「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
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国民の生存権をどこまで生かせるか
民主党政権最初の予算を採点する

安原和雄
 「命を守る予算」が民主党政権として初めて手がけた来年度予算のキャッチフレーズである。この「命を守る予算」が目指すものは何か。それは「コンクリートから人へ」、いいかえれば「生活重視」であり、子育て、雇用、医療、環境などに重点を置く政策への転換である。このような政策転換は、これまで軽視されてきた「国民の生存権」を生かすことに取り組もうとする最初の予算ともいえるのではないか。その意味で評価したい。
 ただ問題は、国民の生存権が予算によって現実にどこまで生かせるか、である。そのためには批判を許さぬ聖域にメスを入れる必要がある。民主党政権が日米安保体制下の在日米軍基地、軍事費、さらに大企業・資産家優遇の税制を横目で眺めながら素通りしているようでは「命を守る予算」も大幅減点に採点しないわけにはいかない。(09年12月27日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽鳩山首相が語った2010年度予算の骨格 ― 「命を守る予算」

 鳩山首相が12月25日、2010年度政府予算案を閣議決定した後、記者会見で語った同予算の骨格は以下の通りである。(首相官邸のホームページから)

*予算の基本的性格
「命を守る予算」と呼びたい。そのために3つの変革を行った。
 まず「コンクリートから人へ」の理念を貫いた。子育て、雇用、医療、環境など人の命を守る予算を確保することに全力を傾注した。
 2つ目は政治主導の徹底で、従来のような財務省が予算原案をまとめることはやめた。税制改正についても「税は政治なり」という考えの下で、税制調査会委員はすべて政治家とした。
 3つ目は予算編成プロセスの透明化で、事業仕分けの結果、大幅な無駄の削減ができた。

*予算の具体的な中身(1) ― その骨格
 総額92.3兆円(過去最大)、歳入面では特別会計や公益法人の見直しにより、約11兆円の税外収入(過去最大)を確保し、国債発行額は44.3兆円に抑えた。経費別にみると、社会保障費が10%増と大幅な伸びとなる一方、公共事業費は18%減と2割近い削減をした。まさに「コンクリートから人へ」である。

*予算の具体的な中身(2) ― その主要事項
・子ども手当=子ども一人当たり月1万3,000円、年間15万6,000円を支給し、所得制限は設けない。
・高校授業料の無償化=公立高校は国が授業料相当額を負担し、実質無償化する。一方、私立高校は、高校生のいる世帯に年額12万円、低所得世帯に24万円の支援を行う。
・雇用対策=収益が減っても雇用を維持する会社に賃金の一部を補助する。雇用調整助成金を前年度比10倍以上に増額し、来年度中に合計約230万人(大企業約75万人、中小企業約155万人)の雇用を守る。
・医療や介護の充実=診療報酬の10年ぶりのプラス改定、介護施設内の保育所の整備促進など。
・国民の健康=たばこ消費抑制のため、1本当たり5円程度の増税を行うなど。
・環境対策=命を考えるとき、人の命だけではなく、私たちが生きている地球の命を守ることも大切である。わが国が環境分野で世界をリードしていくため、二酸化炭素(CO2)を回収、貯蓄する技術、燃料電池など環境技術開発の推進、電気自動車の普及、グリーン・イノベーションなどの重点的、効率的な投資を行う。
・農業=農家に対する戸別所得補償制度の創設。
・ガソリン税などの暫定税率=現行10年間の暫定税率は廃止するものの、税率水準は維持する。
・地方交付税交付金=5.5%アップ。地方が厳しい。命を守るというのは、地方を守ることに等しい。

*中長期戦略について
・経済成長=雇用、環境、子ども、科学技術、アジア等に重点を置いた新たな成長戦略を策定する。
・財政規律=2010年前半に複数年度を視野に入れた中期財政フレームを策定し、財政健全化への道筋を示す。
・消費税=今後4年間は上げない。
・「新しい公共」=官だけでなく、市民、NPO、企業などの民間が公共的な財、サービスの提供主体となり、教育・子育て、まちづくり、介護・福祉など身近な分野での活躍を期待したい。

▽「命を守る予算」が含意するもの ― 環境と自然と地方と

 鳩山首相が来年度政府予算案の閣議決定後の記者会見で、冒頭「今回の予算は、私は命を守る予算と呼びたい」(上述の記者会見内容を参照)と語っているのをテレビで聞いて、私(安原)は、非常に新鮮な印象を受けた。私は経済記者としてその昔、田中角栄首相時代に予算編成の取材に駆け回った経験もあるが、これまでの歴代首相は誰一人として、こういうセリフは口にしなかった。「景気回復に貢献できる」といったあまりにもありふれた魅力の乏しい発想を超えることはなかった。
 それだけに鳩山首相発言には、これが「政権交代」、「政策転換」ということなのか、と感じないわけにはいかなかった。翌日の新聞がどう料理し、味付けするかに期待もしていた。

 ところがである。大手新聞数紙(12月26日付最終版)を読んでみたが、記事にも社説にもほとんど一行も触れるところがない。正直言って唖然とした。有り体に言えば、現役の記者諸氏は政権交代、政策転換の意味が十分には理解できていないのではないかとさえ思わざるを得ない。「お坊ちゃん首相」などと揶揄(やゆ)することも無用とはいわないが、だからといって自らの「記者の目」を曇らせてはなるまい。
 鳩山政権のもう一つのキャッチ・フレーズ、「コンクリートから人へ」は新聞紙上でもしばしば引用されている。それはそれでいいが、「命を守る」が含意するものは、これとは異質であると理解すべきテーマである。どう異なるのか。前者が「人間中心」の言葉であるのに対し、後者は「命中心」の認識である。

 鳩山首相は記者会見で環境対策に関連してつぎのように指摘している。
 「命を考えるとき、人の命だけではなく、私たちが生きている地球の命を守ることも大切である」(上述の記者会見参照)と。この「地球の命」という認識を欠いては、環境保全に十分に対応することはできないことを弁(わきま)えておく必要があるだろう。
さらに首相は地方交付税交付金に関連してつぎのようにも語った。
 「地方が厳しい。命を守るというのは、地方を守ることに等しい」(上述の記者会見参照)と。この発言の含意について記者は質問すべきであるが、それがない。私の想像では、「地方が荒廃している。日本本来の豊かな自然の命が粗末に扱われ、命を育てる産業である農業も衰退している。命を守るためにも地方の再生を図らなければならない」と胸の内では考えているのではないか。

 さて問題は政権交代後の民主党政権が初めて創り上げた政府予算の特質をどう捉えたらいいか、である。これこそ諸説多様であって当然だが、私は「国民の生存権」に戦後史上、いやもっと正確にいえば日本の近現代史上初めて取り組もうと努力した予算と理解したい。そういう視点に立てば、来年度予算がその生存権なるものをどの程度生かすことに役立っているかが最大の焦点となるはずである。

▽わが国における生存権の歴史を追跡すると ― 大正時代の先駆的論文から一世紀

 生存権に関するわが国の先駆的業績としては、今から一世紀近くも昔の福田徳三博士(注)の論文「生存権の社会政策」(大正5年=1916年)があり、つぎのように主張している。
・社会政策の根本思想は生存権の主張にあるべきこと
・生存権の要求を有するものはまず第一に幼児であり、次いで老年者、病廃者などであり、さらに成年者、特に労働者である。この労働者の取り扱いがもっとも困難である。

(注)福田博士(1874~1930年)は東京商科大学(現・一橋大学の前身)の前身・東京高商の出身で、ドイツ留学を経て母校の教授などを歴任、多くの優れた学問上の弟子を育てた。『貧乏物語』などの著作で知られる京都大学の河上肇博士との論争は当時話題を呼んだ。レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の学士院200年祭に参列し、イギリスの経済学者ケインズとともに講演を行った。論文「生存権の社会政策」は、福田徳三著『生存権と社会政策』(講談社学術文庫、1980年刊)に収録されている。

 「国民の生存権」という権利(社会権)は、周知のように現・平和憲法(1947年5月施行)25条(生存権、国の生存権保障義務)でつぎのように規定されている。
・すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
・国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 以上のように生存権は現行憲法で明確に保障されることになったが、これは福田論文から数えて30年後のことである。しかしその生存権も特に1980年代初めから始まった「弱肉強食、貧困、格差拡大」を強いる新自由主義(=市場原理主義)路線で事実上骨抜きにされた。特に2001年以降の小泉政権時代にはマイナス面が顕著になり、その傾向が今なお続いている。

