は政治・社会から見捨てられているといっても過言ではない。マイカー社会を維持するための「必要悪のコスト」という認識なのか。仮にもそうであるなら、奇怪にして理不尽というべきである。

 以上のような車社会のマイナスを考えれば、公共交通主役の社会の設計とその構築は急務である。そのためにはマイカー社会にお墨付きを与えるような高速道無料化政策の実施は見当違いである。石油エネルギーの枯渇はもはや時間の問題ともいわれる。ガソリンに依存するクルマ時代の「終わり」が始まっていることを認識したい。
 だからこそ総合交通体系の中でマイカーの比重をいかに下げるかに知恵を使いたい。その一策としてむしろ鉄道料金の引き下げこそ奨励すべき時である。米国の新潮流に見習ってカーシェアリングの普及にも力を入れたい。公共交通機関が少なく、マイカーに依存せざるを得ない地方では地域内を循環するコミュニティ・バスの普及も不可欠である。
 もう一つ、もっと歩くことを重視したい。徒歩は交通の原点であり、健康にも良い。私自身はクルマを持っていないし、日常生活ではできるだけ歩くように努めている。旅は鉄道と決めている。

 たしかに高速道無料化は民主党のマニフェスト(政権公約)の柱の一つに掲げてある。だからといって、それにこだわる必要はない。民主党政権発足後の世論調査では、高速道無料化を疑問視する声がむしろ多数派である。鳩山首相が尊敬するインドのマハトマ・ガンジー師の言葉ではないけれど、「過ちは改むるに憚(はばか)ることなかれ」(中国の論語=あやまちを犯したら、ためらわずにすぐ悔い改めよ)というではないか。


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首相の「いのちを守る」を評価する
ただし日米軍事同盟とは両立しない

安原和雄
鳩山首相の「いのちを守る」を主題とする施政方針演説は多くのメディアではあまり評価が良くない。しかし私はそれなりに評価したい。「いのちを守る」ことが今日ほど日本国内に限らず、地球規模でも最大の課題として切迫している時はないからである。しかし高い評価を与えるには条件がある。それは「いのちを守る」という姿勢が矛盾なく、一貫していることである。
 ところが残念ながら首相演説には矛盾があり、一貫性を欠いている。それは日米同盟(=日米軍事同盟)を「不可欠の存在」として賛美していところにうかがえる。「いのちを守る」ことは、戦争のための軍事同盟とは矛盾しており、両立しない。これでは苦心の名演説も歴史に名をとどめることにはならないだろう。(2010年2月1日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽大手紙社説は鳩山演説をどう受け止めたか

 鳩山首相が1月29日、国会で行った初めての施政方針演説「いのちを守る」を新聞社説はどう論じたか。まず大手4紙社説(2010年1月30日付)の見出しはつぎの通り。
*朝日新聞=鳩山政権 演説の美辞に酔う暇なし
*毎日新聞=施政方針演説 理念実現の段取り示せ
*読売新聞=施政方針演説 危機打開の決意が足りない
*日本経済新聞=鳩山首相は言葉の重みをかみしめよ

 各紙社説の要点は以下の通り。
〈朝日〉=自民党政権時代の政策から価値観を変えようというわけだ。演説のスタイルも変えた。各省から集めた施策を列挙するだけの感が強かった形式をやめ、聞く方が気恥ずかしくなるほどの理想を語り続けた。
 各論は国会審議で明らかにしていくしかない。首相や与党には誠実に審議に応じるよう求める。それなしには、せっかくの理念もかすむ。首相も民主党も、演説の美辞に酔っている暇はない。

〈毎日〉=全体が総花的で、政策の深掘りや選択と集中が見受けられなかったが、特に気になったのは、この国会でこれだけ騒ぎになっている政治とカネについての言及が、極めておざなりだったことだ。
 自らの問題(母親からの巨額資金贈与問題)をわび、企業団体献金について議論を行うと語っただけで、小沢一郎民主党幹事長の資金問題には一切触れず、政権としてこの問題とどう格闘するか、確たるメッセージが伝わってこなかった。

〈読売〉=外交問題も心もとなかった。米軍普天間飛行場の移設問題で、首相が5月末までの移設先決定を表明したのは当然だ。だが、こじれた日米同盟関係の修復へ、不退転の決意を示すべきだった。
 異色の演説は、首相なりの創意だろう。だが、言葉だけが走って政策内容に明確さを欠いては、施政方針としては物足りない。このままでは、内政も外交も混迷が避けられないのではないか。