以下のデータがそれを物語っている。
・自殺者は09年も11月末までにすでに3万人を超えて、12年連続の年間3万人台で推移している。
・完全失業率(09年11月)は5.2%と依然高水準で、完全失業者(同)も331万人で、前年同月比75万人増を記録した。
・相対的貧困率(全国民の中で低所得者が占める割合を示す指標で、全国民一人一人の所得を順に並べて、真ん中の人の所得額=中央値=を求め、その半額以下の人の割合)は厚生労働省の発表によると、06年時点で15.7%だった。中央値は228万円で、半額の114万円に満たない人が国民全体のうち、7人に1人いることが分かった。経済協力開発機構(OECD)によると、03年には日本は加盟30カ国の中でビリから4番目に悪い27位の14.9%で、06年はそれよりも悪化し、貧困化が進んでいることを示している。

 国民の生存権は、現行の平和憲法上の規定にもかかわらず、福田論文(1916年)から指折り数えてみると、なんと一世紀近くも無視あるいは軽視され続けてきた。先進国としての資格に欠ける異常な光景というべきである。生存権を冷遇してきた自民・公明党政権に代わって登場した民主党政権がつくった最初の予算は、国民の生存権をどこまで生かせる予算となっているだろうか。

▽今日の生存権に不可欠な視点 ― 聖域をつくらないこと

 さて今日的な生存権を生かし、実のあるものにするためには、単に社会保障の支出拡大に限らず、もっと視野を広げる必要があると考える。それは批判、変革を許さぬ聖域をつくらないことである。具体的には日米安保体制下の軍事予算・在日米軍基地、さらに大企業・資産家優遇の税制にメスを入れる必要がある。そういう政策転換がなければ、民主党政権が唱える「生活重視」は、その財源にも事欠き、実現しにくいだろう。

 藤井裕久財務相は12月25日の記者会見で「公共投資が大きく減り、国民生活に直結したものが大きく増える。国の資源配分のあり方は、過去の政権と全く違う」と語ったと伝えられる。その通りであるだろう。しかし言い忘れていることがあるのではないか。それは日本の防衛費(軍事予算)は従来の5兆円規模が維持され、削減の対象になっていないこと、大企業・資産家優遇の税制も変革のメスが加えられていないことである。

 来年度防衛費の中で見逃せないのは、海上自衛隊最大の新型護衛艦(ヘリ9機搭載可能の巨大ヘリ空母)の建造費1208億円、新型戦車13両に187億円、北朝鮮の弾道ミサイルに備えるという名目で地対空誘導弾パトリオットシステムの能力改良に766億円 ― などがそれぞれ計上された点である。いずれも「兵器の技術革新」が理由で、防衛費が削減できない口実とされ、聖域として持続される。しかも日本の防衛力は、米軍との一体化が進み、日米安保体制下に組み込まれていることに着目することが必要である。

 沖縄県の米軍・普天間基地の移設問題ではもはや国外への移設以外に打開策は難しくなっている。在日米軍基地問題は今や生存権を侵害する典型例となっていることを認識する必要がある。それは周辺住民がいのちと日常生活を危険にさらされているだけではない。何よりも軍事力そのものの打開力が無力となっていることは、米兵の犠牲者が増えて、米国のイラク攻撃、アフガン増派(在日米軍基地がその拠点として機能している)への疑問符が広がっていることからもうかがえる。
 にもかかわらず民主党も、日米同盟を日本防衛の抑止力として聖域視する傾向があるが、それは錯覚というものである。日米安保体制下の日米同盟は、いまでは「世界の中の安保」として機能しており、在日米軍基地を足場とする米海兵隊群は世界各地へ侵攻することを任務としている。「世界の中の安保」が日本国民の生存権とは両立できない、その真相に気づいてもいいときではないか。

 もう一つの大企業・資産家優遇の税制が維持されることが、なぜ今日的な生存権を脅かすことになるのか。それはいのちと暮らしの土台を守るための「税制の所得再分配機能」が働かないからである。
 まず大企業はこの10年間に法人税率の引き下げ、賃金の削減などで内部留保を倍増させ、数百兆円の規模になっているという試算もある。一方、証券優遇税制など大資産家向けの「金持ち優遇」減税も実施された。いずれも自民・公明政権時代に実施された大企業・資産家優遇の税制である。これは弱肉強食のすすめ、貧富の格差拡大を招く市場原理主義(=新自由主義)路線の悪しき遺産といえる。政策転換を唱える民主党政権が、ここにメスを入れないまま、悪しき遺産を温存しているのは解せない。

 「生活重視」を本物に育てるためには在日米軍基地の国外への撤去を含む軍事費の削減のほか、大企業・資産家優遇の税制を改めて新たな財源を確保し、税制の所得再分配機能の再生を図る必要がある。しかしそういう感覚が不透明であるところが、民主党政権の物足りないところであり、その弱点が今回の予算にそのまま映し出されている。
 「命を守る予算」が本物になって、「国民の生存権」の尊重が日本列島に行き渡る日が近いことを期待したい。


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温暖化防止を促進させる必要条件
市場原理主義の残影を振り払う時

安原和雄
 地球温暖化防止のために温室効果ガスの削減目標などを協議していたコペンハーゲン国際会議は、肝心の削減目標を文書に盛り込むことができず、閉幕した。具体策は来年に持ち越されたが、その行方は不透明のままである。今回の国際会議の際立った点として先進国と途上国との間の対立、抗争を挙げることができる。しかもオバマ米大統領の存在感の薄さも指摘できる。
 その背景にあるものは何か。端的にいえば、米国主導のあの猛威を極めた市場原理主義(=新自由主義)の残影である。途上国の経済や生活に災厄をもたらしただけでなく、地球環境保全にも顔を背(そむ)け、環境悪化を招く市場原理主義の残影を思い切って振り払うべき時であり、それこそが温暖化防止策を促進させるための必要条件ではないか。(09年12月21日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

 デンマークのコペンハーゲンで開かれた「国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)」は、12月19日、2013年以降の温暖化対策の国際的枠組みを示す「合意文書」について、拘束力の弱い「承認」という形にとどめて閉幕した。120人もの首脳級の各国代表が夜を徹して議論を続け、決裂だけはなんとか避けられた。その意味するものは何か。

▽大手紙社説は「COP15閉幕」をどう論じたか

 まず大手5紙の社説(12月20日付)の見出しを紹介する
*朝日新聞=COP15閉幕 来年決着へ再起動急げ 
*毎日新聞=国連気候変動会議 危うい「義務なき協定」
*読売新聞=COP15 懸案先送りで決裂を回避した
*日本経済新聞=弱い約束を確かな排出削減合意に育てよ
*東京新聞=COP15閉幕 相互信頼で再挑戦を

 見出しからもうかがえるように各国別の温暖化ガス削減目標など具体策は決まらないまま、閉幕し、最悪の決裂だけは何とか避けられた形となった。
 社説の内容は、重複している点もかなりあるので、朝日、毎日、日経3紙の社説(要点)のみ紹介する。

*朝日新聞
 先進国と途上国の激しい対立の陰には、米国を抜いて世界最大の排出国になった中国の存在がある。中国は途上国グループ「G77プラス中国」を率いたほか、ブラジルや南アフリカ、インドとともに新興国グループ「BASIC」を立ち上げた。排出削減を求める先進国の声に対抗するねらいがあってのことだろう。
 経済成長が体制の安定に欠かせない中国にとって、排出削減を義務づけられるのは困る。新興国の削減行動や、その監視体制を合意に盛り込むことには、最後まで抵抗した。
 途上国は、先進国が資金支援の規模を表明し歩み寄りを図っても、乗ってこなかった。むしろ先進国に削減目標の上積みを求め、先進国だけに削減を義務づけている京都議定書の延長を強硬に主張した。こうした強気は、中国という後ろ盾あってのことだろう。
 交渉の動向が中国に左右された背景には、排出量2位の米国の指導力が及ばなかったこともある。米国は排出削減の中期目標で、日欧より低い数字しか示していない。合意づくりへオバマ大統領は積極的に動いたが、温暖化防止の国内法成立が遅れており、先進国のリーダーとして中国の説得にあたるには足場が弱すぎた。

*毎日新聞
 COP15の最大の課題は、世界の2大排出国である米国と中国も参加し、それぞれが削減に責任を負う枠組みの構築だった。
 京都議定書から空白期間を設けずに次の削減行動につなげるには、COP15で新議定書につながる政治合意をまとめることが最低ラインだった。合意には、2050年までの長期目標、先進国と途上国の中期目標、さらに、途上国への資金援助や、温暖化の被害を軽減する対策などが盛り込まれる必要もあった。にもかかわらず、合意が採択できなかった背景には、途上国と先進国の根強い対立がある。
 温暖化対策の基本原則は、「共通だが差異ある責任」だ。中国など新興国に先進国と同等の削減義務を負わせるのはむずかしい。しかし、経済発展に伴い急速に排出量を増やしている中国やインドが削減責任を負わなければ、公平性に欠ける。
 米国にも弱みがある。COP15直前に「05年比17%減」という数値目標を公表したものの、90年比では約4%削減に過ぎない。議会で審議中の温暖化対策法案の足かせがあり、一歩踏み込むことも難しい。結局、国際交渉をリードできず、かけつけたオバマ大統領も存在感を示せないままだった。

*日経新聞
 低炭素社会の設計急げ(小見出し)
 日本は25%削減の高い目標を掲げただけで、実現を裏付ける政策がない。景気下支えも狙ったエコポイント制度など一時的な対策だけではなく、日本を低炭素社会に転換するための持続的な制度が要る。
 欧州諸国は低炭素社会への制度づくりをほぼ終えている。環境税や排出量取引制度だけではない。例えば、コペンハーゲンの主要部はゴミ焼却の熱を利用した地域暖房が完備している。欧州各国政府は自然エネルギー導入や公共交通網の整備なども法律を定めて後押ししている。
 米国も議会で温暖化対策法案が成立すれば、「脱石油」に向けて動き出すだろう。
 日本は米中などの参加を前提にした25%削減の旗を降ろすべきではない。鳩山政権は化石燃料に課税する温暖化対策税(環境税)の導入でふらついているが、環境税や排出量取引などを含む体系的な政策導入の準備を着々と進める必要がある。

 以上、3紙社説への印象は二つある。一つは、途上国と先進国との対立である。それとの関連で朝日、毎日が指摘しているように、中国の存在感が目立ったのに比べ、米国の存在感が薄かったことである。中国は途上国のリーダー的存在として行動したのが際立っていた。一方、オバマ大統領は毎日が指摘しているように「国際交渉をリードできず、かけつけたオバマ大統領も存在感を示せないままだった」という診断は適切といえる。
 もう一つは、日経が指摘している「低炭素社会の設計」をどう急ぐかである。今回の会議で具体的な削減目標を合意できなかったとはいえ、日本としての「低炭素社会の設計」を軽視していいはずはない。環境税(炭素税)の導入を含めて、日本独自の設計図を提示したいところである。

▽反発根強い途上国の姿勢(1)― 「金(かね)ではなびかない」

 停滞に陥った交渉の打開策として起草されたのが先進国と途上国の妥協を図る「コペンハーゲン協定」で、議長国デンマークのラスムセン首相がオバマ米大統領らと日米欧諸国との協議でまとめた。この協定には気温上昇を2度以内に抑える必要性のほか、途上国への短期(3年間で300億ドル)、長期(1000億ドル)の支援策も盛り込まれたが、先進国主導の決定手続きに途上国からの反発が相次いだ。

 毎日新聞(12月20日付)は一面トップ記事で「途上国の反発根強く 金ではなびかない」、さらに2面の関連記事で「大排出国の露骨な妨害は残念」などの見出しでつぎのように報じた。

 一部途上国から「金ではなびかない」との発言さえ飛び出した。「上からの押し付け」への非難が相次いだ。
 温暖化による海面上昇の影響を受ける太平洋の島国ツバルの代表は「銀貨30枚で国民を裏切れというような提案だ。わが国の未来は売り物ではない」と憤った。インド洋に浮かぶ小島、モルディブの大統領は「気候変動はわが国にとって今そこにある危機だ。(温室効果ガスの)大排出国による露骨な妨害は残念だ」、アフリカのスーダン代表は「気候変動交渉として史上最悪の進展」と酷評し、このままでは温暖化による洪水や干ばつの影響でアフリカで死者が広がるとして、ナチスドイツの「ホロコースト」(大虐殺)にたとえて、米国などを批判した ― と。

▽ 反発根強い途上国の姿勢(2)― 資本主義、アメリカ帝国への批判

 先進国への批判の極めつけは、南米ベネズエラのチャベス大統領(注)の発言である。その骨子は次のようである。批判の矢は資本主義からアメリカ帝国までも射ている。
 (注)貧困層の支持を受けて、1999年に成立したチャベス政権は、反米、反「新自由主義」(=反「市場原理主義」)の立場で、社会主義への路線を目指している。2002年、軍部親米派のクーデターで一時失脚したが、間もなく政権に復帰し、今日に至っている。

・資本主義が我々の前に立ちはだかるなら、戦いましょう、人類を救いましょう。でなければ、人類は消えます。地球は人類なしで何億年もやってきた、地球は我々を必要としない、しかし我々は地球を必要としている。
・いつまで我々は現在の経済秩序を耐えなければなりませんか、いつまで病気で死ぬ子供たちを見るのを耐えなければなりませんか。帝国に地球を独占することを止めさせましょう。
・みなさんは自由とおっしゃるが、殺す自由ですか、差別する自由ですか、苦しませる自由ですか、無限のプロジェクトは有限の地球で成立しますか。資本主義は破壊的です。
・5%の富める者たちと多くの貧しい人々の間に凄まじい違いがあります。生存率を含めてです。その原因は、科学技術に基づく、資源の有限性を考慮しない、飽くなき幸福の追求です。
・7%の人間が55%の排出に責任があります。アメリカはどんどん石油を使っています、中国はそうでもない。60%の生態系がダメージを受けている。世界は自律性を失い、ゴミが大量に生み出されています。
・気候変動はひどい環境問題です。干ばつ、ハリケーン、洪水、熱波など。人類は持続性の境目を超えました。
・もし気候が銀行だったら、もう救われていたでしょう。そうですよね。オバマ(米大統領)はアフガニスタンを爆撃した同じ日にノーベル平和賞を受賞しました。
(チャベス大統領の発言内容は、日本の環境政党を目指す市民組織「みどりの未来」のメールによる)

〈安原の感想〉 ― いよいよ冴えるチャベス節
 歯に衣着せぬ語り口で、今や「世界の著名人ならぬ著名口(くち)」で知られるチャベス節はいよいよ冴えていて飽きない。批判の矛先は主として米国であり、世界に災厄をもたらした市場原理主義でもある。
 「地球は我々を必要としない、しかし我々は地球を必要としている」は今では常識である。「みなさんは自由とおっしゃるが、殺す自由ですか、・・・」は、米国型資本主義への批判だろう。「資源の有限性を考慮しない、飽くなき幸福の追求」という指摘は、先進国のわれわれ自身の自戒の言葉としても受け止めたい。
 「人類は持続性の境目を超えました」は、地球環境問題のキーワードである「持続性」の現況を的確についている。持続性が崩れれば、地球上の人類の生存もまた崩壊に直面する。
 「アメリカはどんどん石油を使っています」は、オバマ大統領さんよ、ここコペンハーゲンへ何のために来たのか、という皮肉なのだろう。皮肉のなかの皮肉といえるのは、多分「もし気候が銀行だったら、もう救われていたでしょう」ではないか。「気候」もつぶやいているに違いない。「私も銀行になりたい」と。

▽消極的姿勢に終始する米国の責任は重大 ― 色濃い市場原理主義の残影

 主要先進国がこれまでに公表している温室効果ガス削減目標(2020年までの目標)はつぎの通り。
*欧州連合(EU)=90年比20~30%
*日本= 90年比25%(すべての主要排出国が新たな温暖化防止の枠組みに参加することが条件)
*ロシア= 90年比15~25%
*米国= 05年比14~17%(17%減の場合、90年比に直すと、約4%減にとどまる)

 温暖化対策に取り組むためには、世界各国は今や地球を基盤とする人類共同体の一員であるという自覚が不可欠である。しかしその責任が同一であるとはいえない。温暖化ガスの排出量の多少によって責任の度合は異なる。端的に言えば一番責任が重大なのは米国である。
 温暖化を進める温室効果ガスの主役、二酸化炭素(CO2)の世界総排出量に占める国別排出量の割合(%、2007年)をみると、6位までの主要国(地域)はつぎのようである。
 中国21.0、米国19.9、EU(15カ国)11.0、ロシア5.5、インド4.6、日本4.3

 2006年からそれまでのトップだった米国に代わって中国が1位に躍り出たが、人口1人当たりで見ると、総人口約13億人の中国(世界総人口の5人に1人は中国人)の順位は下がる。代わって米国(人口約2億8000万人)が断然トップの地位にある。