〈日経〉=(施政方針演説を聞いて)安心感を抱いた有権者はどれほどいただろうか。首相は年金制度の抜本改革や後期高齢者医療制度の見直しには一切言及しなかった。何も手を打たなければ膨らむ一方の社会保障費の増加だけを取り上げて成果と言われても、若い世代の将来への不安は一向に解消しないだろう。
 財政再建に関しては「中長期的な財政規律のあり方を含む財政運営戦略を策定」と唱えるが、消費税増税の議論には触れていない。「一般会計と特別会計を合わせた総予算を全面的に組み替える」と繰り返すだけでは、もはや許されない。

〈安原の感想〉 ― 首相演説全文を3回繰り返し読んで

 「いのちを守る」を主題とする施政方針演説全文を3回繰り返し読んでみて、その都度、印象が変わった。1回目は「きれいごとを言って。内容に矛盾がある」だったが、2回目は「待てよ・・・」という意識が動いた。3回目は「なるほど・・・」と演説内容を肯定する意識に変化するのを感じていた。もっとも矛盾する内容には最後までこだわるほかなかった。
 上に紹介した各紙社説の批判の調子は、私の1回目の印象と重なっており、「ないものねだり」に終始している。例えば「聞く方が気恥ずかしくなるほどの理想」(朝日)、「全体が総花的」(毎日)、「言葉だけが走って、・・・物足りない」(読売)、「不安は一向に解消しない。・・・もはや許されない」(日経)といった調子である。

 相手の出方が自分の期待に反した場合、とかく社説のような反応を示すのが一般的である。特に昨今のメディアには、そういうマイナス思考が広がっている。しかしここで考え直してみようではないか。首相は政治の理想を語っているのだ。過去の長い間の自民・公明政権時代には期待できなかった政治の理想についてである。しかもその理想を牽引力として現実政治の変革を目指そうとしているのだろう。
 ここは性急な「成果」に貪欲にならないで、せめて夏の参院選の結果が出るまで「待つ」という心のゆとりを持ちたい。

▽「いのちを守る」に終始する施政方針演説

 首相の施政方針演説は冒頭、つぎのように述べた。
 「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと願う」と。
 この「いのちを、守りたい」に始まって「いのちを守る」に終始したのが今回の施政方針演説の何よりのと特徴と言える。ではどのようないのちをどのようにして守ろうというのか。以下にいくつか(要旨)を紹介する。小見出しは原文のままである。

*生まれくるいのち、そして育ちゆくいのちを守りたい。
 若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければならない。

*働くいのちを守りたい。
 雇用の確保は、緊急の課題で、それに加えて、職を失った方々や、様々な理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたい。
 いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはならない。
 一人暮らしのお年寄りが、誰にも看取られず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければならない。

*世界のいのちを守りたい。
 これから生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたい。
 世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていきたい。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければならない。
 今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたい。

*地球のいのちを守りたい。
 この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間に過ぎない。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えている。約3000万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約4万の種が絶滅していると推測されている。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければならない。
 私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要だ。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任である。 本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務める。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければならない。

「いのちを守る」ことの中身を以上のように説明した後、来年度予算の性格についてつぎのように言及している。
 来年度予算を「いのちを守る予算」に転換した。公共事業予算を18・3%削減すると同時に、社会保障費は9・8%増、文教科学費は5・2%増と大きくメリハリをつけた予算編成ができたことは、国民の皆さまが選択された政権交代の成果である ― と。

 さらにその予算についてつぎの柱で具体的に説明している。
*子どものいのちを守る
*いのちを守る医療と年金の再生
*働くいのちを守り、人間を孤立させない
*いのちのための成長を担う新産業の創造
 ここでは4番目の「いのちのための成長を担う新産業の創造」が目新しいので、その要旨を以下に紹介する。 環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野が新産業の可能性があるという趣旨である。

 昨年末、新たな成長戦略の基本方針を発表した。鳩山内閣における「成長」は、従来型の規模の成長だけを意味しない。
 人間は、成人して身体の成長が止まっても、様々な苦難や逆境を乗り越えながら、人格的に成長を遂げていく。私たちが目指す新たな「成長」も、日本経済の質的脱皮による、人間のための、いのちのための成長でなくてはならない。この成長を誘発する原動力が、環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野における「危機」なのだ ― と。