 その米国は温暖化対策でこれまでどのような貢献を果たしたか。結論をいえば、「負の貢献」において実に顕著である。法的拘束力のある京都議定書(1997年採択)に背を向けて2001年、ブッシュ米政権(当時)は一方的に離脱するという身勝手な態度に出た。自国の経済活動が拘束されるというのがその理由であった。この理不尽な姿勢を促したのが市場原理主義路線(=新自由主義:弱肉強食のすすめで、環境悪化、貧困、格差、人権無視を広げ、強欲資本主義の悪名は今なお消えない)であることは改めて指摘するまでもない。

 問題はオバマ政権がこの悪しき路線の変更をどこまで果たすのかである。結論を急げば、あまり期待できそうにはない。オバマ政権が打ち出した温室効果ガス削減目標は、上述のように主要先進国のなかでは最低の努力目標しか掲げていない。そこには温暖化対策に背を向ける市場原理主義の残影が色濃く映し出されている。
 石油を浪費する戦争もまた温暖化の要因であることは言うまでもない。オバマ大統領は周知のようにアフガニスタンへの米軍増派を決めている。戦争の拡大が温暖化、環境悪化を促すことに無知である大統領とは思えない。そう考えながら、大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(12月11日付「朝日新聞」夕刊)を読み直してみた。
 温暖化についてつぎのように言及している。

 世界が一緒に気候変動に立ち向かわなければならない。もし我々が何もしないなら、この後何十年にもわたり一層の紛争の原因となるような干ばつや飢饉(ききん)、大規模な避難民の発生に直面することになるということは、科学的にはほとんど争いがない。科学者や運動家たちだけが迅速で力のある行動を求めているのではない。わが国や他国の軍指導者も、これに共通の安全保障がかかっていることを理解している ― と。

 文中の「軍指導者」には米国最高司令官としての大統領自身も含まれているはずで、その大統領が気候変動すなわち温暖化を安全保障との関連で認識していることは理解できる。それならなおさらのこと、温暖化防止にもっと積極的に世界のリーダーとして取り組むべきではないか。二の足を踏む大統領の姿勢は不可解である。市場原理主義の残影を振り払い、それとの縁を断ち切らなければ、温暖化防止は前に進まないだろう。途上国の激しい反発は、米大統領の姿勢転換への期待でもあると理解したい。


(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
「変革の21世紀を生きる」には
いのち・知足・利他を大切にしよう

安原和雄
 自民党政権に代わる民主党政権の発足によって、わが国は近現代史上、第三の変革期を迎えたともいえる。第一は明治維新、第二は敗戦をそれぞれ境として始まった。第三の変革期は、いいかえれば「変革の21世紀」をどう生きるかというテーマを投げかけている。多様な模索が試みられつつあるが、この際、仏教経済学(思想)の出番であることを強調したい。ひとくちに仏教経済学と言っても、提唱者によって色合いは異なるが、私が構想する仏教経済学は八つのキーワードからなっており、なかでも「いのち」、「知足」、「利他」を大切にしたい。それを手がかりにして「変革の21世紀」をつくっていく時だと考える。(09年12月11日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 私(安原)は09年12月9日、5年前まで経済学を講じていた足利工業大学(=岡平悟朗理事長、牛山泉学長。所在地:栃木県足利市、地元のお坊さんたちが創設した仏教系の工業大学)で「変革の21世紀を生きる ― いのち・知足・利他を大切に」というテーマで講話する機会があった。就職への助言を兼ねた講話で、同大学3年生と教職員ら、合わせて約300名が参加した。

講話の内容(大要)は以下の通り。

 仏教経済学の視点から話したい。仏教経済学といっても、馴染みが薄いかもしれないが、インターネット上ではかなり知られている。グーグルで「仏教経済」を検索すると、検索件数は150万から220万件もある。(参考までに首相の「鳩山由紀夫」を検索すると、約160万件)
 講話はつぎの4本柱からなっている。
(1)生きている今はどういう時代か ― 日本近現代史上、第三の変革期
(2)仏教経済学と八つのキーワードと21世紀の変革
(3)中米のコスタリカ人に学ぶこと
(4)若者たちが担う変革の時代
 変革の時代を担うのは君たち若者だ、ということを自覚してほしいということ。
       
(1)生きている今はどういう時代か ― 日本近現代史上、第三の変革期

 第一の変革期 明治維新=富国強兵
 第二の変革期 敗戦=平和憲法・人間尊重
 第三の変革期 変革の21世紀=いのち・知足・利他を大切に
         「無血の平成維新」(鳩山首相初の所信表明演説:09年10月末)

第一の変革期は幕末の動乱と明治維新であり、富国強兵路線を目指した。日清、日露、さらにアジア諸国やアメリカと戦うアジア・太平洋戦争などいくつもの戦争の時代であった。アジア諸国に2000万人とも言われる犠牲者を強いたうえに、広島、長崎の原爆犠牲者を含め日本人約310万人が犠牲となり、命を失った。
 1945年8月敗戦となり、そこから平和憲法(戦争放棄、生存権・自由・人権・民主主義の重視、主権在民)制定による人間尊重を目指す第二の変革期が始まった。しかし日米安保条約改定(1960年)を背景に対外的にはアメリカ主導の戦争に加担し、一方国内では人間・生存権軽視の政治・経済が続き、平和憲法の理念は事実上骨抜きとなった。2009年総選挙(8月30日)の結果、民主党が圧勝し、従来の自民党政権から民主党連立政権へと本格的な政権交代が実現した。ここから第三の変革期が始まる。
第三の変革期はどうあるべきか。われわれの意志によって新しい変革期をつくっていく必要がある。その思想的武器となるのが「仏教経済学」であり、仏教経済学の出番となってきたと考える。

(2)仏教経済学と八つのキーワードと21世紀の変革

 仏教経済学(思想)は新しい経済学であるだけに、「仏教と経済」がなぜ結びつくのかという疑問が寄せられる。この疑問は仏教や経済に対する理解が浅いために生じる誤解である。
 仏教、特に大乗仏教に「衆生済度」(しゅじょうさいど)という考え方がある。これは「いのちある存在を救う」の意である。一方、経済は英語economyの日本語訳として使われているが、この経済という用語は、中国の「経世済民」(けいせいさいみん・世を整え、民衆を救う)の「経」と「済」を組み合わせて新たに作られた。このように仏教と経済は、「いのちや民を救う」という点で本来、相互に密接な関係にあることを理解したい。

 私が構想する仏教経済学の特質は、次の八つのキーワードからなっている。なぜ八つに多少こだわるかといえば、漢数字「八」は、末広がりで未来への発展力を秘めているからである。
 いのち尊重、知足、利他、非暴力、簡素、共生、持続性、多様性 ― の八つ。

 これは仏教経済学のキーワードであるだけでなく、同時に21世紀のキーワードでもあることを強調したい。21世紀はこのキーワードを軸に変革が求められている時代であるといえよう。

 以下、八つのキーワードについて簡潔に説明する。
 ケインズ(=イギリスの経済学者)経済学や新自由主義(=市場原理主義)経済思想 ― など一般の大学経済学部で教えられている現代経済学では、八つのキーワードとは無縁であるだけでなく、むしろ逆の考え方が支配的である。
 それぞれの項目の末尾のカッコ内は現代経済学の特質を示している。

*いのち尊重=人間は、いのちある自然の一員であるにすぎない。動植物も含め、生きとし生けるものすべてのいのちを大切にすること。
 【いただきます】という日常語は、「動植物のいのちをいただいて自分のいのちをつないでいる、ことへの感謝の気持ち」を表す言葉である。だから食事前に唱えたい。言葉にしなくても、心で唱えるのも立派だ。いのちあるものだから、ともかく食べ残しを止めよう!
 無造作に食べ残しをする人は「いのち」を粗末にする人で、一人前とはいえない。私が企業社長なら、入社希望者を食事に連れて行って、食べ残しをするかどうかを観察する。食べ残しをする人は使い物にならないという判断で、不採用にする。
(現代経済学:いのち無視=自然を征服・支配・破壊)

*知足=欲望の自制、「これで十分」。足ることを知って、モノを大切にすること。
 【もったいない】を日常語にしよう!
「もったいない」運動があちこちで始まっている。「もったいない」感覚は、食べ残しをしないことにもつながる。 
・ケニアの植林運動家で環境副大臣を務めたワンガリ・マータイ女史(ノーベル平和賞受賞)は、数年前来日したとき、日本語の「もったいない」に出会って感激し、それ以来国連をはじめ世界中に「MOTTAINAI」を広める運動に取り組んでいる。
・今ではアメリカ人でも「足ること」を知ってこそ、充実した生活を送ることができると考える人が増えている。
(現代経済学:貪欲、強欲=欲望に執着、「まだ足りない」)

*利他=利他的人間観
利他=「世のため、人のため」を考え、実践することは、結局は自分のためになるし、楽しい。「自分さえよければいい」という自分勝手、自分本位は楽しくない。バスや電車で席を譲るのも利他のささやかな実践といえる。
 【お陰様で】という感覚の日常化をすすめよう!
 「自分一人で生きる。誰のお世話にもならない」という人がいるが、それは勘違いだ。独りで生きている人は誰もいない。他人様(ひとさま)のお陰で生きている。今朝の食事は何を食べたか? 仮に食パンとすれば、その材料の小麦粉は他人様が作ったものだ、自分で作ったモノではない。だから「お互い様」「お陰様」で生かされているという感覚を大切にしたい。
(現代経済学:私利優先=利己的人間観)

 以上の3つのキーワードのほかは、ごく簡略な説明にとどめる。
*非暴力=平和とは、多様な「構造的暴力」(戦争、自殺、交通事故、貧困、環境汚染・破壊など)がない状態。だから非暴力すなわち平和は、守るものではなく、むしろ積極的に作っていくものである。(現代経済学:暴力=戦争などの容認)
*簡素=質素の美しさを尊ぶ 。(現代経済学:浪費・無駄=虚飾のすすめ)
*共生=いのちの相互依存。(現代経済学:孤立=いのちの分断、孤独)
*持続性=持続可能な質の「発展」を重視する。地球環境保全時代のキーワード。(現代経済学:非持続性=持続不可能な量の「成長」にこだわる)
*多様性=自然・人間・文化・国のあり方の多様性、個性の尊重。(現代経済学:個性の無視、画一性)

(3)中米のコスタリカ人に学ぶこと

 ここでは変革の時代に日本人として中米の小国コスタリカ(人口約450万人、国土面積は日本の九州と四国の合計程度)の人々の生き方に何を学ぶかという視点から話したい。

(イ)首都・サンホセの公園で巡回中のコスタリカ警官と対話
03年1月、私はコスタリカ訪問団の一人としてコスタリカを訪れた。アメリカが03年3月イラク攻撃を始めるその直前であった。以下は、公園を数人で散策中、たまたま巡回中の警官2人と出会って行った一問一答のほんの一部である。

 問い:コスタリカは、警備と治安のための警察力はあるが、他国との紛争に軍事力を行使する軍隊を持っていない。そのことについて警察のメンバーの一員としてどう考えるか。
 警官:軍隊を持たないことは大変素晴らしいことだと思っている。軍隊を持つと必ずその軍事力を行使し、暴力をふるいたくなるものだ。それを避けるためにも、軍隊を持たないことはいいことだ。
 問い:もし他国から攻められたらどうするのか。
 警官:まずわれわれ警察隊が対応する。しかし、最終的には政治家が話合いによって、平和的に解決してくれると信じている。

〈感想〉軍隊のない国(コスタリカは1949年の憲法改正で軍隊を廃止した国として知られる)の警官が平和についてなにを考えているのか、聴いてみるいいチャンスだと考えたことから始めた対話である。
 普通の警官(日本の警官でいえば、巡査部長クラス)が初めて出会う外国人の観光客に向かって自国の「平和哲学」を堂々と語るのに驚いた。しかも態度が友好的で正直、率直である。我々日本人にはなかなかできないことだ。日本人は、堂々と胸を張って生きるコスタリカ人にどうやら人間力の点で負けているのではないかと感じた。

 私(安原)は「コスタリカに学ぶ会」(=略称:正式名称は「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」)の世話人で、「平和をつくる会」という名前に注目してもらいたい。平和は守るという受け身ではなく、自分たちの手で努力して積極的に「平和=非暴力」を作っていくという感覚を大切にしたい。

 もう一つ、コスタリカ人の平和をつくっていく実践的姿勢に触れておきたい。
 アメリカがイラク攻撃を始めてから間もなく、当時のコスタリカ大統領がイラク攻撃を支持する姿勢に出た。それに対してコスタリカ大学法学部の学生、ロベルト・サモラ君が「大統領の戦争支持は憲法違反。戦争は人間を破壊し、消し去る」と最高裁判所に訴えて、裁判に勝った。大統領は直ちにイラク攻撃支持を止めた。
 このように大統領を相手に裁判で戦って学生が勝利するのがコスタリカという国柄だ。その学生が日本へ来たとき、私は彼と会う機会があり、激励した。「君は将来のコスタリカ大統領候補だな」と。

●日常感覚で心掛けること(その一)
 チャンス(機会)は、積極的に作っていくもので、与えられるのを待たないこと。
 警官との一問一答を試みること、学生が大統領と戦争問題で最高裁で争うこと、などはいずれもチャンスを自分で作っていったもので、こういう発想、行動が大切だ。その結果、新しい成果を挙げることができた。「誰かがやってくれないかなあ」という昨今の若者に多い他人まかせの依存症ともいえる姿勢は返上したい。
 
(ロ)「森と人間社会」に関するエコ(自然)ツアーのガイドさんの説明
 森には土・木・草・菌類がある、鳥・動物がいる。土壌・日光は基本的な公共財のようなもので、動植物は私たち人間と同じだ、と。互いに競争することもあるが、結局は相互依存している。収奪しすぎると、結局共倒れになってしまう。森は私たちに、私たちの社会がどうあるべきかを教えてくれる最も身近な教材である。自然界の多様性、バランスは私たちの社会と相似関係にある。環境破壊が進むと、水や食料など、私たちの生活に必要なものも得られなくなる。豊かな自然と暮らすことで、そこから平和な社会を形成するためのインスピレーション(直感的なひらめき)を得て、次の世代へとつないでいく ― と。
(足立力也著『丸腰国家~軍隊を放棄したコスタリカ 60年の平和戦略~』=扶桑社新書から)

〈安原の感想〉この説明の仕方は仏教的ともいえる。コスタリカは80%がカトリック、15%がプロテスタントで、キリスト教徒の国。しかし考え方は仏教に共通しているところがある。人間と自然との共生、相互依存関係の重視、多様性の尊重、豊かな自然と平和な社会 ― などにそれがうかがえる。

(4)若者たちが担う変革の時代

(イ)有難いことに「いのち」をいただいてこの世に生まれた。奇跡に近い。折角のいの ちを大切に生かしていくこと。

 我々人間は自分の意思でこの世に生まれた者は誰一人いない。ミミズに生まれていたかもしれない。人間として生まれたのは奇跡に近いともいえるだろう。だからいのちを生かしていくことが大切なこと。そのためには一人ひとりが誇り(叩けば出てくる「埃=ほこり」ではない、堂々と生きる誇りだ)をもって生きること。コスタリカ人に負けないように堂々と生きようではないか。
そのためにも仏教経済学の八つのキーワードのどれか一つでもいいから心にとどめて考え、行動してほしい。

(ロ)企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)について
 利益第一にこだわる時代は終わった。「世のため、人のため」の社会貢献をどう果たすか。
 〈有名な衣料品メーカーの新聞広告〉:「わたしたちの感謝を、還元させていただきます。《服を変え、常識を変え、世界を変えていく》という目標のもと、これからも《服の力で世界中の人の生活や人生を豊かに》していきたい」

 企業の社会的責任を重視すること。ごまかしながら利益を稼げばいいと考える企業は倒産する時代だ。企業に就職する人は、その企業の中で存在感のある人間になることだ。そのためには目先の利益よりも企業の社会的貢献とは何かを考えてほしい。
 上記の衣料品メーカーの新聞広告が好例だ。この気概、心意気がすごい。こういうセリフを日常感覚で言ってみたい。

●日常感覚で心掛けること(その二)
「世のため、人のため」におもしろく、楽しく生きてみよう!
自分の受信力と発信力を身につけ、高めよう!
  
 「世のため、人のため」を思って生きれば、おもしろく、楽しく生きることができる。自分さえよければいいという感覚ではロクな人生は歩めない。そのためには受信力と発信力を高めなければならない。 
 ある企業幹部の話を紹介する。
 部下が80人いるが、若い人は視野が狭く、思い込みが激しい。人の話を聴く訓練がされていない ― など。 受信力が劣っている、というこの指摘に君たちは反論できるか?