〈安原の感想〉 ― 仏教経済学の視点から評価

 これほど「いのち」を多用する首相の施政方針演説はもちろん初めてのことである。その意味ではきわめてユニークと言える。初めてであるだけにどう受け止められているだろうか。 
 いのちを無視、軽視することを売り物にしていたあの市場原理主義者(=新自由主義者)たちの残党は、恐らく「火星人の演説」という違和感を抱くのではないか。
不特定多数の国民世論はどうか。「いのちを守ろうという意欲は評価するが、果たしてどこまで期待できるのか」という半信半疑の姿勢が多数ではないか。

 さて私(安原)自身はどうか。私は「いのちを守る」という姿勢を一国の首相が施政方針演説で明示したことを高く評価したい。なぜなのか。私はここ10年来、従来の現代経済学(市場原理主義、ケインズ経済学など)に代わる新しい経済学として仏教経済学を提唱してきたが、その仏教経済学には以下のような八つのキーワードがある。
いのちの尊重、非暴力、知足、共生、簡素、利他、持続性、多様性 ― で、キーワードのトップの位置にあるのが「いのちの尊重」である。こういう仏教経済学の視点から採点すれば、当然のことながら、高い採点となる。しかしそれには必要な条件がある。主張が「いのちの尊重」の論旨で一貫していることである。一貫性を失っているようでは大幅減点とならざるを得ない。

▽ 首相の「日米同盟は重要」は疑問

 折角の名調子の首相演説も後半部分になると、突如、調子が乱れてくる。それは以下のように日米軍事同盟を「不可欠の存在」として持ち上げる姿勢に変化するからである。

*「東アジア共同体のあり方」について
 昨年の所信表明演説で私は、東アジア共同体構想を提唱した。「いのちと文化」の共同体を築き上げたい。その思いで提案した。この構想の実現のためには、一部の国だけが集まった排他的な共同体や、他の地域と対抗するための経済圏にしてはならない。その意味で、揺るぎない日米同盟は、その重要性に変わりがないどころか、東アジア共同体形成の前提条件として欠くことができない。

*「いのちと文化の共同体」について
 東アジア共同体の実現に向けて、強調したいのは、いのちを守るための協力、文化面での交流の強化である。
 地震、台風、津波などの自然災害は、アジアの人々が直面している最大の脅威のひとつである。防災文化を日本は培ってきた。これをアジア全域に普及させたい。感染症や疾病からいのちを守るためには、機敏な対応と協力が鍵となる。

*「日米同盟の深化」について
 今年、日米安保条約改定から50年の節目を迎えた。変動の半世紀にあって、日米安保体制は、わが国の国防のみならず、アジア、世界の平和と繁栄にとって欠くことのできない存在であった。今後もその重要性が変わることはない。
 私とオバマ大統領は、安保改定50周年を機に日米同盟を21世紀にふさわしく深化させることを表明した。

〈安原の感想〉 ― 軍事同盟といのち・文化・共同体とは矛盾

 首相がその重要性を力説する日米同盟は、あれこれ脚色してみても、その本質は、戦争のための軍事同盟であり、端的に言えば「いのち」に相反する「暴力装置」である。しかも日米安保条約に基づく巨大な在日米軍基地網は、米国の覇権主義を目指すための前方展開基地にほかならない。この一点を覆い隠しては、真実は見えてこない。ところが首相の日米同盟へのこだわり方は尋常ではない。「日米軍事同盟」と「いのち・文化・共同体」が首相の胸の内ではなぜ矛盾なく同居しているのか、理解に苦しむ。

 東アジア共同体、すなわち「いのちと文化の共同体」という構想を批判する理由はない。今後追求していくに値する望ましい構想でもあるだろう。問題はその「いのちと文化の共同体」になぜ軍事同盟が不可欠の存在なのかである。「いのちと文化」と「軍事同盟」は矛盾しており、両立しないし、水と油のように馴染まないし、相性が悪すぎる。
 しかも首相は東アジア共同体を「排他的な共同体」にしてはならないと力説している。それでは問いたい。日米2国間の軍事同盟は排他的ではないのか、と。排他的でないなら、折にふれ、敵対視している中国、北朝鮮もメンバーに加えて多国間安全保障条約に切り替えてはどうか。これも「同盟深化」の選択肢の一つとしてあり得るのではないか。
 重ねて指摘したい。首相の「いのちを守る」という姿勢は高く評価したい。その姿勢を一貫させるためには日米軍事同盟のあり方を再考し、当面の課題として、5月末までに移設先を決定することになっている沖縄の普天間基地について「民意」を尊重して「県外、国外」を選択することである。矛盾を抱える「いのちを守る」では空しい美辞麗句にすぎない。


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