 ではどうしたらよいか? ケータイの活用だ。君たちはケータイの奴隷(注)になっていないか。自由に使うというよりもケータイに振り回されてはいないか。
(注)日本国憲法18条=「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」。憲法に「奴隷」という表現が盛り込まれていることをしっかり認識している人は少ない。この条文の意味を噛みしめてほしい。

 私が足利工業大学で経済学の講義を担当していたとき、聴講生(出席者約200人)を対象に独自の「ケータイに関する意識調査」を行った。「言われてみると、なるほど俺たちはケータイの奴隷だ」と答えた学生が9割にものぼった。その詳しい内容は私のブログ「安原和雄の仏教経済塾」(05年12月29日付)に掲載されているから、興味があれば見てほしい。
君たちにケータイを捨てろ、とは言わない。しかしケータイの奴隷や僕(しもべ)にはならないようにしてほしい。ケータイを受信力と発信力を高めるための有益な手段として使いこなすことだ。
 思い込みや固定観念を捨てて、受信力を高め、一方、変革のための自分の考えを提案していく姿勢になって発信力を向上させてほしい。

 最後にブログ「安原和雄の仏教経済塾」に触れておきたい。私自身の氏名を明記しているのは、自分の責任で、変革のための提案をしていきたいと考えているからだ。無署名で無責任なことをおしゃべりして、満足する時代ではない。変革の時代を生きる君たち若者は、そういう感覚を身につけてほしい。


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なぜ「直ちに撤退」を唱えないのか
米アフガン新戦略と新聞社説の姿勢

安原和雄
 まもなくノーベル平和賞授賞式に臨むはずのオバマ米大統領がアフガン新戦略としてアフガニスタンでの戦争拡大を宣言した。米軍3万人を増派する一方、2011年7月から撤退を始める、いわゆる出口戦略も明示した点に新味があるとはいえ、当面は戦線の拡大に乗り出す。平和賞とどう両立するのか。
 それにしても不可解なのは、日本メディアの姿勢である。大手紙の社説を読んでみると、「オバマの戦争」の見通しが困難を極める状況にあることをかなり適切に指摘しながら、結局のところ戦争拡大容認に理解を示している。なぜ「直ちに撤退を」の主張を掲げないのか、不思議である。(09年12月5日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

 オバマ米大統領は、12月1日夜(日本時間2日朝)、新たなアフガニスタン戦略を発表した。米軍3万人を増派し、2010年夏までに展開し、アフガン治安部隊の育成などにあたる。駐留米軍は現在の6万8000人から10万人規模となる。さらに2011年7月から米軍は撤退を始めることを明らかにした。2001年10月に侵攻を開始してから約10年ぶりに撤退を始めることになる。

▽ 大手紙の社説は米のアフガン新戦略をどう論じたか(1)

 大手4紙の社説はオバマ大統領のアフガニスタン新戦略についてどのような視点から論じたか。まず各紙の見出しを紹介する。
*朝日新聞社説(12月3日付)=アフガン新戦略 増派だけで安定はない 
*毎日新聞社説(同上)=米アフガン増派 苦しい戦いがなお続く
*読売新聞社説(同上)=アフガン新戦略 増派で戦局を好転できるか
*東京新聞社説(同上)=アフガン増派 見えぬテロ抑止の道筋
琉球新報?

 以上のような見出しから読み取れる印象では米アフガン新戦略の効果を楽観視している社説は1紙もない。米国への同情派で知られる読売さえも「増派で戦局を好転できるか」と問いかけている。しかしもう少し綿密に見出しを読み直してみると、読売と他の3紙の姿勢との間にはかなりの差異がある。
 つまり読売の「戦局を好転できるか」という問いかけは、「できる」のか「できない」のかについての姿勢が明確ではない。しかし「好転してほしい」という期待がにじんでいる。読売はやはり相変わらず米国を「ヨイショ」と応援する姿勢といえよう。
 これに比べると、朝日は「安定はない」、毎日は「苦しい戦いが続く」、東京は「見えぬ道筋」などと米国にとって望ましくない展望をそれなりに明確に打ち出している。反米の姿勢ではないが、アフガン戦争が直面している現実を冷静に分析しているということだろう。

▽ 大手紙の社説は米のアフガン新戦略をどう論じたか(2)

 では社説の本文はどうか。要旨を以下に紹介する。

〈朝日新聞〉
 タリバーン政権の打倒から8年近い。だが、米兵の犠牲は増えるばかりで、戦費も巨額に膨れあがっている。かつてのベトナム戦争のような泥沼にはまるのではないか。そんな懸念が米世論に根強い中での決断だ。政権の命運がかかっていると言っても過言ではあるまい。
 新戦略の成否のカギを握るのは、アフガン国軍や警察の育成である。2期目のカルザイ政権が、テロ勢力の復活を阻止するだけの統治能力を備え、治安を安定させることができるかどうか、という問題でもある。
 だが、これまでの実績を見る限り、悲観的にならざるを得ない。政府の汚職や麻薬の栽培、密輸はひどくなるばかりだ。現地政府が腐敗していては、いくら精鋭部隊を投入しても、巨額の民生支援を振り向けても徒労に終わる。それが8年間の教訓だ。
 アフガン国民の多くは、いまだに水や電気すら十分に確保できず、暮らしは一向に改善されていない。失望感の広がりが、タリバーン勢力の復活の根底にあるのではないか。

 アフガンのタリバーン勢力がすべて過激主義ではないし、国際テロリストであるわけでもない。交渉を通じて穏健派を取り込み、民族や宗派を超えた幅広い和解を実現していくための現政権の真剣な努力が欠かせない。
 軍事力だけでそれを達成するのはとうてい不可能だ。民生面での国際的な支援を広げ、和解や国家再建の取り組みを支えていかねばならない。その点で、今後5年間で50億ドルの拠出を表明した日本政府は、大きな役割を果たせるはずだ。

〈毎日新聞〉
 いかにも苦しげな演説だった。アフガニスタンへの米兵3万人増派について、オバマ米大統領は「容易な決断ではない」と繰り返して国民の理解を求めた。全土で強まるタリバン(イスラム原理主義勢力)の攻勢に対しては「現状では支えきれない」と戦況悪化を率直に認めた。

 タリバンや国際テロ組織アルカイダのメンバーはパキスタン国境付近に隠れながら活動している。パキスタンは核兵器を持つ国だ。アルカイダの幹部は、核兵器を入手したら米国に対して使うと予告している。核テロが起きれば、米国だけでなく国際社会の打撃は計り知れない。
 その意味でも増派はやむを得ない決断だろう。米国は今春2万1000人を増派した。それでも足りずに来年初めから3万人を増派し、アフガン駐留米軍は現在の6万8000人から10万人規模になるという。その結果、軍事的経費が年300億ドルに達するとは尋常ではないが、増派がアフガン情勢の悪化に歯止めをかけ、平和と安定への転換点を作り出すよう願わずにはいられない。

 だが、巻き返しへの明確な展望があるとは思えず、なお苦しい戦いが続きそうだ。外国軍隊の駐留が長引けばアフガン国民の反発は強まろう。アフガン治安部隊の訓練を急ぎ、自前で治安を確保する能力を高めること。「アフガンのものはアフガンに返す」ことこそ出口戦略のカギである。

〈読売新聞〉
 悪化の一途をたどるアフガニスタン情勢の流れを、今度こそ変えることはできるのか。大統領は今回初めて、米軍の撤収開始時期を「2011年7月」と明示した。国内の厭戦(えんせん)気分を払拭(ふっしょく)し、アフガンの状況を何としても好転させるという不退転の決意を表明したものだろう。
 問題は、18か月間で撤収を可能にするような成果をあげられるかどうかだ。課題は多い。
 まず、治安の確保の問題だ。
 アフガンでは旧支配勢力タリバンが巻き返し、欧米諸国が派遣する国際治安支援部隊(ISAF)との交戦は急増している。巻き込まれた住民の間では、駐留外国軍への反感が広がっている。
 肝心のカルザイ政権の基盤はきわめて脆弱(ぜいじゃく)だ。米軍としても、地方の有力な部族と信頼関係を構築していく努力が欠かせまい。
 次に、雇用の確保だ。タリバン兵士が増えるのは、働き場がないためだ。農地もケシ栽培にあてられ、タリバンの主要な資金源になっている。民生向上への開発支援の拡充が急務である。

〈東京新聞〉
 今回のオバマ演説の特徴は、アフガン新戦略を打ち出しながら、自国が陥っている深い経済的苦境、他国の再建関与への限界、核拡散への危機感を率直に語ったことだ。
 「われわれは自国を再建しなければならない」「私たちの力の基盤は繁栄であり、それこそが軍事力を賄っている」。イラクとアフガンですでに戦費は1兆ドルに迫り、今回の作戦で新たに300億ドルを要する。国の苦しい台所事情に言及したのは、無期限の駐留を続ける意志も経済的ゆとりも米国にはないことを宣言したに等しい。

 イスラム過激派に核兵器が渡る懸念も繰り返し強調した。「アルカイダが核保有をめざしていることは明らかだ。それを使用することをためらわないことも私たちは知っている」。そこには多数のテロリストが潜むとされる隣国パキスタンが保有する核兵器が及ぼす脅威の深刻さがある。
 今回の演説が陸軍士官学校で行われた背景には、先にテキサス州の基地で起きたアラブ系軍医による同僚兵士に対する銃乱射事件の影響があろう。事件は8年に及ぶアフガン戦争が米国社会に刻んだ深い傷を象徴している。

〈安原の感想〉 ― 社説の読み方は人それぞれであるとしても・・・

 〈読売〉はオバマ大統領の新アフガン戦略について「国内の厭戦(えんせん)気分を払拭(ふっしょく)し、アフガンの状況を何としても好転させるという不退転の決意を表明したものだろう」と評価し、位置づけている。読売が米国をヨイショする姿勢を崩していないのは、この辺りの認識にも表れている。
 他紙はどうか。
 〈朝日〉は「かつてのベトナム戦争のような泥沼にはまるのではないか」、「軍事力だけで達成するのはとうてい不可能だ」などと指摘している。これは米国が軍事力でベトナムをねじ伏せようとして、逆にベトナムから敗退した歴史的事実を踏まえた忠言ともなっている。正当な指摘といえる。
 〈毎日〉は「明確な展望があるとは思えず、なお苦しい戦いが続きそうだ。外国軍隊の駐留が長引けばアフガン国民の反発は強まろう」と納得できる指摘をしながら、他方で「増派はやむを得ない決断だろう」と米軍増派を是認している。主張に矛盾があるように思えるが、いかがか。
 社説に限らず、他者の主張や意見に対する理解の仕方は人それぞれであっていいが、私(安原)は私なりに以上のように是非を明らかにしたいと考えている。

▽ 新聞社説は、なぜ「直ちに撤退」を主張しないのか

 オバマ米大統領がアフガンへの3万人の新たな米軍増派を決めたことを受けて、どうしても想像力を働かせたくなるのは、ノーベル平和賞の授賞式(12月10日)で、オバマ大統領は一体どういう表情で平和賞を受け取るのかである。笑みをたたえながらなのか、それとも苦渋の表情でなのか。
アフガンという米国から遠く離れた外国の地で今後も軍事力による大量虐殺を続行することを世界に向かって公言した人物が平和賞を得るのは果たしてふさわしいだろうか。
 それにしても不思議なのは、日本のメディアの多くが米軍増派への批判力を欠落させていることである。解説はあれこれ試みてはいるが、明確な主張がない。なぜ「直ちに撤退方針を打ち出せ」という論調を展開できないのか。なぜ大量虐殺を容認するかのような姿勢を維持しているのか。21世紀のキーワードは「チェンジ(変革)」ではないのか。

 〈東京〉社説は次のような趣旨を指摘している。
 イラクとアフガンですでに戦費は1兆ドル(約90兆円)に迫り、今回の作戦で新たに300億ドル(約2兆7000億円)を要する。(中略)無期限の駐留を続ける意志も経済的ゆとりも米国にはない ― と。
 この点についてアフガン新戦略に関するオバマ演説はこう述べている。
 もはや我々は戦費のことを無視する余裕はない。戦争の財政負担について公にかつ誠実に明らかにすることを約束する ― と。
 米国の財政赤字は過去最悪を更新しており、経済的ゆとりが枯渇しつつあることは、紛れもない事実である。

 しかも米国の民意は戦争を拒否し始めている。米紙ワシントン・ポストなどの最近の世論調査では「アフガンで戦う価値はない」が52%と過半数にのぼっている。にもかかわらず日本のメディアが米国の民意に抗してまで、なぜ「オバマの戦争」に理解を示す必要があるのか、不可解というべきである。

 それとも「日米同盟」の呪縛にとらわれて思考停止病にかかり、自由な発想が不可能になっているのか。「テロとの戦い」という米国の口実を日本のメディアがオウムのように繰り返すのは思考停止病の症状であり、適切ではない。「テロ」の背景には貧困や抑圧など社会的不平等・不公正が根を張っており、軍事力で抑え込むことはできないからである。それに軍事力行使は一般民衆の犠牲者を増やし、反感をつのらせている。
 〈毎日〉社説は、「アフガンのものはアフガンに返す」ことこそ出口戦略のカギ ― と書いた。その通りである。米国が今後とも軍事力を振り回すのは、その出口戦略を遠のかせ、ひいては「第二のベトナム化」となって敗退への道を辿る負の効果しかないだろう。


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名古屋市長のユニークな減税論
民主党政権にも一考の余地あり

安原和雄
 民主党議員時代から異論、奇説で知られる河村たかし氏は、「庶民革命」を掲げて、さきの名古屋市長選で大勝した。庶民革命の軸となっているのが減税策で、名古屋市長に就任すると、早速、市長自らの年収(従来2500万円)を800万円に削減し、市民税の10%減税を打ち出した。この市民税減税は日本の地方行政史上初めてのことだそうで、「ムダづかいをなくすには、減税しかない」というユニークな持論の実践である。
 増税論がかしましい折であるだけに減税実施は見識と言うべきであろう。民主党政権は減税にはあまり乗り気ではないように見える。しかし政府の行政刷新会議(議長・鳩山首相)が11月30日、予算のムダ削減を目指す「事業仕分け」の判定結果を「尊重」することを確認したことからも分かるように、ムダ削減には熱心なのだから、民主党政権にとっても「ムダづかいをなくす」ための減税論は一考の余地があるのではないか。(09年12月1日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 一橋大学の広報誌『HQ』(Hitotsubashi Quarterly=2009年秋号特集「世界を解く【決める】」)がテーマ「日本のリーダーが語る・世界競争力のある人材とは?」で同大学副学長・山内進氏と名古屋市長・河村たかし氏との対談を掲載している。 
 河村氏は1948年名古屋市生まれ。2度の落選を経て、93年の衆院選挙で初当選、以降日本新党などを経て民主党に参加。議員宿舎・議員年金の廃止、議員ボランティア化などを主張してきた。2009年国会議員を辞し、市民税減税、都市内分権を2大公約とする「庶民革命」をスローガンに名古屋市長選に出馬し、大差で当選した。
 著書に『おい河村! おみゃあ、いつになったら総理になるんだ』など。名古屋弁でまくし立てることでも知られる。対談相手の山内副学長とは大学同期で、クラスも同じだった。
 河村名古屋市長の説く政治・減税論はなかなかユニークなので、以下にその要旨を紹介する。

▽ 大学の授業で教授に注文つけて怒られた

山内 河村君は大学のロシア語と英語の授業で先生に注文をつけたことがある。覚えてる?
河村 どえりゃあ怒られた記憶はある。
山内 こんな教え方ではダメだと。話せるようにならないことはもちろん、プラクティカル(実用的)な役には立たない。これでは高校時代と同じじゃないかって文句を言った。
ぼくは大学の先生は深みがあるなと感じていた。それもあって、先生と河村君のやりとりは今も記憶に残っている。その河村君が政治的なことに関心をもっていたという印象はまったくない。そうでもなかったの。
河村 商売屋の倅で、死んだ親父が言うには、わが家は尾張藩士の末裔で、サムライであると。だから、世のため人のために生きねばならなん、と。私の大学での発言は、そういう親の元で育ったせいもあるんじゃないかなあ。

〈安原の感想〉 ― 私もやはり教授に注文をつけた
 冒頭の「大学のロシア語と英語の授業で先生に注文をつけた」というくだりで、わたし自身の学生時代の記憶がよみがえってきた。同じ大学で私は昭和29(1954)年入学だから、10歳以上も年齢の隔たりがあるが、実は私も教授に注文をつけたことがある。
 昭和20年代末の大学受験英語(特に英作文)の分野で著名だったS教授が英語(必須科目)の講義に必ず30分くらい遅刻する。90分授業だから、その3分の1の時間、学生は教室でむなしく待っている状態(もっとも英文の原書を黙読しながら待っている学生も多数いた)が続いた。そこで教授にその理由などを聞こうという声が高まり、「安原、お前やれ」となった。なぜ私なのかは、記憶が定かではないが、多分、学生自治会委員などをやっていたためだったのだろう。

 講義が始まる直前に手を挙げて質問した。「先生はいつも遅れてこられるが、なぜですか。われわれは先生の講義を聴きたいがために、教室に集まっているのです」と。後半の説明はいささかカッコよすぎたが、それはさておき教授はこう答えた。「イヤー、実はバスの便が悪くて、この時間になってしまう」と。ここでひるんでは男が廃(すた)るという気分だったらしく、私は食い下がった。「それなら、もう一つ早い時間のバスで来て下さい」と。
 河村氏の場合、注文つけて「どえりゃあ怒られた」となっているが、私の場合は違った。教授は黙ってうなずいていたように記憶している。もっとも翌週から教授が時間通り現れたかどうかは、記憶にない。
 最近の大学は文部科学省の管理下にあり、講義時間を守らないのはとんでもないことという雰囲気がある。昔は教授の都合で勝手に講義を休む「休講」も多かった。のんびりした時代だった。

▽ 政治家はラーメン屋さんよりもずっと簡単

山内 なるほど。それが政治家への道にもつながる。それにしても相当に思い切ったチャレンジ(挑戦)ですね。
河村 いや、人生の土俵際でうっちゃるには、選挙はええんですよ。人生に行き詰まった時には選挙がおすすめです。政治家になるのは、たとえばラーメン屋さんになるよりはずっと簡単です。
山内 そんなものですかねえ。
河村 だって、ラーメンの味はだれにだってわかる。競争相手も多い。うまいラーメンをつくりつづけなければお客は来ない。ところが選挙は、候補者がどんな人間か、さっぱりわからん。共通一次のような選抜試験もありゃせん。だからロクでもにゃあ奴でも通ってまう。まあ、なかには立派な人もおりますがね。
もう一つ、選挙がええというのは、議員になりさえすればメシが食えるんですよ。外国では基本的に政治はボランティアなんですが、日本では私腹を肥やすために政治家になるという選択も成り立つ。

〈安原の感想〉 ― ユニークな政治家論
 「政治家になるのは、ラーメン屋さんになるよりはずっと簡単」とか、「日本では私腹を肥やすために政治家になるという選択も成り立つ」などの発言は、なかなかユニークな政治家論といえる。もっとも「私腹を肥やす政治家」なんて輩は珍しくないが、「なるほどこういう政治家論も可能か」と思えるのは、「政治家よりもラーメン屋さんの方がずっと大変だ」という説である。「だからロクでもにゃあ奴でも(選挙で)通ってまう」ということになる。おもしろい説だが、これには「ちょっと待った」と反論したい現役政治家諸氏も多いに違いない。

▽ 政治は、徴税者に対する納税者反抗の歴史

山内 では選挙に通ったとして、政治家の仕事って、どういうものですか。
河村 ある日、議員が一人残らず死んだとしましょうか。しかし、それで電気や水道がとまるかというと、そんなことはない。コンビニやファミレスが閉まるわけでもない。公共サービスは役所がやっておる。議員が死んだって何も変わらんのですよ。つまり政治というのは、なくてもいいものなんです。基本的にはね。
山内 なるほど、そこから出発するんですね。なくてもいいけれど、あるのはなぜかと。
河村 そこから問い直しますと、安全保障というどえりゃあネタは別格として、議員に求められる一番の仕事は、税金を減らすことなんです。税金を減らせんような政治は意味にゃあんです。そんな政治はなくてもいいんです。

山内 ほう。昨今は増税もやむなしという論調が強いようですが。
河村 そういう話にだまされたらいかんのですよ。そもそも政治の歴史は、徴税者に対する納税者の反抗の歴史です。徴税する側の権力者が固定化し、王様化しますと、贅沢三昧をして納税者を苦しめる。戦争もやらかす。そこでそういう王様みたいな権力者をつくりださないために人類が編み出した大発明が、選挙制度なんです。
山内 納税者が、時に応じて徴税者の首をすげかえる。それが選挙だと。
河村 そういうことです。もう一つ、任期制という大発明もした。選挙に通っても一定期間で有無をいわさず辞めさせてしまう。いずれも権力の座を不安定なものにしようという人類の叡知が生み出した偉大な発明です。ここからどういう答えが導き出されるかといえば、議員は政治を生活の糧にしてはならないということです。こんな不安定な身分ではやっとれん、食うのもカツカツで、はよ辞めたい、とならんとウソなんです。そうなって初めて議員のなすべき仕事の本質が見えてくる。

〈安原の感想〉― 「納税者の反抗」が必要なとき
 「政治の歴史は、徴税者に対する納税者反抗の歴史」とは、その通りであろう。にもかかわらず残念なことに昨今の政治は、この原点を忘却したかのような堕落した姿勢が横行している。財源が足りないから消費税を上げようと言う安易な姿勢などはその典型である。
経済界は大企業が中心になって消費税上げの旗振り役を演じ、その財源で企業減税を狙う。一方、政治家はダム、高速道路、地方空港などの公共事業に精を出し、その裏で私腹を肥やす機会をうかがう。自公政権時代はそれが顕著だった。
 民主党政権になってから公共事業の見直しに取り組み、消費税上げは今後4年間は見送ることになっているが、これはその先には消費税上げもやむなしという姿勢であろう。消費税率1%で約2兆5000億円の税収があるから徴税者にとっては最大の「安定財源」である。一方、納税者にとっては、低所得者層ほど負担感が重い大衆課税である。今こそ「納税者の反抗」が期待されるご時世といえよう。

▽減税しない限り、税金のムダづかいは無くせない

山内 私利私欲を捨て、世のため人のために尽くせというわけですね。お父上の遺訓を思いおこさせます。
河村 まあ、三つ子の魂百までといいますからねえ。言っておるだけではあきませんので、私が名古屋市長になって真っ先にしたのは、自分の給料をカットすることです。今まで通りだと、年収2500万円(税込み)になるんですが、それを800万円にした。800万円は、名古屋市内で継続的に雇用されている市民が60歳になった時の平均年収です。私も60歳で、庶民と同じレベルの生活をする。だから庶民の側に立った政治ができる。
年収が2500万もあって、おまけに1期4年ごとに退職金が4220万も出る。40年でじゃない、4年ごとにですよ。そんなご身分で、庶民のための政治なんかできるわけがにゃあんです。
山内 市長がそうでも、議員や職員の給与は今までとおなじなんでしょ。
河村 市長が800万なら、ほかも将棋倒しでそれに見合った額になっていきますよ。

山内 そういう形で税金のムダづかいをなくしていこうということですか。
河村 いや、そこでみんながつまずくんですよ。今や税金のムダづかいをなくしましょうという大合唱をしていますが、たとえば農水省で100億円のムダが見つかったとする。100億円くらいのムダは簡単に出てきます。では、その100億円はどこに行くか。
山内 もっと重要な、たとえば福祉の充実に充てるとか。
河村 ところがタテ割り行政で、しかも予算は固定化されている。農水省で見つかったムダは、農水省のほかの場所でムダづかいされる。たとえ福祉にまわしたとしても、厚労省だってムダづかいの宝庫でしょ。とどのつまり、ムダづかいをなくすには、減税しかないんですよ。減税をせずに、ムダづかいをなくす、天下りをなくす、行政改革をするという言説はすべて大ウソです。
山内 減税すれば、おのずとムダづかいができなくなるんだと。
河村 そういうことです。名古屋市では来年度から市民税の10%減税を実施します。これ、驚くなかれ、日本の地方行政史上で初めてのことです。

〈安原の感想〉 ― 「減税をせずに、ムダづかいをなくす、は大ウソ」に着目
 名古屋市長としての自分の年収2500万円(税込み)をいきなり3分の1の800万円に削減する、その理由が「なるほど」である。「800万円は、名古屋市内で継続的に雇用されている市民が60歳になった時の平均年収」ということだ。自分も60歳だから、庶民レベルの生活で十分、という感覚なのだろう。庶民革命を唱える立場上、主張と実践を一致させなければならない。なかなか真似のできないことではある。
 もう一つ、「減税をせずに、ムダづかいをなくす、天下りをなくす、行政改革をするという言説はすべて大ウソ」という考えにも着目したい。たとえば水道の元栓を閉めないで水のムダづかいをなくそうとしても無理だという考えだろう。一理ある。ただひと口に減税といっても多様である。国民生活の税負担を軽減するためなら歓迎できるが、企業減税もすべてを歓迎という時代ではもはやない。
 さらに来年度から実施される地方行政史上初という市民税減税がどういう波紋を描くか、その行方も注目される。


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